- Amazon.co.jp ・本 (326ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334929442
感想・レビュー・書評
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最愛の娘が殺された。
金品欲しさに押入った強盗に、そこに居合わせた幼い娘は首を絞められて殺された。
犯人は最初の判決は無期懲役。しかし、被害者側の上告で犯人は死刑となった。
死刑という判決に、犯人は罪を償うという意識よりも、死刑はいつか自分に訪れる死が早まっただけだ、と考えた。
はたして死刑は、人殺しに罪を償わせるという意味を持つのだろうか。
娘を殺された小夜子は疑問に思う。
殺人犯を刑務所に〇〇年入れておけば真人間になる、という保証はない。
〇〇年という拘束の時間を、殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることにどんな意味があるというのか。
死刑は無力。
しかし再犯を防げるメリットがある。
どんな理由があろうとも、人殺しはみな死刑になるべきだ。
————-
自分の赤子を殺した過去の過ちを悔いて、自らが小児科医となり、難病の子供を助けてきた仁科史也。
樹海で自殺しようとした妊婦を妻とし、妻の夫も扶養し助けてきた。
彼は過去の罪に縛られ、人助けで自らの罪を償おうとしてきた人間だった。
殺人犯はみな死刑にすべし、という小夜子の思い。
はたしてそれは全ての人殺しに当てはまることなのか。
小説を読み終えて、いろんな意見があると思うが、とても考えさせられる内容だった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
冒頭の甘酸っぱい青春の回想から一転、話は娘が殺されるという殺人事件へ。
被害者遺族、夫婦の戦いから裁判の結末。その夫婦も離婚の道を選び…。
その元妻が殺害された事件から物語の核心へと進んでいく。
読んでいる時は結末が見えずらかったけど。
冒頭の回想が意外なかたちで絡んでいき。
そしてひとつの決断をしてこの物語は終わる。
おそらく読んだ人それぞれ感じ方が違うのかなと。
読み終わた後確かに「答えの出ない問い」というもの、僕も感じました。 -
2020/06/26読了
#このミス作品30冊目
死刑制度へ一石を投じる作品。
生きて償うべきか、死んで償うべきか。
遺族目線での怒り、悲しみ、葛藤が
強く描かれている。
ストーリーはさすが東野作品といった感じ。
子を持つ親としては
なかなかにショッキングな内容。 -
2014年にヒットしたミステリーです。
出遅れて読みました。
子供を殺された 家族の 心の傷は
たとえ犯人に 刑が科せられても
癒される事はないでしょう。
ミステリーとはいえ 殺人事件の増えた 今の日本に投げかける 一冊のように思えました。 -
ミステリーの形を用いた哲学の書であった。
重くて、簡単には答えの出せない、永遠の問題。
東野圭吾さんは、随時こういった問いかけを掲げた作品を発表する。そのたびに、「自分ならどうするか」「私はどう考えるか」ということを考えさせられる。
「人を殺したら自分の命で償うものだ」という考え方にも共感する部分はあるのだが、この考えを敷衍していくと、誰も生きていけなくなってしまう。
「とりあえず刑務所に放り込めばそれでよし」とするのは違うと思うのだが、じゃあ、反省とか償いはどういう形をとればいいのか、に対する答えは浮かばない。
反省すればそれでいいのか、とも思うし、「償う」って具体的にはどういうことを指すのかもわからない。
「こっちの命が失われたのだからそっちの命も失え」という感情は、たぶん、公平さとかそういう感覚とつながっているんだろう。
「自分の子どもが殺されたら」という仮定は、とても冷静に考えられる問いではない。それでも、誰もが誰かの子どもである、という事実を思い浮かべると、追求の手が少し緩みそうになるのも事実だ。
人が作り出したシステムは、あちこちほころびだらけで、矛盾だらけである。その、ほころびや矛盾の中で、自分はどういう価値観を持って生きていくのか、ということを時々は自問したほうがいいと思った。
「愚かである」というのは、もっとも悲しい罪の一つだと思う。 -
2014年5月発行の作品。
罪の償いはどうあるべきか、死刑なら償いになるのか‥?
