父の生きる

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著者 : 伊藤比呂美
  • 光文社 (2014年1月18日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334977634

父の生きるの感想・レビュー・書評

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  • 少し前に読んだ「閉経記」と同じひろみさんが書いたとは思えない印象。
    赤裸々な性の話もなければズンバも出て来ない。
    そこには濃密な父のと最後の日々がただ淡々と記されている。
    読者へのサービス精神も捨て去ったありのままのひろみさんの姿はかえって切ない。

    海を越えて日米を行き来する尋常ではない介護の日々。
    熊本にはただひたすら娘が帰ることを待っている父がいて、カリフォルニアには自分の家族がいる。
    誰にも代わりになる人はいなくてさぞしんどかっただろうなあ。
    すごいよ、ひろみさん。本当によくやったよ。
    と、誰しも思うに違いない。
    でも、本人は悔やんでるんだよね。あんなに頑張ったのに。

    私の夫は10代の頃に母親を亡くしている。長い長い闘病生活を在宅介護で支え続けた。
    中学生の頃は学校から帰宅すると母にお水を持って行くのが日課になっていた。
    だが、ある日それをサボった。一刻でも早く友達と遊びたいがために。
    夫は私に言った。
    どうしてたった数分の事ができなかったんだろうと。
    母のおむつ交換もお風呂の介助も厭わずやってきた人が悔やむのである。

    傍から見れば十分すぎるほど介護を頑張ったのに悔やむ人は多いのだろう。
    もちろん、やり尽くしたと言える人だってすごい。
    果たして私はどうなるのか。次は私の番だ。
    ちょっと心配だけどやるしかないんだなぁ。

    それにしても、ひろみさんと父上の親子関係は羨ましい限りだ。
    こんなに父親から愛されることってあるんだなあ。想像もできない世界。
    だから頑張れたのかなとも思ったり。
    老人とは思えないほどの機知に富んだ会話を読むと、ひろみさんの文章力は父親譲りなんだろうか。
    最期まで意思疎通を取れたこと、これって本当に幸せだと思う。
    なかなか実際はそうもいかない。
    入院はしない、救急車も呼ぶなと張り紙をしている父上。
    ひろみさんもすごいけれど、この父上もすごい。
    あっぱれである。

  • じわじわ、じわじわと、涙がとまらないのだ。
    読みながらも、読んだ後も。
    こうなると分かっていながら本を開いて、今もなお読み返しては何度も涙をぬぐう。
    本の中には、亡父がいて、それから私がいる。
    相違点は、私は姉との二人三脚で介護が出来たと言う点と、カリフォルニアと熊本という遠距離の行ったり来たりではなく緩和センターと自宅との往復だった点。
    あともうひとつ、ののしられたりしたことは、一度もなかったという点。
    最後の最後まで父は冷静この上なかったし、周りを気遣って微笑んでくれる人だった。
    「大人の対応」と言えば聞こえはいいが、ある意味私への信頼も甘えも薄かったのかもしれない。
    その分比呂美さんよりマシだったかというとそんなことはない。
    亡くなって行く人の凄まじいまでの孤独にどこまで寄り添えたかと問われると、私は言葉を失ってしまう。
    もっともっと、出来たはずだ、もっともっと。

    比呂美さんもたびたび書いているが、この自分が何が好きで何が嫌いかなど、こちらにどんな事情があるかなど、そんなことは本当にどうでも良いのだ。
    ひとりぼっちで、夫の理解も得られない中で仕事もしながら、離れているときは電話もかけて、かけた電話でののしられたりもして、本当に良くやったよ、比呂美さん。
    心の中で、どれほどの葛藤や煩悶があったことだろう。
    どれだけ自分を責めたりもしたことだろう。
    あなたの気力とその高い矜持に、心から敬意をはらってしまう。
    そして、お父さん亡き後のあなたの言葉の数々に、いくつも大きくうなずいた。
    とりわけ、両親の介護(下のお世話も含めて)について【人生の最後に二人がそういうことをさせてくれた】という記述には、ボロ泣きさせてもらった。
    そうだ、父といた時間がこんなにも幸せな記憶として思い出せるのは、そこなのだ。
    私は「させてもらっていた」のだ。
    私がしてもらっただろうことを、今度は私がしている。しかも、してくれた当の本人に。
    こんな機会が、介護以外のどんな場であると言うのだろう。
    支離滅裂なことを言って困らされることこそなかったけれど、秘かに心待ちにさえしていたのだ。
    さすった背中や握り締めた手の感触が鮮やかなうちは、そのたびに泣き崩れた。
    でもやがて、涙の間隔があくようになり、もろい足元ながらも歩き出すのだ。
    そうだ、私は幸せだったのだ、そう確認して。

