心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (213ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344025127

感想・レビュー・書評

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  • ・座禅は何かを身につけるのではなく、どんどん捨てるもの
    ・「捨てよ」
    ・捨てきるのが禅の究極
    ・「誠」は誰かに尽くすのではない、自分の心に尽くすのだ
    ・自分のやるべきことを一生懸命務める
    ・「自分のため」が「人のため」になって本物
    ・身体→呼吸→心の順番
    ・姿勢はいつでも自分の意思で整えられる。姿勢が調整できる→心が調整できる
    ・未知に迷ったら、まず真っ先にすることはどうするかではなく、どこにいるか(Where)居場所を確認すること
    ・感情によって、さまざまに揺れはする。しかし、おさまるべき場所がわかっていて、すみやかにそこに立ち返ることができる。それが「平常心」
    ・鍛えなければ心は強くならない
    ・現代人は強い心を持って欲しいと思いながら、「ほめすぎ」というぬるいところに安住しがち
    ・24時間何をしていても修行
    ・人間なまじリラックスするより、適度な緊張感の中にいるほうが、心身の健康によい
    ・修行→子供にかえること
    ・気持よく「はい」という
    ・心をゆるめれば、耐久性は増す

  • 読んでいるだけで、心が静かになり、整う気がする。

  • ”全生庵住職 平井正修さんの著書。次の言葉がひっかかった。
    “「ゼロ」から「一」に踏み出す場所。私は自分の寺の坐禅会をそんなふうに捉えています”

    ずっと前から気になりながら、まだ一度も坐禅を体験したことがない「ゼロ」な自分…。行ってみよう。
    http://www.theway.jp/zen/kouza_zazenkaiu.html

    とはいえ、坐禅に期待しすぎず、本来の自分に出会うきっかけとして…。

    本書で特に気になったのは、以下のフレーズ。
     ・誰かのため、何かのために、自分を殺して行動する。立派なことのようですが、じつはそれはまだ本物ではないのです。「自分のため」が、そのまま「人のため」になっている、それが本物です。そう生きたいものです。
     ・「思います」というのは頭だけで考えているから出てくる言葉ではないか、なぜ、身体で確かめようとしないのだ
     ・自分の正しさにはもっと“謙虚”でなければいけない。
     ・10年ひとつのことを一所懸命やったら、必ず、「その道」にいるあなたをみんなが認めてくれます。そこにあなたの足跡が刻まれる。 
     ・たいがいの人は坐禅に「期待しすぎて」います。


    <キーフレーズ>
    ・「ゼロ」から「一」に踏み出す場所。私は自分の寺の坐禅会をそんなふうに捉えています。(p.18)

    ・どんなに坐禅についての知識が豊富だろうと、やってみないことには「ゼロ」でしかありません。(略)
     大事なのは、ゼロでは判断のしようもないということ。「一」に踏み出してこそ、あんだんができるということ。そのことを実感することではないでしょうか。(p.18)

    ・そもそも解決策がないものは、うっちゃってしまう、捨ててしまうのがいちばんです。
     禅ではそれこそ口を酸っぱくして「捨てよ」といいます。(p.29)

    ・捨てられるものは捨てる、捨てきれないものは抱えていく。解決しないまま抱えていけばいいのです。(p.30)
     ※“不安との共生(ともいき)”は、いい言葉!

    ★誰かのため、何かのために、自分を殺して行動する。立派なことのようですが、じつはそれはまだ本物ではないのです。「自分のため」が、そのまま「人のため」になっている、それが本物です。そう生きたいものです。(p.53)

    ・感情によって、さまざまに振れはする。しかし、おさまるべき場所がわかっていて、すみやかにそこに立ち返ることができる。それが「平常心」ということです。(p.71)
     ※禅を極めれば心がゆれない、動じない、なんてことはない。ただ、戻ってきやすくなる、しなやかさが増すのだということ。

    ★否定された気持ちになるのは「我」が前面に出ているからでしょう。(p.73)
     ※特定の人にもつ苦手意識。その背景にはこんな我があるのだろうなぁ。他の人からは素直に受けられるのは、自分が張り合っているのかも。

    ・適度な緊張感を持っていると、心身ともに美しくなる。
     いたずらに「リラックス神話」に惑わされず、つねに緊張感を忘れないでください。(p.81)

    ・私たちにはいつも「その瞬間」しかないからです。
     過去は過ぎ去ってしまっていて、いまさらどうしようもないし、未来はやってきていないのだから、手のつけようがありません。(p.86)
     ※オグ・マンディーノ 第5巻と同じメッセージ!

