明日の子供たち

著者 :
  • 幻冬舎
4.09
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本棚登録 : 5112
レビュー : 689
  • Amazon.co.jp ・本 (407ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344026148

作品紹介・あらすじ

三田村慎平・やる気は人一倍の新任職員。和泉和恵・愛想はないが涙もろい3年目。猪俣吉行・理論派の熱血ベテラン。谷村奏子・聞き分けのよい"問題のない子供"16歳。平田久志・大人より大人びている17歳。想いがつらなり響く時、昨日と違う明日が待っている!児童養護施設を舞台に繰り広げられるドラマティック長篇。

感想・レビュー・書評

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  • 『かわいそうに』、ふと上司が口にしたこの言葉。えっ?と上司の顔を見る一同。バツが悪そうに視線を逸らす上司。ある仕事の場面であった光景ですが、その人の価値観がたったこの一言で周囲に一瞬にして伝わってしまいました。この上司、そういう考え方をするんだと…。『かわいそうに』。日頃、口に出す、出さない含めこの言葉を使う、耳にすることってそれなりにあるように思います。でもよくよく考えるとなんとも微妙な言葉です。何かに対して『かわいそうに』と思う時、その思っている人はその対象よりも『かわいそうでない』という自覚があるからこそ、それに対比してこの言葉を使うのだと思います。自分と、その対象の間に綺麗に一線を引いて、一線の先にいる人を哀れんでいる、もしくは見下しているかのような随分と酷い表現にも感じてしまいます。しかもこの言葉、対象となる人に向かって直接発するようなことはありません。第三者的な位置、当事者には決して直接には伝わらない一線のこちら側、安全な位置で一方的に使う言葉だと思います。では、その対象となる当事者、一線の向こう側にいる人が、自分は『かわいそう』などとは全く思っていなかったとしたらどうでしょうか。本人は何も思っていない、もしくは幸せな生活を送っていると思っているのに、全く関係のない第三者が自分たちのことを『かわいそう』な存在だと、憐みの目で見ていると知ったとしたら、その本人はどう感じるでしょうか。

    『九十人の子供が住んでいる家がある』という『あしたの家』は、『様々な事情で親と一緒に住めない子供たちが、一つ屋根の下に暮らしている』という『児童養護施設』。そんな施設の玄関で児童の靴を整理し出したのは『ソフトウェア会社の営業』から転職してきた主人公・三田村慎平。『何やってるの』という声に『子供たちの靴を片付けてあげようと思って』という慎平。『勝手なことをしないで。あなたが毎日甘やかしてやれるの?ここは普通の家じゃないし、わたしたちは親にはなれない。わきまえて』と先輩職員となる和泉和恵は叱ります。『急に限界が来て辞めちゃう人は多いんですよ。どこの施設でも、三年も勤めたら古株です』と他の先輩職員から話を聞く慎平。『先生も気をつけてくださいね』というアドバイスを受けます。そんな時自分が担当となる児童が現れました。高校二年の谷村奏子、事前に見た資料で『問題のない子』とされていた彼女に気さくに話しかけ、自身のニックネームを『慎平ちゃん』と名付けてもらいます。そんな奏子は『慎平ちゃんはどうして施設で働きたいと思ったの?』と問うのでした。児童と上手くコミュニケーションが取れたことを喜ぶ慎平でしたが、その後三週間が過ぎ、児童からも『慎平ちゃん、慎平ちゃん』と声かけされる中、名付け親である奏子からだけは『三田村先生』と未だ呼ばれていることに気づきます。理由がわからないで悩む慎平。一方で奏子の慎平に対する態度に気づいていた同じく高校二年の久志は奏子に理由を尋ねます。『親に捨てられた、かわいそうな子供の支えになりたいんだってさ。あんた何様?って感じ』と答える奏子。久志の仲介もあって直接奏子と向き合う慎平。奏子は『施設に入っているからと言って、かわいそうとは限らない。わたしは、施設に来て、ほっとした。ちゃんと毎日ごはんが食べられて、お腹がすかなくて、ゆっくり眠れて、学校にも行かせてもらえて』と語ります。自分の迂闊さを謝る慎平。打ち解けられたのか手応えのない慎平。施設での苦闘の日々は続きます。