    これから親を見送るかもしれないひとは、どうか不安がらずにいてほしい。
    比呂美さんの友人からのメールにあるように、【病と老いはどんどん拡大して父を消していく。】ことがあっても、【見送るとまた立ち上がってくる。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを】。
    本当に、その通りだから。どうか、恐れずにいてほしい。

    紹介してくれたブクログのお仲間さん、どうもありがとう!

  • 「閉経記」「犬心」でも同時期のことが綴られていたが、ここでは父をみとるまでのことに焦点が当てられている。これは切なかった。

    死に近づくにつれ、自分が愛し、また、愛された「父」は失われていく。父母を捨て、遠いアメリカに住んでいることで、伊藤さんは自分を責める気持ちにさいなまれ続ける。熊本とカリフォルニアを幾度となく往復しながら、これでいいのか、いやこうしか私にはできないともがき続ける様が胸に痛い。

    著者の「情の濃さ」と「我の強さ」はまさに表裏で、分かちがたいものなのだろう。老いた父に精一杯のことをしてあげたいと思う一方で、仕事をせずにはいられず、熊本にいても夜は自分の家で一人にならずにはいられない。同じ愚痴を繰り返す父にイライラし、億劫でたまらないが、毎日何度も国際電話をかける。彼女のように徹底的に、そういう自分であることを見つめ、引き受けてきてなお、葛藤は消え去るわけではないのだ。そのことがつらく、また同時に、なぜか救いのようなものも感じる。誰だって苦闘しているのだと思って。

    胸に迫ったところをいくつか。

    「やがて死ぬ。それは知っている。でもやっぱり怖い。死ぬのは怖い。死はどんどん近づくが、どんなに近づいてもやっぱり遠い。その怖くて遠い道を一人で歩いていく。一歩一歩、重たい足を引きずりながら。そこにたどり着くまで、一日また一日を生き延びる。その孤独を、その恐怖を、娘に打ち明ける父であります」

    「うちの家族は、妻と母を欠いてクリスマスと新年の重なるこの時期を過ごしている。そして私は仕事が捗らない。こうやって人を食い荒らしつつ人は生きていかねばならないものかと、一日に数回考える。
     てな感じの愚痴を友人に垂れ流したらスッキリするかと思ってやってみた。却ってよくないことがわかった。その瞬間は、声に出して吐き出すことでストレスの度合いがさっと下がるが、ここもいやよねあそこもいやよねと声に出して言っているうちに父のわるいところばかり見えてくる。しかしそれは父の本質ではなく、本質は老いの裏に隠れているのだ。父の本質は、私を可愛がってくれて、自分よりも大切に思ってくれて、私が頼りにもしてきたおとうさんだ」

    「『病と老いはどんどん拡大して、父を消していくと思う。でも、見送るとまた立ち上がってくるよ。ここまで来た道を。あの父とあの私が、確かにいたことを』と一年前に父親を見送った友人がメールしてきた。ちょっとほっとした」

    「人前で泣くのは恥ずかしいが、とめられない。悲しいというのではない。悲しくない。後悔もしてない。早すぎたとは思わない。意外でもなかった。悲しいというのではない。ただたんに父の死に顔やからだを見ていると、子どもだった頃の父が思い出されてきて、なつかしいのである。なつかしさのあまりに涙が出る」

    こうやって書き写していたら、また泣けてきた。

  • 比呂美さんよく頑張りましたね。とまず声をかけてあげたいですね。

    「閉経期」の連載を読んでいましたが、いやよくやっておられるなと本当に頭が下がりました。
    リアルタイムでお父様の亡くなられるまでを読ませていただきました。
    それにしても、日本に居たって大変であるのにカリフォルニアと熊本往復!!

