奇跡のリンゴ: 「絶対不可能」を覆した農家木村秋則の記録

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (207ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344015449

作品紹介・あらすじ

ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    科学技術が進歩し農薬の安全性が格段に向上した今、無農薬栽培は一種の「道楽」的な性質を帯びてきている。例えば、農薬の代わりに使われる自然由来の「木酢液」は、毒性の強いホルムアルデヒドを含んでおり、通常使う農薬と比べて安全かと言われれば疑問が残る。農薬を使わないことで作物に病原菌や寄生虫が残る可能性を考えると、むしろ「農薬を使ったほうが安全」と言えるレベルだ。また、無農薬栽培をしたとしても、消費者は食品の安全性をさほど気にしていない。消費者が優先するのは「味」であり、オーガニックを謳ったところで美味しくなければ選択肢に入らなくなる。
    無農薬農業は、安全性、値段、味の3点において苦境に立たされている。だが、本書に出てくるリンゴについては、まさにその3点をクリアした「奇跡の実」だと言えるだろう。

    本書は、弘前市のリンゴ農家・木村秋則氏が10年弱をかけて作り上げた「無農薬リンゴ」に関するノンフィクションだ。木村が命を賭した(誇張ではなく、リンゴ栽培の失敗により一度自殺未遂している)栽培過程と、成功に至るまでの試行錯誤、また木村自身の内面の変化までも綴った多層的な本である。

    数ある作物の中でも、リンゴの無農薬栽培は格段に難しい。農薬を使わなければ病害虫の被害によって90%以上も収穫が減ると言われている。また、多くの作物が少なからず野生種と類似性を持っているのに対し、リンゴは甘みを追求するため徹底的に品種改良されてしまった。結果、人間の介護無しでは花を咲かせることもできない。現代の牛や豚が家畜として品種改良されつづけた結果、野生では暮らせなくなってしまったように、リンゴも堆肥と農薬、剪定無しでは生きていけなくなったのである。

    そうしたリンゴの進化に逆行する「無農薬栽培」に木村は挑戦していくのだが、この過程で、木村は次第に狂っていく。4つの畑を全部無農薬に切り替えたばかりに収穫は0になり、家族は路頭に迷う寸前まで窮乏する。木に付く何万匹の虫を全て手作業で取り、農薬の代わりに酢やワサビといった自然食品を散布して効果を観察する。これを7年近く、何の成果も得られないまま繰り返し続ける。傍から見れば頭が完全にどうかしてしまった人なのだが、実際木村はこの間精神に異変をきたしており、幻覚や幻聴が見えていたという。まさに狂気のみが成せる努力だ。

    だが、最終的に木村は無農薬栽培を成功させた。成功の秘訣は、木村が「実験と観察」の人であったことだ。
    例えば、木村はリンゴ以外に稲の無農薬栽培に成功している。無農薬栽培に着手する前に、200個の焼酎のワンカップを用意し、イネ科であるヒエの種を入れて生育実験を行った。
    それぞれ生育条件を変えて育てると、200個のワンカップに植えたヒエの生長に、極端な差 がついた。常識的には、土を丁寧に耕し、泥がとろとろのお汁粉のようになるまで代掻きをするのが理想的と言われている。ところが実験してみると、いちばんヒエの発育が良かったのは、その正反対の耕し方――土の塊が残るくらい粗く耕して、代掻きも適当に2、3回掻き混ぜたカップだった。何回やっても結果は同じだった。
    次の年から木村は田の耕し方を変えた。普通では考えられないほど粗く耕したのだ。他の農家からは「何やってるんだ」と笑われたが、そこに田植えをしたら、驚くほど稲が育ったという。

    自然農法を確立した後も、木村の「実験と観察」は止まらない。というよりも、自然農法で最も大切なことが「実験と観察」なのだ。自然は毎年同じように巡らない。ハマキムシが増加する年もあれば蜂が異常発生する年もある。畑の生態系には常に変化が起きるため、それを読み解き、自然に沿うように手を入れなければならない。
    例えば木村は、リンゴの葉の葉脈を見ながら、枝の剪定をする。葉脈の形と、リンゴの木の根の張り方が一致しているからだと言う。葉脈を見て根の張り具合に合わせて枝を切れば、それがリンゴの理想的な樹形なのだ。だが、リンゴは接ぎ木である。根は台木のカイドウの根で、葉はそこに接ぎ木したリンゴの葉だ。その根と葉脈の形が一致するとは到底思えない。だが、実際その直感に従って剪定するようになってから、リンゴの木が以前にも増して豊かに葉を繁らせ、より大きな果実をつけるようになった。

