スウェーデンの騎士

  • 国書刊行会
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  • Amazon.co.jp ・本 (270ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336058935

作品紹介・あらすじ

1701年冬、シレジアの雪原を往く二人の男。軍を脱走し大北方戦争を戦うスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族と、〈鶏攫い〉の異名をもつ逃走中の市場泥坊――全く対照的な二人の人生は不思議な運命によって交錯し、数奇な物語を紡ぎ始める。泥坊が一目で恋におちる美しい女領主、龍騎兵隊を率いる〈悪禍男爵〉、不気味な煉獄帰りの粉屋、〈首曲がり〉〈火付け木〉〈赤毛のリーザ〉をはじめとする盗賊団の面々ら、個性豊かな登場人物が物語を彩り、波瀾万丈の冒険が展開されるピカレスク伝奇ロマン。

感想・レビュー・書評

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  • 1701年のシレジアを舞台に、貴族と泥坊が入れ替わる物語。
    泥坊は入れ替わって即座に貴族として裕福に暮らすのかと思いきや、そうではなかった。
    怪しまれずに他人に成り代わるなんて、簡単なことではないのだ。

    そのための準備期間と言っていいのか、懐を温める活動中に発揮される、いつの間にか相手の意識を逸らしていくよう巧みな話術が紳士的で、つい聞き入ってしまいそうだ。
    悪い奴なのに人の心を掴むのが上手い。例えて言うと、怪盗にちょっと心惹かれるみたいなものだろうか。

    貴族として暮らす場面も、自堕落な生活を送るわけじゃないのが憎めないところだ。
    働き者だ。まったくどうして泥坊なんかになったんだろう。
    領民にとってもよい領主なんだろうな。
    ただ、そのまま幸せに暮らしましたとさ、とはいかないのは序盤で分かっていた。
    分かっていたけれど、想像以上に物語が見事に収まって感嘆した。

  • 1701年冬、シレジアの雪原を二人の男が追手を恐れながら歩いていた。軍を脱走しスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族クリスティアンと、絞首台を辛くも逃れた市場泥棒だ。身を隠すため入った粉挽き場にあった料理を勝手に食べた二人は、ちょうど来合わせた粉屋に代金を請求される。無一文の二人は窮するが、貴族は近くに代父で金持ちの従兄が住んでいたことを思い出す。体が弱っていた貴族は泥棒に指輪を渡し、自分の代わりに従兄の領地に行きスウェーデン行きの支度を整えるよう頼みに行ってくれと泥棒に託す。

    泥棒が訪ねた貴族の従兄の領地は荒れ果て、館には自分を追う悪禍男爵率いる龍騎兵の一団が屯していた。おまけに領主は死に、跡を継いだ美しい娘は多額の負債に苦しんでいた。粉挽き場に取って返した泥棒は貴族に事情を話し、二人が入れ替わることを提案する。自分がアルカヌムであるグスタフ・アドルフの聖書を携えスウェーデン王の許に行くから、お前はほとぼりが冷めるまで僧正館の鉱山に身を隠せ、と。つまり、この話は「王子と乞食」ならぬ「泥棒と貴族」という異なる環境に生まれた二人の人物の入れ替わり譚である。

    年恰好は似ているが、二人の性格、能力はかなりちがう。坊ちゃん育ちの貴族はプライドの高いわりに肉体的には脆弱で何かというと弱音を吐く。一方、泥棒は知力、胆力、身体能力共に高く、人を差配するのに秀で、農業全般に詳しく経営の才能にも恵まれている。世が世であれば、泥棒の方が貴族の若殿にふさわしいのは誰の目にも明らかだ。泥棒が、貴族に成りすまし、娘を助けて領地を管理してやろうと考えるのも理解できる。

