異国の出来事 (ウィリアム・トレヴァー・コレクション)

  • 国書刊行会
4.35
  • (8)
  • (7)
  • (2)
  • (0)
  • (0)
本棚登録 : 130
感想 : 10
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784336059161

作品紹介・あらすじ

〈ウィリアム・トレヴァー・コレクション 第2回配本〉 南仏の高級別荘地、自由奔放な妻はおとなしい従順な夫を召し使いのようにあしらっている。しかし……夫婦の中に潜む深い闇を描く「ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし」、一人の青年を愛した二人の少女が三十年後にシエナの大聖堂で再会する「娘ふたり」他、父と娘のきまずい旅、転地療養にきた少年とその母と愛人、新天地への家出、ホームステイ先での淡い恋、など様々な旅をめぐって静かな筆致で精密に綴られる、普通の人々の〈運命〉と〈秘密〉の物語。日本オリジナル編集による傑作選、全12篇収録。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • ウィリアム・トレヴァー初読。アイルランドの作家。本作は外国や旅行記を題材とした短編集。

    旅先をキーワードに人間性を描いた作品集。全体的にほろ苦く、単純なハッピーエンドはない。どの短編も前半はスロースタートで、語り手などが中盤以降に畳み掛ける感情の吐露が、物語を急加速させるイメージ。

    国書刊行会のシリーズ集が非常に欲しくなった。
    以下は作品別の感想。


    ○エスファハーンにて
    イランのエスファハーンに一人旅する男と女の話。それぞれ秘密があって、女は秘密を話し、男は上辺だけ繕い秘密は伏せたまま。結果、赤の他人にすら、旅先で一瞬しかすれ違わない相手にすら心の内を曝け出すことができない、何もない男がいた。と言う苦い話。

    ○サン・ピエトロの煙の木 ★おすすめ
    毎夏、イタリアに病気療養を行うために訪れる母と息子の話。ある夏、魅力的なフランス人が現れて状況に変化が生じる。母とフランス人が次第に親密になっていく様が良い。静かな文章なのだが、妙に扇情的で。

    ○版画家 ★おすすめ
    ある版画家が、フランスのマシュリの屋敷で暮らしていたときの話。その屋敷の主人との、一瞬の逢瀬を片時も忘れず。奥様も、その子供たちのことも大好きで裏切ることはできず、また妻と子を裏切らない主人だからこそ静かに愛する。静かな情景の中に狂おしいほどの想いが浮かぶ短編。

    ○家出
    若い娘と浮気をした夫を見限りイタリアへ行った妻の話。新天地のイタリアでの生活に満足し、若い娘に感謝するも、夫が病気になったため、捨てたと思ったものが返ってくる。離婚じゃなくて家出っていう題が見事。

    ○お客さん
    年に一度、島へ行く青年の話(おそらくスイス)。島では広大な農場を経営する中年夫婦と交流し、滞在の終わり頃に必ずホテルへ食事に誘う。食事中、違うテーブルで非常に無作法をした夫とその世話をする妻がおり、青年は妻に惹かれる。夫が寝ている横で妻と浮気する青年だが、妻はたんに夫に罰を与えたかっただけなようで、どこに行っても青年はお客さんだった、という話。

    ○ふたりの秘密
    パリに旅行に来た中年男性が、レストランで死んだと思われた幼馴染を見つける話。その幼馴染とは、ある夏に残酷な悪戯をした仲。二人きりの秘密がそのあとの人生にどう影響したか、静かに語られる。

    ○三つどもえ
    赤の他人のおじさんと同居している夫婦が、勧められたイタリア旅行の手違いでスイスまで来てしまった話。ユーモア溢れる話かと思いきや、実は遺産狙いの夫婦と嫌がらせをしたいおじさんの三つどもえだった、というオチ。

    ○ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし
     ★おすすめ
    南フランスの避暑地にたどり着いた夫婦の話。召使のように扱われる夫と、自由奔放に浮気を繰り返す妻に見えるが実は。。。純愛か、偏執か紙一重な気がする。

