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Amazon.co.jp ・本 (351ページ) / ISBN・EAN: 9784336046376
感想・レビュー・書評
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壮大な物語の予感がするファンタジー三部作の第一部。
科学と魔法で人々を支配するマスター・ビロウの右腕である主人公クレイが、奇跡の白い果実の盗難事件を調査するために辺境の村へ赴く。
彼の肩書は観相官、つまり観相学を用いて顔立ちから人を判断するのだ。村人たちに直接会って調査を進めるのだけど、その選民意識というか他人を見下すような言動があまりにはっきりしていて、しかし辛辣すぎてねちっこくないからか、いっそ清々しいとすら感じる。
そうやって自信満々で調査しているはずが、段々と自分を見失っていき、ついには失敗して南の島へ。
硫黄採掘場で目の当たりにする自身の過去の仕事、楽園を探すビートンの記憶、それらを通じてクレイが変わっていくのが好ましい。
そうなるとシティに戻ってさあどうなる、とずっと飽きることなく面白かった。
この一冊だけで一区切りという感じなので、第二部、第三部はどんな物語なんだろうか。読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
世界幻想小説大賞受賞作。
世界観がモロ好みでした。訳者の山尾悠子の格調高い文章がかなり幻想的な雰囲気を盛り上げてくれる。
観相学が法律の全てという世界観。その他にも、理想形態都市、独裁者、美薬、青い鉱石、楽園ウイナウ、旅人、サイレンシオ、双子の番人、人狼…。世界観を色成す設定がセンスに溢れている!訳者のあとがきにも書かれていたが、ストーリーは女性に対する罪と贖罪への暗喩ともとれないこともない。独裁者ビロウと倒して終わりというところが普通すぎたのが少し気になるといえば気になったぐらいか。
3部作のウチの1作目。まだまだこの世界に浸れるのが楽しみだ。 -
「シャルビューク夫人の肖像」もそうだったけど身悶えしちゃうようなこのゾワゾワ感がこの人の特徴なんだなと読み進むうちにそのゾワゾワ感がいつの間にか消えて、切なく美しすぎるラストに感動。読むべし。
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1997年世界幻想文学大賞受賞作。
20世紀の最後を飾る奇書とは訳者の弁。2004年8月発行。
翻訳は山尾悠子・金原端人・谷垣暁美の3人がかり。
古典を読むような文章にやや戸惑ったが、もとの味わいを出そうと苦心したらしい。
理想形態市(ウェルビルトシティ)は、独裁者ドラクトン・ビロウが築いたクリスタルとピンクの珊瑚で出来た街。
主人公のクレイは一級観相官。四輪馬車の迎えに乗り、北方の属領にある鉱山の町・アナマソビアへ出立する。
アナマソビアはブルースパイアの発掘が行われ、青い粉を吸い込んだ鉱夫はいずれ青く染まってブルースパイアと化す。
観相が異常に発達している時代で、幼女が人狼であることを見抜いた功績もあるクレイ。
「白い果実」の盗難をめぐって、アナマソビアへ派遣されたのは左遷に近い。美しい娘アーラに出会って助手とするが滞在中に一時知識を失い、美薬という麻薬中毒も相まってとんでもない事態を引き起こし、流刑へ。
旅人と呼ばれる人間ではないミイラの真実は?楽園とは?
カフカの城とか…いろいろ思い出します。
独裁と暴力と血と苦難と革命と…感情移入は出来ないが、架空世界を作りげたパワーは買います。 -
幻想的であり、そしてなにより寓話的である。カフカの小説を彷彿とさせないではいられない小説だと思う。例えば「流刑地にて」のような作品。本全体を、罪、という基調が覆っているように感じてしまう。
一方で、物語は後半に向けて勢いを増し、トールキンの「指輪物語」のような様相を呈してくる。と思ったら、ナントこれは三部作の第一部だという。なるほど、そういうエンターテイメントの香りがするなあと思っていたのは当然だったのだ。
しかし、やはりなんと言ってもカフカである。この寓話の箴言は何なのだろう、と考えずにはいられないのだ。自然を思いのままに作り変える(ことができていると信じる)人類への警鐘か。あるいはマネーという実態のないものに振り回されることへの意趣の表れか。単なるエンターテイメントを越えた何かが魔物のように言葉の裏に潜んでいるように思うのである。
人は何かを読み取られずにはいられない。村上春樹の新作を読んだ直後であったことも影響してか、そんなことを考えずにはいられないのである。例えば、タイトルにある「白い果実」。少なくともこの第一部ではそれは明らかにシンボルではあるけれども、何か象徴的な意味を明確に示すようではない。単純に言えば、それがよきものであるのか、あしきものであるのかすら、判然とはしない。あるいは、それは「指輪」のような存在なのかも知れない。もちろん、何かが隠されている気配は濃厚である。その寓意は第二部、三部を読まなければ見えてこないものなのだろうと思う。