    ヴァルター・ベンヤミンの『子どものための文化史』に「昔のドイツの強盗団」という話がある。泥棒のなかには王や皇帝といった権力者に楯突き、仲間内ではきちんとした盟約を交わした騎士団のような強盗団があったことを子どもたちに教える内容だが、ちょうどこの話の泥棒が悪禍男爵率いる龍騎兵と対抗するために首領に納まるのが、そうした強盗団のひとつである。いくつもある誓約の中には仲間を売らないという重要な一項がある。女の嫉妬がそれを破らせることで泥棒貴族の悲運が生じるのだが、それはもっと後の話。

    美しい娘のことが頭から離れない泥棒は貴族との約束を反故にし、スウェーデンには行かずに盗賊団を率いて荒稼ぎをし資金ができたところで解散する。そうして娘のところに行き、自分があのクリスティアンだと名乗り、領地を監督、いつしか領民に<スウェーデンの騎士>と呼ばれるようになる。二人の間には可愛い娘クリスティーネもでき、幸福の絶頂にいるとき、昔なじみの盗賊二人が現れる。正体がばれそうになった泥棒は泣く泣くスウェーデン王の許に馳せ参じるためと偽って、家族のもとを去り、自分を陥れようとする昔の女を訪ねるのだった。

    世界が今ほど固定化しておらず、未分化で混沌としていた時代。権力者としての王が君臨していても、それ以外にも地上の権力者は多数いて、治外法権に守られ、鉱山から産出される富で贅沢三昧する僧正、裁判権を手にし、好き放題に罪人を狩る悪禍男爵、強盗団の首領黒イビツ、といずれも手強い面々が群雄割拠しているシレジアの地。アルカヌムという羊皮紙でできた呪符に幸運を呼ぶ効力があり、体の傷みは呪いの言葉が癒すと信じられている時代である。年に一度煉獄からよみがえる粉屋の主人のような不審な人物も登場すれば、天使による天上での裁判の場面さえ描かれる。そういう場面には幻想小説の気味がないとも言えないが、異能の泥棒が盗賊団の首領から<スウェーデンの騎士>と呼ばれる貴族にまで成り上がるこの話はやはりピカレスク伝奇ロマンの名が相応しかろう。

    「序言」で、この話はマリア・クリスティーネというデンマーク王国顧問官にして特命公使夫人の回想録をもとにしていることをことわっている。六歳の頃<スウェーデンの騎士>と呼ばれた父は母の懇願を無視して戦場に赴いたが、その後も何度か深夜に娘クリスティチーネの窓辺を訪れた。しかし、使いの者の報せによれば、父は三週間前に名誉の戦死を遂げていたという。では、二日前に父と会ったあれは夢だったのか。母は、お父さまのために『我ラノ父ヨ』を祈っておあげ、といったが、父の死を信じられない娘は、ちょうど表の街道をゆく葬列のために『我ラノ父ヨ』を唱えたのだ。この序言に示された不可思議の謎解きは最後に明かされる。いかにも悪漢小説(ピカレスクロマン)にふさわしい幕切れとなっていると思う。

  • おんもしろいわあ。時代物なんだけど、作者の若々しい活力溢れる文章にワクワクが止まらない。この読みやすさは作者の読む側への敬意とともに、ものがたりを共有する楽しさを何よりも大切に思っているからだろう。現在では見かけない紙芝居屋さんを思い出した。紙芝居屋さんも、子供達から発せられるワクワクが何よりも好物だったのだと思う。

  • 軍を脱走した青年貴族と追われる市場泥棒の男。
    青年貴族の許嫁に恋をした男は悪事を働き金を貯めて青年貴族に成りすまし許嫁の許へ。幸せに暮らしてめでたしめでたしかと思いきや過去の悪事が男を引きずり降ろし…と言うピカレスク小説。
    キリスト教と民間信仰の呪いが共存する17世紀の混沌の中で繰り広げられる物語はとても魅力的で主人公の名前すら明かされない男の心の動きに引き込まれました。
    『序言』で書かれた戦場にいるはずの父が夜に会いに来る子供の頃の出来事の真相が最後に明かされる場面、たった2回しか登場しないのに強烈な印象の『死んだ粉屋』等々、怪奇とミステリの入り混じった物語でした。

