恋と夏 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

  • 国書刊行会 (2015年6月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 (298ページ) / ISBN・EAN: 9784336059154

作品紹介・あらすじ

〈ウィリアム・トレヴァー・コレクション〉(全5巻)刊行開始!
20世紀半ば過ぎのアイルランドの田舎町ラスモイ、孤児の娘エリーは、事故で妻子を失った男の農場で働き始め、恋愛をひとつも知らないまま彼の妻となる。そして、ある夏、一人の青年フロリアンと出会い、恋に落ちる――究極的にシンプルなラブ・ストーリーが名匠の手にかかれば魔法のように極上の物語へと変貌する。登場人物たちの現在と過去が錯綜し、やがて人々と町の歴史の秘められた〈光と影〉が浮かび上がり……トレヴァー81歳の作、現時点での最新長篇。

感想・レビュー・書評

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  • あの恋を思い出せばラスモイの夏の景色が目に浮かぶ。
    毎年夏がやってくるたびに思い出すのはあのひととの恋。

    この恋がひと夏の恋ではないこと。
    だから──恋と夏。


    そうだ、恋のはじまりってこんな感じ。
    誰かとおしゃべりしていても、頭のなかはずっと彼のことを思ってる。彼の声、笑顔、彼との会話、何度も何度も思い返す。
    彼の背後に流れる風景。いつもと同じなのにいつもと違う。
    誰かのおしゃべりは続く。
    初めての気持ち。私、恋してる。

    誰かを忘れられないまま恋することは罪ですか。
    初めて恋をしたのが、あの人だったことは罪ですか。

    それならば罰は一体なんだというのでしょう。
    突然の恋の終わり。それは罰ではありません。
    私たちに罰が与えられるとするならば、それは夏が来るたびにこの恋を思い出すことでしょう。
    生きているあいだ、ずっと。ずっと。
    嫌いになんかなれるはずがないのだから。

    誰もが経験するかもしれない、誰にもひみつの恋。美しいアイルランド景色と、ラスモイの優しい人々のあいだで、ささやかに恋は生まれ、ささやかに消えていく。

    こんなにも初々しい恋を瑞々しく、そして端正な文章で描かれたなら、そしてそれをこの季節に読んでしまったのだから、私ももう、この恋を忘れることができなくなったじゃないか。

  • 舞台は20世紀半ばのアイルランド。恋愛を知らずに結婚したエリーが、ある夏、青年フロリアンと出会い、恋に落ちる。
    初めての恋がみずみずしく、そして、誰のことも裁かずに描かれていて、よかった。
    登場人物のなかでは、オープン・レンが一番印象的だった。

  • ご飯を食べたらお腹がいっぱいになるように、夜更かししたら眠くなるように、恋に落ちた人の症状はみんなこれなんだな、と思った。数週間会わないくらいじゃ全然その人のことが頭から離れないとか、自分の人生がその一時点でまったく変化してしまったように感じるとか。

    トレヴァー爺はいちいち真芯を捉えて打ってくるので金槌でゴツゴツ叩かれているような息苦しさがある一方、ラスモイ一帯の美しい風景(二人が待ち合わせる場所がすてき)、住まいの在り様から想像される登場人物たちの佇まいなど、長編ならではのふくらみのある描写を楽しめた。

    それにしてもエリーはとてもいい子だ。自分が間違ったことしてる、自分は弱いって思えるところ、ディラハンにつっけんどんな口をきいてしまって自己嫌悪になるところ、そうだねそうだねって思った。ディラハンも口数は少ないけれど必要なことは言葉に出して伝えられる、誠実ないい人だ。

    それに引き換えフロリアンは優しくてダメな男の典型。こういう「愛されることを愛する」タイプの人がまき散らす害悪を最小限に抑えるにはどうしたらいいんでしょうね? 知らないけど。

    ディラハンとエリーが幸せな夫婦になれますように。フロリアンおまえは野垂れ死んでいいよ!