    ・「修行というのは子どもの頃に帰る作業なのだ。おまえは何十年か生きてきた。その間についた殻を一枚、一枚はがしていかんとならんのだ。何十年にもわたって幾層にもついた殻が、そう簡単にはがれると思うか」(p.96)
     ※師からの言葉。

    ★「思います」というのは頭だけで考えているから出てくる言葉ではないか、なぜ、身体で確かめようとしないのだ、というのが師匠のいわんとするところです。(p.104)
     ※あ????、よく使っているぞ。「思います」

    ★正しさとは、自分だけの正しさでしかなく、根拠もあやふやなものである。だから、自分の正しさにはもっと“謙虚”でなければいけない。(p.117)
     ※なるほど!

    ・だったら、ゆるめればいいのです。(p.127)
     ※心がキレる、折れるに対して…。

    ・結果的に、がまんのできる心身は、生きるのを楽にしてくれます。自分自身の柔軟性の大きさになっていくからです。(p.133)

    ★しかし、周囲は見ています。まわりの人は感じています。10年ひとつのことを一所懸命やったら、必ず、「その道」にいるあなたをみんなが認めてくれます。そこにあなたの足跡が刻まれる。やっただけのことはあるのです。(p.153)
     ※坐禅の修行についての平井住職の体験談だが、なんだかあったかい言葉だ。

    ・「人間はまねをせないかん。学ぶということは、まねをするというところから出ておる。一日まねをしたら、一日のまねや。二日まねして、それでまねせなんだら、それは二日のまね。ところが一生まねしておったら、まねがほんまもんや」(p.158)
     ※宮崎奕保(えきほ)老子の言葉

    ・瞑想するときは目を閉じますが、坐禅では「半眼」といって、目をなかば開けている。完全に閉じることはありません。(p.168)
     ※へー、しらんかった!

    ・たいがいの人は坐禅に「期待しすぎて」います。(p.179)

    ・さっさと動くから段取りが生まれるのです。(p.183)

    ・吐く息を意識して長く呼吸を使えたら、それらの場面で大きなアドバンテージになるはずです。たとえば、おたがいに厳しい条件を出し合って摺り合わせをしている、という状況でも、こちらは呼吸を調え、相手が息を吸うその瞬間を逃さず、「ここは譲れません。この条件でいかがですか?」と切り込めば、相手が頷く可能性は確実に高まります。(p.195)


    <きっかけ>
     本屋でみかけて目次が興味深かったので。”

  • 実践を重んじるのが禅。
    坐禅は何かを身につけるのではなく、逆にどんどん捨てていくもの。
    開き直る強さを持つ。自分の価値は人の評価で左右されない。
    自分のため。がそのまま人のため。になる。それが本物。
    いたずらに、リラックス神話に惑わされず、常に緊張感を忘れない。
    その瞬間やることに一所懸命になる。それを積み重ねていくことしか、大切に生きる道はない。
    自分を光らせるには、はがす作業。磨く(落とす)作業が不可欠。
    はい。という返事を忘れない。
    一度発した言葉はやり直しがきかない。心を尽くして言葉を選ぶ。
    がまんのできる心身は、生きることを楽にする。自分自身の柔軟性の大きさになるから。
    不動心とは、心と体が常に一体となっていること。
    浮かんだままを言葉にするのは、怠惰そのもの。一度心にとめてみる。
    かたちから入ることの大切さ。
    さっさと動く。理由を探してばかりいる人は、結局動けない。
    武士道と禅。結果がどうあれ、覚悟を持って生きていくこと。
    坐禅の呼吸は長く吐くことに重きをおく。

  • 読みやすいしかし、禅のエッセンスは十分に感じ取る本。一度、座禅をしに行こうと。

  • タイトル通り、坐禅をすれば「心がみるみる晴れる」
    というようなことは書いていない。
    ただ、現代社会において坐禅をすることが如何に
    重要であるか、そして如何に労力を伴うものであるか
    が書かれている。

