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Amazon.co.jp ・本 (184ページ) / ISBN・EAN: 9784334977634
感想・レビュー・書評
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少し前に読んだ「閉経記」と同じひろみさんが書いたとは思えない印象。
赤裸々な性の話もなければズンバも出て来ない。
そこには濃密な父のと最後の日々がただ淡々と記されている。
読者へのサービス精神も捨て去ったありのままのひろみさんの姿はかえって切ない。
海を越えて日米を行き来する尋常ではない介護の日々。
熊本にはただひたすら娘が帰ることを待っている父がいて、カリフォルニアには自分の家族がいる。
誰にも代わりになる人はいなくてさぞしんどかっただろうなあ。
すごいよ、ひろみさん。本当によくやったよ。
と、誰しも思うに違いない。
でも、本人は悔やんでるんだよね。あんなに頑張ったのに。
私の夫は10代の頃に母親を亡くしている。長い長い闘病生活を在宅介護で支え続けた。
中学生の頃は学校から帰宅すると母にお水を持って行くのが日課になっていた。
だが、ある日それをサボった。一刻でも早く友達と遊びたいがために。
夫は私に言った。
どうしてたった数分の事ができなかったんだろうと。
母のおむつ交換もお風呂の介助も厭わずやってきた人が悔やむのである。
傍から見れば十分すぎるほど介護を頑張ったのに悔やむ人は多いのだろう。
もちろん、やり尽くしたと言える人だってすごい。
果たして私はどうなるのか。次は私の番だ。
ちょっと心配だけどやるしかないんだなぁ。
それにしても、ひろみさんと父上の親子関係は羨ましい限りだ。
こんなに父親から愛されることってあるんだなあ。想像もできない世界。
だから頑張れたのかなとも思ったり。
老人とは思えないほどの機知に富んだ会話を読むと、ひろみさんの文章力は父親譲りなんだろうか。
最期まで意思疎通を取れたこと、これって本当に幸せだと思う。
なかなか実際はそうもいかない。
入院はしない、救急車も呼ぶなと張り紙をしている父上。
ひろみさんもすごいけれど、この父上もすごい。
あっぱれである。 -
じわじわ、じわじわと、涙がとまらない。
読みながらも、読んだ後も。
こうなると分かっていながら本を開いて、今もなお読み返しては何度も涙をぬぐう。
本の中には、亡父がいて、それから私がいる。
相違点は、私は姉との二人三脚で介護が出来たと言う点と、カリフォルニアと熊本という遠距離の行ったり来たりではなく緩和センターと自宅との往復だった点。
あともうひとつ、ののしられたりしたことは、一度もなかったという点。
最後の最後まで父は冷静この上なかったし、周りを気遣って微笑んでくれる人だった。
「大人の対応」と言えば聞こえはいいが、ある意味私への信頼も甘えも薄かったのかもしれない。
その分比呂美さんよりマシだったかというとそんなことはない。
亡くなって行く人の凄まじいまでの孤独にどこまで寄り添えたかと問われると、私は言葉を失ってしまう。
もっともっと、出来たはずだ、もっともっと。
比呂美さんもたびたび書いているが、この自分が何が好きで何が嫌いかなど、こちらにどんな事情があるかなど、そんなことは本当にどうでも良いこと。
ひとりぼっちで、夫の理解も得られない中で仕事もしながら、離れているときは電話もかけて、かけた電話でののしられたりもして、本当に良くやったよ、比呂美さん。
心の中で、どれほどの葛藤や煩悶があったことだろう。
どれだけ自分を責めたりもしたことだろう。
あなたの気力とその高い矜持に、心から敬意をはらってしまう。
そして、お父さん亡き後のあなたの言葉の数々に、いくつも大きくうなずいた。
とりわけ、両親の介護(下のお世話も含めて)について【人生の最後に二人がそういうことをさせてくれた】という記述には、ボロ泣きしてしまった。
そうだ、父といた時間がこんなにも幸せな記憶として思い出せるのは、そこなのだ。
私は「させてもらっていた」のだ。
私がしてもらっただろうことを、今度は私がしている。しかも、してくれた当の本人に。
こんな機会が、介護以外のどんな場であると言うのだろう。
支離滅裂なことを言って困らされることこそなかったが、秘かにそれを心待ちにさえしていた。
さすった背中や握り締めた手の感触が鮮やかなうちは、そのたびに泣き崩れた。
でもやがて、涙の間隔があくようになり、もろい足元ながらも歩き出す。
そうだ、私は幸せだった、そう確認して。
これから親を見送るかもしれないひとは、どうか不安がらずにいてほしい。
比呂美さんの友人からのメールにあるように、【病と老いはどんどん拡大して父を消していく。】ことがあっても、【見送るとまた立ち上がってくる。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを】。
本当に、その通りだから。どうか、恐れずにいてほしい。
紹介してくれたブクログのお仲間さん、どうもありがとう!-
だいさん、コメントありがとうございます!