重い課題を含んだ良心的な小説です。
中原は11年前に、娘を喪った。
強盗に殺されたのだ‥しかも、犯人は出所後の再犯。
怒り悲しむ夫婦は死刑を望み、それは叶ったが、それで愛娘が戻ってくるわけではない。
離婚し、中原は職も変えたのです。
別れた妻・小夜子が通りで事件に遭ったという連絡が入り、驚愕する中原。
力を失った元妻の両親を支え、離婚後の小夜子がどう生きたのかを調べ始めます。
彼女は犯罪についてルポするライターとなっていた。
思いがけない真実がそこに‥
万引きをするにしても、そこにいたる事情や理由はさまざま。病的な状態で刑罰より治療を要するケースが多いとか。知りませんでした。
殺人も、もちろんのこと、事情は極端に違ってくる。
犯罪被害者や遺族は、償いを求めるが、何が有効なのか‥
死刑はなくなるのが理想だが、抑止力として、否定はしきれません。
しかし、死刑が決まっても反省することのない犯人では‥
収監されている期間が、心から後悔する機会となればいいのだが。
終盤で出てくるごく若い頃の罪については、まだ未熟な年齢の事件なので、起訴されないのも妥当なのでは。
(当然という描き方ではなく、いろいろな成り行きあってのこと)
いや、子供は大人に相談しなくちゃいけません!
それと、何もなかったふりで生きていくのも、本人の気持ちの整理がつかないという問題があるという重さ。
小説の読後感としてはすっきりはしないけれど‥
割り切れない重さを抱いたままで終わるのは、致し方ないことかもしれません。 -
人が人を殺してはいけないのは、誰もその罪の償い方を知らないからだ。。。
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読書を再開して1冊目の本だったけど、内容がかなり重かった。
死刑制度…いろいろな考えもあるし当事者にならないと分からないと思うけど、すごく考えさせられる内容でした。
すごく引き込まれて一気に読んだけど後味はあまり良くなかったかな。 -
【死刑は無力】
中原道正の元に突然警視庁の刑事佐山が訪ねて来た。
あの時に捜査を担当した佐山…。
事件後離婚した妻の小夜子が路上で刺殺されたと言う。
道正と小夜子は11年前殺人事件の被害者遺族になった。
小学2年の愛美を蛭川和男に殺されたのだ。
蛭川は、強盗殺人などで無期懲役の判決を受けて、半年前に仮出所していたのだ。
中原は事件の呪縛から逃れられず目を逸らして生きて来た。
しかし、小夜子も事件の呪縛から逃れられなかったが、
逆に真向から立ち向かって行動していた。
『死刑廃止論という名の暴力』を出版しようとしていた。
中原は、離婚後の小夜子の足跡を追っていく……。
とても、重い問題を投げかけた作品でした。
無期懲役で服役しても改悛の状がある時は10年を経過した後、仮釈放される。
そして、再犯率は高い…。
被害者遺族はひたすら死刑を望み、たとえ死刑が確定し裁判が終結しても何も
変わらない。それどころか喪失感が増したように感じる。
死刑判決を受けても、全く罪と向き合うことなく、反省も謝罪もせず、ただ自分
の運命にしか関心のない者。
罪の意識に苛まれ、苦しみながら毎日を過ごしまた、誰かを救っている者。
それぞれの事件に色々な背景があり、それぞれ事情が違う。
どもひとつも同じものはない…。
人が作った司法・刑罰制度…罪の重さをはかる基準の曖昧さ。
人が人を裁くという事が如何に難しい事か…。
罪を償うってなんだろう…。
一体どこの誰に『この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる』
などと断言出来るだろう。殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、
どんな意味があるというのか。
沢山の事をとても考えさせられる作品でした。 -
東野圭吾さんの今まで読んだ本の中で一番よかったかも。
自分が犯罪被害者だとしたら犯人に何を望むのかを考えながら読みました。罰を与えて苦しんでほしいのか。でも何より悔いてほしいんじゃないかなと。悔いることがなければどんなに長い刑期も意味がないし、短い刑期でも心から悔い改めて生きていくのであれば更生の道は開かれるべきなのではないか。
犯罪の再犯…特に殺人の再犯を防ぐという目的であれば死刑は有効なのでしょう。
しかし悔い改める、という目的だとすると死刑は有効なのかどうか、わかりませんでした。