恋と夏 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

制作 : William Trevor  谷垣 暁美 
  • 国書刊行会 (2015年6月1日発売)
4.22
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  • レビュー :18
  • Amazon.co.jp ・本 (294ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336059154

作品紹介

〈ウィリアム・トレヴァー・コレクション〉(全5巻)刊行開始!
20世紀半ば過ぎのアイルランドの田舎町ラスモイ、孤児の娘エリーは、事故で妻子を失った男の農場で働き始め、恋愛をひとつも知らないまま彼の妻となる。そして、ある夏、一人の青年フロリアンと出会い、恋に落ちる――究極的にシンプルなラブ・ストーリーが名匠の手にかかれば魔法のように極上の物語へと変貌する。登場人物たちの現在と過去が錯綜し、やがて人々と町の歴史の秘められた〈光と影〉が浮かび上がり……トレヴァー81歳の作、現時点での最新長篇。

恋と夏 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)の感想・レビュー・書評

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  • ご飯を食べたらお腹がいっぱいになるように、夜更かししたら眠くなるように、恋に落ちた人の症状はみんなこれなんだな、と思った。数週間会わないくらいじゃ全然その人のことが頭から離れないとか、自分の人生がその一時点でまったく変化してしまったように感じるとか。

    トレヴァー爺はいちいち真芯を捉えて打ってくるので金槌でゴツゴツ叩かれているような息苦しさがある一方、ラスモイ一帯の美しい風景(二人が待ち合わせる場所がすてき)、住まいの在り様から想像される登場人物たちの佇まいなど、長編ならではのふくらみのある描写を楽しめた。

    それにしてもエリーはとてもいい子だ。自分が間違ったことしてる、自分は弱いって思えるところ、ディラハンにつっけんどんな口をきいてしまって自己嫌悪になるところ、そうだねそうだねって思った。ディラハンも口数は少ないけれど必要なことは言葉に出して伝えられる、誠実ないい人だ。

    それに引き換えフロリアンは優しくてダメな男の典型。こういう「愛されることを愛する」タイプの人がまき散らす害悪を最小限に抑えるにはどうしたらいいんでしょうね? 知らないけど。

    ディラハンとエリーが幸せな夫婦になれますように。フロリアンおまえは野垂れ死んでいいよ!

  • フロリアン(自己中、高等遊民)はエリーに、なぜ正直に“創作意欲が湧いてきたんで、やっぱりひとりで行きたいんだ”と言わなかったのかな…と、思ったら最後の別れ際に「ぼくを嫌いにならないでくれ」マジか⁉兄ちゃん(゚Д゚;) まさしく自己中男ならではのセリフだな。

    ミス・コナルティーが、こども部屋を妄想する。エリーの生むかも知れない子供と、自身の生むことが許されなかった子供を重ね合わせているのか…。このシーンが一番好きだ。

    アイルランドの風景描写が素晴らしかったのと、ラスモイの人たち(みんなのさりげない優しさがメチャいい)に愛着が湧いたので☆5

  • あまりにも素晴らしくて、読み終えてから、ため息しか出てこない。
    こんな小説を書けるんだ。しかも80歳過ぎの、しかも男性で、この静かな瑞々しさは一体なんだ。

    悪者は誰もおらず、結末も、途中からもうこれしかないよなーと思って納得するしかないのだけれど、鮮やかで活き活きとして確かな愛の記憶と、どうすることも出来ない悲しさと、それに加えてどんな人も1人1人が背負う人生の重さとが、それはもう濃く濃く渦巻きながら、物語を練り上げていく。

    まいりました。。。

    (小説家が80歳ともなれば、ここまで、この極みにまで到達してほしいものである…などとも、勝手にあれこれの小説家を思い浮かべながら思ってしまったのであった)

  • いつものトレヴァーのように抑制の効いた静かな物語が進んでいくかと思いきや、後半ではハラハラさせられる。
    ヒロインと写真家の関係と、
    田舎街の人間たちの心理描写が重なりあって、コミュニティ自体が生き物のように感じる。
    あたたかく切ない余韻の残る名作です。