    ○ザッテレ河岸で
    妻に先立たれた父とその娘がイタリアへ旅行する話。妻の死を悼んでいないように見える父と、浮気の果てに何も残らない娘のすれ違いが切ない。

    ○帰省
    退学を命じられた少年とその学校の寮母が地元に帰省する列車の中での話。二人とも不幸せであり、帰省なんかしたくないと思っている。お互い二度と会うことがないとわかり、今まで胸に秘めていた鬱憤を爆発させる。

    ○ドネイのカフェでカクテルを ★おすすめ
    旅行記を書いている男がイタリアを訪れた時の話。ある意味ミステリな作品。美貌の人妻に言い寄られ、次の日の予定を約束するが一向に現れない。イタリアでは誘拐が流行っており、犠牲になったのか、はたまたその奔放さで別の男と旅に出たのか。好意を寄せてくれた彼女は、約束の前の晩、何を考えていたのだろうかと想像するところが切ない。

    ○娘ふたり
    一人の男に恋した2人の少女が歳をとってイタリアで再会する話。死んだ男を取り合ったわけでもなく、片方が真実を告げることができなかったため、仲が良かった2人に距離が生まれた。男が結構クソ野郎笑

  • 栩木さんセレクトの間違いない短編集。異国が舞台の話がほとんどなので先行の二冊に比べるとやや派手でオチの刺激が強すぎるような印象もあるけれど、読者を思いもつかない場所に押し流していく力は凡百の小説と比べものにならない。おもしろいけれどこちらのリズムを合わせていかないと読めない作家(ガルシア=マルケスとか)がいる一方で、トレヴァーはただそのままページをめくっていくだけでぐいっと引き込まれて落っことされる。念力使いのようだ。

    「サン・ピエトロの煙の木」「版画家」が特によかった。第三者から見たらよくあるつまらない関係・出来事かもしれないものが、当事者には切実な、それこそそれなしには生きられなかったり、それによって人生が決定的に方向づけられたりする重大事でありうること。光が消えたときの光景があまりに無残なのに、そういう出来事なしに生きることも不可能なのだとわからされてしまう。トレヴァーはこわい。

  • 短編集。良かった。

    あぁ人ってそういうとこあるよね。
    自分にも似たような経験があるなぁ。
    そんな気持ちになり、全ての物語がちょっと胸に痛かったり、切なくなったり。
    表情も心情の移ろいも簡単に思い浮かべられる。

    [エスファハーンにて]
    エスファハーンで出会った2人。
    アイリスは夫がいるが、仲はイマイチで一人旅。
    ノーマントンは、奥さんはあまり外に出たがらないタイプで一人旅。
    アイリスはノーマントンが素敵だと好意を持ったようだが、ノーマントンは自分のことを話さず、その旅でさようならした。
    実はノーマントンは、1人目の妻も2人目の妻も他の男に寝取られた男で、それをアイリスに話すことはできなかった。
    アイリスは表面的な勝手なイメージをもったノーマントンのまま別れ、エスファハーンの記憶となる。

    本当のことを話せば良かったのかもしれない。
    夫婦仲がうまくいってない2人が惨めな話をお互いして仲良くなってもいいじゃない。
    そんな気もする。
    アイリスは間違った印象をもった空想の男の思い出を持ち続けることになる。
    むかーし片想いだった人を時々記憶の中から引っ張り出すのに似ているかもしれない。

    [サン・ピエトロの煙の木]
    ぼくは病気であと数年しか生きられない。
    母親は健康改善のため、ぼくをサン・ピエトロ・アルマーレへ夏季の間連れて行く。
    そこで出会った人たちの中にムッシュー・パイエがいた。
    ぼくも母も仲良くなった。
    ぼくはそのうちあと数年と言われたのに生き延びた。
    それでも毎年サン・ピエトロへ母は連れて行く。
    成長するにつれて理解する。
    両親の仲はもうダメで、母はムッシュー・パリエと夏限定の不倫をしているのは明らか。
    幼い頃はわからなくても、大人になるにつれてどんな状況だったか理解できるようになる。

