- Amazon.co.jp ・本 (297ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336039606
感想・レビュー・書評
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「切断」 これが突然起こる。それも愛しているような人へ。そのほか、「銃弾」「放屁」「脱糞」「放尿」
う~ん、何なんだこれは。全部で17の短編集。どれもにこれらの行為が突然にはさまる。白樺の森のなかで、部屋の中で、教室の中で。しかし全部読んでしまった。読めた。放り投げなかった。読ませてしまう何かがあるのか。
『愛』『真夜中の客』 愛するものの切断
『セルゲイ・アンドレーエヴィチ』静謐な冷気の白樺の森。しかし。
ウクライナ侵攻のニュースで、ロシア文学のことが載っていて、このソローキン氏は反体制的な文学者、とあったので読んでみた。
ソ連だった頃はソッツアートをやっていた、とあった。絵を描いていたのだ。ソッツアートは西側でいう、ポップアートのことらしい。ポロックの絵とか、絵具の缶を銃で撃って書く、とかで出来た「絵」のような小説かもしれない。
ウィキからソローキンのHPをみると最初の短編集「最初のサブポトニク」が出版されこれは1979から1985あたりに書かれたもののようだ。この短編集「愛」にも入っているもの何点かがある。1991年から99年の7年間は芝居や映画の脚本を書いていた。社会の変化を観察しなくてはいけなかった、とある。
訳者は亀山郁夫さん。あの常識的で真面目そうな雰囲気の方、あとがきが載ってます。最初は「責め苦の毎日」だったが、『セルゲイ・アンドレーエヴィチ』を翻訳中に小さな転機、テクストの表層に夜空の星のように穿たれている、神の部分ともよべるいくつもの穴を発見し、そのたとえようもない美しい輝きに気づかされる時が来た、とあった。
1992発表
1999.1.15初版第1刷 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
青い脂」が気になって、ソローキン情報を収集していると、変な作家らしい。しかも翻訳は亀山氏だ。気になったので短編集を読んでみる。
いったい私は何を読んでいるのだろう。一編一編は数ページの短い作品ですぐ読めてしまいますが、そこに描かれているのがなんなのか、理解できなくなるのです。日常生活風景だったり、森の中でのキャンプだったり、学校での生活風景といった普通の風景が急にねじれて異様なものが差し込まれて唐突に終わるのです。長編で徐々に異常な世界に変貌していってというのではなく、たった数ページの短編で描く。これはインパクト大。
でも読んでいくうちに、さして異常なこととも思えなくなってくる。日々ニュースでやってるではないですか。突然強盗に入られ手をしばられて殴り殺される。通りすがりの会社員からすれ違いざま足を切られる。幼児が炎暑の車中に置き去りにされる、車で執拗に追われた挙句にハンマーで殴られる、舐め回した指を回転寿司になすりつける・・・日常に突然さしこんでくるグロテスクな悪意。もはや現代の日常がアンチ・モラルなオブジェなのか?ソローキンが敏感に切り取っただけなのか?いったいどうやって暮らしていったらいいのか?ソローキンは解答は提示しない。なんて恐ろしいやつ。 -
うんこ
とだけ書いてレビューを終えようと思ったんですが、それだとさすがにあんまりなので補足をば。ちなみに「うんこ」というのはうんこそのものを指しているのであって、この小説の出来がうんこだったという訳ではありません。何を言ってるのか理解できないかもしれませんが読めば分かります。
それにしてもなんてナンセンス!この小説がどういう本なのかは最初の「愛」って短篇を読めば十分分かります。すぐ読めるのでそれで気に入ったらレジに持っていってください。
途中まですごく良い、重厚な文学感を醸しているにも関わらず、話がびょーんと飛び跳ねて訳の分からないところに放り投げられます。だいたいこのパターン。
本編もかなり意味不明でしたが、それよりも巻末に付された解説とインタビューも、なかなかどうして意味不明です。
それにしてもロシア人の小説は読むのにものすごくエネルギーが必要だなあ…。名前がだいたいなんとかスキーだのなんとかチョフだのなんとかビッチだので、まず覚えにくいのに加え、愛称が結構原型をとどめない感じになるので、誰が誰だか読んでて理解できなくなる。なんとなく雰囲気で読み進めたため、「弔辞」という作品が実は全く理解できてなかったことに解説を読んで気付きました。ガッデム。
読み終わってから二時間くらい立ちますがまだ頭が煙を上げてます。 -
凄い作家による凄い作品、という評判を前もって読んでいたので、かなり期待して読んだのだが、少々期待外れだった。
一つにはこの手のタイプの作品を既にいくつか読んでいたのが原因かも知れない。