    さて、近場でやっている坐禅会を探してみるか…

  •  「一」に踏み出すと、確実にものごとの見え方、捉え方、考え方が変わってきます。

  •  この頃、座禅に身が入らないなぁと思って読む。

     座禅を絡めた心の持ちよう、解釈など、厳し目の内容で、少しだらけているなぁと思う時に読むと効果てきめんな本。だけど頑張りすぎて疲れている人が読むと悪影響な本。

     リラックスよりも、24時間緊張が良い。若者は忍耐力が足りない。死にたいと言う人は勝手に死ね。など、結構厳しい坊さんなので。

  • 著者は、台東区谷中の臨済宗国泰寺派全生庵の第七世住職。同庵には、安倍首相や中曽根元首相も参禅するのだという。
    著者は「はじめに」で、「坐禅は、万能の魔法ではありません。坐禅をすれば、すぐに心が晴れ、すべてが整理され、確実に強くなる、というものではありません。坐禅をすれば「無心になれる」なんてこともありません」と言いつつ、「「心」そのものと向き合う方法を、坐禅は教えてくれる」と語る。
    「人間、一人で立ってなんぼ、です。坐禅のいちばんの目標も、精神的にも肉体的にも一人で立つことにあります」、「そのうえで、「自分の心」を頼みにして生きる」
    「道に迷ったら、真っ先にやるべきことは、立ち止まって、そのとき自分がどこにいるのか、その居場所を確認すること」
    「感情によって、さまざまに振れはする。しかし、おさまるべき場所がわかっていて、すみやかにそこに立ち返ることができる。それが「平常心」ということ」
    「坐禅は「捨てる」作業です。・・・人は何も持たない裸で生まれてきて、死ぬときも何も持たずに還っていく」
    「そもそもかたちがない心がキレることも、折れることもない・・・心だってゆるめれば、さまざまな刺激に対しての耐久力が増す」
    「不動心とは、心を動かさないで行動することではありません。どんな行動をしているときも、そこに一体となって心があることです」等
    一日少しでも“長くゆっくり呼吸する”時間を持ちたいと思う。
    (2014年2月了)

  • 坐禅に興味があり(曹洞宗の方ですが、一回坐禅会にも参加したことあり)手に取った本。

    前半には坐禅の効能等を示した法話が、最後の方には坐禅の仕方が載っていました。坐禅に対する心構えがある程度持てたとともに、毎日坐禅やろうと思うことができました。
    (読み始めてから、ほぼ毎日坐禅しています)

  • 座禅の効果を分かりやすく伝えてくれている。
    背筋が伸びた本。

  • 安倍首相も座禅に訪れた寺の住職だそうだ。

    申し訳ないけれど、安倍さんを見て
    「佇まいが美しく、言葉が力強く、芯の強さをお持ちで、人心をいかにつかんだかは、支持率の高さを見れば歴然」とおっしゃる方からは、何も教わりたくないと思い、読んで数ページで本を置いた。

  • 少し参考になる要素があった程度。

  • 坐禅は向かない人には、全く向かないだろうね。
    坐禅しても何も変わらないよ。
    ただ、その瞬間、そこに集中しようとしている事が、それ以外を捨てていることになるのかなぁ?

  • 禅や坐禅に全く知識が無い人には良い本かもしれない。

  • 坐禅の入門書としてはとてもライトで読みやすいものだと思う。
    禅で何かが大きく変わるものではないと言い切っているもがいい。
    禅寺で坐禅会行ってみようかな。

  • 著者が終わりの方で書いていますが、坐禅で自分が劇的に変わると思って読むとガッカリすると思います。
    しかし、自分と向き合うこと、何事も心を配って行うことなど、スピードの早い日常をおくっている人にとって考え直す点は多いのでは。

  • 著者の父が言ったという、「褒められるようになったら、やめてしまえ」というメッセージが、心に刺さりました。褒められるというのは、ある意味見放されたということでもあると。すごくわかる気がしました。

  • 日常生活の中で実際に考えたことのあるような事例を交えながら、禅の考えについての解説がされていて、とても分かりやすかった。
    まずは坐るという第1歩に到達するかという点では、自然に任せたいというところに止まっている。

  • 坐禅を通して現代での心の持ち用をアドバイスしてくれている本です。著者は臨済宗全生庵の住職さん。読みやすい文章で、若い人向けな印象を受けました。最後に載っていた坐禅の姿勢なども参考になりました。

  • 座禅会行きたいー
    早く捻挫なおれー!

    誰かのため、何かのために、自分を殺して行動する。立派なことのようだが、それではまだ本物ではない。「自分のため」が、そのまま「人のため」になっているのが本物。

    調身、調息、調心
    身体→呼吸→心

    迷ったときほど、立ち止まって動かず、いまどこにいるかを確認する=正味の自分(自分本来の姿)を知るため

    自分を光らせるには、はがす作業、磨く(落とす)作業が必要。

  • 座禅への誤解とあらぬ期待を払拭し、何が大事かを取り上げた本である。自分のありのままを見ることや、適度なストレスの下での生活の方が健康だと言う。
    そもそも座禅とは、自分自身と向き合うための形であり、何かを治すというものではない。恐れが消えるわけでもなく、それにより心が晴れるものでもない。しかし、トラウマの治療に非常に似た行為であると思う。
    本書でも取り上げているが、ヒトは後悔する。その場合の記憶とは負の感情が伴うエピソードである。私達を苦しめるのは、こういう記憶は勝手に意識に登りやすいということ。
    ありのままの自分を感じることが出来れば、負の感情と事実を切り離す事ができるようになり、辛いエピソードという要素を減らすことができる。そういう意味では効果があるのだろう。
    とはいえ、万人に効果がないのは、否認に囚われているからであろう。坐禅は否認を取り除くのにも効果がある筈だが、否認が取り除かれる前に止めてしまう残念な事例が多いのだと思う。

