太郎が恋をする頃までには…

著者 :
  • 幻冬舎
3.31
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本棚登録 : 110
感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344015760

感想・レビュー・書評

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  • 小説なのかどうか中途半端な感じ。小説ならなおハッピーエンドにすればいいのに。
    この表紙を使うならノンフィクションで現在の心境を語って欲しかった。

  • テレビキャスターその後新聞記者。負けん気とがんばりと強運でキャリアを積んだ作者が42歳で結婚をした。相手は猿回し一座の座長。結婚を決めるまでの様々な出来事、そして結婚後の問題。差別という現実にかかわる私小説はドラマチックで一気に読むことが出来ました。気持ちの動きが飾ることなくストレートに伝わりますが、整理され過ぎていて優等生的だなと感じました。

  • 手に取るまで「ノンフィクション」だと思っていた。様々な事情の中で「フィクション」という形で落ち着いたのかもしれないけれど、それなら著者のウェディング写真を表紙にしなければいいのに。二人とも有名人だけに「ノンフィクション」と受け止めてしまう人多数だと思われる。(出版社の戦略の気もするが、、)
    数々の試練を乗り越えただろうに、最後が離婚という形で終わるのも私としては納得できなかった。結婚差別を取り上げながら、差別の解消を次の世代に希望的観測でなくなればいいねって委ねるって、現実をそのまま掬い取っただけではないか。その上、現実には離婚せず今も結婚生活を送っている二人なのに、、。
    とりあえず、「小説」として評価すれば、私はおすすめしない内容。★1つ。
    とはいえ、部落差別や結婚差別をまじめにノンフィクションにしても、悲しいかな現状としてベストセラーになるとは思えないので、そういう意味ではこのような形で有名出版社が広告をどしどしと打って、本屋で平積みされて売れることに意義があるのかも。また、近世以前の理不尽な身分制度が今なお尾を引き、理不尽な差別が存在することにスポットがあたり、考えさせられることも多いので、そういう観点であれば悪くはない本なのかもと、最終的に★3つ。

  • 見えてるものを見えないふりして生きてる、

    同和問題ってそういうもんだと思ってた、

    頭ではわかっていても理由のない忌避する感情が僕の中にないとも言えない、

    いろいろと考えさせられる小説でした。

    ただ栗原氏の私小説に近い内容だと思うのですがフィクションとノンフィクションの部分がよくわからなくて中途半端な印象を受けたのとラストが納得いかなかったので☆みっつです。

  • つい先日の芥川賞受賞作の「ポトスライムの舟」や青山七恵の「ひとり日和」など、就職氷河期の貧困層やひきこもり世代を描いて脚光を浴びているが、登場人物の心の葛藤が小学生レベルであまりにもつまらない。確かに文章は上手く、そのような人々を描く社会的意義は、ある程度あるのかもしれないが、その程度の話をあえて小説で読ませないで欲しい。

    本作品は、『負けん気』をバネに生きてきた42歳独身テレビ局勤務の生意気女キョウが、猿まわし芸人ハジメと出会い、最初はそのあくの強さ故に嫌悪するものの、深い哀しみを背負い、ひた向きに生きるハジメの人間性に惹かれ、結婚するまでの物語。

    ハジメは部落出身者。貧乏であり、幼少の頃より理不尽な差別を受けて育つ。「ひとになるんや。ひととして認めてもらうんや」と叫びながらハジメは成長する。幼い頃からナンセンスな差別に遭ってきた人の哀しみと、その強さは生半可ではない。

    キョウは、いつしか、「障害に打ち勝とうとする男、世の中の不条理と闘おうとする男」を人生の傍らで見守り続けたいと考えるようになる。なんで、こんな哀しい歴史があるのか?なんで、こんな理不尽がこれだけ文明の発達した現代に残っているのか?キョウは、優しい母にハジメとの結婚を拒絶される。結婚するなら親子の縁を切るとまで言われる。

    部落問題なんて遠い昔の出来事と思っていた。本当に今でもある話しなのだろうか。表面的には『優しく』なった日本社会も、いざ自分の子供が、親族が、部落者と結婚する、在日朝鮮人と結婚するとなると手のひらを返したように冷淡で残酷になる。

    日本人のあまりの薄っぺらさに哀しくなるともに、当事者の心の葛藤がジンジンと胸に響いてくる。どうして、文学界は文章の体裁にばかりこだわるのか。こんな本にこそ賞をあげて欲しい。全ての日本人にこの本を読んでもらいたい。

  • 筆者はドラマのプロデューサーとしては一流なのかも知れないが
    小説家としての才能はあまり感じられなかった
    自分たちの写真を載せながら
    ノンフィクションではなくって
    不可能な話で
    読者は当然村崎太郎と栗原美和子の話と思って読んでいる

    そういう中途半端なスタンスが
    全ての場面で見られて
    読んでいてしんどくなる

    何故ノンフィクション
    ドキュメンタリーにできなかったのか
    そこに差別の本質が潜んでいるのか

    栗原美和子という人間を通してではなく
    テレビで語っていた村崎太郎自身の話を
    もっと聞きたいと思った

  • レビューを見て『あぁ、ノンフィクションじゃないのか』とかなり残念に思いました。
    ま、ありのまま事実を書くことはかなり辛い事もあるだろうし、ノンフィクションなら名前(読み方)くらいしか変えないだろうし…
    突っ込みどころはある意味沢山ある。

    『部落差別』について、著者が書いている。
    出版社の意向でハッピーエンドではないという事になってますが、それはそれで、完結させて欲しかったと思う。
    これでは『その後はどうなったのだろうか?』と思わずにはいられない。

    部落問題についての認識が彼女自身甘かったのではないだろうか?
    関東平野で生まれ育った私には判らない問題だから、知ろうとしているのに。
    彼女は裕福で幸せな家庭で育ったにもかかわらず 少女時代に そんな世の中を見てみぬふり をしていたのだと思う。
    彼女の少女時代にも そこにあった事実 ではなかったのか?

    突っ込みたい事は 山のようにある本 になってしまった。

  • どこまでがノンフィクションなんだろう?
    (200810)

  • 081201読了

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