  • 美しい情景とひとびとから滲むさびしさはまるでアンゲロプロスのとる画のようで、虚へとむかう焦燥と衰亡の美しさだった。
    靄のなかをすすんでゆくようなロマンチックでミステリアスなかんぺきなストーリーテリング。秘密めいた恋心に、眠っていた情がゆりおこされる。伝えられない想いがわたしをうめていって、ふいに零れる。実らない恋が、いちばん美しく世界の淵で、わたしを踊らせた。恋は実らずに、とおりすぎてゆくほうがいいから。果実のようにやがておちて、朽ちてゆくから。けれどそのほうが、躊躇いもなく捨て去ることができるのだけれど。


    「ずっと残っていくものがあってほしい。身じろぎや震えや、自分の怒りのうちのいまだ宥められていない部分はいつまでも消えないでほしい、と彼女は願っている。」

    「この夜のひとときが彼女にとっての至福の時間だ。十分なものを手にしていて、それ以上のものを求めるつもりはない。」

  • 特筆すべきは作者の優れた洞察力。
    彼にかかれば老若男女、あらゆる人物の人生が現実のこととして読者の身に降りかかってくる。
    生活の描写が細かく、丁寧なので、映画のスクリーンのように情景が浮かび上がってくる。(細かすぎて、いささか長く感じてしまうことは否めないが…)
    夏という季節が与える懐古的な魅力、エモーショナルさは万国共通な感覚なのだろうか。
    80歳の男性作者が織りなす恋物語は、淡くて甘さは微かで、ビターなほろ苦さがある。御伽噺ではなく、どこまでも現実的な恋物語。それ故、エリーとフロリアンの恋は、理性を失わせる程ではなく、どこかお互いに引いてしまうところがあったりする。こちらとしては、ともすればヤキモキしてしまう登場人物たちの感情は、どこまでもリアルな人間を描いているからこそのものなのだ。達観した巧みな人間描写に、思わず唸ってしまう。
    エリーとディラハンの会話は見事だった。はっきりと文字にはしないからこそ、滲み出てくる登場人物の苦悩。夜の静けさと、涼やかさの演出。
    訳者のあとがきにもあったけど、登場人物と場所の結び付けと描写がとても上手い。
    ウィリアム・トレヴァーとの出会いは期せずして長編の、しかも2015年時点での最新と銘打たれている本作だけれど、短編の人でもあるらしいから、早速「異国の出来事」も読んでみたい。
    余談だけれど、北欧、帽子ときて、そのイメージにまんまと引きずられ、フロリアンのイメージはスナフキン。安直かも知れないけれど、私の中ではスナフキン。

  • フロリアン(自己中、高等遊民)はエリーに、なぜ正直に“創作意欲が湧いてきたんで、やっぱりひとりで行きたいんだ”と言わなかったのかな…と、思ったら最後の別れ際に「ぼくを嫌いにならないでくれ」マジか⁉兄ちゃん(゚Д゚;) まさしく自己中男ならではのセリフだな。

    ミス・コナルティーが、こども部屋を妄想する。エリーの生むかも知れない子供と、自身の生むことが許されなかった子供を重ね合わせているのか…。このシーンが一番好きだ。

    アイルランドの風景描写が素晴らしかったのと、ラスモイの人たち(みんなのさりげない優しさがメチャいい)に愛着が湧いたので☆5

  • あまりにも素晴らしくて、読み終えてから、ため息しか出てこない。
    こんな小説を書けるんだ。しかも80歳過ぎの、しかも男性で、この静かな瑞々しさは一体なんだ。

    悪者は誰もおらず、結末も、途中からもうこれしかないよなーと思って納得するしかないのだけれど、鮮やかで活き活きとして確かな愛の記憶と、どうすることも出来ない悲しさと、それに加えてどんな人も1人1人が背負う人生の重さとが、それはもう濃く濃く渦巻きながら、物語を練り上げていく。

    まいりました。。。

    (小説家が80歳ともなれば、ここまで、この極みにまで到達してほしいものである…などとも、勝手にあれこれの小説家を思い浮かべながら思ってしまったのであった)

  • 中心となる物語が動き始めるのは、100頁を超えてから。それまでは、アイルランドの田舎町で日々起きる、傍から見たら何でもない、でも、当事者にとってはとても重大な、こまごまとした出来事が、周りの自然の音や匂いとともに、ち密に描かれる。

    この、助走のような部分を、少しの忍耐をもって伴奏すれば、いざ物語が動き出したときには、行ったことも見たこともないアイルランドの田舎町の、ある夏のひと時に、完全に自分を没入させることが出来る。