    木村は様々なアイデアを持ち、とにかくあらゆることをやる。トライアンドエラーの鬼だ。今年の天気を見て病気の発生時期を予測し、雑草の根を見て土壌の菌類の繁殖具合を確かめる。リンゴの木が一年を通じて土壌から吸い上げる水の量がどのように変化するか、交信攪乱剤は蛾の生殖活動をどの程度阻害するか……、本当にすべての知識を持っているのだ。
    そんな木村はこう言う。「百姓は百の仕事という意味なんだよ。百の仕事に通じていなければ、百姓は務まらないのさ」と。
    ―――――――――――――――――
    以上がおおまかな本書のまとめである。
    読んだ感想だが、木村の独創性、そして全てを投げうってまで無農薬リンゴに捧げる情熱に、終始衝撃を受けっぱなしだった。本人の言葉を借りれば、「ひとつのものに狂ったバカ」だ。明日の食い扶持も無いのに何故無農薬リンゴに賭けるのか、そして彼を動かし続けるエネルギーは何なのか、その正体はついに分からないままだった。しかし、狂気の域に達した者だけが見える景色が間違いなくあり、本書はそれを追体験させてくれる貴重な書だ。文句なしにオススメの一冊である。

    ――バカになるって、やってみればわかると思うけど、そんなに簡単なことではないんだよ。だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回はバカになってみたらいい。同じことを考えた先輩として、ひとつだけわかったことがある。ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに巡り合うことができるんだよ、とな。

    ―――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 狂人、木村秋則
    リンゴ畑は通常、木々が綺麗に剪定され、根本の雑草は芝生のように短く刈り込まれている。一方、弘前市のリンゴ農家・木村秋則のリンゴ畑は雑草が伸び放題だ。雑草の密林で、我が物顔にバッタが跳ね、蜂が飛び、カエルが鳴き、野ネズミやウサギが走り回っていた。畑というより、人の手の入らない野山の眺めだ。
    更にりんごの木そのものも酷く、果実が殆どついていない。残っている葉も茶褐色の斑点が出来ていたり穴だらけになっていたりする。

    つまり、農薬を撒いていないのだ。
    この6年間というもの、畑の主はリンゴ畑に一滴の農薬も散布していない。当然のことながら、リンゴの木は病気と害虫に冒され、春先に芽吹いた葉の大半が、夏になる前に落ちてしまう。

    しかも、である。
    自分の畑がそんな有様になっているというのに、畑の主であるその男の行動は、不可解でわけがわからなかった。夜明け前から畑にやって来て、日がな一日リンゴの木につく虫を手でつまんで取っていたかと思えば、雑草の中に一日中身じろぎもせずに座り込んでいることもある。そうかと思えば、農薬噴霧器に酢を入れてリンゴの木に散布してみたり、食用油で樹皮を洗ってみたり……。およそまともなリンゴ農家とは思えない。

    彼は葉を食べるシャクトリムシをじっと何十分も観察していた。ある意味で、そのシャクトリムシのおかげで、リンゴ農家である男の家庭は滅茶苦茶にされていた。葉を喰い荒らされたリンゴの木は、もう何年もの間、実をつけていない。無収入の年が続き、今では家族7人が、路頭に迷う寸前の極貧の暮らしを続けていたのだ。
    にもかかわらず、胸元にぽろりと落ちてきたシャクトリムシを指でつまむと、虫眼鏡でその顔をしげしげと覗き込み、リンゴの葉に戻してやったりしている。
    「あんまり葉っぱ喰うんでないよ」
    虫にそんなことを言い聞かせる始末だった。

    木村がそうしてシャクトリムシを眺めていた時代から約20年後の2006年、彼の作るリンゴは「奇跡のリンゴ」と呼ばれ、入手困難となっていた。


    2 不可能であった「無農薬栽培」
    木村のリンゴは通常の流通ルートには乗っていない。本当の意味での産地直送、葉書やFAXでの注文に応じて生産者の木村から直接購入者に宅配便で送られる。あまりにも有名になってしまって、生産量が注文に追いつかない状態がもう何年も続いていた。その日も取材している間中、注文のFAXが鳴り止むことはなかった。
    リンゴの無農薬栽培などという難題に取り組んだおかげで、木村の一家が長年にわたってひどい窮乏生活を強いられたという話は聞いていた。けれど、それはもう10年以上も昔のことだ。

