- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336030443
感想・レビュー・書評
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ボルヘス編纂の「バベルの図書館」シリーズ。
千夜一夜物語を西洋に紹介したフランス人アントワーヌ・ガラン版。収録作品は「盲人ババ・アブダラの物語」「アラジンの奇跡のランプ」
表紙写真が出なくて残念ですが、青くて長方形の装丁で、並べると絵画のようです。
「千夜」ではなくそれに「一」を加えたことにより、魔術的無限を現す効果となっている、とはボルヘスの序文。さらに千夜一夜物語の魅力を「一見したところ『千一夜』はひたすら幻想を紡ぎだすばかりのようだが、その迷路を探検したあとでは、他の例と同様に、それがただの無責任な混沌とはわけの違う、思いっきり解き放たれた想像力の乱舞であることに我々は気づく。夢には夢のルールと言うものがある。夢にはある種の均等がふんだんにあらわれるものだ」まあ本当に、なんと無尽蔵で縦横無尽の想像力、そして汲み尽くせぬ膨大な宝物。アラブの神は気前がいい。いや、宝が誰の手に渡ろうとどう使おうと興味がないのか。そしてその宝を求めたり実際に手にした人間たちも、欲が深いようであっさりしている。与えられればいくらでも恩恵にあずかる。しかし努力せず求めたものは手に入れられなくたって、失ったってしょーがない。
さて、「千夜一夜物語」は「子供の頃読んでなんとなく知ってる」程度だったのですが、知っているようなつもりになってあえてちゃんと読んだことなかった。
そのため今回はまず序文と解説を読んで驚いた。
(解説)「『アラジンと奇跡のランプの物語』の舞台驚くなかれ中国である。中国の回教国での話なのである」
(ボルヘスの序文)「本巻には、ド・クィンシーが最高傑作と判定したものの、もともとの原文にははいっていない唯一の有名な策として、アラジンと魔法のランプの話を収めている。それはたぶん、十八世紀の初頭、ヨーロッパに『千一夜』を紹介したフランス東洋学者、ガランがでっちがげたものであろう。もしそういう推測を受け入れるならば、ガランは物語作家の大王期の最後の生き残りと言うことになるのかもしれない」
…ええ~~!アラビアンナイトといえば「アラジンと魔法のランプ」かと思っていたら、原典にはなくしかも中国!検索したら当時の挿絵はまさに中国っぽい絵柄。
同じようにオペラ「トゥーランドット」が中国の王女様というので、いったいいつどこの中国だい?と思ったもんではありますが、千夜一夜の舞台も中国回教徒国だったのか。
ではなぜアラビア原典にない話が増えたか?
もともとのアラビア語原典「千夜一夜物語」にあるのはほぼ40のお話を200夜かけて語られるもの。ところが西洋に紹介され「千夜一夜」ならもっとあるだろう、と探し求められ、作られ、加えられていったということらしい。「千夜一夜物語」といえば連想してしまう「アラジン」も「アリ・ババと四十人の盗賊」も「シンドバードの冒険」も原典にはなく、のちに追加されたものだそう。
「アラジンと奇跡のランプ」の物語での地図は世界的に広がっています。
魔法のランプを手に入れるためアラジンを利用しようとする魔術師はアフリカ人。「アフリカはほかのどこよりも、魔術のさかんな国」ということ。
そしてこの魔術師は地球を「平原や川、山々や差額を超えて旅をしましたが、どこにもとどまることなく、信じがたい骨折りに耐えながら長い道のりを踏破した後、とうとう中国に到着しました」アフリカの魔術師はどこでもドアも空飛ぶ絨毯も持っていないらしいんだが(そういえば「空飛ぶ魔法の絨毯」は原典にあるのだろうか?もう何を信じて良いのやら/苦笑)、そんな苦労をしたにも関わらず何の成果もなかったからと言って「魔術師たちと言うものは野望とは反対の不運だとか不遇に慣れきっているので、生きている限りは煙だとか空想だとか幻を食べ続けるものなのです」とめげない。報われない前提で作られた人物像ではありますがなんともめげない懲りないですね。
さらに原典で意外だったのが、魔法のランプは3回までルールがないこと。いつ「主人一人につき3回まで」になったんでしょうね。無制限すぎるとかえってお話としても面白くなかったり、人の謙虚さがなくなったりということで制限が付いたのでしょうか。
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欲をかいたために、自分の資産全てを失い盲になる話。
アラブの神の与える財宝は無尽蔵。いきなり与えられ、そして奪われたとしても「神の御心だからしょーがねー」と悲惨さがないのも特徴。/「盲人ババ・アブダラの物語」
アフリカの魔術師は、中国の地下宮殿にある魔法のランプを手に入れるため、青年アラジンに近づく。アラジンは父の存命中はぐーたらだらだらしていたが、魔術師により奇跡のランプと奇跡の指輪、そして素晴らしい宝物を手に入れる。
