世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学〉連続講義

著者 :
制作 : 沼野 充義 
  • 光文社
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感想 : 33
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  • Amazon.co.jp ・本 (374ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334976767

感想・レビュー・書評

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  • 再読です。
    最近、日本のエンタメ系小説ばかり読んでいて、世界の古典名作や純文学を全く読めなくなってしまったのでリハビリになるかと思って読みました。
    2012年に、初版を買って読んだ時は感じなかったのですが、9年たって読むと情報が若干古くなっている気はしました。村上春樹の『1Q84』が大ヒットしている話とかは今の状況とはあまり関係ない気がします。
    最初の4つの章は再読でも比較的面白く読めました。最後の沼野さんと亀山郁夫さんのドストエフスキーの話は他所でも色々読んできたので、お腹いっぱいの感がありました。
    私も歳をとってきたので外国文学よりも、日本の文学を再読したりしたい気持ちに駆られました。
    中高生向けの本ですが、章末ごとのお薦め本はもう一度読んでみたい本が何冊かありました。

    ①越境文学の冒険
    リービ英雄×沼野充義
    言語のはざまを生きる
    ・現代における越境は翻訳である。
    ・日本語の散文を書いている日本人でナンバーワンは多和田葉子さん。

    ➁国境も時代も飛び越えて
    平野啓一郎×沼野充義
    ネットは文学を変えるか
    ・世界の文学について考える場合、まずその膨大さに驚き、自分がひょっとしたらそのうちのごくわずかな部分しか知ることができないことを自覚すべき。理解のために専門家の解説や研究の助けを借りればいい。
    ・どんな便利なメディアが出てきたところで、それを使うのは自分の頭だし、本を読むのは自分。

    ③「Jブンカク」への招待
    ロバート・キャンベル×沼野充義
    世界文学の中で日本文学を読む
    ・若い頃は外国文学にひかれ、歳を経てまた、日本の古典文学に戻ってくる作家も多い。

    ④詩を読む、詩を書く
    飯野友幸×沼野充義
    詩は言葉の音楽だ
    ・アメリカには詩人が二万人いる。大学に創作講座があり教えている人もいる。
    ・ロシアや東欧では詩の社会的地位は、いまでもアメリカよりはずっと高い。ロシアは数百万人はいる。

    ⑤現代日本に蘇るドストエフスキー
    亀山郁夫×沼野充義
    神なき時代の文学者たちへ
    ・トルストイとドストエフスキーは年齢差が7歳しかないが、一度も会うことがなかった。

    ※ノートをあまり熱心にとらなかったので、行間に潜むこの本の面白さはあまり伝わらなかったかもしれません。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      まことさん
      んー詳しいとかは全然違ってます。ロシアの詩人云々は何かの繋がりで行き当たっただけです。
      それと成文社、未知谷、群像社と言った出版...
      まことさん
      んー詳しいとかは全然違ってます。ロシアの詩人云々は何かの繋がりで行き当たっただけです。
      それと成文社、未知谷、群像社と言った出版社が好きだからかも、、、
      ロシアの詩人で読みたいと思って果たせていないのがアルセーニィ・タルコフスキー

      生活の指針のために、長田弘の本は全部読むと決めています。「詩は友…」は長田弘のエッセイがあるので紹介されている詩もすんなり心に届いたのかも、、、

      堀口大學は猫も好きです。関容子の評伝「日本の鶯」や矢作俊彦「悲劇週間」(フィクションです)とかで、ますます好きに、、、
      2021/02/11
    • まことさん
      猫丸さん。
      アルセーニータルコフスキーは、あの有名な映画監督のお父さんなんですね。ちょっと興味わきますね!
      関容子さんの本は、読んでみたいと...
      猫丸さん。
      アルセーニータルコフスキーは、あの有名な映画監督のお父さんなんですね。ちょっと興味わきますね!
      関容子さんの本は、読んでみたいと思います。
      矢作俊彦さんの本も面白そうなので明日図書館にあるか探してみます。
      いつも、色々とよい情報をありがとうございます。
      これからも、何かあったら色々教えていただければ嬉しいです。
      2021/02/11
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      まことさん
      にゃー
      まことさん
      にゃー
      2021/02/11
  • 面白かったー!
    「なぜ祖父は古典を読むように勧めたのか?」という問いに今取り組んでいて、考えを深めることが出来た!

