世界はシンプルなほど正しい 「オッカムの剃刀」はいかに今日の科学をつくったか
- 光文社 (2023年3月23日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (488ページ) / ISBN・EAN: 9784334962630
感想・レビュー・書評
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科学論の本。西洋史ではない(笑)
著者はおもに物理学の例を題材にしている啓蒙の本。なので、チェリーピッキングではないという防御は立てられていない。例えば「ある一つの疾患の原因となるのは、遺伝子の特定の箇所だけ(そして生育環境も社会も関係なし)と推定していいか」みたいなことを聞かれたら、著者はどう返答するだろうか。
【版元】
著者:Johnjoe McFadden(1956-)
訳者:水谷 淳(1970-)
ジャンル 書籍 > 翻訳
出版日 2023/03/30
ISBN 9784334962630
JANコード 9784334962630
Cコード 0040
判型・ページ数 488
定価 2,860円(税込)
https://books.kobunsha.com/book/b10130473.html
【簡易目次】
はしがき 008
パート1 発見
第1章 学者と異端者 022
第2章 神の摂理 047
第3章 剃刀 067
第4章 権利はいかに単純か 089
第5章 科学の一瞬の輝き 105
第6章 空白の時代 123
パート2 扉が開かれる
第7章 太陽を中心に戴いた神秘的な宇宙 150
第8章 天球層を打ち壊す 167
第9章 単純さを地上の世界に当てはめる 199
第10章 原子と全知の霊魂 216
第11章 運動の概念 245
第12章 運動を利用する 260
パート3 生命の剃刀
第13章 生気 276
第14章 生命の導き 303
第15章 エンドウマメ、マツヨイグサ、ショウジョウバエ、盲目のネズミ 338
パート4 宇宙の剃刀
第16章 最高の世界か 360
第17章 量子の単純さ 379
第18章 剃刀を開く 401
第19章 もっとも単純な世界か 421
終章 453詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
実践本かと思ったら西洋史の本だったので途中で読むのをやめた
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「オッカムの剃刀」はいまや科学書だけでなく、映画やミステリ小説にも頻繁に出てくるのでなじみ深い。
不思議とこのワードを発した話者が賢そうに思えてくる魔法な言葉でもある。
科学における倹約の原理とも、単純化原理、思考節約原理、果てはケチの原理とも言われている科学的単純性の原則は、ある現象を説明する際に、必要以上に多くのことを仮定すべきではないという説明の指針として、複数の仮説がある場合、その中で最も単純なものを採用すべしとする推論の指針ともされている。
ここから「シンプルな解決法はいつも正しい」とタイトルにも近いテーゼが導き出されるのだが、著者の考えはもう少し厳密だ。
ただ、「オッカムの剃刀」には批判もある。
例えば哲学者チャマーズは『リアリティ+』の中で、外部世界を説明するのに、「世界が実在するという説」の方が単純だから、より複雑な「シミュレーション説」を排除すべきだろうかと問いかける。
単純さは多くの要素の一つに過ぎず、単純な理論が誤りで、複雑な理論が正しいこともよくある。
単純さは他の要素によって覆されることもありうる。
環境が複雑なことがわかった場合などがそうだと言う。
「たとえば、火星の岩にAの文字が刻まれているのを発見したとしよう。ふたつの説が唱えられる。岩同士のランダムな動きと衝突により刻まれたと考える説と、知的生命体が刻んだとする説だ。火星に知的生命体がいると仮定することには理由がないので、より単純に見える前の説を支持するだろう。一方で、地球の岩にAの文字が刻まれているときは、人類がかかわるのでより複雑だが、後者の説を支持するのが妥当だ。私たちは、地球上にたくさんの知的生命体がいることを知っているので、その分だけ複雑な説を信じる理由がある。
同じことがシミュレーション説にも言える。そこがシミュレーションの世界であると信ずる理由がなければ、世界が実在するという説の単純さは、それを支持する理由になる。一方で、ボストロムが言うように、世界に全宇宙の完全シミュレーションがいくつも存在することが信じられるならば、単純さという理由は覆されるだろう。私たちはまだ完全シミュレーションを見ていないが、それは実現可能であり、人類の歴史においていつか開発されるだろう。現実問題として、単純さのアピール力はシミュレーション説を排除する理由にはほとんどなっていない」
この他にも理論物理学者アル=カリーリは、『人生を豊かにする科学的な考えかた』の中で、もっと本書の主張と重なる形で「オッカムの剃刀」を否定している。