    [版画家]
    一夏の忘れられない思い出。不倫に発展したかもしれない恋。

    [家出]
    太り過ぎの夫とぶさいくな養女シャロンが不倫していたことを知り、1人家を出て暮らし働き始めたヘンリエッタ。一人暮らしも充実していた。
    その暮らしもまた養女の呼び出しで家に戻ることになる。夫の調子が悪くなったから。養女は数ヶ月前にもう別れているし、新しい男がいるのでさようなら。飼っていた犬がいつの間にか死んでいる。
    ヘンリエッタはそこを後悔していた。犬も連れて行けば良かったと。
    ヘンリエッタは夫の姓があるだけで不自由だと思う。
    夫は、ごめんごめんと繰り返す。

    シャロンは若いせいもあるかもしれないが、自分勝手な最低な女だ。嫌な目にばかりあうヘンリエッタが自由になれたらいいのにと思う。家出ではなく、早々に離婚したら良かったのに。

    [お客さん]
    年に一度島を訪問するギー。
    ホテルでの晩餐の日、ある夫婦を目にする。夫はすぐに席を離れて、白いドレスのきゃしゃな女性は一人で座っている。夫はとうとう酔っ払い目立つ行動をして、酔い潰れ倒れる。
    ギーはその妻をずっと見ていた。一目惚れ。
    酔い潰れた夫をギーは部屋まで運び、酔い潰れた男の横でギーはその女性と関係を持つ。
    女性は夫をこらしめたかった。しかし、酔っ払いはずっと眠っている。
    ギーは女性がシャワーを浴びている間にこっそり立ち去る。
    ひとりぼっちの方が気楽だと考える。

    [ふたりの秘密]
    ウィルビーはある日死んだと思っていた幼馴染のアンソニーに出会う。
    9歳、子供の頃、老犬をマットレスに乗せて海へ出す。老犬が自分で命を救えるか試すために。老犬は溺れ死ぬ。
    軽率な行動と残虐性。老犬が死ぬかもしれないのに、従順な賢い片足の悪い老犬を見殺しにした。
    アンソニーはずっと裏切った記憶を持ち続けて生きてきている。
    ウィルビーは中古切手市場に居れば心の平安を保てる。でも、アンソニーの生き方が好ましいと思った。

    自分が飼っていたペットを殺してしまった記憶は後悔として残るだろう。もし、平気であれば、問題があるように思う。9歳ならわかるはずである。
    助けを呼びにいくにしても、自分たちの浅はかな行動が恥ずかしくできなかったのか。
    悲しい話だと思う。アンソニーは懺悔をしながら生きている。

    [三つどもえ]
    おじさん、ドーン、キース。
    ドーンとキースはおじさんの面倒を見てきた。ドーンとキースはおじさんがいないと生きていけない。

    おじさんが、ドーンとキースのために格安ツアーを予約したが、実際は何らかの手違いかわからないが、別の年寄りのツアーに入ってしまう。

    そのせいで、キースは苛立つ。
    苛立っているので、ドーンはなんだか途中でおかしいと気付いても言い出せず。
    間違った旅にはなったけど、親切な人もいるし、ドーンは楽しもうと言う前向きな気持ちはある。
    キースは全くない。ずっと苛立っている。
    それでも、2人は固く抱き合う。
    おじさんの財産を狙っているのだから。

    キースとドーンのような関係の夫婦はよくあるかも?
    どちらかと言うと、私はキース寄りかも。
    イライラしてしまいそう。同じ時間を過ごすなら楽しい方向で行けばいいんだけど。
    間違った旅行を楽しむ余裕があるかなぁ?
    そうならないとわからないけど…