これって、素晴らしいのですか?!
自分では分かりませんでした。ありがとうございます。
自分に...だいさん、コメントありがとうございます!
これって、素晴らしいのですか?!
自分では分かりませんでした。ありがとうございます。
自分にも他人にも厳しい人だったので、私の介護などとても満足のいけるものではなかったはず。
心の中ではいつも、謝り続けてましたよ。
本当に、もう一度父に逢えるものなら、また介護をさせてほしいです。2014/06/04 -
nejidonさん
こんにちは
すばらしいですよ!!!
自信を持ってください。
たぶん、お互い感謝の気持ちが(言葉にしないまでも...nejidonさん
こんにちは
すばらしいですよ!!!
自信を持ってください。
たぶん、お互い感謝の気持ちが(言葉にしないまでも)あったのではないですかねぇ。
理性はなくなっても(認知症?)、感情は最後まで残ります。家族の介護は、意外に難しいと思います。2014/06/06 -
だいさん、再訪してくださってありがとうございます。
コメントを読んでウルウルしてしまいました。
姉はしょっちゅう、本気で父親と喧嘩してお...だいさん、再訪してくださってありがとうございます。
コメントを読んでウルウルしてしまいました。
姉はしょっちゅう、本気で父親と喧嘩しておりました。口げんかですけどね。
あの父親とどうして喧嘩できるのか、とても不思議でした。
もしや父は、私には本音を晒していないのかと寂しかったのですが、それは杞憂なのかもしれませんね。
父が元気なうちに、どんなに好きで感謝しているかをちゃんと伝えられて、それは今でも良かったと思います。
両親ともに、認知症の症状は出ませんでしたが、出ても(たぶん)平気でした。
私は、本当にふたりが好きだったからです。2014/06/07
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「閉経記」「犬心」でも同時期のことが綴られていたが、ここでは父をみとるまでのことに焦点が当てられている。これは切なかった。
死に近づくにつれ、自分が愛し、また、愛された「父」は失われていく。父母を捨て、遠いアメリカに住んでいることで、伊藤さんは自分を責める気持ちにさいなまれ続ける。熊本とカリフォルニアを幾度となく往復しながら、これでいいのか、いやこうしか私にはできないともがき続ける様が胸に痛い。
著者の「情の濃さ」と「我の強さ」はまさに表裏で、分かちがたいものなのだろう。老いた父に精一杯のことをしてあげたいと思う一方で、仕事をせずにはいられず、熊本にいても夜は自分の家で一人にならずにはいられない。同じ愚痴を繰り返す父にイライラし、億劫でたまらないが、毎日何度も国際電話をかける。彼女のように徹底的に、そういう自分であることを見つめ、引き受けてきてなお、葛藤は消え去るわけではないのだ。そのことがつらく、また同時に、なぜか救いのようなものも感じる。誰だって苦闘しているのだと思って。
胸に迫ったところをいくつか。
「やがて死ぬ。それは知っている。でもやっぱり怖い。死ぬのは怖い。死はどんどん近づくが、どんなに近づいてもやっぱり遠い。その怖くて遠い道を一人で歩いていく。一歩一歩、重たい足を引きずりながら。そこにたどり着くまで、一日また一日を生き延びる。その孤独を、その恐怖を、娘に打ち明ける父であります」
「うちの家族は、妻と母を欠いてクリスマスと新年の重なるこの時期を過ごしている。そして私は仕事が捗らない。こうやって人を食い荒らしつつ人は生きていかねばならないものかと、一日に数回考える。
てな感じの愚痴を友人に垂れ流したらスッキリするかと思ってやってみた。却ってよくないことがわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやよねあそこもいやよねと声に出して言っているうちに父のわるいところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いの裏に隠れているのだ。父の本質は、私を可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、私が頼りにもしてきたおとうさんだ」
「『病と老いはどんどん拡大して、父を消していくと思う。でも、見送るとまた立ち上がってくるよ。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを』と一年前に父親を見送った友人がメールしてきた。ちょっとほっとした」
「人前で泣くのは恥ずかしいが、とめられない。悲しいというのではない。悲しくない。後悔もしてない。早すぎたとは思わない。意外でもなかった。悲しいというのではない。ただたんに父の死に顔やからだを見ていると、子どもだった頃の父が思い出されてきて、なつかしいのである。なつかしさのあまりに涙が出る」
こうやって書き写していたら、また泣けてきた。 -
