- Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
- / ISBN・EAN: 9784336062499
作品紹介・あらすじ
「時代錯誤な芸術至上主義者」を自任する著者が《マイナー文学》を論じ、[聖]澁澤龍彦、[怪人の師]種村季弘を始め、ランボー、村上春樹、夢野久作、中原中也、あがた森魚、四谷シモン、中島らも他を語る。大好評だった前著『偏愛蔵書室』に続く渾身の評論集。本書だけに書き下ろした重要稿《言語芸術論》80枚に、多和田葉子・谷川渥との対談も収録。
感想・レビュー・書評
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諏訪哲史は好きな作家の一人なのだが、一体何に惹かれて著述を読むのか。彼の書く小説だろうか?――いや、文章だろうか?――いや、言葉だ。諏訪哲史の紡ぐ言葉は考え抜かれた配置で並び、列なった時の視覚的文字列の幻惑感や、音律的文章の美しさがある。論考やエッセが収められた本書だが、小説のような枠組みがないからこそ、言葉はのびやかに並び、だからこそ言葉の巧みさに酔うことのできる一冊になっている。
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音楽、そして声にかんして、精神分析学者のJ・ラカンは晩年のセミナール、いわゆる「アンコール」において、ララングlalangueという、じつに奇妙な概念を提示します。ララングとは、端的にいえば、伝えることには興味のない、「ただ発することそのものを快楽とする」ことばのいとなみです。ララングは、身体と声との原初的なエロティシズムをつかさどるもので、はじめ、天上から聴こえる音のように、母の鼓動や呼吸、意味以前の声など、音の反響する胎内から外界に出てきた胎児を、なお忘れがたい母胎として包み込もうとするもの、それがリズムやトーンなおの、謡いと沈黙の無時間の感覚世界の、ことばならざることば、つまりララングえす。