    正直なところ、この作品を読むまで児童養護施設について全く勘違いをしていたことに気づきました。『「あしたの家」は、未就学児及び就学児童を保護し、自立させるための施設』ということですが、必ずしも親がいないわけではなく、経済的な事情や虐待によるものなど、様々な理由で子供が親と離れて暮らす場所であることがよくわかりました。『施設にいる子供は、別に親に捨てられたわけじゃない。親に育てる能力がなかっただけ』ということ。そして、これはこの作品の成立経緯(この経緯に、私、とても感激しました=ここで書くとネタバレになるので書きません)からも有川さんが最も伝えたかったことのひとつが『かわいそうに』という言葉だと思います。『親と一緒に暮らすことが幸せとは限らない。子供たちを傷つけるのは親と一緒に暮らせないことを欠損と見なす風潮。子供は親を選べない。自分ではどうにもならないことで欠損を抱えた者として腫れ物のように扱われる。そのことに子供たちは傷つくのだ』という考え方。この考え方を知り、改めて『かわいそうに』という言葉が、なんと冷たい、人を見下す言葉なんだろうかと感じました。

    『施設の目的は預かった児童を社会人として独り立ちさせることであり、その目安として就職というのは最大の勲章といえる』という考え方により、施設では児童に進学ではなく就職を推奨しているという現状など自身が全く知らなかった様々なことを知る機会となりました。

    この作品はその制作経緯からも有川さんのとても丁寧な取材によって生まれた作品だと思います。『解説』の笹谷さんは『施設にいるからといって可哀想ではない。正しく施設のことを知ってほしい』と書かれています。そして、『この本が知らなかった世界に触れる初めの一歩であったなら、とても嬉しいです』という笹谷さん。偶然にもこの本を読んだ私からも、是非ひとりでも多くの方にこの作品を読んでいただきたい。知っていただきたい。と強く思いました。色んなことを教えていただいた素敵な作品でした。

    • kurumicookiesさん
      さてさてさん、有川浩さんはまだ、読んだことがないので、読んでみます!
      さてさてさん、有川浩さんはまだ、読んだことがないので、読んでみます!
      2020/05/31
    • さてさてさん
      kurumicookiesさん、こんにちは!
      コメントありがとうございました。
      私も有川さんの作品まだ読み始めたばかりですが、「旅猫レポート...
      kurumicookiesさん、こんにちは!
      コメントありがとうございました。
      私も有川さんの作品まだ読み始めたばかりですが、「旅猫レポート」とか、「阪急電車」とかうるっとくる作品もあって、この先も楽しみです。

      今後ともよろしくお願いします。
      2020/05/31
  • 冒頭───
     九十人の子供が住んでいる家がある。
    『あしたの家』───天城市立三日月小学校から程近い場所に存在する児童養護施設だ。
     様々の事情で親と一緒に住めない子供たちが、一つ屋根の下に暮らしている。
     昨今ではより「家らしい」少人数の施設が主流となっているが、『あしたの家』は設立が古く、当分の間は大舎制と呼ばれるこの大規模施設として運営される予定である。
     施設には子供たちから「先生」と呼ばれる児童指導職員が宿直制で二十四時間常駐している。
     そしてその日、三田村慎平は希望に溢れて『あしたの家』に着任した。
     残暑がようやく過ぎた秋晴れの一日だった。
     

    ───有川浩は優しい。

    児童養護施設で生活する職員と子供たち。
    親からの虐待や育児放棄などによって、仕方なく養護施設に預けられ、生きていかねばならない子供たち。
    親の愛にも恵まれず、経済的にも苦しく、将来の道への選択肢も狭められ、自由の少ない子供たち。
    その子供たちを“親と離れて養護施設に入らされてかわいそう”と言うのは誤りだ。
    子供たちは、養護施設に入ったおかげで、夜ぐっすり眠れて、三食きちんと食べられ、本を読んだり、勉強する自由も与えられるのだ。
    つまり、そんな普通の家では当たり前のことができないほど、家庭の環境が過酷だったということだ。
    だから、安易に“養護施設に入ってかわいそう”と思ってほしくないと言う。
    新人指導職員の三田村。
    先輩女性職員の和泉。
    ベテラン職員の猪俣。
    『日だまり』の間山。
    そして、高校生の奏子と久志も。
    それぞれ想いのベクトルは異なるけれど、自らの信念の基に、目の前にある問題に真摯に向き合う姿は似ている。
    人間が、一生懸命に前に向かって歩いていく姿のなんと清々しいことか。
    彼ら、児童養護施設に関わる人たちが、そんな想いをずっと抱いて行動を起こせば、世の中は変わっていくのかもしれない。