    特に印象に残った部分。
    - 国や文化や言語の境界を越えていく、「越境」が特に現代の文学において突出してある現象ではないか。
    - 文学はマイノリティの声。(文学の起源は異端審問にあるのではないか:中世の魔女裁判は行為ではなく存在を訴えられる。そうすると、大勢の人に対して自分の人間性を必死に語らなければいけなくなる。)

    マイノリティという問題は、文学の古くて新しいテーマなのではないか。
    つまり、グローバル化の進展で文化が混ざり合い、文化的マイノリティがある程度の集団を形成している現代に、文学は何を語りかけるのか。文学の中に登場するマイノリティを古典と現代の作品同士で比較したら、もっと現代の理解が深まるのかしら。
    そんな仮説を持った。

    一方、世界文学の世界は、とてつもなく膨大で絶対読破なんてできないからこそ、マイペースに楽しもうと思った。楽しみ。

  • 『世界は文学でできている』
    沼野充義

    つまり、世界文学というのは、私が、あなたが何をどう読むのかだということなんです。突き放した言い方に聞こえるかもしれませんが、最初から与えられたリストに従って「これだけは読まなきゃ」と時部を縛りながら読むのではなく、読みたいものを夢中になって読んでいるうちに、次に読みたい本が出てきて、その結果、自分の世界が世界に向かって広がっていく、というのが本当は一番いいのでしょう。(p99)

    ★リストというのは目安としてあることを忘れてはならない。小学生のころ、無為に図書室で選んでいたことを思い出す。

     余暇自体は増えていないにもかかわらず、エンターテイメントのジャンルは多様化しましたから、限られた時間の壮絶な奪い合いが始まって、結果、本の売上げも、テレビの視聴率も落ちることになった。読書は今、そのサバイバルの渦中に投げ込まれています。(p108)

    ★なるほど。現在は多様化が生んだ状況。

    ……純文学畑の人たちは、僕も含めて、文学はもうちょっと人間が生きる上で大きな影響を及ぼすものだ。単なる束の間の興奮ではないということを言ってきたんだと思います。(p136)

    ★つまりは、そういうことだろう。そう感じられるかは私たちにとって大切なことだろう。

    つまり、「物語」(ストーリー)は、神話や昔話などに典型的に現れますが、さまざまな事件を生起する順番にアレンジした語りであるのに対して、「プロット」は因果関係などによってその事件を並べ替え、再構成したもので、小説家によって再構成されたプロットを読む読者は、記憶力と知性を要求されるようになる。(p138)

    ★難しい文章。例えば推理小説。死体から始まる。そして犯人へたどり着く。書かれる順番としては逆である。

    文学というのは自分で読んで、感じて、経験して、分析して、そこから何かを得ていくという「読む」プロセスが一番基本です。だからインターネットで情報が集まるのが速くなったからといって、パソコンが自分の代わりに読んで、感じてくれるわけではない。どんな便利なメディアが出てきたところで、それを使うのは自分の頭だし、本を読むのは自分です。(p151)

    ★インターネットはすぐ情報を手にできる。だからもう情報の価値は昔より変わっているのではないか。今求められるのは分析したり、自分で考える能力だ。

    そもそも彼らの小説は、宗教文学と呼んでもいいくらいでしょう。(p327)

    ★ドストエフスキーとトルストイについて。つまりキリスト教。

    たとえば「いじめ」を語るにしても、いじめられる側だけに理屈があるのではなく、いじめる側にも理屈がある、という善悪の相対化と言いますか、そういった視点が出ている。(p333)

    ★『ヘヴン』について。善悪の相対性がこの作品にも書かれている。

    『許されざる者』というのは不思議なことに、ドストエフスキー的なものとトルストイ的なものが混在している小説なんですよ。非常に贅沢な物語空間になっている。(p338)

    ……あれほどのことがったにもかかわらず、まあ、ほとんど普段どおりの平穏な日常を他の大部分の東京の住人と同じように送ってきたということを意味する。
     しかし、あれほどのことがあったのに、文学は前と同じでいいのだろうか。世界文学の読み方も変わるべきなのだろうか。それとも変わるべきではないのだろうか。(p360)

    ★それは私の心にもよぎった感覚だ。結論としてイエスともノーとも分からないと述べる。

    それはおそらく誤読ではなく、現代や状況を超えて生き、新たな力さえも獲得する文学の普遍的な力を示すものではないだろうか。(p370)

