- Amazon.co.jp ・本 (209ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334927745
作品紹介・あらすじ
この家には男はいない。ぶっ飛んでいる母と三人の娘たち。夢見る女たちの葛藤を描く、リアル「若草物語」。
感想・レビュー・書評
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少女病かぁ。寛解の基準は、自分で進路を選べるようになったら、です。
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トリコさんの定番のガールズ劇場。今回は名古屋が舞台ではない。これだけ無茶苦茶な家庭でも悲愴感は微塵もなく描いている。
長女 都…白馬の王子様を夢見る乙女の激しい妄想が渦巻く。でも実際の出会いは平凡で庶民的なもので、おまけに焼き芋が添えられていて面白かった。
次女 司…男を切らしたことが無い女は自分を見つめる時間を持たなかったために、無駄な異性関係で貴重な20代を素通りしてしまう。
三女 紫…一見しっかり者そうだけど、実はまだまだ子供なのに早く自立しなければいけないと無理している。そんな彼女は太郎という半ば想像上の恋人に甘える事でバランスを保っている。
母 織子…母の役割を放棄し娘に家事全般を任せたこの女に共感する余地はないが、娘にまでバカにされているのは少しだけ同情した。母との断絶や恋愛の失敗などから、自らのファンタジーの世界を強固にする事で救われようとしている。 -
地味な長女、はすっぱな次女、小生意気な三女。
そして全員父親の違うこの3人の娘たちを生んだ小説家の母。
全員が≪少女≫という病に侵されている。 -
このムワッとした女臭さ。なんだか懐かしい。
時間が経てば年は取るのだけれど。
さて、私は女だったけれど、今もそうかしら。 -
『余命一年、男をかう』がとても良かったので、吉川トリコ2冊目。
風変わりな母親と三姉妹の物語。
彼女たちの、「薄あかるくてにぎやかで感傷的な」p208 四人で過ごす最後の冬。
女性を描くのがうまい作家だと思う。
しかも、頑固で意地っ張りで、構ってほしいけどほっといて、という女性のちょっと面倒な内面を描くのが。
「少女」が現しているものは、女性の弱さであり、同時に強さだろうか。儚いけれど、軸となるもの。自分の中の核のようなもの。
歳を重ね、見た目や立場や役割が変化しても、変わらず自分を自分たらしめているもの。
「ただ、司の中のある部分が悲鳴をあげている。いやだと言っている。もう真山とはいっしょにいられないと言っている。それはもしかしたら、もうとっくに死んだと思っていた少女の姿をしているのかもしれない。」p97
「でも、だからといって夢をみないわけにいかないじゃない。生きているかぎり、私はいつまでだって夢をみたいわ。」p168
自分の中に生きる少女に背中を押されることもある。不器用にでも、痛みを伴うことであっても、少女であった時のひたむきな想いを原動力にして、ある種の開き直りとだらしなさを年の功で得た武器にして。
「たとえオンボロでも板切れ一枚でも、自分の名前のついた船を漕ぎ出さなくちゃならないときがきたのだ。」p102
「いやになる。自分も含め、どいつもこいつも、なんだってこうもうまくできないんだろう。みんなみんな揃いも揃って、愚かで不器用で、どがつくほど下手糞に生きている。
でもしょうがないか、とも思うのだった。居直るわけじゃないけど、最初からなんでもうまくできる人間などいないように、母になるのも妻になるのもーーそれどころか生きるのも女をやるのも、私たち、これがはじめてなんだもの。」p206
今回も、グサグサ刺さる言葉がたくさんありました。
織子さんのこの心境とか。
「身も世もない恋の嵐にさらわれて、どこへなりと消えてくれ。母と娘をつなぐ、錆びた鎖を引きちぎる強い力。胸がえぐられるような思いがするだろう。けれど織子は、自分の中の「母」を殺して痛みに堪える。都が生まれてから、ずっとそうしてきたように。」p203
ちなみに私は「少女病チェックシート」10個中8個に○でした。やばいね。 -
自分の中の彼女達が、痛かったりいとおしかったり。
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表紙が可愛かったから手に取ってみました。紫と織子の話が特に好き。視点がくるくる変わって、都や司の章を読んでいたら何て奴だ…と思っていた織子にも、織子なりの世界があるんだなと分かって楽しかった。