詩人・伊藤比呂美氏が居住地であるカリフォルニアと、九十歳を超える父上が暮らす熊本を往復しながら介護を全うした日々の記録を綴る。
カリフォルニアでは老犬の介護に当たりながら、歳が離れたアメリカ人夫の世話に手を焼く。
(こちらも、ほぼ介護…)
今ではご両親とご主人を見送って再び日本に拠点を移されたが、変わらず動物達と植物に囲まれる日々である。
つくづく、「世話を焼く」人生だと思う。
この方の書くものは毎度、生々しい人間の営みを突き付ける。
殊に本書。
介護をすると言う事は、排泄や嫌悪を無しに語れはしないのだ。
九十を超えた父上の孤独な叫びにこちらも心を刻まれながら、一方で詩人・伊藤比呂美を創った人は間違いなくこの方だ!と確信を強くした。
父上の漏らす悲痛な呟きが、詩として成立している点に気付くのだ。
しかも驚く程、魂に語り掛ける詩である。
それにしても自棄的になりながら、死を恐れて尚冷静さを欠く父上の姿はリアルであった。
「人一人、私にとってはすごく意味のあった人が一人いなくなって」
か…。
果てに、『父の生きる』。
何とも良いタイトルである。 -
90で死ぬというのは、今の日本では全くあたりまえのことだが、実際どうなのかは本人と家族と介護にかかわった人にしかわからないし、心の中のことはそれこそ本人にしか(あるいは本人にすら)わからない。
出産や閉経など、今まで日本人女性が「言わぬが花」としてきた分野を赤裸々に詳細にかつ爽快に語ってきた伊藤比呂美が、親を亡くすということ、今の日本で90で死ぬことをリアルに描く。
「年取るっていいことよ」的なごまかしは一切なく、排便すら自分でコントロールできなくなるすさまじさ。
いつ死んでもいい、早くお迎えが来てほしいと言いながら、食欲は旺盛だし、体調が悪くなるとおろおろする。
が、自分の親見ていても、きっとこうなると思うし、自分だってなかなか死ねないからって、すっぱりと命を絶つことはできないだろうと思う。
読んでいて、カリフォルニアと熊本をしょちゅう往復というとんでもない介護をやってのけた伊藤比呂美は、本当に情が深く、また父を愛していたのだなと思う。
ここまでやったんだから悔いはないかといえば、そうではないところが本当に難しい。
お父さんが亡くなっていることを知っているから、死の2か月前くらいから、肉体的にも精神的にもかなり死に近づいていることが読みとれるが、介護する側はこれがいつまで続くかわからない。いつもいつも、老人に対してやさしく寛大でいられない。
でも、お父さんは幸せだったと思う。いい娘を持ったと思う。比呂美さんお疲れ様。 -
ちょっと気が楽になりました。
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娘だった女の人は、おかあさんになって、一家の精神的大黒柱となって、さらに、実家の父母にとっても精神的大黒柱となった。
その重みたるや。
なんと、頑張られたことだろう。 -
今はまだ感想は書けない。今まさに真っただ中だから…
でも読んでおいてよかった。書いてくれてよかった。 -
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詩人は非日常を飄々と生きている…という勝手なイメージを持っていたので、介護となるとそうではなく、アーティストであっても時間と体力と気力を削られるのだとわかるエッセイでした。
途中からお父様との会話をまるごとメモするということをなさってましたが、これって良いかもと思います。
つくづく思うのは、介護って子育て以上にあとから色々後悔しそうだなということ。周りから見て十分にしっかり介護しておられる方でも、「もっと、ああしとけば…」などという気持ちは沸き上がるんだろうな。
いつもの伊藤比呂美さんとは違う一面を見れた一冊で良かったです。 -
人の最後の日々を見せてくれる。その人を介護する家族の姿も。こうして人は逝くのだなぁと。それがリアルに分かる。
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著者自身にとっての癒しや区切りのために書かれた本だと思う。お疲れさまでした。
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"悲しいというのはない。悲しくない。後悔もしてない。早すぎたとは思わない。意外でもなかった。悲しいというのではない。ただたんに父の死に顔やからだを見ていると、子どもだった頃の父が思い出されてきて、なつかしいのである。なつかしさのあまりに涙が出る。涙を出し過ぎて、顔は腫れ上がり疲れ果てている。なつかしいから、うれしいのかというと、そうではない。人一人、私にとってはすごく意味のあった人が一人いなくなって、ぽかんと空いている。そこに自然に流れ込むように、ただ、ただ、涙がこぼれていくような感じである。"(p.162) -
文学
人生 -