    [ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし]
    ヴァンシッタートは世間からすると、男に色目を使って浮気しているような女に思われ、夫はおとなしく従順だと思われている。
    しかし、実際にはヴァンシッタートは夫一筋でをずっと愛しており、夫は少女を裸にして眺める(手は出さない)趣味がある。
    上部だけでわからない真実。
    ヴァンシッタートの気持ちを考えると切ない。

    [ザッテレ河岸で]
    ベレティはあまり気乗りしないが父と旅行をする。
    ベレティは旅の終わりに父に理想ではない娘としての自分をさらけ出し、父は戸惑い、お互い気まずい雰囲気となる。
    子供は成長する。理想の娘でなくなることも普通にあるもの。

    [帰省]
    少年カラザースと副寮母のミス・ファーンショーは一緒に帰省。
    食堂車でカラザースは態度が傲慢な感じで、ミス・ファーンショーを焦らせてばかりだった。
    しかし、仕切り客室に入ると、ミス・ファーンショーは自分のことをカラザースにぶちまけたくなり、喋り出した。
    理想の娘じゃなくて、両親をがっかりさせていることなど。
    喋りまくる相手にカラザースは呆然として、戸惑う。
    食堂ではミス・ファーンショーがカラザースから早く離れたいと思っていたのに、客室では逆になる。

    [ドネイのカフェでカクテルを]
    男声が美しい女性に興味を持たれて話しかけられる。
    よくおしゃべりするが、男は鬱陶しく感じた。
    ある日、女性は男性に明日の待ち合わせを強引に約束して別れる。
    男は待ち合わせに行ったが、女は来なかった。
    男は自分の過去がつまらないので劣等感があった。
    警察に女性について捜索を依頼したが見つからず。
    結局、男は冷たい態度をとったが、待ち合わせに来なかったので、惜しく感じたのか。美しいその女とどうにかなりたかったのだろう。
    カフェで同じ時間に待つ習慣ができる。
    女がいたら、こんなふうになっていただろうと妄想して。
    女は新しくすぐ誘いにのる男と出会って去ったかもしれないし、宿泊代が払えずに去ったのかもしれない。
    女だって、嘘で包まれた格好をつけた姿だったかもしれない。
    『エスファハーンにて』とストーリーがちょっと似ている。

    [娘ふたり]
    幼馴染みに久しぶりに偶然出会う。
    幼馴染みの2人の娘が体の弱い同じ男の子を好きになるが、男の子は死んでしまう。その前に互いが男の子から同じような手紙を何通ももらっていた。その事実を知っていたのは片方の少女だけ。もう片方は自分と両思いだったのに、なんであなたが墓参りに来ているのよ…などともめ、その後は会わなくなっていた。

    仲良しでも好きな男が同じになると必ずもめる。
    たいてい、男とはすぐに別れて、友達をなくしたことに後悔しそう。
    この短編の場合、男の子の真意がはっきりわからないまま死んだので、ずっと少女の中で王子様だ。
    男の子がそういうふうに仕向けていたのなら大成功。

  • 気がつくとまだ本書を読んでいなかった。追悼の気持ちで読む。
    旅をテーマにしたオリジナルのアンソロジー。旅をしているときのふだんの自分から離れた曖昧な感じ、旅人がよそから来たまれびとである感じを思い出す。トレヴァーの、みっともなく後ろ暗い我々の感情や人生の断面を思わぬ形で切り取って差し出してくる「巧さ」。しかし冷酷でシニカルなやり方ではなく共感に裏付けれられており、胸を打つ。
    トレヴァーの死去を機に…とは言わないが、これからも彼の作品がもっと翻訳され、読めるように願っている。未紹介の名品がまだまだあるはずだ。