この気配から感じ取ることのできる仕掛けのようなものは、トールキンを持ちだすまでもなく、例えば「スターウォーズ」にも共通するような王道であるように思う。つまり、この物語には語られていない過去がある。その予感はたっぷりとする。だとすると、それを読まずにはいられないと思い始めるのだけれど、この一部の読者に偏愛を生むような物語の完結編は、はたしてこの翻訳陣で再び翻訳されているのだろうか、それが気になる(と思ったら、やっぱり)。
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山尾悠子先生が好きそうなの、なんか分かるな…。
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やな奴が主人公のダークファンタジー。
この世界観が素晴らしく、展開も読めない。 -
シリーズものの1冊目。これからも世界は広がっていくのだろうけれど、私はここで挫折かも……。
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幻想文学の長篇の醍醐味と感覚的な素晴らしさ。身も心も色彩豊かに浮かぶ画像に同化して固唾をのんで思い巡らせた。左手には拳骨。読み終えて半信半疑に開いた掌に緑が見える気になる。この先どうなるのと叫びたい。 -
97年に世界幻想文学大賞を取った名作ファンタジー。
独特な言い回しの英文を二人の訳者が翻訳し、その訳文を山尾悠子がシニカルな文章に仕立てるという二重訳。
理想的な都市の終焉と傲慢な主人公の成長が対照的に描かれている。
恒川光太郎作品が好きな方にお勧めできる作品である。
都市の支配者であるマスターが恒川光太郎作品のスタープレイヤーのように思えてならない。恒川とジェフリーフォードの世界が繋がっていると勝手に妄想しながら本作を楽しむのも悪くないだろう。 -
魔術師のような独裁者ビロウの頭の中の世界がそっくり現実になった未来社会、辺境の楽園伝説と永遠の白い果実を求めての探索というストーリーに主人公クレイの永遠の女性アーラへの執着と想い、そしてそれゆえの変容。第2章の地獄変のような哲学問答も面白かった。何より描写される世界が本当に美しい。
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バベルの塔をモチーフにした、カバー装画がいい。街ひとつをそっくり呑み込んだ建築物という絵柄が、この三部作に共通するであろう主題を象徴している。ファンタジーなのだが、ディストピア小説めいた趣きもあり、寓意を多用した思弁的小説の装いも凝らしている。とはいえ、その本質は様々な怪異に満ちたあやかしを次々と繰り出し、見る者の目を眩ませる大がかりな奇術。ちょうど、理想形態都市(ウェルビルトシティ)を支配するドラクトン・ビロウが主人公の目を楽しませる手品と同じように。
ヘルマン・へッセに『ガラス玉演戯』という小説がある。ガラス玉演戯というのは、「古代から現代に至るまでの芸術や科学のテーマをガラス玉の意匠として一つ一つ封じ込め、それらを一定のルールの下で並べていくことによって、ガラス玉に刻まれたテーマ同士の関係を再発見し、新たな発見・感動を生み出すという、架空の芸術的演戯」というものだ。
人格形成小説(ビルドゥングス・ロマン)だから、一人の人間が如何にして人格を作り上げていくのかを描いている。弟子として師足るべき相手を探し、一段一段認識を高めていく。その舞台が、一種の理想的学園都市で、音楽や数学をはじめあらゆる学問技芸のマイスターが集まるカスターリエンは、第二次世界大戦の惨禍に嫌気がさしたヘッセが想像した究極の理想郷である。
マスター・ビロウが作り上げた理想形態都市は、その裏返しである。師であるスカフィーナティに教わった記憶術、それは自分の心の中にある宮殿をつくり、記憶するべき考えを象徴する花瓶や絵画、薔薇窓といった物体に置き換え、宮殿内に配置するというものだった。知識欲の強いビロウは、宮殿ではおさまらず、それを都市の規模に変えた。そして、頭の中にある都市を現実に作り上げたのだ。
多くの人々の知恵や技芸が互いを高めあい、相補い合って生成してゆくカスターリエンとは逆に、ビロウ一人のために都市があり、人々はその構成物に過ぎない。理想形態都市の住民は魔物の角から精製した粉末で一時恍惚感を味わったり、辺境の村に住む珍奇な生き物や剣闘士の競技といった見世物を見たり、とパンとサーカスを与えられることで懐柔されている。しかも人口増加に業を煮やしたビロウは人員削減のために主人公に命じ、観相学的観点から見て劣位の市民を処分することまで始める。
主人公のクレイはビロウの覚えめでたい一級観相官である。高慢で自惚れが強く人を人とも思わぬ傲岸不遜な人物だが、ビロウには忠実だった。そのクレイがスパイアという鉱石の産地である属領行きを命じられる。教会に置かれていた白い果実が盗まれ、その犯人を観相術で探せというのだ。属領でクレイはアーラという娘と出会う。理想形態都市に憧れ、そこにある図書館で学ぶことを夢見るアーラは独学で観相学を学び、クレイに劣らぬ能力を持っていた。