    ★震災前に書かれたものも、震災後にはその事を語っているように思える。それは誤読ではなく、「文学の普遍的な力」と述べている。なるほど。

  • 世界文学の読書案内として手に取ったが、対談の中で、日本の作家も多く紹介されていて、期せずして、今まで食わず嫌いでいた、現代日本の作家や、ドストエフスキーや、夏目漱石などの古典小説を読んでみようかな、と思うきっかけになった。

    対談形式のため、読みやすくはあるが、あまり本を読んできていなかったので、作家と、文学研究者の両者の話に理解しきれない部分もあった。
    ただ、あまりに古典文学を読むのには遠く離れた世代、人生であり、自分には読みきれないとはじめから諦めていたのだが、ドストエフスキーの魅力について、単純に面白いこと、と挙げられていることや、ドストエフスキーのキリスト教文学的な要素を日本の読者が全幅に理解するのは難しいと、翻訳者、研究者自身であっても認めているところをみて、古典小説全体を理解しきる必要はなく、ただただ楽しむ、という姿勢で読んでも良いのか!と肩の力が抜け、この本をきっかけに、避け続けていた古典の一つの、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」を読み始めた。
    読んでみると、登場人物ひとりひとりの振る舞いや、言葉に、人間味と個性が充溢している様が強烈で面白く、驚くほどスイスイと読み進められている。
    今後はドストエフスキー以外の古典や、日本の作家にもチャレンジしていきたい。

    この本を読んで最も衝撃的だったのは、亀山郁夫さんと、著者の沼野充義さんの対談の中で、団塊の世代である亀山さんと、その少し後輩(亀山さんが院生のときに沼野さんが学部生)にあたる2人の中で、世代間格差を大きく感じると言う話と、お二人が自分たちが生きている時代には、教養主義の時代が終わっており、団塊の世代以降の競争社会で生きる人間には成熟がないと話していたところだった。
    私は自分の親より歳上の団塊の世代の人々に対して、教養主義的なイメージを抱いていたし、彼らが、インターネットネイティブかつ、生まれた頃からテレビゲームに囲まれて生きて来た自分たちとは異なり、成熟した大人であることを信じて疑わなかったので、そんなに以前から、人間として成熟することができない悩みが存在していたことが、目から鱗だった。
    もちろん、沼野さんや、亀山さんの言うところの成熟とは、私たちの世代がぼんやりとしてしかイメージできない成熟とははっきりと解像度が異なるものだとは思うが、お二人の対談で初めて、自分の親より上の世代の人たちを、自身に重ねて捉えられるような気がした。
    一方で、お二人が成熟していないと言うならば、我々の世代の成熟など望むべくもないことなのかという絶望も突きつけられた。
    私たちの世代は、これからますます、スピードを増していくであろう情報社会の中で、個別性のみが先鋭化していき、同じ年に生まれたもの同士であっても、感覚を共有することは難しくなり、孤立を深めていくのではないか。
    わかりあえなさを受け入れた上で、それぞれの人生を生きていくことが求められるが、一方で街中には共生、絆、共感ばかりを求めるキャッチコピーばかりが並び、多様性が表で叫ばれていても、同調圧力が強まっているようにすら思える。

    私たちがどうやって生きていけば良いのか、そのヒントを得るために読書がしたい。
    どうか、社会に立ち止まり、考える時間が与えられますように。

  • 問いはいっぱいあった。しかし答えは載っていなかった。

    父曰く、答えは自分で見つけるものらしい。

  • 今期、沼野先生のご担当される授業を取っていた。

    人文コースの学生である私は、国文学をやりたくて大学に入学したのだけれど、それだけを勉強しているわけではなくて、『世界文学』として色んな国の文学に触れた。沼野先生のお授業は、ヨーロッパの近代文学。ロシア文学を読み解いてくださった。中学高校で読んで『もう読んだ』とそれきりにしていた作品たちと再会をした。たぶん、あまり解っていなくとも、ごく若い時期に読み通してみるという経験も大事なのだけど。問題は別にある。

    『解った』『読んだ』ことにして再読していないと、自分の文学的な貯金というか、読む力は薄くなる。読んだというポーズを求めているのでないなら、折に触れて、自分の中に入ってくるまで読むのが良い。但し、それがこの本の大事な点ではない。それは、まあ前提。

    問題は、その後。『この話はこういうもの』という既視感が出来た時、どうしても自分の思考の枠や、世間の通例になっている解釈だけで読んでしまう。それをどう崩すか、というヒントが詰まった本。題材は著名な作品だけれど、日本の作品から海外の作品まで、同じ土俵で扱い、いかに斬新な切り口で読むか、ということを目指している。普遍的な良さも、一緒に浮き彫りになってくるし。まるでルービック・キューブを解くように、あっちから読んだらどうか、こっちから光を当てたらどうか?と考えている。トピックの内容は、東日本大震災の前だから、若干時間は経っている。でも、その読みの姿勢は古びていない。

