- Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344025745
感想・レビュー・書評
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月刊「猫びより」に、2005年9月号から2013年11月号まで連載されたエッセイ集。全50章で、それぞれに見やすく可愛いイラスト付きで、お話を更に盛り上げている。
内容は「猫あるある」&「飼い主あるある」で、うんうんと何度も何度も頷きながら読むことになる。それは、私自身が長い長い多頭飼い歴の持ち主だからかもしれない。
猫に縁のない人から見たら、著者は「マザー・テレサ」の再来のように見えるだろう。
もちろんこちらにしてみれば、そんな崇高な思想など全くなくて、やりだしたことだからやる、それだけなのだ。
20匹までは捕獲・不妊手術したけど21匹目からやりませんって、出来ませんよね?
障害があるからこの子猫は面倒みません、なんて誰だって出来ませんよね?そういうことです。
命そのものと日々向かい合うのでそれなりの覚悟は必要だが、とにかく継続するしかない、それのみ。くじけそうな時は猫が癒してくれる・(笑)
「いつでも猫が自由に出入りできるよう開放され、家猫、外猫、通りがかりの猫など、常時十数匹が出入りする吉本家。」
著者は都市部で実践していたということ、ここに相当の難しさがあったことだろう。生き物と共に暮らすということは、メンタルが鍛えられることこの上なしである。
交通量も激しく、それでも自由に出入りさせるということはかなりの重い決断だったに違いない。
しかしさすがというか、文章のうまさ・面白さが素晴らしい。
お父様が思想家の吉本隆明氏であり、妹さんは小説家のよしもとばななさんだという血脈のなせる技なのか。語りすぎず軽妙で、微かな自虐も忘れない。ところどころお役立ちの知識も散りばめて、個性的な猫の面々を実に明るく爽やかに紹介していく。
「それでも」と付けたタイトルの意味合いも文中で説明されるが、ここなどは哀感漂う場面のはず。それさえもどこか飄々としている。
そのしなやかでしたたかな生き方の源は、50番目のエッセイで語られるのだが、もうここだけでも読んでほしいくらいの力強さがある。
「猫を通して学んだこと、それは本当に数多い。」そう、まさに。
徒に悲観しないこと、でも諦めないこと、何よりも「感情は選べる」ということ。
猫が1匹増えるたびに、ご近所にお菓子を持って「ご迷惑をおかけします」と挨拶に行くことも、猫たちを見ていて「そうした方が良い」と学んだこと。
決して大げさな言い方でなく、この私も猫を通して何とか一人前になれたようなものだ。
目次の次に「吉本家猫の相関図」がイラストで載っている。
これをじっくり眺めるだけでもじゅうぶんに楽しい。
巻末に「吉本家アルバム」があり、在りし日のお父様の写真がある。ここで泣けた・・さて、続編は出るのだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とても面白かった。絵と文章の双方にひきこまれて、楽しく、同時にいろいろ考えさせられる一冊だった。
猫というのは実に不思議な生きものだ。人と関わり合いながら生きているのに、矯めがたい野性があって、自由な行動を好み、(特に都会では)時にそのために命を落とす。「それでも猫は出かけていく」というタイトルには、猫好きとして幾度もつらい思いをしながら、それでも猫のそういうありようを受け入れていこうとする思いが込められているのだと思った。
しかしまあ、著者の「猫愛」は相当なものだ。家にいるのは障碍や病気のある猫ばかりで、動物病院へ行くのが日課。窓をいつも開けていて、家の周囲で暮らす「軒猫」や、「外猫」つまりノラにも食べものを用意する。外猫用の「定番メニュー」の豪華なことには驚いた。赤身魚缶詰・白身魚缶詰・湯がいたホタテ・甘エビ・ナマリ節の盛り合わせ。お客さんが「おいしそう」と言うそうだが、そりゃそうだろう。
ハルノさんは、避妊手術を受けさせようと、雌の野良猫を一生懸命捕まえる。どんどん増えないように、ではない。厳しい環境にいるノラの寿命は悲しいほどに短く、えさをやったからといって増えたりはしないのだそうだ。毎年毎年生まれた子猫がはかない泡のように消えていく。それを座して見ているに忍びなく、これしかないと腹をくくっていると書いている。
ご近所には同じようにエサ場を提供したりしている猫仲間の方たちもいるが、「猫が通るのがイヤだから」と毒物を撒く人もいて、何匹もの猫がそのために死ぬ。ハルノさんは憤って書く。
「家の間を通られない権利?花壇を汚されない権利?自分の持てるあり余る権利の内、ちっぽけな最後の一片まで行使するために、弱い生き物の生きるというたった一つの権利さえも奪い取る。そんな普通の人こそが一番残忍で、欲深いのだと思い知らされました」
これまた猫好きで有名な著者の父吉本隆明氏が、生前「昔猫はもっとのんびりしていたのに、最近はみんなビクビクして逃げちゃう」と言っていたと、あとがきにある。そう言われてみると確かに、以前はもっとそこらへんに猫がいたように思う。子供の遊ぶ声まで騒音扱いされるような、寛容さを失った今の世の中だものなあ。あらためてため息をつく。
脊髄損傷で排尿排便が困難な美猫のシロミをはじめ、さまざまな猫たちが登場し、それぞれに忘れがたい印象を残す。シロミは、著者の父が亡くなった後、テレビから流れるその声にすっ飛んできて、あちこちを探し歩いたそうだ。余命わずかになって元の飼い主に会えたトッポのエピソードにもジーンとした。猫は人間と違って、苦しい悲しい痛いつらいと言うこともなく、日々を淡々と、かつ、全力で生きている。著者はこう書いている。
「単純であるがゆえに高度のことを成しとげている”人間”以外の生物たちには、常に敬意を表します」 -
たぶん本当の猫好き・動物好きでないと楽しめない内容と思います。ペットを自分を満たすための“道具”として考えているような人にはピンとこないと思います。
愛する猫の死、両親の介護や死、著者自身が身体の一部を喪失するなど、普通に書いたら重たい内容になっていると思いますが、猫を中心としたコミカルな日々が綴られていて悲壮感が全くありません。ある意味、こんなに前向きな本はないと思います。元気もらえますね。
様々な重病を抱える猫の描写も一線を画すというか、もうその症状も含めて本当に猫を愛しているんだなと思いました。
小さい頃、病気もちの2匹の雑種猫を飼っていたことがあり、毎日母ちゃんが体内の蟯虫をお尻から出してあげてケアしてました。私には到底できないと思いました。
無償の愛。
著者も私の母も動物が本当に”家族”だと思っているんだと思います。
可愛い猫をお金払って買って、服を着せたりおしゃれさせたりして自分を満たすために飼っている人には理解できないと思います。 -
思想家 吉本隆明さんのご長女で よしもとばななさんの
お姉さんである 漫画家ハルノ宵子さんの 猫のエッセイ集。
猫が自由に出入りできるように 1年中ドアをあっけぱなしという吉本家。とにかく猫のために…という生活。猫を飼う人間として いろいろ考えさせられました。 -
2017/06/14
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家猫だけでなく、周辺に屯する猫までも愛するということの大変さがわかる。本書の内容の濃さは特筆に値する。ここまでやってるんですか!という驚きを感じるとともに、流石吉本さんの娘、よくも細かいところまで…。と感心してしまう。 文中にもあったが、吉本隆明氏が、昔の猫と今の猫を比較した言葉が印象的であった。完全犬派の私であるが、この本はとても面白く読むことが出来た。
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2014.11.3