  • トレヴァーといえばアイルランドという固定観念の裏を行く、異国を旅する話ばかりを扱った異色の短篇集。これには意表をつかれた。「アイルランドの片田舎で過ごした少年時代に最も影響を受けたのが映画や探偵小説だった」と告白しているトレヴァー。誰もが顔見知りの閉鎖的な世界を抜け出し、いかにも異国情緒に溢れた都市や遺跡を舞台に据えることで、いつになく華やかで流麗な小説世界を繰り広げてみせる。ストーリー・テラーとして定評のあるトレヴァーのこと、旅先のかりそめの恋や、運命の人との出会いを扱いながら、独特のひねりを効かせた展開で読者を翻弄する。

    アイルランドの作家で、短篇の名手として知られるウィリアム・トレヴァーには故国を舞台にした作品が多い。登場人物もアイルランドの町や村で目にする、どこにいでもいそうな人々であることが今まで当然のように思っていた。自分の身のまわりにいるありふれた人々の日常のひとコマを、その尋常でない手際によって掘り下げ、えぐり出し、平凡に見える人々の裡にある思いもかけぬ真実を白日の下にさらしてみせる。料理に喩えれば、出来合いの素材を卓越した技術によってご馳走に変えてみせる名人のように思っていた。とんでもないまちがいだった。豪華な食材を使って絶品料理を作ることもあるのだ。

    訳者によるトレヴァーのアンソロジーとしては、『聖母の贈り物』、『アイルランド・ストーリーズ』という短篇集が既にある。『アイルランド・ストーリーズ』がアイルランドの土地と歴史に根を張った作品を集めたものだったので、今回は移動する人々を描いた作品を集めてみようと思った、と「訳者あとがきにかえて」にある。一部アイルランドの田舎町も出てくるが、旅の主な舞台となるのは、スイスの湖畔、イタリアやフランスの避暑地、ヴェネツィア、シエナ、フィレンツェ、パリ、イランの古都イスファファン、と華麗な都市の名前が並ぶ。

    こんな街を旅しようと思ったら、いつもの庶民階級の人々ではつとまりそうもない。そこで、それなりの財産を持った人々が登場人物をつとめることになる。旅の種類も、転地療養をする少年と母、妻を亡くした父とその娘が思い出の地を訪れる旅、男と女の旅先での出会い、同じく旅先での旧友との再会、家出や帰省、と様々である。舞台もホテルの部屋、観光地の広場、鉄道の食堂車、レストラン、バー、と変化に富んでいる。旅の舞台に相応しく人々の愛憎劇もいつもに比べ、その意匠が華やかだ。

    とはいえ、そこはウィリアム・トレヴァー。舞台が華やかであればあるほど、視点が楽屋裏にまわったときにはその落差がひときわ激しく感じられる。旅というハレの場では、人は知らず知らず自分を偽っている。自分が気づかないのだから当然相手も分からない。普通の小説だったら、その正体も暴かれることなく、それなりに無事結末にもっていけそうな話を、この作者は無慈悲とも思われる手つきでその上っ面を引き剥がし、人の心というものの実体をこれでもかというほど露わにして見せずにはおかない。短編小説の名手と呼ばれるのは伊達ではないのだ。

    旅先で出会った女に自分から声をかけておきながら、女がなびきそうになると逃げ出す男を描いた「エスファファーンにて」は、ジョイスの『ダブリン市民』にある「痛ましい事件」に想を得たのではないか。失ったものの価値に気づくのにかかる時間が、ジョイスは四年、トレヴァーは数日というちがいはあるが、自分に正直な女と、相手に対して自分を開こうとしない男の出会いと別れを描いている点、男の視点で描かれ、最後も悔やみきれない自責の念で終わっている点など、共通するところが多い。こういう自己に拘泥して他者とのかかわりを拒否する男を描かせるとトレヴァーの右に出る者はいない。哀切な余情を湛えた一篇である。

    誰もがなるほどと納得するような人物描写を一度はしておきながら、最後でくるりと裏返し、真実の顔を垣間見せるというのも、トレヴァーが得意とする手法だ。このアンソロジーにも何篇か収められている。南仏の高級別荘地で夫を召し使いのように扱う奔放な妻。友人たちはあまりの扱いに憤慨し、勢い夫に同情が集まる。浮気相手と思われる若いウェイターに妻が手渡す高額の金の本当の意味は…。「ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし」は永年連れ添った夫婦にしか分からない愛というものの底知れない闇を描いて秀逸。