    現在は新聞やテレビでも取り上げられるくらい有名な人で、全国には彼の信奉者がたくさんいる。国内だけでなく、外国にまで農業を教えに行ったりもしているのだ。しかも、彼の作るリンゴは飛ぶように売れる。

    彼のリンゴの秘密は、いうまでもなく無農薬栽培にある。しかし、農薬を使わなければリンゴ畑は壊滅する。少なくとも現代のリンゴ農家はそう考えている。
    日本での研究によると、農薬を使わなければ病害虫の被害によってリンゴの収穫は90%以上も減ると言われている。収穫が平年の10%以下というような大きな被害を受けた木は、翌年は花を咲かせることができなくなる。花が咲かなければ、もちろん果実は実らない。つまり無農薬栽培を2年続ければ、リンゴの収穫はほぼ確実にゼロになるというわけだ。農薬を使わない限り、その状況を好転させることは出来ないのだ。
    そして、リンゴそのものも、農薬の出現とともに、病害虫に対する耐性を度外視してより甘い実を実らせるように品種改良がされた。現代のリンゴは、農薬に深く依存した存在なのだ。

    もともと木村は効率人間だった。当然のことながら防除暦に従って、せっせと農薬散布に励んでいた。防除暦に従うことで適切な時期に防虫・防病を行え、しかも収穫時のリンゴの残留農薬をゼロに近い値に抑えられるようになる。
    だが、当時は農薬の「使用者」の安全性は考えられていなかった。妻の美千子が農薬に弱い体質であり、農薬散布すると一週間近く寝込んでしまっていた。そこで木村は「自然農法」に挑戦することになったのだった。


    3 破滅の始まり
    木村はまず化学肥料をやめ、鶏糞を集めた堆肥を畑に入れた。リンゴ畑には年に13回ほど農薬を散布していたが、4箇所の畑のうち、農薬散布を6回、3回、1回にする畑を作った。結果、6回の畑は普通の畑と見劣りしないぐらいの収穫があり、1回しかやらなかった畑は収穫が半減したが、農薬にかかる費用減により元が取れそうだった。

    そこで、1つの畑を思い切って無農薬にしてみたが、結果は惨憺たるものであった。虫や病気が蔓延し、殆どの葉が枯れて落ちてしまった。

    リンゴの病気の正体は、カビや菌だ。たとえば斑点落葉病は、ある種の菌だ。その菌がリンゴの葉や果実の表面で繁殖し、生体の機能を破壊する。人間の皮膚病みたいなものだから、その菌が嫌う物質さえ見つけて散布してやれば、防ぐことはそう難しくないのではないか。
    木村は農薬のかわりに、自分たちがいつも食べている食品で病気を防ぐ方法を探せないかと考えた。ニンニク、醤油、ワサビ、焼酎、卵白など、あらゆる方法を考えては手当たり次第に試した。試行回数を重ねるべく、4つの畑全てを無農薬栽培にした。

    木村が経験したことは、すでに100年前の先人達が経験していたことでもあった。
    はっきり言ってしまえば、焼酎やワサビを散布したくらいで対処出来るなら、誰も苦労はしない。明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村と同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていた。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だったのだ。

    木村は見境が無くなっていた。日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破滅への道を突き進んでいたのだ。

    全てのリンゴ畑を無農薬にしてから4年目になっても、リンゴの花は全く咲く気配を見せなかった。貯えは底をついた。自慢のイギリス製のトラクターはもちろん、自家用車も、リンゴの輸送用に使っていた2トントラックも売った。税金の滞納が続いて、リンゴの木に赤紙が貼られたことも一度や二度ではなかった。そのたびに必死で金をかき集めて、競売をなんとか取り下げてもらった。銀行に金を借り、それでも足りなくなって消費者金融にも手を出し、実家の両親だけでなく、親戚からも借金をした。一家は貧乏になり、家族の団らんは失われた。夫の神経はずっと張り詰めたままであり、家族全員が夫の顔色を伺って暮らしていた。

