遠い女―ラテンアメリカ短篇集 (文学の冒険シリーズ)

  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (275ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336035998

作品紹介・あらすじ

凍てつくブダペストの橋の上で、あの女は、わたしを待っている-異様な衝動につき動かされ、見知らぬ町の遠い女を捜しにやって来た美しいアレーナを待ちうけていたものは…コルタサル「遠い女」未知の世界への探検熱に取り憑かれ、狂人たちを引き連れて船出した騎士フォン・クヴァッツの数奇な運命…ムヒカ=ライネス「航海者たち」ポーの正統的な継承者、フリオ・コルタサルの表題作をはじめ、現代ラテンアメリカ文学の多様性をあますところなく伝えるパス、フエンテス、ビオイ=カサーレス、ムヒカ=ライネスらの傑作全11篇を収録。驚倒すべき想像力が紡ぎ出した、きらびやかな悪夢、奔放な空想、黒い哄笑が交錯する短篇集。

感想・レビュー・書評

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  • 表題作「遠い女」を含むフリオ・コルタサル作五編は、ボルヘスに激賞されたといわれる最も早い時期に発表された短篇集『動物寓意譚』に収められている。ラプラタ河幻想文学という言葉があるが、アルゼンチンのブエノスアイレスは、ボルヘスやアドルフォ・ビオイ=カサーレス、マヌエル・ムヒカ=ライネスなどを輩出する幻想文学が盛んな地域である。コルタサル家の女たちも愛読者だったらしく、小さい頃から本好きだったフリオ少年は、家にあった幻想文学を耽読したらしい。「遠い女」は、ポオに影響を受けたといわれるコルタサルらしい分身譚。ただ、ポオの「ウィリアム・ウィルソン」のように外貌が似ているのではない。

    アリーナ・レイエスは自分の名(Alina Reyes) を es la reina y…(彼女は女王様、そして…)と、アナグラムで置き換えてみせるような、美人で気位の高い女だった。彼女が我慢ならないのは、どこか遠くにいるはずのもう一人の自分が、乞食女か娼婦のように惨めな暮らしをしているらしいことだ。どこにいて、何をしていても、その女が寒さに震え、苦しみ、人に殴られているのを感じる。日増しにその思いは強くなるばかり。意を決したアリーナは、新婚旅行先に、女がいるはずのブダペストを選んだ。夢の中で考えた伝言(モクヨウニユク、ハシデマテ)は、相手に伝わっているはず。その日、ホテルを出たアリーナは街歩きに出かけた。目的地である橋の上には一人のみすぼらしい身なりの女が待っていた。

    「わたしはあるオブセッションなり悪夢に取り憑かれると、どうしても振り払えなくなるのです。それを払いのけるには何か書くしかないのですが、その意味でわたしにとって短篇を書くというのは悪魔祓いの儀式にほかなりません」

    フリオ・コルタサルの言葉である。いかにも幻想文学作家が言いそうな話だが、コルタサルの口から出ると、まんざら作り話ともいえない気がしてくる。というのも、ひとくちに幻想文学と言っても玉石混交であるのは他の文学ジャンルでも同じことで、なかには、いかにも「つくりもの」めいた拵えの目立つ作風を見せる作家も少なくない。仕事上、幻想や怪奇事象を扱ってはいるけれど、ドッペルゲンゲルも異世界の存在もはなから無縁で、信じも感じもしないのではと思わせる作家作品は掃いて捨てるほどある。そうした作品の多くは結末でオチをつけたらそれでお終い。所詮は他人事、主人公の思い入れや語り手の感情など知ったことか、という感じ。

    コルタサルの作品は、そうではない。抜き差しならない感情が行間にたゆたい、身につまされた読者は胸を痛め、物語が終わっても、解決が宙吊りにされたまま、割り切れない思いを抱いていつまでも立ち尽くすしかない。こののっぴきならない読後感こそ、フリオ・コルタサルの短篇を読む楽しみなのだ。

