好辞苑 知的で痴的で恥的な国語辞典の世界

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (229ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344024519

作品紹介・あらすじ

本書は、『広辞苑』とか『新明解国語辞典』とか『大辞林』とか『大辞泉』とか『言泉』などなど、日本を代表する国語辞典の中から、「中2男子目線」で見ていやらしそうに思える言葉をかたっぱしから探し出し、その語釈を辞典別にクロスレビュー方式で並べて比較・検討を重ね、その妙味や特質や突っ込みどころを味わい尽くそうとする1冊です。

感想・レビュー・書評

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  • 名だたる辞典で「アノ」言葉はどう説明されているのか?

    【概要】
    本書は、『広辞苑』とか『新明解国語辞典』とか『大辞林』とか『大辞泉』とか『言泉』などなど、日本を代表する国語辞典の中から、「中2男子目線」で見ていやらしそうに思える言葉をかたっぱしから探し出し、その語釈を辞典別にクロスレビュー方式で並べて比較・検討を重ね、その妙味や特質や突っ込みどころを味わい尽くそうとする1冊です。

    【目次】
    「エッチ」と「変態」とマイペット/「合体」と婉曲と釣りバカ/「性交」と「成功」と「時を置いて」/「陰嚢」と「ふぐり」と「きん」/「陰茎」と「ピーニス」と「さお」/「インポ」と「インポテ」と不能症/「射精」と「勢い」と「排出」/「コンドーム」と魚と「ルーデサック」/「ペッティング」と犬と相武紗季/「ペッティング」と愛とキリンさん〔ほか〕

    今は亡き団鬼六先生は、言葉嬲り(卑猥な言葉を口に出せと責め立てる遊びです)するときには、出身地を確かめておかないと女性器の名称は地方により違うとアドバイスされました、本書にも部位名が取上げられています
    また、日本のドイツ文学界の泰斗、高橋義孝先生は、地方にお出かけになると世間話になったときなど「女の彼処の名称はここらではなんと言いますか」とお尋ねになるのが通例であったとか(山口瞳の本に出てきます)。場をなごませようとしてのことか、あるいは民俗学・日本語言語学に関心があったか(私のような軽輩がやるとさげすまれるのみ)。とにかく人前であまり使われない言葉は地方性を(テレビジョンと言う文化破壊装置が席巻する現代でも)維持しているようです。

    そういえば、うちの工場(大阪)の近くに受けを狙ったのか「萬幸堂」という煎餅屋があってね、うちの嫁が「マンコ堂」というので「それは大阪で言うオメコのことだよ」と言うと驚いていました。

    本書の結尾は女性器の名称ですが、スポーツ新聞に連載されただけあって、巻頭から禁句という程でもないが、男同士の会話で盛り上がるとき程度、女性が居る場ではセクハラと見なされる危険のある用語群が(文学部哲学科出だけあってちょっと土屋賢二みたいに理屈をこねつつ)巻末の「詳しく扱わなかった関連語一覧」に至るまで網羅的に考察されています。

    たとえばp86『…第三者の目から見れば単なる自己満足のためにやったとしか思われない行為・新明解国語辞典』を「マスターベーションだ!」(昔の社会党のPKO法案反対の議員総辞職・日米安保協定反対の牛歩戦術、山本太郎が天皇陛下に紙切れを渡したことなど好例)と言えばかなり強い言葉で、言われた相手は黙殺するか甘受するか(この二つの違いは立場の違いによるのであって、前は上、後ろは下)、いっそ喧嘩になるのを覚悟で反撃するか(立場の上下について相手と見解の相違があるというアピールにはなる)しかない訳ですが、
    外来語というのは便利で「オナニー」は同じ意味でも響きが弱いから卑小なこと対象に使えそうだが、「自慰」では「示威」とか「辞意」とかに誤解される恐れ、あまり使われない「手淫」では「主因がどうした」とさえ誤解されてもおかしくない。「センズリこいたに過ぎない」は「どこ出身だ?その方言はわからん、標準語で言えよ」となるかも知れない。
    【せんずり】は広辞苑には「手淫のこと」と素っ気なくのっていますが、私がいつも使っている新潮社と集英社のそれぞれ千数百ページの国語辞典には載ってない。そういう事態に備えて男の子は辞書を調べておくのかもしれませんが。“何を言うのか、広辞苑に載っているじゃないか!”