高齢の親を遠距離で支える著者の素直な感情と、会話のやり取りからみえる高齢の親自身の心理がリアルに描かれてる。
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いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない。
老いて、一人暮らしをする父と遠くカリフォルニアに住む娘の遠距離介護。
日々の電話の会話。
時にはかけたくない気持ち=伝えたい、伝わりたいのに、そうならないもどかしさ。
そして、日常の悲しみに交じる可笑しみ…。
いつか訪れる両親との別れ、自分自身の老いについて考えた。
生きていれば老いる、そして必ず死ぬ。よい本だった。 -
年老いて、独りになった老父が
死への不安や、現状への不満、日常の退屈を言葉にして
娘である著者に投げつけて来る。
遠く離れたカリフォルニアに住む著者は
その言葉に、傷つけられたり申し訳なさを感じるのだけれど
不平不満を訴える父の言葉の中に著者はやがて
父の『死』ではなく、『生きる』気持ちを見つけるのです。
独りぼっちで死んでいく父を見送る気持ちがとにかく切ない。
老いて変わっていく親の姿とは、子どもにとってこんなにも悲しいものなのか。
お父さん、お父さんと呼びかける
著者の声が聞こえてくるようでした。 -
「人の生き方も親子の在り方も、介護の仕方も、
人それぞれいろんな形があるというのがわからないのか。そんな考えだから介護する家族はつらいんじゃないかと言いたかったが言わなかった。」
「言わなかった」ところが実に比呂美さんらしい。
結局のところ、介護や人の生き方に正解なんてないんじゃないか。私自身、母の介護はあのかたちで良かったのかなと、しょっ中自問自答するのだけど、いつも正解にはたどり着かない。親を見送ることについて、人が生きて死ぬことについて、つまり自分はどう生きるかについて、深く考えさせられた。お父上のテレビの好みが意外でほほえましい。 -
伊藤さんの著作に、「おとうさん」は幾度も出てくる。
生きることがしんどくてしょうがなくなった伊藤さんが、お父さんのところへいく。すると、お父さんは仕事の手を止め、「よし、いつまでも聞くぞ」というふうに黙って向き合ってくれる。そんな姿が描かれていたのは、どの本だったろう。
そのお父さんが死に向かっていく。娘はうろたえたりむかついたりしながら、父の、死の道に寄り添っていく。
おそろしいのは、読んでいるうちに、伊藤さんの「お父さん」が自分の「お父さん」に重なっていくことだ。自分の父もいつか死ぬ存在である、ということを、まざまざと突きつけられる。
老いと病は、親をどんどん遠くへやってしまうのだろうか。でも、子どもにとって、お父さんはお父さんであり、お母さんはお母さんであり続ける。
文庫版帯に書かれている「57年間かわいがった娘として。むきあってほしい」という言葉が、目をそむけたいほど切ない。
著者プロフィール
伊藤比呂美の作品
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感想 :

これ、読みたいと思っている本なのです!
レビューを読んでますますその気になりました。
【淡々と記す...
これ、読みたいと思っている本なのです!
レビューを読んでますますその気になりました。
【淡々と記す】までには、相当の時間を要したことでしょうね。
愛してやまない肉親を亡くすのは、心に大きな大きな穴が開いたようで、何を持ってしてもそれは埋められないもの。
文章にして残すのは、誰よりも本人にとってしんどかったことでしょう。
vilureefさんのご主人の言葉、分かりますよ。
私にもそういうの、あります。
あんなにも大好きだった父の、今わの際に間に合わなかったのです。
長い介護の日々が虚しくなるほどのショックでした。
たったひとつの願いがあるとすれば、もう一度父を介護したいです。
ああ、この本読んだら泣いちゃうかもしれない。
素敵なレビュー、ありがとうございます!
私、伊藤比呂美さんの本て今まで全然読んだことがなかったのですが
「閉経記」とこの本を続けて読んで彼...
私、伊藤比呂美さんの本て今まで全然読んだことがなかったのですが
「閉経記」とこの本を続けて読んで彼女の才能をひしひしと感じましたね。
作品によってこうも語り口が違うのかと驚きました。
この本はブログをまとめたものらしいのですが、ブログと言うよりむしろ昔ながらの日記に近い感覚でしたね。
ひろみさんの私的な心の中を覗いているような気持ちになりました。
nejidonさんにもお父様の介護されたんですね。
だとしたら大きなタオルを用意してこの本に臨んでください(笑)
最後に書かれているひろみさんの空虚感は私でさえ染みました。
nejidonさんだったらなおさらだと思います。
レビュー、お待ちしておりますね(^_-)-☆
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