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Amazon.co.jp ・本 (202ページ) / ISBN・EAN: 9784336024671
感想・レビュー・書評
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まず表紙が映らないのが残念だ…!!
全体的に深緑色が基調になっていて、黒の枠組みの中に肖像画のように、舞台装置で使われているような白馬に、騎士が跨り剣を掲げている…といった感じの表紙だ。裏表紙にはあらすじが書かれている。
さて、肝心の本書について。
私が読んだイタロ・カルヴィーノの著作は、この間感想を書いた「まっぷたつの子爵」に次いで、本作が二作目。
本作と読了済みのまっぷたつの子爵、そして木のぼり男爵で、カルヴィーノの空想的な<歴史>三部作となっているらしい。ぜひ木のぼり男爵も読みたいところだ。
…で、私個人としては、まっぷたつの子爵も面白かったのだが、本作不在の騎士の方がすごく面白かった!
全部で200ページほどなのだが、中盤の100ページ辺りからの面白さがすごい。
途中の展開もまさか…!と思ったのだが…
まさかのラスト!ラストは展開が強引とも感じられるのだが、胸がスッとするというか、これぞフォークロアの幕引き!といった感じで面白い読後感。
舞台は騎士道華やかなりし中世のヨーロッパで、サラセン軍と戦うシャルルマーニュ大帝の元、不思議な騎士が1人いた。
それが不在の騎士ことアジルールフォ。
彼は鎧だけの存在で、鎧の中はからっぽ、話し声は鎧から発せられているようで金属質。存在しているのに不在。そして誰よりも正しい騎士である。
そんなアジルールフォは、昔暴漢から乙女を助けた功績により騎士の身分を与えられたのだが、それが揺るぐ事件が起きる。
己の身分を、存在を証明すべく、アジルールフォは当時の乙女ソフローニアを探す旅に出る。
そんなアジルールフォに魅了され、旅に出た彼を追いかける軍唯一の女騎士ブラダマンテ。
そんなブラダマンテが好きで、アジルールフォに嫉妬しながらも彼女を追いかけていく騎士ランバルド。
また自分の出自を確かにするものを追い求めてアジルールフォとは別に旅に出る私生児の騎士トリスモンド。
そしてアジルールフォとは正反対に、人間であり、ちゃんと存在するのに見るもの全てに同化してしまい己の存在を持つことができない、アジルールフォの従者として付き従うグルドゥルー。
…主な人物はこのようなところか。
登場人物の設定だけでも面白く、秀逸だと感じた。
この物語は、人間そのものについて、そして人間の存在・不在について焦点を当てて描かれている。
さまざまな登場人物の行動や発言の端々にも、在・不在を表すものが多く、原初的で、哲学的で、ハッとさせられる…物語だけでなく、人間にの根源ついても考えさせられる、のめり込まされる。
とりわけ私の印象に残ったのは、とある騎士がグルドゥルーを対等と見做さなければならなくなった場面での会話。
「この従者のグルドゥルーを私と対等だと見做さなくてはならないのか、存在するのか存在しないのか自分にも分からないというこの男を?」
「彼だって、分かるようになりますとも…。わしらだって、自分たちがこの世の中に生きているってことが分からなかった…。存在するということだって、学び取るものなんですよ…」
そしてさらに面白いことには、このアジルールフォたちの物語は、とある修道尼テオドーラが修道院長に命じられ書き綴っている物語なのだ。
この設定を巧みに活かした物語の構成も面白い。
最後に、訳者あとがきが丁寧に本書や他作品の主題について解説してくれているので、一読の価値あり、です。
うーん、カルヴィーノの他の作品もそうですが、もっと読みこみたいと思わされる作品でした…!