    日本の産業社会、政界、官界の意思決定は昼間だけでなく非公開のそうしたくだけた場でときに恫喝とか怒号とかを交えながらなされるのじゃないかと推測するのですが、それが日本の上層部ことに政界に女性進出が進まない原因かもしれない。

    そういえば司馬遼太郎『龍馬がゆく』で、浪人ですが亀山社中という日本最初の商社代表の坂本龍馬が殿様(松平春嶽公?)と会見して猥談で笑わせ場をなごませる場面がありましたが、司馬先生のこと故なにかの根拠があっての記述でしょうが、亀山社中というのは大藩並みに扱われていたのですねえ。

    司馬遼太郎は日本各地の方言は、標準語普及以前は意思疎通困難なほどで、文章通達の始まりが国家の始まりでないかと言っています。『秘密の県民ショー』はネタが尽きないのか人気番組ですが、県人会とかまだあるんでしょうか。

    英英辞典(つまり英語圏での国語辞典)も載っていますが、そのものズバリと書きますねえ。
    欧米の娼婦が、端的に性器の結合だけを対価として与えるように。(伝聞)
    (p193〜)“ペニスやヴァギナを伴うセクシャルなアクティビティ。特に、男性が女性のヴァギナに彼のペニスを差し入れるときの”(Cambridge Advanced Learner's Dictionary)
    “セクシャルな生殖行為。男性のエレクトしたペニスの女性のヴァギナへの挿入が、リズミカルな突き差しに伴われて行われ、たいていはオーガズムに達して終了する”(English Collins Dictionary)
    “挿入を伴うセックス。生殖、または歓喜のために行われる、挿入を伴う行為。特に、男性がエレクトしたペニスを女性のヴァギナに挿入する行為”(Encarta World English Dictionary)
    “二人の人間が、赤ん坊を作るため、または歓喜のために一緒に行う、肉体的なアクティビティ”(Longman English Dictionary)
    “二人の人間の間の肉体的なアクティビティ。そこでは彼らはお互いのセクシャル器官にタッチし合い、セクシャルなインターコースを伴う”(Oxford Advanced Learner's Dictionary)
    “挿入を伴う個人間のセクシャルな接触。特に、男性のエレクトしたペニスを女性のヴァギナに挿入してオーガズムに達し、ザーメンの射出で終わること”(The Compact Oxford Dictionary)
    ひとつには英文が日本語に比べてコンパクトなので詳しく記述、説明できることもあるでしょうが。
    例文も“彼等は後部座席でセックスした”とか
    “多くのティーンは高校の上級生になるまでにはセックスをしている”とか まるで淫靡さの無いスポーツみたい。 日本語の辞書にはまずありえない。

    ついでに和英辞典、私の持っているコンサイス和英(40年ほど前の)というのを調べますとなんと成功とか精巧はあるのに【性交】がない。【性行為】はありますが、“sexual intercourse”にはたどりつけますが、“make love”“fuke”はない。ネットで調べたところ“fuck”はさすがに今でも口にすることを憚られる言葉のようで、中学生はうかつに知らない方が良いかもしれません。

    日本でも【性交】を「男女が性器を結合させ、双方または一方の性欲を満足させること。行為の結末に射精があり女体が妊娠することがある」と書いた辞典があってもよさそうですが、無い。
    思うに幼児の識字率の高さも関係するのではないですか?日本の、幼児にも識字オープンな文化特性と。
    日本の幼児は国語辞典ぐらい読んで「ねえねえお母さん『性器を結合』ってどうするの」ぐらいは聞いてきそう。
    山口瞳は「『赤ん坊はどうしたら生まれるの』などと聞かれる家庭は家庭環境に問題があることが多い」と言っていますが、年端のいかない子はそうでもなく何故何故攻撃の一環として聞いてくるでしょう。

    私が《人性の真実》を知ったのは十一、二歳。小学校で百科事典で調べて戦慄したような記憶があります。今の子はいくら規制をかけていてもインターネット達者ですからかなり早く知ってしまうのではないですか。それは親からの自立をも意味しますし虐待する親、依存する親などでしたら突き放して考えられるのは良いことかもしれませんが、金権とセクハラ、パワハラ、学歴差別、収入格差が渦巻く社会にあまり早く触れさせるのは心配だなあ。ネット接続できる携帯は、せめて中学生からにした方が良いと思うけどなぁ。

    《セックスすることで妊娠し出産がある》のは知識の初め、人生の大事と言って良いのですが、性のことは幼児にはタブーで世界的に共通しています(おそらくパオで暮らすモンゴルとかイヌイットでは別のルールがあるのでしょうが)「おそらく幼児が性不能者であるという事情によるのであろう」(BY岸田秀)。現代では成熟が遅くなり(院卒でないと研究職になれないぐらい)結婚するのは女性の半分ぐらい?生涯離婚率も50%ぐらいいくんじゃないでしょうか、失われた30年では。性のことでもルールの変化があったらしく既婚未婚の混在する場では安易に話題化はつつしまねばなりませんが、
    性は生のエネルギー源でもあり、不条理な性の衝動を肯定することは生の賛美でもあるのです。