  • タイトルは「スウェーデンの騎士」であるのに、目次をみると「泥坊」「教会瀆(けが)し」「名無し」などととあり、群像劇なのかと思った。
    が、これはまぎれもなく一人の男の人生の物語だった。

    生きていく手段が『悪』と言われるものだっただけで、主人公の心は決して穢れてはいない。
    たった一つ、罪のない人間を陥れることになった経緯も、それを人でなしと断罪できる人はよほどの善人だけだろう。(あるいは自分のことを棚上げできる人。あれ?結構いるかも)

    『悪』を生業にしている主人公は、基本的に真面目で勤勉でストイック。
    だから彼の人生の変遷を、手に汗を握りながら、しかし心は彼に寄り添って読み進めることになる。

    17世紀。
    ヨーロッパはとっくにキリスト教の世界になっているはずなのに、「まじない」といわれる呪文も当たり前に存在する。
    世界はそこに見えているものだけではなく、時間は一方通行ではない。

    善悪の二元論では語りきれない、幾重にも重なった価値観の世界の中で、幸福を追い求めて生きる主人公は、ディケンズの作品の中にいてもおかしくないくらい魅力的。
    そんなに厚い本ではないけれど、読みごたえも充分。

  • 面白いことは面白いが、プロットもディテールもちょっと物足りない。あと、短い。

  • 18世紀初頭、北方戦争の余波をかぶるシレジアで、行き合った二人の若者が身分を交換する。泥坊は盗賊団の首領になり、思い人と領地を手に入れ、貴族の息子は鉱山での奴隷労働の後、スウェーデン王の下で武勲をあげる。どちらもそれぞれに望み破れ、それぞれに望みかなえる。綯い合わされた運命の巧妙さ、最後にぴたりとピースの嵌まる精巧な寄木細工の小気味よさ、それぞれにへなちょこでそれぞれに弁がたち、それぞれに執心するものを持つ魅力的な登場人物たち、うんざりするような田舎の現実主義とまじりあった魔術やまじない、超自然のものたちの不思議、それらがさらっと250ページそこそこの尺におさめる才。よい物語。

  • 1701年冬、シレジアの雪原を往く二人の男。軍を脱走し北方戦争を戦うスウェーデン王の許へ急ぐ青年貴族と、〈鶏攫い〉の異名をもつ逃走中の市場泥坊――全く対照的な二人の人生は不思議な運命によって交錯し、数奇な物語を紡ぎ始める。泥坊が一目で恋におちる美しい女領主、龍騎兵隊を率いる〈悪禍男爵〉、不気味な煉獄帰りの粉屋、〈首曲がり〉〈火付け木〉〈赤毛のリーザ〉をはじめとする盗賊団の面々ら、個性豊かな登場人物が物語を彩り、波瀾万丈の冒険が展開されるピカレスク伝奇ロマン。

  • レオ・ペルッツ中期の代表作と言われる作品。
    国書刊行会から刊行されたペルッツ作品としては3冊目となる本作は、ミステリ的な構造を持っていて、幻想小説というよりはサスペンスに近い。
    冒頭の印象的なシーンがラストで繰り返されるが、物語を追ってから再び読むと、強い余韻を残した。
    既に出ている他の作品と比較しても、本作はエンタテイメント性が強く、一番とっつきやすいのでは?

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著者プロフィール

レオ・ペルッツ(Leo Perutz)
1882年プラハ生まれ、ウィーンで活躍したユダヤ系作家。『第三の魔弾』(1915)、『ボリバル侯爵』(20)、『最後の審判の巨匠』(23)、『スウェーデンの騎士』(36)など、幻想的な歴史小説や冒険小説で全欧的な人気を博した。1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合によりパレスティナへ亡命。戦後の代表作に『夜毎に石の橋の下で』(53)がある。1957年没。

「2022年 『テュルリュパン ある運命の話』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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