地球中心説からコペルニクスによる太陽中心説への転換は、この原理の好例だとされているが、間違いだと断言する。
なぜならコペルニクスは、宇宙の中心が地球ではなく太陽だと正しく指摘したが、惑星の軌道は完全な円であるという主張は変えておらず、それがあまり洗練されていない楕円だと分かったのはケプラーの研究のおかげだ。
しかもいまの天文学研究では、太陽系の真の力学は、オッカムの剃刀とは逆に、ますます複雑であることがわかっている。
ダーウィンの進化論もオッカムの剃刀の好例とされているが、この理論の下には、気が遠くなるほど複雑な進化生物学や遺伝学が包有されているし、もっと言えば、神がすべてを創造したとする非科学的な創造説の方が、ダーウィンの進化論よりはるかに単純だと言えるのではないか。
「ここでの教訓は、最も単純な説明が正しい説明であるとはかぎらないこと、そして正しい説明はたいてい一見したときほど単純ではないということだ。オッカムの剃刀を科学に適用する場合、それは新しい理論のほうが単純だから、あるいは仮定が少ないから、これまでの理論に取って代わるべきだという意味ではない。わたしは、オッカムの剃刀に別の解釈を与えたい。よりよい理論とは、より正確に世界を予測できるので、より実用性に優れた理論である、という解釈だ。単純さは、必ずしも追い求めるべきものではない。
日常生活でも、そうあってほしいと願うほど物事は単純でないことが多い。アインシュタインの名言を借りれば、人は物事をできるだけ単純にしようとすべきだが、単純にしすぎてはいけない。しかし、単純なほうがよいという考えは浸透しているようで、特に倫理的、政治的な問題については単純化された議論を好む傾向が見られる。そういう議論では、細やかさや複雑さがすべて無視され、何もかもが最低限の共通項に落とし込まれて、さまざまな問題がニュアンスをすっかり失ったミームやツイートに要約されてしまう。
確かに、厄介な世界を理解しようとするときには、複雑な問題をすっきりと明快な視点にまとめたくなり、どの側面を軽視するか強調するかによって複雑なものを単純化する方法がいくつもあることを忘れてしまう。こうしてしばしば、ひとつの複雑な問題からふたつ以上の完全に異なる意見がまとめ上げられ、それぞれが支持者によって疑う余地のない真実と見なされることになる。しかし、多くの科学と同じように、実生活は一筋縄では行かず、何かについて決断するには、さまざまな要素や選択肢を考慮に入れる必要がある。残念なことに最近では、表面的な理解で満足し、もう少し深く掘り下げてみようとはしない人が多すぎる。単純にしてくれ、細かいことで混乱させないでくれ、と彼らは言う。しかし、その複雑さをきちんと認識し、異なる視点から調べてみれば、問題がどれほどはっきりして理解しやすくなるかに気づいて驚くことがある」
アル=カリーリの主張は、細かい所では本書の著者の主張とも重なる所があるのだが、「生命は単純であり、もっとも単純なものが生き延びる」とか、「適切な視点を見つけることで、この世界はもっと単純になる」と「単純さ」の果した役割がかなり強調されているため、ちょっと納得がいかない部分も多い。
ただ、オッカムの剃刀を軸としてプラトンから現代の最新科学まで語る科学史は抜群に面白く、新鮮に感じた。
特にオッカムのウィリアムの思想がペストを生き延び、中世に終止符を打ち、ルネサンスと宗教改革を導く様は爽快だ。
この時、神学から科学を切り離すといった貢献がいかに重要だったかは本書を読めばよくわかる。
情け知らずで、計り知れず、不可知で全能の神という唯名論者たちの思想が、ルターらの宗教改革推進者にとっては、人間の自由意志や想像性の否定につながり、ルネサンスの推進者にとっては、全能の神に近づき見合う存在としての人間性の強調につながったが、一番大きかったのは、神学は聖書によって進めるしかないのだと、そこから科学を引き離すことに成功した点で、実験と論理によって検証される現代科学の礎となった。
つまり、その時代の人たちが聖書の中に真理を見出すべきだと、科学を無視するというか無関心な状態に追いやってくれたことで、次の発展の芽が生まれたのだ。
実は単純さとの対比で語られる複雑でいまでは間違っていたことがわかっている過去のモデルがどうして有効であり続けたのかの指摘が、もっとも興味深かった。
例えば、プトレマイオス『アルマゲスト』。
惑星の運動を説明するため、複雑なモデルを考え出し、それでも辻褄を合わせるため非物理的な要素を付け加えたものなのだが、天体の運動だけでなく日食や月食などの現象が起こる日付もほぼすべて説明できてしまい、しかも1000年以上にわたって天文学の究極のモデルでありつづけた。
「プトレマイオスのモデルのように数々の間違った仮定に基づく科学的モデルですら精確な予測を導き出せるとしたら、ある特定の理論や仮説の正否をどうしたら判断できるというのか?同様に今日得られているデータのほとんどを説明できる科学的モデルも、実はプトレマイオスのモデルと同じように間違っているかもしれない。そうだとしたら、どうやって真理を発見すればいいのだろうか?」
間違ったモデルがどうしてここまで正しくなりえるのか?