  • 非常に抑制された文章。なのに溢れるほどの詩情がある。
    手放される屋敷、不幸な事故があった農家、田舎の商店街、地元の有力者の邸宅。そして主の消えた豪邸。景色や建物だけでなく、描かれた人々すべてが、はっきりとした姿で浮かんでくる。すべての人物が心に孤独と苦しみを抱えながら、それを人のせいにせず、公にもしない。それだけに深い悲しみが伝わってくる。
    頭のおかしくなった司書が、自身で意識してはいないのに、物語を大きく動かす役割を果すというのが、本当にうまい。
    アイルランド人は日本人に似ている気がする。
    訳者によるアイルランドの歴史の解説で更に理解が深まった。
    切ない、清冽な恋愛小説。

  • フロリアン・キルデリーの両親は画家だった。親は息子に期待したが、彼にその種の才能はなく、両親の死後相続した十二部屋もある屋敷を保持する経営の才能もなかった。借金返済のために売り払ってしまい外国にでも旅立とうと考えていた。そんな時、部屋の隅で埃をかぶっていたライカを見つけ、両親はどうして写真という芸術があることに気がつかなかったのか、と思いついたフロリアンは、写真を撮ろうと訪れたラスモイの町でエリー・ディラハンに出会った。

    エリーは修道院で育ち、ディラハンの農場に雇われたあと、その後添いに修まっていた。孤児だったエリーには他に選ぶ道はなかったのだ。ディラハンは自らの過失で妻と子を亡くした過去を持つ男だが、実直で働き者だった。結婚したあともエリーの毎日は変わらなかった。帳簿を整理し、週に一度自転車でラスモイまで行き、用事を片づける。変わったことといえば夜のことだけだったが、二人には子どもができなかった。

    エリーは一目見た時からフロリアンのことが頭から離れなくなってしまう。修道院暮らしのあとすぐに農場に入り、男は今の夫が初めてで恋などしたことがなかった。イタリア貴族の血を引く細い指先の男などはじめて見ただろう。初恋に胸を焦がす若い娘の気持ちに肩入れしたくなるのだが、夫が嫌な奴ならまだしも、真面目で面白みはないが仕事振りといい、妻への気遣いといい、好い奴なのだ。フロリアンの方も満更ではない様子で、二人は人目を忍び逢瀬を交わすようになる。

    そんな二人を街角で見つけ、ただならぬ気配を感じたのが商用の旅行者用宿泊所、広場四番の館を経営するミス・コナルティーだった。母親を弔ったばかりのミス・コナルティーには母に愛された記憶がなかった。ずっと無視され続け、妻のある男との間にできた子は有無を言わせず取り上げられた。そんなミス・コナルティーはエリーの行末を案じ、弟に命じて男を追い払おうとする。弟はしかし姉の心配を真剣に取り扱おうとはしない。姉以外に町で二人の姿を見た者などいないのだ。

    いや、実は一人だけいた。長い間リスクィンのセントジョン家の図書目録係をしていたオープン・レンだ。年老いて今は記憶が不鮮明になりつつあり、通りすがりの人をつかまえては長談義に耽る町の名物男である。レンは、たまたま町で見かけたフロリアンを長い間町を離れていた雇い主である名家の跡継ぎと勘ちがいしてしまう。この人違いが、デウス・エクス・マキナとなり、物語は思わぬ方向へと進んでゆく。

    長くイギリスの支配を受け、独立のための戦いを経て、やがてアイルランド共和国となる国の歴史を背景に、没落した領主層の末裔と、貧困の中から地道に精進を重ね、少しずつ農地を獲得してゆく民衆の間に生じた恋愛沙汰は、よくある「ひと夏の経験」を描くもの。やがて立ち去ることになる町での行きずりの恋を楽しむ男に対し、女は自分の生のすべてを賭けて相対峙する。まっすぐな気性の女は、自分の恋の理不尽であること、夫に対する裏切り、神に背くことを悩み、恐れ、恥じるが、思いは止み難い。

    誰もが顔見知りであるような田舎町のこと。二人が逢引きに使うのは町外れのラヴェンダーが咲き乱れるかつてのリスクィンの屋敷跡、あるいは売りに出されて家具もなくがらんとした在り様のフロリアンの屋敷だ。どちらも移り変わる時代についてゆけなくなった階層のかつての夢の跡であり、この恋の行方が暗示されている。仕事に行く夫を送り出したあと、エリーは自転車を駆って約束の場所へ急ぐ。よろめきドラマの王道だが、初めて恋を知った若い娘の行動だと思うとちょっと応援したくなる。