    他に次の作品を収める。
    「夕食会」/アルフォンソ・レイエス(メキシコ)
    『流砂』より/オクタビオ・パス(メキシコ)
    「チャック・モール」/カルロス・フェンテス(メキシコ)
    「分身」/フリオ・ラモン・リベイロ(ペルー)
    「乗合バス」/「偏頭痛」/「キルケ」/「天国の門」/フリオ・コルタサル(アルゼンチン)
    「未来の王について」/アドルフォ・ビオイ=カサーレス(アルゼンチン)
    「航海者たち」/マヌエル・ムヒカ=ライネス(アルゼンチン)
    いずれも、ラテン・アメリカを代表する詩人、小説家の幻想的な作品を選りすぐった短篇集である。

    名のみ伝えられて、実際の作品に触れたことのなかった作家の作品が読めるのがうれしい。なかでも、巻末を飾るムヒカ=ライネスの「航海者たち」は、短篇小説という体裁ながら、夢想癖の強い騎士の海洋冒険譚という器を借り、新知識に溢れ、社会改革にも熱心な若者の集団が、旧式の武器しか持たない体制側に、てもなくひねり潰されてしまうという、リアルに書けば苦々しい寓話を、実に愉快で滑稽な幻想怪奇小説に仕上げて見せてくれている。冒頭に無聊をかこつ主人公の騎士が読みふける書物の作者名が列挙される。ヘシオドスやヘロドトスの名に混じって、ウンベルト・エーコの近著『バウドリーノ』で言及されている伝説の王プレスター・ジョンことプレスタ・ジョアン王や『教皇ホノリウスの書』の著者であるオータンのホノリウスなどの名が見えるのは、博識で知られるムヒカ=ライネスらしい。衒学趣味の横溢した、いかにも幻想怪奇文学の本流をいく構えで、たいへん結構なものである。

    • abraxasさん
      淳水堂さん、こんにちは。abraxasです。

      こちらこそ、いつもお世話になっています。ラテン・アメリカ文学を、しっかり読み出したのはそ...
      淳水堂さん、こんにちは。abraxasです。

      こちらこそ、いつもお世話になっています。ラテン・アメリカ文学を、しっかり読み出したのはそれほど前ではないのです。淳水堂さんもお好きなボルヘスだけは別で、随分昔から読んでいたのですが。

      コルタサルの短篇は、ラテン・アメリカ文学という枠を外しても、好きな作品に入ります。よく、降りてくるというような言い方をしますが、コルタサルの場合も、書かずにはいられない、といった感じなのでしょう。まさに「悪魔祓い」です。「遠い女」は、いかにもコルタサルらしい引き裂かれた自我を感じさせる作品でしたね。

      最近、未読だったコルタサルの作品を二冊読んだのですが、ごく初期のものと、最晩年のもののどちらも、いまひとつ入り込めませんでした。特に晩年のものは、現実政治に関わりだしたころのものとかで、祓わなければならない悪は現実のラテン・アメリカに蔓延しており、さすがにコルタサルも自分の中の悪魔と闘ってばかりはいられなかったようです。

      そういう純粋な面もコルタサルらしく思うのですが、勝手なもので、作家コルタサルの働く場は、ほかにあったのでは、などと思ってしまいます。あの独特の世界をもっと読んでいたかったなあ。

      コメントありがとうございました。よろしければ、またお訪ねください。楽しみにしております。

      2014/10/04
    • 淳水堂さん
      こんにちは。お返事ありがとうございます。
      南米作家は政治とは切り離せないようですね。バルガス・リョサは大統領選に立候補しても文学への熱狂は...
      こんにちは。お返事ありがとうございます。
      南米作家は政治とは切り離せないようですね。バルガス・リョサは大統領選に立候補しても文学への熱狂は失わなかったように思います。さらに「カストロ派」と「反カストロ派」など、作家同士の辛辣な口撃などは小説以上に緊迫感もあったり。

      イザベル・アジェンデも「パウラ」以降は読んでいないのですが、カルフォルニア移住以降はテーマが万人向けになったような印象です(読んでいないのにいうな、と言う感じではありますが「冒険もの」「怪傑ゾロ」だとなにもアジェンデでなくてもって)。もし心身安定し彼女自身の祓わければならない悪魔が薄れたのならいいことですが、読者としてはさびしいですよね。