その答えは、「間違っていなかった」から。
ただ「過剰に複雑にしてしまっただけ」なのだという。
細かいところを言えばズレがあるのだが、種蒔きや収穫、結婚や開戦に最適な時期を予測するための暦を与えるという主要な目的にとっては、十分に役に立った。
科学は真理の探求であるという素朴な考え方を捨てるべきだ。
「科学は何らかの究極の真理を見つけ出す営みではなく、有用な予測をするのに使える仮説やモデルを組み立てる取り組みである」べきなのだ。
しかしコペルニクスの単純化の動機は異なった。
彼が太陽を宇宙の中心に据えたのは、従来よりも精確な予測を導き出すためではなかった。
これまで使われていたものよりもはるかに単純な構成を持つ体系を探しはじめたのは、プトレマイオスモデルの込み入った複雑さにぞっとしたからだった。
「科学者が自然界を研究するのは、それが役に立つからではない。そこに喜びを感じるからであって、喜びを感じるのは自然界が美しいからである。.....単純さと幅広さがどちらも美しいからこそ、我々は好んで単純な事実や幅広く通用する事実を探すのだ」
コペルニクスもケプラーも数値的な単純さでなく、とりわけ美的な単純さにこだわった。
惑星の軌道は、数学的な美しさにおいても完璧な円だと考えられていたのを、ケプラーは歪めて楕円軌道にしてみたところ、観測結果に合致した。
天空の秘密を解き明かす大発見だが、ケプラーは不満だった。
天空にピタゴラス的な調和を見出すことを夢見ていたのに、見苦しい楕円しか見つけられなかったからだ。
プラトン以来のほぼすべての天文学者が思い描いてきたのは、完璧な円の方だ。
楕円など、単純さの尺度から考えれば、どう考えても次点であったはずだ。
ケプラーの発見によって、宇宙はより規則的で予測可能になったと言う意味では確かに以前より単純になったのだが、モデルは見かけほど美的でもなければ単純でもなかった。
錬金術も、今日ではほとんど無意味で馬鹿げたものとして扱われているが、神秘主義的な秘技が実は、物質の性質を調べるための手法を編み出すなど、現代科学の誕生に重要な役割を果たしていた。
蒸留も、酸と塩基の区別も、金属の精製法も、錬金術師たちが実験室で最初に編み出した物ばかりだ。
オッカムの剃刀の価値は、無意味な要素を剃り落とすことにあるが、無駄で無意味で風変わりな試行錯誤の末に知識は発展してきている。
燃焼という現象を説明するフロギストン燃焼説も、当時は数多くの事実と合致する理にかなった理論と考えられていた。
完全に間違った世界モデルでも、創意工夫と想像力を思いのままに発揮すればどんなに大量のデータや観察結果にも合致させられる。
「プトレマイオスの地球中心説やフロギストン説と同じく、間違った理論でも聡明な科学者の手にかかれば正しい結論を数多く導き出せる」
見せかけの理論は、際限なく複雑になり、反証しにくくなる。
ところで科学を研究するためにはモデルの選択が必要不可欠だが、モデルを選び出すための基準は何か?