    そしていざ動き出す、既婚女性エリーと青年フロリアンの淡い恋。出会った頃から、ハッピーエンドはなさそうな予感がひたひたと感じられるからこそ、2人の関係がうまくいってほしいと思うもどかしい気持ちが、頁をめくるごとに募っていく。

    81歳の男性が書いたとは思えない、女性の心理描写のなんと巧みなことよ。

  • 懐古趣味的パーツだけで組み上げながらも何らかの現代性を感じさせて行く、という作風。小説の成熟の一つのかたちと呼べばいいのだろう。

    人は幼い恋、愚かな恋、自分本位な恋を経てやっと人を愛する事が出来る様になるものだ。孤児であり、修道院からお嫁入りしたヒロインにはそんな経験を持つ機会があるはずもなく、遡る様にしてそれを体験することになる。

    それぞれの過去を抱えた田舎町の人々の中で、物語は淡く進んでいく。
    カメラはそれらを群像劇として、どこにも肩入れする事無く、そのいびつさを裁くこともなく、淡々と優しく見守って行く。

    小説というものはボヴァリー夫人を殺す事もできるが、救う事もできるのである。
    本作はそれら救われる事のなかった過去のヒロインたちへ差し伸べた手のようなものではないのか。

    現代性とは、そこにあるのだとも思うし、読者はここで大人の視点、というものを学ぶ事にもなる。
    相手の男、フロリアンの幼さは、ヒロインの中に眠る幼さを引き出し、消費させ昇華させる為の触媒なんですね。

    全体としては非嫡出子、そしてその母親の救済、というテーマが何重にも奏でられる。
    まず夫婦に子供が出来ない事が愛に至っていない事のメタファー(安易だけど)。そして家畜の種付けがやってくるのはちょっとあからさま過ぎる暗示。そして他、もろもろの村の暗い過去があり、最後には力強い宣言がある。そられはすべて、物語の終了後のある一点へと向かっていると言える。

    それは、物語の後にはどちらの子かわからない子供が産まれるが、温かく迎えられるのだろう、という事。
    主人公自体が、捨てられた非嫡出子であり、また村全体がそうした望まぬ妊娠や、堕胎、或いは事故で死んだ子などの暗い過去を持っている。それらを全て物語の外で、産まれる子とその母の運命に託して、救っているのだと思える。

    つまり、これは意図的な「妊娠小説」の書き換えなのではないのだろうか。そんな風に思った。

  • いつものトレヴァーのように抑制の効いた静かな物語が進んでいくかと思いきや、後半ではハラハラさせられる。
    ヒロインと写真家の関係と、
    田舎街の人間たちの心理描写が重なりあって、コミュニティ自体が生き物のように感じる。
    あたたかく切ない余韻の残る名作です。

  • 非常に抑制された文章。なのに溢れるほどの詩情がある。
    手放される屋敷、不幸な事故があった農家、田舎の商店街、地元の有力者の邸宅。そして主の消えた豪邸。景色や建物だけでなく、描かれた人々すべてが、はっきりとした姿で浮かんでくる。すべての人物が心に孤独と苦しみを抱えながら、それを人のせいにせず、公にもしない。それだけに深い悲しみが伝わってくる。
    頭のおかしくなった司書が、自身で意識してはいないのに、物語を大きく動かす役割を果すというのが、本当にうまい。
    アイルランド人は日本人に似ている気がする。
    訳者によるアイルランドの歴史の解説で更に理解が深まった。
    切ない、清冽な恋愛小説。

  • 恋を知らずに結婚してしまった若い主婦
    昔の想い人がずっと心にいる青年との
    ひと夏の恋愛、過去を悔いながら生きる夫
    二人の恋愛に過去の自分を重ねる隣人の女性
    街をさまよいながら昔の主の帰りを待つ老人

    アイルランドの自然の中で彼らのひと夏が
    淡々としながら瑞々しく描かれていた

    主婦エリーが恋に落ちる前後が最高に良かった
    81歳の男性が書いた小説という事実にビックリです

  • トレヴァーの端正な文章によって綴られる恋。「一夏の恋」とは陳腐なようで夏と言えば恋。読んだのも夏だが、日本の不快な酷暑と違い、アイルランドの夏はトレヴァーの文章ごと涼やかで、透明な日差しが牧場の緑や花や犬たちに降り注ぎ、古いお屋敷の壁を温める、生き生きとした季節だった。羨ましい。
    初めて恋を知る無防備なエリー、根無し草としてフラフラしながら恋されることを楽しむフロリアン、若い二人の恋は瑞々しいが儚さが運命づけられている。
    彼らの周囲にいるのは、より長い人生のなかで暗く重い記憶を背負った人々だ。妻子を死なせた負い目を抱く夫、不倫の苦い記憶に縛られる中年女性、老いによる混迷に陥っている老人、彼らの人生と想いを浮き彫りにしつつ、「道ならぬ恋」を取り巻き見つめている。
    表紙のハンマースホイの絵がぴったり。