      最近は一か月にやっと1冊という遅読っぷりなのに読みたい本が溜まる一方です(苦笑)。
      2014/10/05
    • abraxasさん
      淳水堂さん、お返事ありがとうございます。

      たしかに、ラテン・アメリカ諸国の作家は否が応でも政治と関りあいをもたずに作家をやっていくこと...
      淳水堂さん、お返事ありがとうございます。

      たしかに、ラテン・アメリカ諸国の作家は否が応でも政治と関りあいをもたずに作家をやっていくことは難しいでしょうね。近頃は、日本でも政治的な発言を恐れず、旗幟鮮明にする作家が増えているような気がします。それだけ、危機的な状況だということでしょうか。

      カストロに近いガルシア=マルケス、コルタサルと反カストロ派のバルガス=リョサが政治的に対立するのは避けられないことでしょうが、イデオロギーがすべてに先行するのか、文学という場であっても、それで袂を分かつことになってしまうのが遣る瀬無いような気がします。

      イサベル・アジェンデは『精霊たちの家』しか読んでいないのですが、ラテン・アメリカ作家というより、フォークナー的世界を感じたことを覚えています。彼女の場合、悪魔祓いができたなら、それはそれでよかったとも思いますが、作家としては不幸ともいえるから、因果な商売ですね、作家も。

      遅読こそ、本道ですよ。時間は余っているのに、ついつい先を急いで読んでしまう癖があって、いつももっとゆっくり読みたいものだと感じています。いいな、と思った本は一章ごとに本を閉じて、休みをとるように心がけているくらいです。でも、棚に並んだ本に目がいって結局またすぐに本を開いてしまうのですが(笑)。
      2014/10/06
  • 11篇収録。うちコルタサルが5篇。

    オクタビオ・パスは散文詩「流砂」からの抜粋。たたみかけるような言葉の奔流が心地よい。「厳しい修行」「急ぎ」「天使の首」が好き。

    収録されたコルタサルの作品は、どれも悪夢的でいや~な感じが楽しめるが、特に表題作「遠い女」の恐ろしさ、「キルケ」のおぞましさが好みだった。

    「航海者たち」(マヌエル・ムヒカ=ライネス)も面白い。昔話風の冒険譚かと思いきや中盤からの奇想天外さ。ちょっとグロテスクで残酷で。
    様々な寓意を読みとることもできそうだけれど、ただただヘンな話として読んでも楽しい。

  • ラテンアメリカ文学の中でも幻想的な作風の作品を収録したアンソロジー。
    特にコルタサルの作品が多い。以下、感想。

    「夕食会」(アルフォンソ・レイエス)
    見知らぬ女性に招かれた夕食会、自分が招かれた理由とは・・・? 一幕の悪夢のような作品。ただ、怖さが足りない。★★★

    「「流砂」より」(オクタビオ・パス)
    「流砂」という散文集からの抜粋。パスの作品を読むのは初めてだけど、どれもこれも異常なんだけど、何となく判っちゃう、というか身に覚えがある話な気がするのが不思議。もっと読みたい。★★★★

    「チャック・モール」(カルロス・フエンテス)
    この作品を読むのは二度目。二度目にして、ようやく冒頭の宗教議論と話との繋がりがハッキリわかった。奇譚に見せかけた文化論。★★★★

    「分身」(フリオ・ラモン・リベイロ)
    この世に一人はいるという分身を探して旅に出る。オチは分かっていた、分かっていたのに、それでも好きだなあ。でもよくよく考えてみると、頭がこんがらがりそうな問題。★★★★

    「遠い女」(フリオ・コルタサル)
    遠くブダペストで不遇な日々を送る女性と妙なシンパシーを覚え、ついに会いに行くが・・・。これはゾッとする話だった。もしかしたら、それまでの日常こそ仮の姿だっただけなのかもしれない。★★★★★

    「乗合バス」(フリオ・コルタサル)
    家に帰るためにバスに乗ったのだが、どうもほかの客の様子がおかしい・・・。こういう脅迫観念に襲われることはありそうだけど、これもし実際に起こったらすげー怖いな。★★★