それは、間違いを容易に証明できるような単純なモデルでなければならない。
単純なモデルは、複雑なモデルに比べ、打たれ弱くたいてい間違っている。
弱点のようだが、これがこのモデルの長所でもある。
なぜなら、複雑なモデルだと、はるかに反証が難しいため、データの照合に時間がかかりすぎるのだ。 しかし、オッカムの剃刀の原理は、推論を進める上で不必要な要素を付け加えるべきでないと主張しているだけで、逆に言えば、不必要でない限りいくらでも要素を付け加え、複雑にしてもよい。
つまり「不必要なもの」という条件に背かない限り、必要な複雑さをどれだけ付け加えてもかまわないのだ。
宇宙のモデルはいくらでも複雑になりえた。
天界と地上の法則や、電気と磁気の力など、まったく異なっていてもおかしくはなかったのに、同じものだった。
オッカムの剃刀によってこの世界が単純であることが保証されているわけではないのに、この世界はやっぱり単純だったのはなぜか?
答えは、オッカムの剃刀、あるいはベイズ流の剃刀を用いれば、もともとデータが得られ真である確率が高い単純なモデルがあらかじめ選択されいるからだというのが、著者の結論。
科学法則は数学と言う普遍的な言語で書かれているからこそ、単純な真理を目指せる。
中核には確率があるため、予想と矛盾するデータが得られても、無視できるほど十分だと言えるが、それに拘れば、理由をこじつけるために余分な複雑さを付け加えることに。
それによって反証はしにくくなるかもしれないが、ますます不合理になっていくのだ。
ただ、科学は単純だと言えるが、果たして世界は単純であるということにはならないのではないか。
事実、宇宙はやっぱり複雑で、ニュートリノ粒子など、不必要な材料が大量に溢れているではないか。
宇宙の基本定数の微調整問題(中性子や陽子や電子などの質量がわずかに異なるだけでこの世界は存在しなくなる)から見えてくるのは、不可解なほどの偶然の一致という謎である。
「科学は解決可能な事柄の学問である」(ピーター・メダワー)
「科学の役割は目に見える複雑さを目に見えない単純さに置き換えることである」(ジャン・バプティスト・ベラン)
科学で扱えるのは、世界に実際にある現実の要素そのものではなく、その要素をモデルから導き出した予測や結果などの言明だけだ。
その意味でいくらモデル内で首尾一貫しているからと言って、世界を正しく記述したモデルだと断定することはできないだろう。
オッカムの剃刀に対抗して、得られている最大限の情報をモデルに組み込むという「完全性と呼ばれる基準」がある。
たとえどんなに複雑になろうとも、できるだけ数多くの観察結果と辻褄の合う方程式を組み立てるという立場だ。アインシュタインも当初はその立場だったが、数学的な単純さを追い求める立場に宗旨替えしている。
「"理論の検証は経験によってできるが、経験から理論を構築する術はない"と述べている。これはつまり、単純な系(方程式)から複雑な結果を計算するのは容易だが、その逆問題を解くのは多くの場合不可能であるという意味」だが、大規模言語モデルやAIによって大量のデータが容易に、しかも瞬時に扱えるようになってくると、これまでのような単純さ一辺倒ではなくなるのではないかと予感させる。 -
古代ギリシャから現代までの西洋哲学と科学の歴史を、「オッカムの剃刀」という縦軸を通して一気に俯瞰できるお得な一冊。正しいか間違っているかではなく、いかに単純に説明できるかという視点を持つ人と持たない人の差は大きいように思う。物理学を学ぶ機会がある高校生の後半から、大学生の前半ぐらいの時期に読むと、この先何を学ぶべきか、なぜ学ぶのかという疑問に立ち向かう力を持てるかもしれない。強くお勧め。
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細かい物理のお話は苦手だけれど、科学がいかにしてキリスト教的迷信から脱して来たかがよくわかる科学史として面白かった。
未だに原理主義の人々は新旧聖書を一字一句違わず信じているのかなぁ。
オッカムの剃刀という言葉は知っていたけど意味は知らなかった。オッカムのウィリアム。
彼はウンベルト・エーコの薔薇の名前の主人公になっている。映画も観たくなった。
単純なものほど正しい。
自然の運動は最も省エネで動いているという事に目からウロコ。確かにそう。
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シンプルに、削ぐ。
能力は使わなければ削ぎ落とされる。 -
中世から現代まで科学を中心に「オッカムの剃刀」がいかに振るわれたかを辿る。全20章。