  • フロリアン・キルデリーの両親は画家だった。親は息子に期待したが、彼にその種の才能はなく、両親の死後相続した十二部屋もある屋敷を保持する経営の才能もなかった。借金返済のために売り払ってしまい外国にでも旅立とうと考えていた。そんな時、部屋の隅で埃をかぶっていたライカを見つけ、両親はどうして写真という芸術があることに気がつかなかったのか、と思いついたフロリアンは、写真を撮ろうと訪れたラスモイの町でエリー・ディラハンに出会った。

    エリーは修道院で育ち、ディラハンの農場に雇われたあと、その後添いに修まっていた。孤児だったエリーには他に選ぶ道はなかったのだ。ディラハンは自らの過失で妻と子を亡くした過去を持つ男だが、実直で働き者だった。結婚したあともエリーの毎日は変わらなかった。帳簿を整理し、週に一度自転車でラスモイまで行き、用事を片づける。変わったことといえば夜のことだけだったが、二人には子どもができなかった。

    エリーは一目見た時からフロリアンのことが頭から離れなくなってしまう。修道院暮らしのあとすぐに農場に入り、男は今の夫が初めてで恋などしたことがなかった。イタリア貴族の血を引く細い指先の男などはじめて見ただろう。初恋に胸を焦がす若い娘の気持ちに肩入れしたくなるのだが、夫が嫌な奴ならまだしも、真面目で面白みはないが仕事振りといい、妻への気遣いといい、好い奴なのだ。フロリアンの方も満更ではない様子で、二人は人目を忍び逢瀬を交わすようになる。

    そんな二人を街角で見つけ、ただならぬ気配を感じたのが商用の旅行者用宿泊所、広場四番の館を経営するミス・コナルティーだった。母親を弔ったばかりのミス・コナルティーには母に愛された記憶がなかった。ずっと無視され続け、妻のある男との間にできた子は有無を言わせず取り上げられた。そんなミス・コナルティーはエリーの行末を案じ、弟に命じて男を追い払おうとする。弟はしかし姉の心配を真剣に取り扱おうとはしない。姉以外に町で二人の姿を見た者などいないのだ。

    いや、実は一人だけいた。長い間リスクィンのセントジョン家の図書目録係をしていたオープン・レンだ。年老いて今は記憶が不鮮明になりつつあり、通りすがりの人をつかまえては長談義に耽る町の名物男である。レンは、たまたま町で見かけたフロリアンを長い間町を離れていた雇い主である名家の跡継ぎと勘ちがいしてしまう。この人違いが、デウス・エクス・マキナとなり、物語は思わぬ方向へと進んでゆく。

    長くイギリスの支配を受け、独立のための戦いを経て、やがてアイルランド共和国となる国の歴史を背景に、没落した領主層の末裔と、貧困の中から地道に精進を重ね、少しずつ農地を獲得してゆく民衆の間に生じた恋愛沙汰は、よくある「ひと夏の経験」を描くもの。やがて立ち去ることになる町での行きずりの恋を楽しむ男に対し、女は自分の生のすべてを賭けて相対峙する。まっすぐな気性の女は、自分の恋の理不尽であること、夫に対する裏切り、神に背くことを悩み、恐れ、恥じるが、思いは止み難い。

    誰もが顔見知りであるような田舎町のこと。二人が逢引きに使うのは町外れのラヴェンダーが咲き乱れるかつてのリスクィンの屋敷跡、あるいは売りに出されて家具もなくがらんとした在り様のフロリアンの屋敷だ。どちらも移り変わる時代についてゆけなくなった階層のかつての夢の跡であり、この恋の行方が暗示されている。仕事に行く夫を送り出したあと、エリーは自転車を駆って約束の場所へ急ぐ。よろめきドラマの王道だが、初めて恋を知った若い娘の行動だと思うとちょっと応援したくなる。

