覚悟はよいか

  • ごま書房新社 (2023年3月1日発売)
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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784341172404

作品紹介・あらすじ

この一冊が私の人生を決めた!そう言っても過言ではない ─ 臨済宗円覚寺派 横田南嶺管長推奨

書店「読書のすすめ」店主 清水克衛氏推薦



明治24年(1891年)に生まれの臨済宗の禅僧が「生きることの意味」を説いた名著、待望の復刊。

主な目次

・わが心の遍歴 ・生命の原点 ・現代を憂う

 

感想・レビュー・書評

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  • 横田南嶺老師の管長日記で紹介されてよむ。
    朝比奈宗源老師の幼少期から、修行に入った理由、修行の日々と、初関に至るまで。そして、至ったのちも、親戚の「禅のできない者は救われないか」という新たな命題でまた迷い、浄土真宗の和上と出会うことで仏心の信心という考え方に至ったという話に感銘をうける。
    特に、念仏門と禅の、単純に他力と自力と区分される物が、そうではなく、その方法に囚われなくなり、仏心と一つになるという言には、目を現れる。

    その他にも、
    生きている限り人は煩悩から逃れることはできない、抱えたまま生きる
    同じ筆で鬼も仏も描けるのだ
    という言葉にも、固定観念をひっくり返された。

    関東大震災の際の緊急時の対応や、
    太平洋戦争の終結での働き、
    軍人への喝、
    白隠さんの迷い
    などの話も、興味深い。
    二点目、三点目については、歴史的にも事実だったのか確認もしてみたい。
    仏教の大東亜戦争という書物で皇道仏教としての戦争協力の歴史を知った後には、果たしてどこまで独立性を持てていたのか、そして戦争礼賛になってなかったのか、戦後に反省はしたのかなどなど検証したいことも幾つか出てきた。

    信仰はあくまで信仰であり、個人の問題であり、社会の課題は社会で応えることが必要なのかも知れない。
    人の集団は中々難しい。

  • 禅宗の僧侶ではあるが、浄土宗的な考え方もみられる

  • 大事なことが書かれていて、心に響いた。
    禅だって仏心に信心がなけりゃ修行に入られへんやろというのはほんとにそうだと思う。これってラマの大切さとまるまるほぼ同じことおっしゃってるやん。それから道を歩むに当たって大事なのは史実じゃなくてナムタルだということ。同感しかない。
    とはいえ、ちょっと通常の心身の状態じゃないところで読んだので、また平常に戻った時にゆっくり読んでみようと思う。

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著者プロフィール

臨済宗の禅僧 1891年生まれ(1979年没)
鎌倉・円覚寺住職。臨済宗円覚寺派管長。水戸黄門、大岡越前など、時代劇の題字を手がけたことでも知られている。
京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。1942年円覚寺貫主。1945年円覚寺派管長。
1963年に賀川豊彦、尾崎行雄らと世界連邦運動推進のため世界連邦日本仏教徒協議会(世連仏)を結成、会長となる。
教育では1934年~1942年まで横濱専門学校(現神奈川大学)で倫理学講師を担当、高歯の下駄で鎌倉から通い横濱専門学校の多くの学生から慕われる。
1936年2月26日朝(二・二六事件)、一時間目の授業に教壇に立つや「今朝、軍の暴徒が首相始め高官達を襲って暗殺したらしい。こんなことを許していては日本は滅びてしまう」と横濱専門学校の学生に言ったと伝わる。 その後、駒澤大学教授。
大戦中、中国や南方で従軍布教。
1945年、広島に原爆が投下されるや、木戸幸一内府や平沼騏一郎らに終戦決断を迫った。
1974年、生長の家開祖・谷口雅春らに呼びかけて「日本を守る会」(日本会議の前身の一つ)を結成。

「2023年 『覚悟はよいか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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