    『あしたの家』の“今日の子供たち”が“明日の大人たち”となって、真っ直ぐに懸命に生きて行ってくれること祈らずにはいられない。
    読了後、そんなことを思った。
    久々に本を読んで、涙が零れた。

    この作品は、実際に児童養護施設の子供から届いた手紙を読んで、有川さんが小説に仕上げたらしいが、こういう素敵な作品になって、手紙を送った当人も喜んでいるに違いない。
    願いに応え、こういう作品を創作する有川さんも素晴らしい。
    この作品を日本中の多くの人たちが読んでくれることを願う。

  • 他人をかわいそうだと思ったり、助けてあげたいと思う気持ちは悪いことではない。しかしながら自分たちの勝手な思い込みでそう思う気持ちが一人歩きし、知らない間に人を傷つけることがあることがある。

    ソフトウェア会社の営業から児童養護施設に転職してきた三田村慎平は、「だから俺もあんなふうにかわいそうな子供の支えになれたらなぁ」と、三田村がかわいそうな子供と思っている奏子に転職理由を話す。何とも、思慮分別のないお粗末な展開であろう。「あなたは、可哀想な子だから、僕があなたの支えになってあげたいんだ。だから僕はここに転職してきたんだよ。」と言われているように聞こえる。もし、私がそのように言われたら「あなたにそんなこと言われ筋合いはない。上から目線で、何を言ってるよ。私はかわいそうでもない。」と言い返したくなりそうだ。

    本作には「かわいそう」という言葉が何回も出てきている。また、私を含め、多く人に無意識に据え付けられている児童養護施設やそこに入所している子供たちに対するイメージはどんなものであろうか?

    両親がいない、虐待など、家庭環境に何らかの問題を抱え、家族からの愛情を受けることができないあるいはできなくなったが子供たち。私たちはメディアなど通して児童養護施設で過ごす子どもたちに対して「かわいそう」「恵まれない」などのイメージを刷り込まれている。さらにはそういう子供たちは愛情に飢えて、心がやさぐれでいると勝手な解釈をしているのではないだろうか。少なくとも私は施設で育った子供たちが全員ではないにしろ何人かは当てはまるだろうと大きな思い違いをしていたようである。

    確かに出来ること、出来ないことの制限はありそうだが、その制限が厳しいかどうかは、比較の対象となる子供たちの制限を施設の子供たちが知らない限り、彼らは、実際に自分が制限されている環境に置かれているとは感じることができない。かわいそうな環境も然りである。

    そう思いながら読み進めていく中で「子供たちを傷つけるのは親と一緒に暮らせないことより、親と一緒に暮らせないことを欠損と見なす風潮だ。」の奏子のプレゼンから見つけた時、欠損であると思っていない自分たちに欠損者として向けられる視線を、彼らは敏感に感じており、その視線が彼らを欠損者にしてしまうということを作者も感じていることが解り、そしてこのセンテンスに共感した。

    本作で立場が異なる人の環境というものを、理解するための考え方のようなものを学んだ気がした。

    追伸: 「人生は一人に一つずつだけど、本を読んだら自分以外の人の人生が擬似体験できるでしょう。物語の本でも、ドキュメンタリーでも。そうやって他人の人生にを読んで経験することが、自分の人生の訓練になっていることがあるんじゃないかって、…」この言葉が、深く感じた。

  • 有川さんの本は読む度に自分の価値観が偏っていたことや、今まで知らなかった世界を見せられることがある。
    今回もまさに見せて頂きました先生!と言う感じ。
    児童養護施設に居る子イコール可哀想な子と言う偏りまくった思いしか自分も抱いてなかった。だから冒頭で主人公の三田村同様にあいたたたぁ……とぽっきり気持ちをへし折られ、その後はただただ初めて知る世界を主人公の三田村と一緒に一つ一つ学んでいった。