    しかし、男には未来に対する展望がない。才能がないのではない。幼馴染みのイザベラには物書きとしての素質を認められ、励まされたこともあったのだ。問題は才能のあるなしではなく、がむしゃらに何かに一生懸命になることのできない薄志弱行の性格にある。金に不自由のない家に育った者特有の生きる力の弱さだ。だからひたむきに迫るエリーを前にしてだんだん腰が引けて行く。エリーの思いを受け止められないくせにずるずると関係を続けるフロリアンというのは傍目から見ればとんでもない奴だが、いるよねえ、こんな奴。とても他人事と思えない。こんな男と駆け落ちなどしたって幸せになどなれっこない。今となってみればミス・コナルティーは慧眼だった。しかし、エリーは自転車に乗る大きさのスーツケースを町で新調する。はてさてどうなることやら。

    古典的な風格をそなえたラブ・ロマンス。とても八十歳の老人の筆になるものとは思えないみずみずしさに溢れている。特に、アイルランドの田舎の人々の日々の付き合い、植物や動物の生き生きした姿、特に豪華ではないが、地の人々が愛する食べ物や飲み物がふんだんに登場するところなど、じっくりと読む楽しみをあたえてくれる。ひと夏、アイルランドの片田舎に滞在し、町の人々と知り合い、ともに酒などを飲み、歌を歌い、ダンスに興じ、ときには噂話に花を咲かせたあと、秋の訪れとともに静かに町を去る。そんな思いに誘われる愛すべき作品である。

  • ふむ

  • 無駄な言葉が欲しかった

  • 作者は80代。
    こういうのが書けるのが、驚き。

    出会いの順番が違っていたら…と思う一方で、ついて行ってもその恋は長続きするのかという捻くれた気持ちも。何年も同じ気持ちでいられるのだろうか。

    旦那さんは優しいし、これは捨てにくいよね。
    でも、好きでもないし。

    夏がきたら、彼を思い出す。
    そういう恋もあり。

  • 2018.12.08 図書館

  • 初読

    9月の曇りの日に読み終えるには最高の1冊だった。
    静謐かつ豊かな。

    訳者あとがきも完璧、
    「ある夏の恋」ではなく「夏と恋」
    個人の物語であり共同体の物語である。
    心の中の物語であり土地の物語である。

    オープン・レンがラストどう関わると思ったら。
    文章だけではなく、ストーリーテリングもお見事。

  • 恋だった
    そしてそれは夏だった
    忘れられない人だった

全30件中 1 - 20件を表示

著者プロフィール

Willam Trevor Cox 1928-2016.
1928年、アイルランド・コーク州生まれ。
本書はペンギン社版
トレヴァー短編集『After Rain』(1996)の全訳。
邦訳書に、
『同窓』
(オリオン社、鈴木英也訳、1981年)、
『リッツホテルの天使達』
(ほおずき書籍、後恵子訳、1983年)、
『20世紀イギリス短篇選 下 岩波文庫』
(「欠損家庭」(ウィリアム・トレヴァー)所収、
 小野寺健編訳、岩波書店、1987年)、
『フールズ・オブ・フォーチュン』
(論創社、岩見寿子訳、1992年)、
『むずかしい愛  現代英米愛の小説集』
(「ピアノ調律師の妻たち」(ウイリアム・トレヴァー)所収、
 朝日新聞社、柴田元幸・畔柳和代 訳、1999年)
『フェリシアの旅  角川文庫』
(アトム・エゴヤン監督映画化原作、角川書店、皆川孝子訳、2000年)、
『聖母の贈り物  短篇小説の快楽』
(国書刊行会、栩木伸明訳、2007年)、
『密会 新潮クレスト・ブックス』
(中野恵津子訳、新潮社、2008年)、
『アイルランド・ストーリーズ』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2010年)、
『恋と夏  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(谷垣暁美 訳、国書刊行会、2015年)、
『異国の出来事  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2016年)、
『ベスト・ストーリーズIII カボチャ頭』
(「昔の恋人 ウィリアム・トレヴァー」所収、
 宮脇孝雄 訳、早川書房、2016年)、
『ふたつの人生  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2017年)、
『ラスト・ストーリーズ』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2020年)ほか。



「2009年 『アフター・レイン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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