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Amazon.co.jp ・本 / ISBN・EAN: 9784341172404
作品紹介・あらすじ
この一冊が私の人生を決めた!そう言っても過言ではない ─ 臨済宗円覚寺派 横田南嶺管長推奨
書店「読書のすすめ」店主 清水克衛氏推薦
明治24年(1891年)に生まれの臨済宗の禅僧が「生きることの意味」を説いた名著、待望の復刊。
主な目次
・わが心の遍歴 ・生命の原点 ・現代を憂う
感想・レビュー・書評
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横田南嶺老師の管長日記で紹介されてよむ。
朝比奈宗源老師の幼少期から、修行に入った理由、修行の日々と、初関に至るまで。そして、至ったのちも、親戚の「禅のできない者は救われないか」という新たな命題でまた迷い、浄土真宗の和上と出会うことで仏心の信心という考え方に至ったという話に感銘をうける。
特に、念仏門と禅の、単純に他力と自力と区分される物が、そうではなく、その方法に囚われなくなり、仏心と一つになるという言には、目を現れる。
その他にも、
生きている限り人は煩悩から逃れることはできない、抱えたまま生きる
同じ筆で鬼も仏も描けるのだ
という言葉にも、固定観念をひっくり返された。
関東大震災の際の緊急時の対応や、
太平洋戦争の終結での働き、
軍人への喝、
白隠さんの迷い
などの話も、興味深い。
二点目、三点目については、歴史的にも事実だったのか確認もしてみたい。
仏教の大東亜戦争という書物で皇道仏教としての戦争協力の歴史を知った後には、果たしてどこまで独立性を持てていたのか、そして戦争礼賛になってなかったのか、戦後に反省はしたのかなどなど検証したいことも幾つか出てきた。
信仰はあくまで信仰であり、個人の問題であり、社会の課題は社会で応えることが必要なのかも知れない。
人の集団は中々難しい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大事なことが書かれていて、心に響いた。
禅だって仏心に信心がなけりゃ修行に入られへんやろというのはほんとにそうだと思う。これってラマの大切さとまるまるほぼ同じことおっしゃってるやん。それから道を歩むに当たって大事なのは史実じゃなくてナムタルだということ。同感しかない。
とはいえ、ちょっと通常の心身の状態じゃないところで読んだので、また平常に戻った時にゆっくり読んでみようと思う。
著者プロフィール
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