    木村は他の農家からも疎まれるようになった。荒れ果てた畑は病気や害虫の温床になり、ほかのリンゴ園に被害が及ぶ。
    それが、果樹を無農薬で栽培することのもうひとつの難しさでもある。農薬を使わないということが、地域のコミュニティの中で、周囲との軋轢を生んでしまうのだ。
    無農薬でリンゴを栽培することは、木村にとっては夢でも、他の農家には狂気の沙汰の空想でしかないのだ。他の農家からすれば、木村は身勝手な幻想に取り憑かれ、自分の畑を病気と害虫の巣窟にするだけでなく、周囲のリンゴ畑をも危険に晒しているということになる。

    答えは、すでに出ている。
    自分はリンゴの無農薬栽培に失敗した。
    リンゴの無農薬栽培は不可能なのだ。
    何よりの証拠に、リンゴの木は枯れようとしている。
    一刻も早く、農薬を使ってやるべきなのだ。
    理性はそう告げているというのに、木村の中の何者かが頑強にそれを拒んでいた。


    4 自然そのままの力
    あるとき、木村は山の中でたくましく育つドングリの木を発見した。そして、気づいた。自然の木が、農薬の助けなど借りずに成長していることを。山や森に虫がいないわけではない。日照条件も木村のリンゴ園と同じだ。それなのに虫や病気が、自然の木を食い尽くさないのは何故か。
    それは土の違いだ。雑草が生え放題で、地面は足が沈むくらいふかふかだった。土はほろほろと崩れ、いくらでも素手で掘ることが出来た。草を引けば、土のついた根がそのまま先端まで抜けた。こんなに柔らかな土に触れたのは初めてだった。

    この柔らかな土は、人が作ったものではない。
    この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作なのだ。落葉と枯れた草が何年も積み重なり、それを虫や微生物が分解して土が出来る。そこに落ちたドングリや草の種が、根を伸ばしながら、土の深い部分まで耕していく。土中にも、草や木の表面にも、無数のカビや菌が存在しているだろう。その中にはいい菌も、悪い菌もいるはずだ。

    自然の中に、孤立して生きている命はないのだと思った。ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。そんなことわかっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。

    自分は農薬のかわりに、虫や病気を殺してくれる物質を探していただけのことなのだ。堆肥を施し、雑草を刈って、リンゴの木を周囲の自然から切り離して栽培しようとしていた。リンゴの木の命とは何かということを考えなかった。農薬を使わなくても、農薬を使っていたのと同じことだ。
    病気や虫のせいで、リンゴの木が弱ってしまったのだとばかり思っていた。そうではない。リンゴの木が弱っていたから、虫や病気が大発生したのだ。本来の植物は、自分の身を自分で守れるほど強い。
    自分のなすべきことは、その自然を取り戻してやることだ。

    ドングリの木の下で掘った土はツンとする匂いがした。調べてみると、ある種の放線菌によるものだった。この放線菌が大気中の窒素を固定して、養分としての窒素を土中に貯える働きをしていたのだ。大豆など豆類の根に共生する根粒菌が、窒素を固定する放線菌の一種であることはよく知られている。
    窒素、リン酸、カリと言えば、作物の栽培には不可欠な肥料の三大要素だ。農業の教科書にもそう書いてある。山の土はそんな教科書のことは何も知らない。1グラムの肥料も施さないのに、あれだけのドングリの木を育てる条件を備えていた。
    堆肥など与える必要はないのだ。化学肥料であれ堆肥であれ、人間が施す栄養分は一時的にしか効かない。だから毎年施さなければならない。しかもそうやって育てた自分の畑のリンゴの木は、甘い菓子を好き放題に与えられた子供のように、必要な養分を求めて土中に根を張る努力をしなくなっていた。

    木村は毎日のように土を掘って観察を続けた。
    まず、山の土は温かい。どれだけ掘っても温度が変わることはないが、畑の土は10センチ単位で温度が低くなっていく。土中の微生物の働きが弱いからだ。

    翌年は春から大豆を播いた。大豆は腰の高さにまで育ち、リンゴ畑がジャングルのようになった。毎月やっていた草刈りも一切やめてしまったから、大豆の下には様々な種類の雑草が生え、その草陰で虫が鳴く。虫を蛙が追い蛙を狙う蛇が姿を見せる。野ネズミや、野ウサギまでが走り回っていた。木村の畑は、にわかに賑やかになった。
    そして、リンゴの木は少しだけ元気になった。