アラジンは宝を無駄にはせず、上流者と付き合い、自分の目と振る舞いを養っていく。
そして一目惚れしたサルタンの姫君の婿になるべく、宝と魔法の僕とを使っていく。
奇跡のランプに関する冒険物語を終えるにあたり、王女のシエラザードは申しました。「陛下、陛下はおそらくアフリカの魔術師の人となりに、不正なやり方で財宝を所有したいという異常な欲望に身を任せた男の運命をご覧になったことでしょう。その財宝は途方もないものだと分かったのですが、かれはそれを少しも享受できませんでした。なぜなら彼にはそれに相応しくなかったからです。反対に、アラジンの人となりに」、陛下は同じ財宝を自ら求めることなくただ定めた目的を達成するために必要に応じて用いることで、低い身分の生まれから王位にまで出世した男をご覧になりました」
/「アラジンと奇跡のランプの物語」
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「バベルの図書館」シリーズの「千夜一夜物語」はもう一冊、英語訳したリチャード・バートン版がでています。アフリカを探検しヴィクトリア湖を発見し、晩年千夜一夜の翻訳をしたようですね。こちらは「完成された」つまり千一日分として編纂されている版で、性風俗にも充足しているとか。しかし私がバベルの図書館シリーズを集めた時にはすでに絶版、バートン版(とあと数冊)はど~~しても手に入らなかった。最近バベルの図書館の再販として数冊分まとめたものが出ていますが、さすがに飛び飛びに無い数冊のために買いなおすことはできないなあ。。 -
「バベルの図書館」には、もちろん「千一夜物語」も収められている。千一夜を読んだのは 2014年のことで、マドリュス版、佐藤正彰のちくま文庫。ガラン版は子ども向けに再編されたものが有名だが、そもそも西洋社会に千一夜を紹介したのがガランであり、今日では千一夜を代表するとされる挿話の数々(『アラジンと魔法のランプ』、『アリババと40人の盗賊』など)もガランの創作ではなかったのかとの疑いが持たれている。そのガラン版千一夜から、ボルヘスは『盲人ババ・アブダラの物語』と疑惑の『アラジンの奇跡のランプ』を採録。ボルヘス曰く、「(『アラジンと魔法のランプ』 は)十八世紀の初等、ヨーロッパに『千一夜』を紹介したフランスの東洋学者、ガランがでっちあげたものであろう。もしそういう推測を受け入れるならば、ガランは物語作者の大王朝の最後の生き残りということになるのかもしれない」と語る。
「物語」が持つの面白さの全ては「千一夜」に尽くされていると言っても過言ではなく、また久しぶりに読み返したくなった。今度は同じちくま文庫から出ているバートン版(大場正史訳)全11巻だな。 -
ミニコメント
「続きはまた明日…」主に殺されないために、若い娘がペルシャ王に毎夜物語を語る形式のアラビアンナイト。アラジンとアリババなど古今東西の珍しい小説が詰まったエンタメ小説の古典。
桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
https://indus.andrew.ac.jp/opac/book/147612 -
自分が持ってるアラジンの話を根底から覆してくれる不思議な不思議な話。
物語に意味を求めてしまうクセが付いていると、何を伝えたかったの?となってしまいます笑
なぜこの物語が話口調なのかを理解すると、世界観が大きく広がります。 -
アラジンは常人にはできないことをいとも簡単にやってのける、聖なるぐうたらだったんだ!普通の人は真似しちゃいけないですね。
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ガラン版からボルヘスが選んだのは「ババ・アブダラの物語」と「アラジンの奇跡のランプ」の2篇。ところが、集中でも傑作の誉れ高いアラジンのお話はガランによるでっちあげの擬古物語らしい。18世紀初頭のこと。とすれば、彼こそが最後のアラビアンナイト語りということになろうか。さて、物語はアラジンが、溢れるばかりの金銀宝石に、眼もくらむようなお城、そして絶世の美女であるサルタンのお姫様を手に入れて、とこれでもかというくらいに夢の大風呂敷を拡げたもの。主人公の「なまけ」の構造は御伽草子「ものぐさ太郎」にそっくりだ。
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第24冊/全30冊
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子供の頃に青い鳥文庫...
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子供の頃に青い鳥文庫か何かで読んだ「千夜一夜物語」。ずっと読んでみたくて、でもなかなか手が出せずでした。淳水堂さんのレビューを読んでやはりこれは読まなくては!と焦ります。
これからもどうぞよろしくお願いします~!