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肉体は無く強固な意思のみで存在する「不在の騎士」アジルールフォの物語。戦場においては勇猛果敢、騎士の中の騎士と褒め称えられるが、それ以外においては融通が聞かず仲間からは嫌われている。ある時自らの存在証明を揺るがす疑惑が持ち上がり、証明の為にアジルールフォは旅に出る…。
騎士である事に拘り続け、存在証明の為に乙女ソフローニアを探すアジルールフォ、自分が何者か理解出来ず目にしたものにすぐに同化してしまう(超常的な意味ではなく物真似に近い行動をする)従者グルドゥルー。アジルールフォに恋する女騎士プラダマンテ。プラダマンテに恋をする騎士ランバルド、聖杯騎士団に憧れ求める私生児トリスモンド、皆好き勝手に形の無い「己」を形作る為、誰かを追いかけ疾走している。そしてそれを綴る修道尼テオドーラのペンと物語も…。アジルールフォの最後は予想通りだが、他の登場人物の着地点はあまりにも予想外。
序盤のキャラクタ紹介でページの大半を割き、物語は本当に駆け足で進む。奇想天外、二転三転しすぎて「いやそれアリ?」と思ってしまうが…物語自体が作中作の形を取っているしこの荒唐無稽さ、単純に物語を楽しんで読めば良いかとも思う -
冒険ものを読みたいと思ってチョイスした一冊。
イタロ・カルビーノ。
イタリア人ぽいなと名前で推測したらめずらしく当たった。
もとを辿れば私が密かにコレクションしている『文学の冒険』シリーズと言うことで購入した一冊。
とはいえ、カルビーノ自体にも少なからず興味は持っていた。
しかしこの人って名前こそ有名だか、あまり作品のイメージがない。
読み終わってから知ったのだが本作『不在の騎士』は三部作的な位置づけのものの一つらしい。
『枯木灘』の時も思ったんだけどそういうアナウンスってもっと大々的にやってほしいよな。
内容は振り返ってみれば”不在”というものをからめての純文学的な深い題材も扱っているともいえるようなのだが、まぁ冒険活劇だ。
おそらく19世紀に書かれた小説だったらこの倍以上の厚さで、上下もしくは最低でも3巻ぐらいに分かれただろう。
でもカルビーノはそれをさらりと書きこなしている。
たしかにくどくどと騎士道を綴ってしまっては違うものになってしまうものね。
それがちょっと物足りないようで残念だったような、でも悪くもなかったような気もする。
アジルールフォのくそ真面目さがけっこうツボだった。
トルコまで渡ってしまうあたりとか、展開的走るなぁ、とは思いつつも非常におもしろかった。
……なんだかほとんど内容のない感想だな。
正直、”これぞ”といえるような印象がほとんど残らなかったのだ。
鎧を着ることで不在を補う騎士。
彼の裏話を持ち出さないところには“らしさ”はあった。それこそ途端にファンタジーに路線変更になってしまうもの。
そもそも彼の存在がないというのは、現象としての不在ではなく象徴としてのものなのだ。
存在の不在以外は品行方正で完璧な騎士。
不在だからこその人間性が優れているのか、そう努めたのか。それが彼のアイデンティティーとなったのか。
人は自分の存在の証明にやはり他者を必要とする、ということか。
そう掘り下げると至極退屈になってしまうな。
シニカルなところが面白みを生んでいる。後半ほど速度があっておもしろい。
うむ、このままいくとぐちぐち言い出しそうなので退散するが、やっぱり少しは物足りなかったんだな私と思ったりして。 -
寓話ということを念頭に置いて読まないとつらいかも。話的にはかなり御伽噺風。
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カルヴィーノ三部作の一冊。これで三部作前作を読むことが出来た。その中では一番ユーモアに満ちている。途中、書き手が登場し、幾つも飛び出した伏線を一つに結ぶ。シェイクスピアの戯曲にでてくる道化に似ている。
不在の騎士はどうして戦い、どうして消えたのか謎が残る。欲に溺れない高い精神性を持った騎士だったのだ。不在なものは無ということなのだろうか。
個人的に三部作の中では『木のぼり男爵』が一番好きだと思った。 -
カルビーノ「我らの祖先三部作」の一つ。三部作の中では、ハードカバーで持っている唯一の本。綺麗に三冊揃えたかったけど、学生時代に読んでたもんで、お金が無くてあとの2冊は文庫で揃えたのだ。
著者プロフィール
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