アーラを助手にしたクレイは何故か自分の能力を一時的に失い、捜査をアーラに頼らざるを得なくなる。捜索に失敗すれば硫黄鉱山送りはまちがいないからだ。立場の逆転によって自尊心を傷つけられたクレイは詭計を案じ、アーラを犯人だと告発。捕らえられたアーラの顔にメスを入れることで、従順な相を生み出し反抗心を除去するという暴挙に出る。ところが、大事な手術の最中に麻薬の一種である美薬が切れ、手術は失敗。アーラの顔は二目と見られぬものとなる。なぜなら、その顔を見た者は恐怖のあまり死んでしまうからだ。
任務に失敗したクレイが送られるのがドラリス島という流刑地。かつて自分が罪人と決めつけた人々を送り込んだところだ。高熱と悪臭が充満する硫黄採掘場である。ダンテの『神曲』の地獄めぐりを思わせる、この世の地獄で、クレイは自分の犯してきた罪の深さを知り、アーラに赦しを請いたいと願うようになる。赦免され、理想形態都市に戻ったクレイはビロウの相談役の地位を得るが、面従腹背を貫く。都市の地下深くに作られたクリスタルの球体の中に閉じ込められたアーラたち属領の人々を救出する目的があるからだ。
「依頼と代行」、「探索」、「双子」、「権力の継承」といった物語の機能を都合よく配置し、それに獣人やら魔物、緑人といった『指輪物語』等でお馴染みの異形の者たち、ビロウの天才的な技術とアイデアが作り出す、人語を解し酒や料理を供する猿のサイレンシオや、旅の道連れでありクレイの守り人でもあるカルーという力持ちの大男といった魅力的な脇役を配し、物語は一挙に加速する。
独裁者が恐怖と幻覚剤で支配する都市国家とその周縁に位置する属領という対立に加え、人工的に作り上げられた享楽的都市生活に対し、自然に囲まれた平和な村落で構成される原始共産社会といった構図もある。理想形態都市が有する女性には決まった役割しか認めず、その資質は男に劣るという考えに対する、同じ能力を有する女性アーラによる異議申し立てがある。やがて対立は波乱を生み、暴発する。
ファンタジーの筋立ては決まりきったものだ。それを面白く読ませるために、物語を貫く思想、魅力的な人物や奇想溢れる異世界の建築その他の意匠をどう創造するか、物語作者はそれを問われる。『記憶の書』の評でも書いたことだが、この作家の特徴は人物その他の形象がビジュアルであることだ。人狼グレタ・サイクスの頭に埋め込まれた二列のボルトなどは、容易にフランケンシュタインの怪物を思い浮かべさせる。読者の想像力に負担をかけないところが、巧みといえば巧みだが、ある意味安易でもある。
上辺の分かりよさに比べると、寓意を鏤めた思弁的な装いはそう分かりやすくはない。あえていうなら、ドラクトン・ビロウは自己の能力を通じて世界を創造する神としてすべてを統括する欲望の支配下にある。理想形態都市も属領をその中に閉じ込めたクリスタルの球体も、ひとつの秩序の下にある完璧な世界を希求したものである。しかし、世界は常に生成変化する。完璧に作り上げた世界であっても、時間の経過によって、生成変化の過程で生じる余剰や夾雑物が生じ、秩序を一定に保つことはできない。コスモスはカオスを内包しているのだ。秩序と混沌との相克こそが三部作を貫いて流れるパッソ・オスティナートである。
ファンタジーのお約束として、探索を依頼された代行者は宝探しの旅に出る。様々な苦難の末、帰還するわけだが、ビロウに敵対する道を選んだクレイには、果たしてどのような結末が待っているのやら。その前に、まだまだ次のミッションがクレイを待ち受けているにちがいない。次は、どんな世界が舞台となり、どんな奇妙な生物がクレイに襲いかかるのだろう。これが連続活劇の持つ醍醐味である。第三部がいよいよ楽しみになってきた。 -
感想は「緑のヴェール」へ
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広義の意味でサイバーパンク的というか。私がこっそり名づけている狂都市ものというか。ビロウという男(支配者)が頭の中で構築した理想の都市が具現化されていて、そこでへまをやって属領に送り込まれた男が主人公。結局そこでもへまというか云々あってもっとひどい島に送り込まれてというなかなか壮大な物語ですごく面白く読んでいたんだけど、なんか後半がな。
主人公、すっごい傲慢でイヤな男なんだけど島での強制労働で心を入れ替えてしまう。しかも結局理想的な都市よりも緑が合って光があるだけで幸せを感じられる素朴な村での生活がシアワセって。本当は☆3ぐらいだけど、三部作らしく、ラストには「百年の孤独」も驚くしかけが用意してあるとあとがきに書いてあったので期待を込めた☆ですこれは。 -
ここ何年かで一番楽しめた本。
ジェフリー・フォードの作品
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