    震災以降、災害は半ば日常化し、私達は、ほんの数年前なら、思いもかけないコロナ禍に遭遇している。巻末で『こんな非常時に文学どころではないのでは?』と、悩まれた様子もお書きになっている。災禍が日常化すると、文学を読む時間くらいは災害と関係なく、読むことに没頭して、自分の人生を考える時間が、むしろ必要なのではないか。出てくる感想や解釈は、震災以降・コロナ以降で、それぞれその影響を受けるだろうが、文学を味わうことそのものは、むしろ盛んになっているように思う。

    ちなみにこの本は、講義録でもあり、シリーズになっている。この本はシリーズ1冊目なので、順を追って読んでいくと、時期によってどんなトピックが生まれ、検討されてきたのかが見えてきそうだ。今になって思う。時間が足りない。軽い読書も楽しいが、長く残ってきた作品と正面から付き合うのも、また楽しいし、知らないことがどんどん出てくる。

    もう20年、時計巻き戻せないかな。読みたくて読みたくて、考えたくて仕方ない。この衝動、今からでも間に合うだろうか。それは、先生にお尋ねできない。自分で向き合って、残された時間の中で答えを出すしかないらしい。こんなこと言っているから、いつまで経っても勉強から足が洗えない。遅すぎる歩みだと言うのに。今日も私は、性懲りもなく乱読し、しようもなく日が暮れるのだ。

  • 文学とは何か、これからの文学は、文学の楽しみ方……と多岐にわたる文学講義は、元々中高生向けに開かれた(らしい)イベントでの講義を本にしたものだから、たいへん親切で読みやすく、こちらの視界を自然に広げてくれて面白い。読書案内としても良質。知らない作品に興味を持つのはもちろん、村上春樹は食わず嫌いだったのだけど、読んでみようかな、という気になった。それだけ紹介の仕方が絶妙。

    そもそもは世界文学に興味を持ちたいと思って手にとったのだけど、のっけから「世界文学というくくりにどれほどの意味があるのか」「文学もグローバルである」という話で面食らった。安易にカテゴライズして苦手意識持ってすみませんでした。でも一番印象に残ったのはロシア文学という(カテゴライズされた)ジャンルでしたすみません。

    終わりに三・一一についても言及されている。学者として一人の人間としての葛藤がそのまま吐露されていて、あの災害の凄まじさが蘇った。蘇るということはつまり死んでいた、忘れていたわけで、己の浅はかさを恥じ入るばかり。こんなに真摯に文学と現実について懊悩する人がいる一方、文学を逃避か時間潰しにしか考えてない私がいる。バラストかな、なんて笑ってもいられないんだなあ……

  • 面白くないわけではないのだが、毎回開幕の沼野氏の1人語りがやたらと長い。
    導入の語りを相手側が消化しきれないまま、ちょっとつまむ程度で進む感じなので、その長い語りは必要だったのか?となってしまう。

    最後の亀山氏との対談が一番面白かった。
    こちらもやたらと話が前後して、あまり噛み合ってる感じはないのだが、どちらも好き放題話すので、一周回って変な安定感がある。
    研究分野が被っているからこそだろうか。

  • 対談としてはかみ合っていない。進行役の沼野氏が話しすぎ。これならば、沼野氏の単著として構想した方がよりよい本になったのでは。

    だからといって、内容に眉をひそめる部分があるとか、得るものがないという訳ではない。

    対談者を生かし切れていないのでは、という残念さが残った。

    最後の亀山氏は良かった。
    「おわりに」の言葉は力があった。

    ・日本文学も世界文学
    ・途上国から、本当の文学が登場するかもしれない
    ・文学はどれを読むかではなく、読み方
    ・「ここに骨を埋めるか」という質問への怒り

    ・ノスタルジーの感覚こそが、生命感覚の根幹部にあり、それこそが生命の結晶なのではないか。ノスタルジーとは深い意味において、復活と蘇生の感覚。

  • おすすめ本を読みたくさせるだけの力がある。読んでいて楽しい。

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著者プロフィール

名古屋外国語大学世界教養学部教授、東京大学名誉教授

「2023年 『ハーバード大学ダムロッシュ教授の世界文学講義』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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