    「偏頭痛」(フリオ・コルタサル)
    地方で動物の飼育と闘病生活を送る数名の人々の記録。次々と出てくる変な病名がなかなか楽しかった。自分の頭=自分の家。★★★★

    「キルケ」(フリオ・コルタサル)
    婚約者に秘められた性格、その恐ろしき本性とは。自分では抑えようと努力しているんだろうけど、こういう女性に引っかかったら運の尽きだなあ。★★★★

    「天国の門」(フリオ・コルタサル)
    婚約者が病気で急逝してしまった。その思い出を忘れるために友人とダンスホールに行くが・・・。長く付き合っていると、自然にふるまっているつもりでも、自分を抑えてることってあるよね。最後のシーンはなかなか美しい。★★★★★

    「未来の王について」(アドルフォ・ビオイ=カサーレス)
    古い屋敷で何かの研究に没頭する友人。その内情を調査するために屋敷に侵入するが・・・。ビオイ=カサーレスの作品に出てくる研究者のイメージは、なかなかインパクトがある。本人は大真面目なだけにかえって恐ろしい。★★★★

    「航海者たち」(マヌエル・ムヒカ=ライネス)
    不遇の日々を送る国王の庶子が、ホラ吹き3人組と狂人たちを引き連れて航海に出る。そして彼らは大きな成果をもって帰国するが・・・。荒唐無稽な航海先での話はもちろん、帰国してからの話が揮ってる。確かに不気味だよなあ、こんなガキどもがいたら。人間はいつでも異質なものを恐れるものだ。★★★★

  • オクタビオ・パス(メキシコ)が良かった。短め短編が続くが元々詩人なのね。現実と狂気のラインがない。最初から混ざっている。昔居酒屋で食べた、焼きそばと白飯が混ざった「そばめし」みたいだ。

    こないだ読んだ光文社文庫のコルタサルと4つ位内容だぶってた。こちらの木村栄一さん訳は粒が立っていてメリハリ深みあり、読みやすかった。なんかねー、コルタサル腹一杯になってきた。アルゼンチンの坂本龍馬みたいに思えてきてねえ。もうちょっとバカっぽさが欲しい。狂気はカラッと。

  •  11編からなる、ラテン・アメリカ文学短編集。
     11編のうち5編がフリオ・コルタサルの作品となっており、他にはアドルフォ・ビオイ=カサーレス、カルロス・フエンテス、オクタピオ・パスなどの作品が収録されている。
     どの作品も面白いのだが、フエンテスにしても、コルタサルにしても、ビオイ=カサーレスにしても、もっと面白い短編も実はたくさんある。
     ただ、本書に収められている短編は、本書でしか(翻訳されたものとして)読めない作品が殆どであり、その意味でも本書の価値は高いと思う(僕はカルロス・フエンテスの「チャック・モール」だけは既に岩波文庫の「フエンテス短篇集 アウラ・純な魂」で読んでいたのだけれど、この文庫も今は絶版になっているので、もしかしたら本書に収録されている作品は本書でのみ読むことが可能なのかも知れない)。
     ところが、本書自体も既に絶版になっており、僕はアマゾンの中古品として手に入れた(幸いにもプレミアは付いていない品が手に入った)。
     本書を出版していたのは国書刊行会であり、この出版社は他社より若干売値が高いのだが、面白い本をたくさん出版しているので、好きな出版社の一つである。
     可能であれば、せめて本書のようなアンソロジーを再出版して欲しいと願っている。
     本来なら、それぞれの作家の作品(既に全作品が絶版になっている作家も本書には含まれている)も出版してもらえると嬉しいのだが……。

  • 読んですらいないので読む

  • ラテンアメリカ文学の入門にうってつけのアンソロジー。魅惑の世界へといざなう。

  • 2013/12/5購入

  • 傑作揃いの幻想短篇集。ラテンアメリカ物のアンソロジーでは、面白さナンバーワンです。これぞ魔術的レアリズムといった作品のオンパレード。コルタサルは鉄板。特に良かったのが、カサーレスとライネス。ライネスは初めて読んだが、未読の長編「ボマルツォ公の回想」は早々に読みたい。
    国書刊行会の翻訳物のクオリティの高さには毎度のことながら唸らさられる。

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