フランケンシュタインの影の下に (異貌の19世紀)

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  • Amazon.co.jp ・本 (357ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336034953

作品紹介・あらすじ

生命の秘密に憑かれた科学者が死体の断片から創造した恐るべき被造物-フランケンシュタインの怪物。フランス革命の影響下に生まれたこの近代の神話は、多くの文学者、思想家によって19世紀いっぱいさまざまな変奏を奏でながら書き継がれていった。革命家、産業社会の逸脱者、制御を失った科学、人々を搾取する資本、暴徒と化した群衆、巨大で強力な機械、分裂した自我、帝国を脅かす辺境の暗い影-人々に不安を与えるあらゆるものが怪物イメージを増幅させていく。ホフマン、ホーソン、メルヴィルから、マルクス、ディケンズ、ロレンス、コンラッドまで、創造者を脅かし、破滅をもたらす被造物の恐怖を19世紀テクストから抽出する怪物の神話学。

感想・レビュー・書評

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  • 個人的にはがっつり文学読みというわけでもないのだが、とある読書会に参加して、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』をゆっくり少しずつ読んでみた。
    若き「科学者」が、自らが創り出した「怪物」に追い詰められていく物語とごくごくざっくりした概要しか知らなかったわけだが、枠物語の構造を持つ、意外に複雑な作品だった。冒頭に出てくる語り手は、科学者本人ではなく、野望を抱く極地探検家である。物語は、探検家が科学者の体験を聞き取る形で進む。その中には、さらに入れ子状に、怪物自身の語りも組み込まれていく。
    よくある誤解としては、「怪物」=フランケンシュタインである、というものがあるが、フランケンシュタインは「怪物」を創った科学者の名前である。原作では「怪物」の容貌は詳しくは描写されない(ボルトが刺さっているとも、縫い目があるとも書かれない)。二次創作物では大して言葉を発しない設定も多いが、原作の「怪物」には知性があり、相当に饒舌である。
    読み進めて一番驚いたのは、フランケンシュタインが「怪物」を(読者には明かされぬ方法で)あっけなく創り出し、そのくせその外見の怖ろしさに直ちに野放しにしてしまうことだったかもしれない。「怪物」は生き抜くためにかなりの苦労をし、自力で言葉を学び、あれこれと考える。出会う人間には外見からことごとく拒絶され、ついに創造主たるフランケンシュタインへの復讐を誓う。

    読書会の途中で19世紀という時代に興味を持ち、特に科学技術と絡めて、時代背景に関する本を何冊か読んだ。関連する文学作品も何冊か読んでみた。
    何となく、腑に落ちたところもあるのだが、やはりよくわからない部分も残る。
    何だかもやもやした気分を整理すると、おそらく大きくはこの2点。
    1つは、フランケンシュタインが怪物を生み出したものを「科学」と呼んでよいのか。
    そして、怪物はなぜこれほど怖れられるのか。

    本書は、近代の神話といってもよい「フランケンシュタイン」が19世紀の文学に及ぼした影響を追う。
    正直なところ、正統派文学研究の1冊で、門外漢としては、検討されている作品に未読のものもあり、何だか恐縮しながら読んだ。はぁ、文学論というのはこういうことをやるのか、と教室の隅の方で恐る恐る拝聴している気分である。

    ともあれ、力不足はわかった上でまとめてみる。
    著者は冒頭で、『フランケンシュタイン』に関する2つの解釈を破棄する作業から始める。1つはこの作品を、「冒涜」が生む人間の「最深の恐怖」と結びつけるもの、もう1つは危険な科学的発明に対する予言ととらえるものである。これらはいずれも作品がなぜ、のちの世にここから派生した作品を生む「神話」になりえたかの説明にはならず、議論をそこで終わらせてしまう危険があるからだ。

    『フランケンシュタイン』の「怪物」は、19世紀文学に(直接示唆を与えたわけではなくとも)大きな影響を与えた。
    関連付けて考えることが可能な作品は、例えば人間が何かの探究に没頭し、身を滅ぼす物語であり、ホーソンやホフマン、メルヴィルの作品等がこれにあたる。似た系統の物語としては、ゲーテ『ファウスト』があるわけだが、『フランケンシュタイン』にはメフィストフェレスにあたるものは存在しないという指摘も興味深いところだ。
    「怪物」に声明を与えたと考えられるガルヴァーニ電気(カエルの脚に電気を通すと痙攣するというもの)に関連するものとしてはカーライルやディケンズの書くものが挙げられる。
    カール・マルクスは、労働者を「分割されて」「1つの細かい作業をするための」「不具の怪物」に喩えた。モノと生命の相違・境界という点でおもしろい視点である。
    フランケンシュタインといえばマッド・サイエンティスト。この系統にはもちろん、『ジキルとハイド』がある。
    その他、帝国主義の発露と見る見方、野心的な解剖学者に注目する視点、などが紹介されている。

    『フランケンシュタイン』という神話が生み出してきたものについて読んできて、では自分の疑問は解けたのか、というとやはりどうもよくわからない。
    肝心の怪物誕生の秘密は、原作中では一切明かされない。フランケンシュタインはどこからともなくその叡智を手に入れ、誰にも伝えずに死ぬ。
    もちろん、著者シェリー自身が科学者であるわけでもなく、そもそも時代が近代科学揺籃期であるわけで、科学的なものと錬金術的なものとの区別がはっきりしていなかったのかもしれない。
    フランケンシュタインが進学した先のインゴルシュタットは近代科学発展の場としても知られていたが、反面、中世神秘思想とのつながりも強かった。フランケンシュタインに多大な影響を与えたヴァルトマン教授は、近代化学者の功績を認めつつ、中世の錬金術師の思想にも敬意を払う。このあたりと、怪物創造の詳しい手法が述べられない点が、どこか魔術的な感じを拭えないところなのだろう。
    「科学」というに留まらず、何らかの「禁忌」に挑む人間が敗れていくさまを描いた物語と読む方が妥当であるように感じてしまうのである。

    では、「禁忌」とか「冒涜」とは何だろう。
    死体をつなぎ合わせて生命を吹き込むというのは、なるほど禍々しい感じがするが、その「禍々しさ」の正体とは何だろう。それは「怪物」自身の「怖さ」にもつながっていくのか? なぜ「怪物」はこんなにもすべての人々に忌み嫌われなければならなかったのか?
    「生命倫理」と併せて、その辺をまだもう少し自分としてはつらつら考えていくことになるのかもしれない。

  • (編集ノート)19世紀の英国では、アイルランド独立運動家を「怪物」として描いた戯画がしばしば新聞や雑誌の紙面を賑わした。その過激なテロリズムゆえに恐怖と憎悪の対象となった彼らアイルランド人は「人外」のイメージを押し付けられ、それによって排除と圧殺が正当化されてゆく。21世紀の世界でも、それとまったく同じことが行なわれている。2011年9月11日の大惨事を引き起こしたビンラディンもアルカイーダも、まさにアメリカが(ソ連のアフガン侵攻に対抗するために)生み出した「フランケンシュタインの怪物」ではなかったか。「怪物」は造られるものなのだ。

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