    5 奇跡の成就
    畑に雑草を生やすようになって2年目、畑の状態が目に見えて良くなった。
    リンゴが春につけた葉が、秋まで落ちずに残ったのだ。
    畑の土は、山の土のように柔らかくなっていた。リンゴの根が張って、リンゴの木が丈夫になったから、殺菌効果としては弱いはずの「酢」が効くようになった。けれど、何も考えずに酢を撒いていたら、絶対にそうはならなかった。大袈裟に言えば、自然の全体を理解して初めて、酢は効果を発揮するのだ。

    木村「それはまあ、今だからはっきりわかることなんだけどな。今年の梅雨はいつ頃から始まるとか、夏は気温が上がらなさそうだとか、あるいは週末から雨が降りそうだとかな、そういうことがわかれば病気の発生時期が予測出来る。カビや細菌の活動が活発になる直前のタイミングで酢を散布すれば、かなりの効果を上げることが出来るんだ。(略)要するに、酢が効果を現すには、人間の経験とか能力が必要だということなのな。逆に言えば、自然を知れば知るほど、酢の効果が発揮されるということだ。秋まで葉が3分の1残ったと言っても、周りの畑に比べたら貧弱きわまりないのな。葉が落ちないのが当たり前なんだからな。かろうじて木に残った葉を見ながら、もっと自然をよく見ろ、もっと手を動かせと、リンゴの木に言われているような気がしたよ」

    農薬の使用をやめてから8年目、畑全体から2つのりんごが収穫できた。驚くほど美味しかった。その年、晩秋になって落葉するまでリンゴの木は3分の2以上の葉を残していた。

    9年目、ついに奇跡が実った。
    畑一面に白いリンゴの花が咲いていた。

    木村の畑で起きたことは、ある種の自然界の綱引きであった。綱引きが繰り返されるごとに、畑の生物相は豊かになった。一種類の生物が占めていた場所に、何種類もの生物が入り込んで複雑化していく。雑草も虫も、種類が圧倒的に増え、土壌や、幹や葉の表面に棲息する菌類まで含めれば畑の生き物の種類は何千種にも達したに違いない。多種多様な生物が棲むようになって、畑の生態系はより弾力のある安定を獲得する。一本の綱引きではなく、何百、何千の綱引きが、畑のあらゆる場所で行われれば、全体として大きくバランスを崩す可能性はそれだけ低くなる。繰り返し打ち寄せる波が海岸の地形を変えるように、多様な生物の営みが畑の生態系をより柔軟で強靭なものに変えていったのだろう。

    この栽培を続けてきて、木村が発見したことがある。
    それは、肥料というものは、それが化学肥料であれ有機肥料であれ、リンゴの木に余分な栄養を与え、害虫を集めるひとつの原因になるということだ。肥料を与えれば、確かにリンゴの実は簡単に大きくなる。けれど、リンゴの木からすれば、安易に栄養が得られるために、地中に深く根を張り巡らせなくてもいいということになる。運動もロクにしないのに、食べ物ばかり豊富に与えられる子供のようなものだ。その結果、自然の抵抗力を失い、農薬なしには、害虫や病気に勝つことができなくなるのではないかと木村は言う。

    そして、木村のリンゴの木はとびきり美味しい実をつけるようになった。少なくとも外見は平凡だが、信じられないぐらい複雑な香りや甘みがするのだ。土壌中の様々な微量の元素を取り込み、香りや味がより奥行きのあるものに変わるのだ。

    木村の次なる目標は、無農薬無肥料で作った農作物を「誰にでも買える値段」で売ることだ。
    無農薬無肥料で農作物を栽培するのは手間もかかるし、農薬や肥料を使う農業に比べればどうしても収穫量が少なくなる。出来るだけ高い値段で売りたいというのが、生産者としての当然の気持ちなのもよくわかる。
    けれど、それでは無農薬栽培の作物はいつまで経っても、ある種の贅沢品のままだと木村は言う。無農薬作物が裕福な人のための贅沢品である限り、無農薬無肥料の栽培は特殊な栽培という段階を超えられないのだ。
    現状では難しいとしても、いつかは自分たちのやり方で作った作物を、農薬や肥料を与えて作った農作物と競争出来るくらいの安い価格で出荷出来るようにする。
    それが、木村の夢だ。