    しかし、男には未来に対する展望がない。才能がないのではない。幼馴染みのイザベラには物書きとしての素質を認められ、励まされたこともあったのだ。問題は才能のあるなしではなく、がむしゃらに何かに一生懸命になることのできない薄志弱行の性格にある。金に不自由のない家に育った者特有の生きる力の弱さだ。だからひたむきに迫るエリーを前にしてだんだん腰が引けて行く。エリーの思いを受け止められないくせにずるずると関係を続けるフロリアンというのは傍目から見ればとんでもない奴だが、いるよねえ、こんな奴。とても他人事と思えない。こんな男と駆け落ちなどしたって幸せになどなれっこない。今となってみればミス・コナルティーは慧眼だった。しかし、エリーは自転車に乗る大きさのスーツケースを町で新調する。はてさてどうなることやら。

    古典的な風格をそなえたラブ・ロマンス。とても八十歳の老人の筆になるものとは思えないみずみずしさに溢れている。特に、アイルランドの田舎の人々の日々の付き合い、植物や動物の生き生きした姿、特に豪華ではないが、地の人々が愛する食べ物や飲み物がふんだんに登場するところなど、じっくりと読む楽しみをあたえてくれる。ひと夏、アイルランドの片田舎に滞在し、町の人々と知り合い、ともに酒などを飲み、歌を歌い、ダンスに興じ、ときには噂話に花を咲かせたあと、秋の訪れとともに静かに町を去る。そんな思いに誘われる愛すべき作品である。

  • 10年ほど前に『密会』という短編集を読んだ。
    この著者が、「現代のチェーホフ」「英語圏で現存する最高の短編作家」と言われていると知り、他の作品も読んでみたいと思っていた。

    たまたま図書館の棚にあったのは、短編ではなく長編、それも2009年に発表され、日本では2015年に出版された著者が81歳で書いたもの。

    孤児院で育ち、やもめの農夫のところへ住み込みの使用人として入り、求婚されて妻になったエリーと両親が暮らしていた屋敷を処分するためにやってきたフロリアンが出会う。エリーにとっては恋で、フロリアンにとっては恋というよりも友情に近いものが始まる。フロリアンはエリーに想いを寄せはするけれど、いとこのイザベラを愛している。彼はきっともう二度とイザベラに会えないから、他の誰も愛さないだろう、な。
    昔、町の名家の図書室を管理しており、今は年老いて町を徘徊するオープン・レンがエリーとエリーの夫ディラハンそれぞれに語った話をそれぞれが違うように受け取ったことで却ってエリーを踏みとどまらせる、このひねり方が、分からないけど、トレヴァーっぽいんじゃないかな。

  • 驚いた。トレヴァーがこんな話を書くなんて。なんて瑞々しさに溢れた作品なのだろう。絵画で例えるならモネの日傘を差す女だろうか。冒頭から特徴的なのがカメラで捉えたかの如く圧倒的な風景描写だ。トレヴァーは精緻な描写で戦争の過ぎ去ったアイルランドの中庸な町'ラスモイ'の風景とそこに住む人々の内面を描き出し、次にそのカメラのピントを語られない過去を持つ何人かの人物に切り替え、深くフォーカスしてゆく。これは少女と青年の平凡なひと夏の恋の物語ではない。キルモイと言う町とそこに住む人々の滔々とした営みの物語なのだ。

    この物語のエンディングで1人の青年がアイルランドを後にする。アイルランドは次第に船から遠ざかってゆき、海から顔を出す岩だけになる。その岩さえも海の彼方へと消えてゆく。私にはこの描写がアーサー王伝説で海の彼方へと消えてゆく話とどうにも被っているのではないかと思ってしまう。意図的にトレヴァーが生前最期の最期のパラグラフとしてこのエピソードを選んだのではないか…と。私の考えすぎなのだろうか?

  • やや、ありがちともいえる物語が、綺麗な文章と脇役や設定の細やかな配置によって、とても輝いて感じられました。

  • 恋を知らずに結婚してしまった若い主婦
    昔の想い人がずっと心にいる青年との
    ひと夏の恋愛、過去を悔いながら生きる夫
    二人の恋愛に過去の自分を重ねる隣人の女性
    街をさまよいながら昔の主の帰りを待つ老人

    アイルランドの自然の中で彼らのひと夏が
    淡々としながら瑞々しく描かれていた

    主婦エリーが恋に落ちる前後が最高に良かった
    81歳の男性が書いた小説という事実にビックリです

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