はしがきで「宇宙マイクロ波背景放射」なるものが淡々と語られる。その書き振りは「ほら、みんなの好きそうなおもろい導入部でしょ?これからもっとおもろくなるで!」という作者のワクワク感と飴玉ここに置いといたからみたいなのを感じるんだけど私としてはこりゃしまったな、思ってたのよりだいぶレベルが高くて読み切れないのではという感じだった。ページ見たら460とかあるし。むむむ。
ただ読んでみるとおもろい。最初はオッカムのウィリアムの逃亡劇。しばらくしてコペルニクスにガリレオ、ロバートボイル、ウォレス、ベイツ、ダーウィン、アインシュタインと数百年の歴史を下りながらいかに科学が生物学が量子力学が発展してきたかを紹介。(実際はもっと沢山の超有名科学者たちが登場します)
そうねぇ。。読んだのは読んだけど「どんな本だった?」と聞かれると答えられないなぁ。読めはするけど内容は頭に残ってません。キッパリ。特に最後の量子力学は完全にオーバー。
無理矢理例えると数百年間の科学ドラマ。国や時代、登場人物はシーズンごとに変わっていく。ただ「オッカムの剃刀」というアイテム?概念?設定?は守ってる長編連続ドラマ。主人公が毎回変わる水戸黄門というか。ドイツの黄門様。アメリカの黄門様。印籠がオッカムの剃刀ね。モノじゃないけど。伝わる?伝わらないよね。ごめん。
本の感想とか評価では全然ないんですが、思ったことを記録。
1)これがこうやって日本語にまで翻訳されて売ってるってことは、この本をスラスラ読んで内容に沿った感想を書いたり、また文中のエピソードなんかを覚えて人に話したり、「そうは言ってもさー」とか議論まで出来る人が世界中に沢山いるんですよね。みんな頭良くていいなぁ。
それともみんなが普通で私がパーなだけかしら。
2)今でも目眩がする程に洗脳状態は世界のあちこちで続いていますが、つい最近まではどれほど頭脳明晰の人も「神なんていない」という風にはならなかった、なれなかった、私的な日記であっても書けなかった、というか。これからまた50年後にはもっと自由になってるかもだけど20-21世紀に生きててラッキー。何でもかんでも信仰が混ざってたらまずくない?(今でも余裕で混ざってますけども)でも必要なのかな。心の支えになるのかな。恋人友人は見つけやすいのかな。うーん。百歩譲って多神教だなぁ。てかよく無くならないな。
3)ウィリアムのくだり「イエスは財布を持っているか」の議論、ブラックホールは別の宇宙でビックバン説、両方好き。
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衝動買いしたものだが、想像していたものと大きく異なるため断念…
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/790636 -
「複雑な理論より、シンプルな理論のほうが正しい」
「余分な複雑さは削ぎ落とすが吉」
14世紀の神学者が唱えてたとされる、極めてシンプルで有効な方法論。
それは、科学の発展を後押しすることもあったし、科学の発展に裏打ちされることもあり、今やもう、語る必要もないくらい普遍的な心理となっている。
その裔に、ガリレオもコペルニクスも、ケプラーも、ニュートンも、おますのだ。
本書は、その視点で科学発展史を語る。
神の軛から、科学を解き放つのが、どれだけ困難な事業であったかが、ホンマによく解る。
著者は最後に、結局のところはそれは、ベイズ統計だろうという。
シンプルなことほど、現実である可能性が高く、再現されるほど、その確率が上がると言うことだろう。
ぶっちゃけ、起こりやすいことほど、起こりやすいんだと言うこと。
逆に、同じ現象を説明するに、複雑していいのであれば、人間の知性は、あらゆることに説明をつけることが出来るというのも、一面であった。
ただ、予測性とか再現性において破綻しやすいということなのだろうな。
こういう科学史で毎度の如く、量子力学辺りでもう理解の外郭を超えてしまったのだが、本書の面白さを何ら欠するものではありません。
「対称性」っていう、日本語訳が多分、よくないと思うんだよなあ。
何より、件の神学者の名前は、ウィリアムなのに、出身地がオッカムだからって、オッカムの剃刀っていうって、そこが一番腑に落ちなかった。 -
請求記号 404/Ma 15
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結局、シンプルに戻ります。
ただ、量子力学やダークマター自体、シンプルとは言いづらいですね。