前衛的な文章や文体破壊とか言われている形式はドナルド・バーセルミで、反モラル的な作品はチャールズ・ブコウスキーで、通常の小説形態を壊したような作品は中原昌也で、スカトロ的作品は高橋源一郎で、自動手記的文章はアンドレ・ブルドンで、既に経験済だったりする。
おまけにバーセルミやブコウスキーや高橋源一郎の方が面白く読めたりした。
そうは言っても、本書におけるいくつかの短篇(本書は17編の短篇からなる)にはとんでもなく面白く、また衝撃的な展開を見せる作品もある。
僕にとってそれは「愛」「セルゲイ・アンドレーエヴィチ」「真夜中の客」「シーズンの始まり」「弔辞」などがそれにあたる作品だった。
ただ、この著者の他の作品も読みたいか、と問われたら、あまり食指は動かないのが正直なところ。
スカトロや人体破壊や同性愛やカニバリズムや自動手記に興味がある人は読んで面白いかもしれない。
そうじゃない人は、気分が悪くなるだけなので、読まない方が良いです。 -
潜在的に堕ちてゆきたい願望「タナトス」具体化した1冊。
理性を奪い、不安を目覚めさせて退化した獰猛な野性に餌をくれよう。
常識や固定概念、既存の価値。これらを捨てて、不自由な不愉快に身を任せれば快楽になり、わたしの中の悪魔が喜ぶ。
人生は悪い冗談。滑稽すぎて笑えない。 -
技巧とか叙述トリックとか物語性とか、そんなんどうでもいいから、とにかくやべぇのをサクッと読みたいんだよね!!!!って時に衝動的に手に取る作家がソローキン。足が勝手に『ロシア文学』の棚へ。逆にそういう気分じゃない時は寄り付かないようにしている。げんなりしてしまうから。
数年前に『ロマン』の洗礼を受け、『マリーナの三十番目の恋』と読み進め、短編は初挑戦。でも物語の長短は関係なし(そもそも物語性とかないから!)。はいはい、うん、綺麗だね、素敵だね、あれ?どうした?あー、なるほど、よし、次!って感じで一気読み。次、があるからいいね、短編は。切り替えがうまくいく。『ロマン』は数日引きずった。
こんなにも言葉のタガが外れていて、無秩序で、冒涜的にも関わらず、それでも「読ませる」力が強烈にあるのは、どうしてなんだろう?なんで?おい、なんで?なんでだよ、おい、なんで横向いてんだよ、おい、なんで?これ何の話で出てきたっけ? -
モダン焼きにはキャベツやブタ肉やヤキソバが入っている。ではポスト・モダン焼きには何が入ってる? そこには――
血と機械油と精液が混ざったのが、
別れの朝の朝立ちが、
露出狂の女教師が、
樵人を斬り裂くチェーンソーが、
おしっこのにおいが、
寿限無とシューリンガンが、
山羊爺さんの鳴き声が、
恩師のうんこが、
妻の断ち切られた右腕が、
乳色のヴィドと腐ったブリドと濡れたブリドが、
切り取った顔の一部が、
新鮮なヒトの生肉が、
Eの文字の刺青が入った亀頭部が、
工場の記念アルバムの上の大便が、
ハイデッガーシマイデッガーが、
キエルケゴールシメイケゴールが、
血溜まりをぴちゃぴちゃはねかえす世代が、
あらかじめこの画面の右上に -
【展示用コメント】
「愛」っていったい何だろう……
【北海道大学蔵書目録へのリンク先】
https://opac.lib.hokudai.ac.jp/opac/opac_details.cgi?lang=0&amode=11&place=&bibid=2000764133&key=B151607864902210&start=1&srmode=0&srmode=0# -
どこかで分岐を誤ったのだろうか。そもそもどこかに分岐などあったのだろうか。いくら来た道を振り返ってみても道はただ真っ直ぐに伸びている。なのにさっきまでの穏やかな風景は一変し、乾いた舗装のされた道はぬかるんだ滑り易い泥道にすり変わっている。悪臭がするなと思っていると、それが足元から漂っていることに気付く。鋭利なものかぬめりとした感覚と伴に脳に差し込まれると、視界が端の方からぐにゃりと溶け出す。狂気、という言葉が一瞬浮かぶが、ここにあるのは冷静な頭脳なのだということが少しずつ理解されてくる。
印象派のどこまでも平和なものを喚起する絵の中に、本来は慎ましやかに衣服で隠しておくべき筈のものが、そこだけ原色の持つ強い陰影を些かも薄めることなく使って描かれていたら。急いで目を逸らせてしまうべきか、それとも画家の意図を汲み取るべくじっくりと観察するべきか。これはある意味モラルへの挑戦のようでもあるが、例えば岡本太郎の絵から受け取るべきものは飽くまで自分自身の中に沸き上がるもやもやとしたエロスとタナトスの混合のような感覚だけであって、芸術家が何を考えてこの絵を描いたかということについては深く考え過ぎない方がよいのと同じようなものだと受け止めておくべきか。とは言え、断片的な文脈の中にはソ連時代から現在に至るロシアという下地は強く漂って来るし、何か慎重に隠されたメッセージがあるようにも見える。その事を冷静に考えることすら許さないような強烈なエログロ、スカトロが何もかにも麻痺させてしまう。
思わせ振りや気取りなど一切排除して、人の一番隠しておいた触れて欲しくない所をぐいっと掴む。ウラジーミル・ソローキンという作家の恐ろしさをまざまざと見せつけられる。