    母の死で独りになった父を心配し、気儘なフラットの独り居を棄てて父と暮らし始めた娘が、思い出の地ヴェネツィアで、若い旅行者に声をかけ、バーに誘う父に幻滅する姿を描く。実は娘には既婚者の愛人がいて週末のセックス、プレゼント、旅行という生活に厭きがきていた。それを解消するためもあっての父との新しい生活なのだ。思い余った娘は溜まった思いを父にぶつける。父と娘のすれちがう思いがヴェネツィアの海霧に滲む「ザッテレ河岸で」。

    周りの大人にははかり知れない思春期の少年の心をさらりと描き出すのもトレヴァーの得意とするところ。自分の出自に悩みながらも、それを隠してせいぜい悪ぶってみせる少年の汽車旅を描いた「帰省」も読ませる。たまたま行先方向が同じなため相席する羽目となった寄宿学校の副寮母が傍若無人な少年の言動についにキレてしまう。ふたりのやりとりの面白さは集中の白眉。

    しかし、最も心に残る一篇はときかれたら、「ふたりの秘密」と答えるだろう。相続した財産を売却した金で悠々自適の暮らしを続けるウィルビーは、切手収集の目的で訪れた旅先のパリで、思いもかけない人影を見つける。子どもの頃、アイルランドの海岸でふたりして遊んだアンソニーだ。しかし、アンソニーは故郷から姿を消し、死んだと思われていた。小さい頃共謀してやった秘密の行為が、アンソニーのその後の人生を変えてしまっていたのだ。

    他者は知らない秘密の出来事だが、自分ともう一人だけはしたことの意味が分かっている。自分のしたことに対して自分はどう責任をとるか。再会したアンソニーは自らに課した罰としての人生を生きていた。自らも閉じられた世界に生きることで安心立命の道を選んだウィルビーだった。「だがこの日の朝、ウィルビーの胸の内では、アンソニーの生き方を好ましいと思う気持ちが、自分自身を愛する気持ちよりもほんの少しだけ勝っている」。自分を律することができるのは自分しかいない。その厳しさにどう立ち向かうか、が問われている。ウィリアム・トレヴァーにしか描けない世界がここにある。

  • 初読

    ウィリアム・トレヴァーの外国が舞台の短編集

    膜を張ったような独特のムード、匂いを感じる。
    すぐに読みたいような、読み終えたくないような、
    それでいて読みたくないと言ったら語弊があるのだけど
    すぐ次の短編を読み始めたくないような…不思議な距離感。

    パリが舞台の「ふたりの秘密」
    完璧な短編、ってこういう事を言うんじゃないだろうか、
    と思ったらやはり賞をとってるのね。
    「人生においてある出来事が決定的な何かをもたらす」
    という事をトレヴァーは書く作家のような気がする。
    夏と海と少年2人と老犬。
    ラストの1文は、ギャツビーと同じくらい印象的。
    「版画家」も同じ匂い。

    「家出」「ミセス・ヴァンシッタートの好色なまなざし」
    のオチよ。

  •  性別、年齢問わず様々な人々に焦点を当て、彼らの旅先での出来事を綴った12編。《異国》という環境がもたらす疎外感や解放感を根底にして、彼らと、その《異国》で出会った人々との微妙な距離感や、どことなく不安定に浮遊した関係を描きたかったのだろうか。どの編も物語的な盛り上がりや派手さはそれほどないが、落ち着いた丁寧な描写が染み入る。
     順番通りに読んでいて、ひたすら不倫(する側だったりされる側だったり)を題材にした話ばかりだったので興醒めしかけたが、それだけではないので中盤以降多少は読む側の気持ちも持ち直した。《異国》には距離だけでなく時間的な隔たりをも与える力があり、その舞台装置に翻弄される人々の心の移ろいを描くのにはうってつけのテーマなのは何となく理解できるが、もう少し違うタイプの物語を読んでみたかったように思う。
     12編の中では、旅先での思わぬトラブルに遭遇した器量の悪い夫婦の葛藤を描いた「三つどもえ」と、少女時代の思い出や淡い恋心から生じた疑心と悔恨が、数十年後の旅先での邂逅により蘇る「娘ふたり」が好き。