  • 座禅より、禅宗のお坊さんの人生訓という感じ。
    読みやすくサクサク読めてしまうがじっくり考えて読むとなかなか味わいがある内容。
    特に気になった項目は
    ○『ほめて育てる』のは逆効果

    私としてはほめて育てるのは、いいと思ってるがそれだけだと結果的に打たれ弱い子になるのでは、と思ってたりしたので特に気になった。

    ○かたちなら入ることの大切さ

    カタチを、重視せず自己流でやって運動能力でごまかして最初はうまくやるけど、そこからあまり伸びない、ということを繰り返してきた者としては耳が痛い内容。

    ○『正しい』とは何か?

    正しさに対する考え方。自分の『正しさ』にはもっと謙虚であらねばならない、というのは確かにその通り。

    これを、読んですぐ実践及び意識するのは『呼吸』。
    終始強調されていたが呼吸はやっぱり、大切だなと思った。

  • 座禅をしたからといって何かを得たり変わったりするわけではない。
    逆に本来の自分に覆い被さったものをひとつひとつ「捨てていく」のが座禅。
    座禅会、近場でやってないかちょっと調べてみよう。

  • 座禅に限らず生き方と言う意味で教えられることが多い良書だと思います。

  • 20140328
    坐禅をしたからと言って何が変わるわけではない。

    坐禅をすれば自分が変われると思ってこの本を読んだのに、冒頭から言われてしまった。

    やろうと思ったらやればいい。
    やろうと思っても今やらないのなら一度もやることはないだろう。
    その通りですね。

  • 根気さえあれば誰でもできる。だが、その根気が難しい。

  • 座禅は何かを身につけるものではなく、逆に
    どんどん捨てていくもの。
    本来の自分の姿に返る。
    捨てきるのが禅の究極の姿

    呼吸を整えることができるようになる
    →感情をコントロールできるようになる
    →平静な気持ちを保つようになる
    開き直る強さを持てる

    無私などない。
    ただ、そのことを一生懸命にやるというもの。

    調身→調息→調心

    座禅は心の自然治癒力を高める

    座禅は瞑想と違い、半眼、何かを思い浮かべる
    ということはしない。
    身心一如(しんじんいちにょ)をめざす

  • 心を落ち着かせて、物事に取り組む。坐禅が目的ではなく、座禅をすることで、余計なものを取り除き、頭をクリアにして物事に取り組む。
    いらないものを身に纏いすぎている。
    捨てて大事なことに集中していく大切さを改めて考えた。

  • 座禅が面白いと思うのは、我が身にこびり付いた垢のようなものを削ぎ落としていく作業を通して、多くの気づきや学びに出会えることだ。

    要は、新たな知識を外からインプットするのではなく、自分の内面にあったものを無意識的にアウトプットするということか。いや、何か違う気もしますが。

    私のようなごくごく初心者向けの入門書ですが、自分の心との向き合い方について、少しヒントをいただいた気がします。

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著者プロフィール

平井正修(ひらいしょうしゅう)
臨済宗国泰寺派全生庵住職。学習院大学法学部政治学科卒業。一九九〇年静岡県三島市龍澤寺専門道場入山。二〇〇一年同道場下山。二〇〇二年より中曽根元首相や安倍元首相などが参禅する全生庵の第七世住職に就任。全生庵にて坐禅会、写経会を開催。二〇一六年より日本大学危機管理学部客員教授。二〇一八年より大学院大学至善館特任教授。臨済宗国泰寺派教学部長。『心がみるみる晴れる 坐禅のすすめ』『花のように、生きる。』『「見えないもの」を大切に生きる。』『老いて、自由になる。』(以上すべて幻冬舎)、『山岡鉄舟修養訓』(致知出版社)、『忘れる力』(三笠書房)、『お坊さんにならう こころが調う 朝・昼・夜の習慣』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『三つの毒を捨てなさい』(KADOKAWA)など著書多数。

「2023年 『悩むことは生きること 大人のための仏教塾』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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