    もうこの介護は看取りに向かっている、という介護は何をやっても救いがないような気がして気持ちがめいるものです。そして介護は、どこまでやったって必ず後悔がつきものです。
    「よくぞここまでやった私」という場合も時々ありましょうが、大抵は他人が「よくやったよ」と言ってくれるほどであっても「もっとああできたのでは」「こうすればよかったのに」と後々思うものです。
    それが本当に切ないですね。

    お父さんの語っていることをよくぞ書き留められたなと思いますね。そしてそこに籠められたお父さんの感情がしみじみと伝わってくる。
    「この父の言葉は病が言わせている、本質の父は自分に優しいお父さんだ」と言うような文が途中にありましたがその言葉に私も救われました。

    私も父親っ子で、晩年は父の言うことをよく覚えておかなければと思っていましたが、やはり年数が経つとどんなに心に染みる言葉でも一つずつ介護の大変さで抜け落ちていったりするものでした。
    記録しておけばよかったと父を喪ってから何度も思いました。
    これは、これから肉親の看取りをする方に是非伝えたいことです。
    そして比呂美さんのこの一冊、その時の支えになるのではないでしょうか。

    どんなに年を取っても褒められれば嬉しいのだから褒めてあげること、死ぬ時はみな一人なのだからことさら高齢者が一人で死ぬことを「孤独死」と騒ぐのを改めるべきだという意見に心から賛同します。

  • 90で死ぬというのは、今の日本では全くあたりまえのことだが、実際どうなのかは本人と家族と介護にかかわった人にしかわからないし、心の中のことはそれこそ本人にしか(あるいは本人にすら)わからない。
    出産や閉経など、今まで日本人女性が「言わぬが花」としてきた分野を赤裸々に詳細にかつ爽快に語ってきた伊藤比呂美が、親を亡くすということ、今の日本で90で死ぬことをリアルに描く。
    「年取るっていいことよ」的なごまかしは一切なく、排便すら自分でコントロールできなくなるすさまじさ。
    いつ死んでもいい、早くお迎えが来てほしいと言いながら、食欲は旺盛だし、体調が悪くなるとおろおろする。
    が、自分の親見ていても、きっとこうなると思うし、自分だってなかなか死ねないからって、すっぱりと命を絶つことはできないだろうと思う。
    読んでいて、カリフォルニアと熊本をしょちゅう往復というとんでもない介護をやってのけた伊藤比呂美は、本当に情が深く、また父を愛していたのだなと思う。
    ここまでやったんだから悔いはないかといえば、そうではないところが本当に難しい。
    お父さんが亡くなっていることを知っているから、死の2か月前くらいから、肉体的にも精神的にもかなり死に近づいていることが読みとれるが、介護する側はこれがいつまで続くかわからない。いつもいつも、老人に対してやさしく寛大でいられない。
    でも、お父さんは幸せだったと思う。いい娘を持ったと思う。比呂美さんお疲れ様。

  • 今はまだ感想は書けない。今まさに真っただ中だから…
    でも読んでおいてよかった。書いてくれてよかった。

  • めまぐるしい。ドロドロ。
    でも親子。

    介護する側(今の私も)の立場で読みながら、最近では自分が年老いたときのことへの心配がむくむくとわき上がる。

    かつて子供は、当然のように親の生活の面倒を見た。
    その後の世代は介護を担った。
    介護を担った世代は、子どもの世話にはなりたくないと思っている。
    介護保険の導入でよくなった部分もあるが、ここ最近は家族への期待も大きくなりつつある。

    この先はどうなるんだろうか、と自分の心配へとつながっていくような本だった。

  • 娘だった女の人は、おかあさんになって、一家の精神的大黒柱となって、さらに、実家の父母にとっても精神的大黒柱となった。
    その重みたるや。
    なんと、頑張られたことだろう。

  • 高齢の親を遠距離で支える著者の素直な感情と、会話のやり取りからみえる高齢の親自身の心理がリアルに描かれてる。

  • いつ来るって知ってから、待ってるのがばかに長くってしょうがない。
    老いて、一人暮らしをする父と遠くカリフォルニアに住む娘の遠距離介護。
    日々の電話の会話。
    時にはかけたくない気持ち=伝えたい、伝わりたいのに、そうならないもどかしさ。
    そして、日常の悲しみに交じる可笑しみ…。

    いつか訪れる両親との別れ、自分自身の老いについて考えた。
    生きていれば老いる、そして必ず死ぬ。よい本だった。

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