  • トレヴァーの短編は一編づつ読み終わる度にふぅ…と息をつきたくなる。今回は旅に出ている人々がメインに据えられているので、ほとんどの物語においていつものイングランドの街中やアイルランドの田舎での人間関係といったトレヴァーの十八番といえる描写が出てくることは稀だ。しかし、だからこそと言うべきか、その数少ない描写が回顧という形で出てくる数編においてはそれぞれ決定的な意味を持つ。なぜ私はこんな所に…。いったいどこで間違えたのか…。運命のひとひねりでこじらされた、彼らの内面の叫びをトレヴァーの筆は容赦なく描き出す。

  • ちょっとした出来事、事件が、その後の人生に、読者に、もやもやを残す。丁寧な文体がこわさを増す。

  • もったいぶって、ゆっくり読了。
    やっぱりトレヴァーの短編は、どれも静かな余韻を残すから好きだ。
    この本はトレヴァーの短編の中から“旅”を描いたものを選りすぐった短編集なのだとか。
    いつものアイルランドは、そういえばちらほらと出てくるくらい。
    フランスとかイタリアとか、イングランドが多く登場する。
    いちばん心を奪われたのは『版画家』。
    主人公の女性が、知的で静かで自立していて、自由で、とても格好いいのだ。

全10件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

Willam Trevor Cox 1928-2016.
1928年、アイルランド・コーク州生まれ。
本書はペンギン社版
トレヴァー短編集『After Rain』(1996)の全訳。
邦訳書に、
『同窓』
(オリオン社、鈴木英也訳、1981年)、
『リッツホテルの天使達』
(ほおずき書籍、後恵子訳、1983年)、
『20世紀イギリス短篇選 下 岩波文庫』
(「欠損家庭」(ウィリアム・トレヴァー)所収、
 小野寺健編訳、岩波書店、1987年)、
『フールズ・オブ・フォーチュン』
(論創社、岩見寿子訳、1992年)、
『むずかしい愛  現代英米愛の小説集』
(「ピアノ調律師の妻たち」(ウイリアム・トレヴァー)所収、
 朝日新聞社、柴田元幸・畔柳和代 訳、1999年)
『フェリシアの旅  角川文庫』
(アトム・エゴヤン監督映画化原作、角川書店、皆川孝子訳、2000年)、
『聖母の贈り物  短篇小説の快楽』
(国書刊行会、栩木伸明訳、2007年)、
『密会 新潮クレスト・ブックス』
(中野恵津子訳、新潮社、2008年)、
『アイルランド・ストーリーズ』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2010年)、
『恋と夏  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(谷垣暁美 訳、国書刊行会、2015年)、
『異国の出来事  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2016年)、
『ベスト・ストーリーズIII カボチャ頭』
(「昔の恋人 ウィリアム・トレヴァー」所収、
 宮脇孝雄 訳、早川書房、2016年)、
『ふたつの人生  ウィリアム・トレヴァー・コレクション』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2017年)、
『ラスト・ストーリーズ』
(栩木伸明 訳、国書刊行会、2020年)ほか。



「2009年 『アフター・レイン』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ウィリアム・トレヴァーの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
レアード・ハント
リチャード パワ...
ウィリアム トレ...
ウィリアム トレ...
レアード・ハント
スタニスワフ・レ...
カレン・ラッセル
ジュンパ ラヒリ
岸本 佐知子
ウィリアム・トレ...
ジュンパ ラヒリ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×