  • まずは感想はやっぱ食べてみたい。
    この話はテレビで放送され、映画でもあるのは知っていたけれどもまずは本を読んで興味が持てたらと。
    読み終えて次は映画も観てみようと思います。
    リンゴのお話もすごいけれども、御本人の人柄と家族が素敵な人達です。
    リンゴへの探究心と愛情、自然と人間関係も同じととらえる考え方。
    リンゴがすごいだけではなく御本人の人柄もあってテレビでの放送に沢山の反響があったのだと観ていなくても本を読めば分かります。
    読むことができて良かったです。

    • hibuさん
      四季子さん、こんばんは。
      りんご食べてみたいですね〜。

      私も前に読んで、顔が涙でグシャグシャになりました^_^
      四季子さん、こんばんは。
      りんご食べてみたいですね〜。

      私も前に読んで、顔が涙でグシャグシャになりました^_^
      2022/10/16
    • 四季子さん
      hibuさん、こんばんは。
      そうなんですよね、読み終えてすぐに購入出来ないか調べちゃいました。食べてみたいです。

      表紙の笑顔が素敵で読んで...
      hibuさん、こんばんは。
      そうなんですよね、読み終えてすぐに購入出来ないか調べちゃいました。食べてみたいです。

      表紙の笑顔が素敵で読んでみたんですが。あの笑顔からは想像出来ない苦労をされてきたんですよね。
      2022/10/16
  • 青森で無農薬でりんごを栽培する木村秋則さんのことが、2006年にNHKの番組 プロフェッショナル 仕事の流儀で紹介された。その番組のプロデューサーであった柴田周平さんが、その取材やその後の関わりから木村さんの無農薬栽培までの何十年もの取り組みを綴ったドキュメンタリーです。壮絶な戦いと研究、木村さんの生き方や哲学、そして無農薬のりんごができるようになってからの生き方の美学が圧倒されます。描く柴田さんの表現力も凄い。本当に面白かった。関連の本を読みたくなります。

  • リンゴの木はリンゴを生産する機械ではない、という言葉が響いた。自然が好きと言いながら、自然は私を癒す機械と見ていたと反省。
    木村さんは頭だけでなく身をもって自然を理解している。自然との関わり方を教えてくれる

  • 凄い本でした。無農薬、無肥料で、不可能と言われたリンゴを育てた人の話です。私もどちらかと言えば、何も足さない、何も加えない生き方を踏襲している人間だと思ってきましたが、この木村秋則さんの徹底した生き方に圧倒されました。

  • 無農薬・無肥料でりんご栽培を行うことがこれほど難しいことだとは思わなかった。
    木村さんの苦労は自分が想像する何百倍も大変だったと思うけれど、それを感じさせない人柄と生き方が素晴らしいと思った。
    物事を切り離して考えがちであるけれど、身体も自然も一緒で人間の理解が及ばないほどの複雑な絡み合いがたくさんあり、思ってもみなかったような反応が出るのだと思った。一つひとつ物事を捉えて考えるだけでなく、全体で俯瞰しても見れるようにしたいと思った。
    農業を実際にやってみるということはしばらく予定はないけれど、無農薬の食物を買って無農薬の食物を作る農家さんに感謝していつか木村さんもいっていたように多くの食物が無農薬になったらいいなと思った。

  • 読み応えあり‼︎

  • 「我々は自然のお手伝いをしている」
    この言葉がなにより印象的だった。

    いま、日本農業で国が目指そうとしている大規模農業。
    その先になにが待ち受けているのか。

    世界の四大文明と言われた場所は今どうなっているのか。

    人間は自然には抗えない。自然とは切り離せない。
    人間が身勝手に自然と切り離そうとした場所は、
    今や砂漠と化している。

    ———

    木村さんの努力と、考え方に本当に引き込まれた。
    長年の努力の末できた、無農薬栽培のリンゴ。
    私なら栽培の仕方は秘密にしておくし、
    そのリンゴは高く売る。

    木村さんは違った。
    リンゴだけでなく、米でも他の野菜でも、
    無農薬栽培のやり方を全国各地に教えに行った。
    無農薬栽培のリンゴは普通のリンゴと出来る限り同じ価格帯で売った。同じ価格なら農薬と無農薬、消費者は無農薬を選ぶ。そうして初めて農家は無農薬を考え始める、と。

    自分の利益ではなく、全体の利益を優先する。

    言葉では上手く言い表せないほど
    胸に響いた人物の話だった。

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  • 図書館より

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