    『火垂るの墓』の原作者・焼跡闇市派の野坂昭如さんは、少国民(小学校)時代、「いとやんごとなき方々も子を成すときには一般人と同じにする」ということに思い至ってその畏れ多さのショックで卒倒したとか言ってますが、昔の家長はそれなりに威厳のあったもので、ましてや皇恩報謝と日々教えられている世代。
    「崇高なもの」は道徳教育教科化のなかでも中心的な課題で、人命尊重だけでは凡人ばかりの世間になにか物足りない。トインビーは「少年期までに神話を教えられない民族は滅びる」と言ってるらしいですが、人は崇高なものを求めるらしく、敗戦後、天皇の権威が落ちるとマッカーサーが神話化したり新興宗教が簇生したり、いままた新宗教、新々宗教が神話の欠落を埋めているようです、あるいは「日本は凄い」プロパガンダも神話かな。
    天皇中心の国家成立は大化の改新からで、その偉業を確定するために古事記、日本書紀という基本テキストが作られました。その最初の方で創造神・伊耶那美イザナミは「陰=ホト焼かれて」死ぬのですが、なぜよりによってそんな無様な死を迎えたのでしょう?思うに《創造の行為である性の営みが死につながること》そして万葉仮名という文字ではじめて和文で表現する喜びを謳歌したのではないか。(十四歳がポルノにときめくように)まあ古事記は口伝を文にしたと前文にありますから口伝の段階でそうなのでしょうが。人生と同じく、人体には、陰部恥部もあり、ショップのうちには悪所もある。

    今出来の和製外来語は総じて馴染めないのですが東京オリンピックと連続して開催された東京【パラリンピック】は良かった、海外でも定着したそうな。心、精神が崇高だったからでしょうね。障害者のスポーツする人権を守るという。性交を「エッチする」はどうしようもなく定着したよう也(誰でもちょっと変態なもので受胎日に正常位ばかりというのでは萎えてしまうでしょう)。

    政治家はハッキリと、でなければせめて匂わす程度にでも危機と懸念の存在を明かしてください。癌でさえ原則、本人に告知する時代です。国民は子供扱いか。国の歳入の半分が国債発行は長く続かないぐらい俺でもわかるが、続けているとどうなるかはよくわからない、教えてくれる人が居ない。原発事故の避難死、避難困窮を見るにつけても当然起こりうることにはリスク管理はオトナの資格と思うのですが。
    言葉をもてあそんで、仕事をしたつもりになっているのは「行政改革」や「税の直間比率是正」「財政改革・国家非常事態宣言」などなどあまりにも多い。小泉純一郎元首相は「原発はトイレなきマンション」という言葉を在任中知らなかったとでもいうのでしょうか。

    性のことで政治は比喩=イメージされやすく、利害一致の同盟を『蜜月関係』、接近・反目の複雑な三国の事情を『三角関係』と言ったりします。
    韓国の国是であった《反共》が冷戦終結で色褪せるともう一つのアイデンティティーである《反日》がクローズアップされ、「謝罪と賠償請求」が蒸し返されエスカレートしてきたのですが。
    思うに性的な、いわゆるドギツイ単語、「慰安婦」英文では“sex slaves”では被害者側が冷静ではいられません。謝罪すればエスカレートして受け入れられない条件(「天皇制廃止」とか「日の丸廃止」とか「九州割譲」など)までいって最終的には戦争をし、どちらかが滅びるしか無いでしょう。
    政治家の役割とは、そのような対立を緩和することだと思うのですが、《共通言語》が無い、あるいは相手の言語が理解できない状態ですね。

    日本と韓国は、離婚した夫婦のように憎み合っている(相手への未練を断ち切りたくて断ち切れないで)と思っていた、けれども同じく大日本帝国の一部だった台湾が親日的であるところを見るとこれは兄弟別所帯で、夫婦間の不和(政府と人民・あるいは国民との対立)を無茶振りに押し付けている構図ではないかと思えてきた。

    崇高な国家理念・アイデンティティー(アメリカの『民主主義』、フランスの『レジスタンス』、戦前日本の『神の国』、ソヴィエト連邦の『労働者の国』などなど)と裏腹に、卑猥な言葉、不適切・不穏な表現(戦前の帝国議会で「速記録をしらべて僕に反軍的発言があったというなら切腹する。なければ君が腹を切れ」とやった切腹問答など)、表現するにも困難な残酷・悲惨で織りなされてきた歴史を知るには小説も読まないと。ちょっと詳細に知るとあまりにも残酷なこと、悲惨なこと、愚かなことが繰り広げられています。私たち庶民はその真実など知らないほうが良いかもしれない。政治家、あるいは国民感情を作り出す権能を持つ人がオトナの言語を弁えた《悪人》であることを願うばかりです。


    【どのような方におすすめか】
    辞書が好きな方、著者のファンの方

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著者プロフィール

1967年北海道生まれ。北海道大学文学部哲学科卒。「フロム・エー」編集部などを経て、フリーの編集者・ライターに。おもな著書に『新しい世界地図』(アートン新社)、『なつかしの理科室』(アスペクト)、『日本語のまちがい探し』(日本文芸社)など。フットサル歴13年。FC東京サポーター。

「2012年 『アラフォー×フットサル』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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