    知らない世界を知る機会は日常ではあまりなくて、かと言って知ろうとするには労力ときっかけが必要で…
    だからつい素通りしがちだけど、有川さんの本はそんな人達にそっと一つの物語として機会を与えてくれる。

    本が好きで良かった。
    また一つの世界を知ることが出来ました。

  • 有川さんの本は久しぶりに読みました。
    1年ぶりくらいかな?
    有川さんも大好きな作家さんのひとり。

    元営業マンの三田村慎平は児童養護施設「あしたの家」に転職。
    情熱にあふれる慎平。
    愛想はないが子供たちへの思いは強い和泉和恵。
    理論派のベテラン猪俣吉行。
    そして子供たち。

    ここで暮らす子供たちにとって、養護施設とは何なのか…?
    義務教育を終えたら、高校に進学しない限り、施設を出なければならない。
    高校に進学してもその先は…
    大学に進学することは経済的にも、とても難しいこと。

    子供たちに寄り添う職員、そして子供たち。
    みんな悩んでいる。
    そんな厳しい状況の置かれていても、みんな前に進んでいく。

    とても良い本に出合いました。

  • 児童養護施設「あしたの家」で育つ子供たちと、そこで働く職員たちの話。

    主人公の三田村慎平は、施設のドキュメンタリーを見て、その職員と子供達のお別れのシーンに感動して、施設の職員を志望した。
    新任らしい動機に、あいつむかつく。と施設では聞き分けが良い子のカナが反発する。

    施設で育ったから可哀想と思われるのがイヤ。
    ドキュメンタリーの作り話信じて、親に捨てられた可哀想な子供の支えになりたいと思っているのが気にくわない。

    16歳の少女には、自分の生い立ちを憐れまれるのが我慢ならなかった。

    カナの進学のこと、奨学金のこと、施設退社後支援センター「ひだまり」の存続危機などを乗り越えながら、徐々に新任だった三田村の熱意が、子供達に伝わり、信頼関係が結ばれていく。


    施設の子供は親を頼るつてがなく、社会の荒波に飲まれやすいデメリットを背負いながら生きていかなければならない。
    大学に進学しても、一回の入院のせいで貯金が底をつき、進学できずに退学するなど、シビアな世界だとつくづく思う。

    今後の進路について真剣に考えないといけないのは16歳の子には辛いことだが、懸命に生きていく彼らの姿は立派だと思った。

  • 久しぶりに本を読んで泣いちゃったな。
    「昨日を悔やむ」で、まさかの自衛隊での再会シーンは猪股先生に感情移入。本当に良かった。
    施設の先生方も凄く個性的で皆さん素敵な方たち。
    施設を退所しても、「日だまり」のような場所が彼らには必要なんだという事も知る事が出来たし、
    本当にためになる本でした。

    施設長の言葉にも感謝だわ。
    本を読み続ける意味を見つけ出せました。

  • 児童養護施設が舞台のお話で、ちょっと重めかな?とか思いながら開きましたが、そんな事を迂闊に思ったのを反省させられる内容で、一気に引き込まれてしまいました。ウチの子供の中学の校区にも施設が有り、そこにはたまたま大学生の頃、授業で見学に行ったことがあり、その時にちょっと不思議に感じた事が、あ、なるほど。と腑に落ちてしまいました。それは何かとここに書いちゃうとネタバレになるので書きませんが…それはさて置き、大人としてハッと気付かされることも有りますので、機会があったら、ぜひぜひ。

  • 児童養護施設のお話、ということで、またなんか難しくてヘビーな題材を...と思ってしまいました。
    なんていうかね、人の親になるとこういう話はいろいろ辛い。

    でも、最後まで読んで心から分かりました。
    世界が違うんじゃなくて、知らなかっただけってことが。

    私が小学校のときも、施設が近所にあり、そこから通ってる友達もいました。
    学校では普通に友達ではあったけど、やっぱりどこかで特別視して同情していたかも、かわいそうって気持ちがあったかも。
    想像力に欠けていたな、世間の物事を知らなさすぎた、あの頃は。

    高校生と職員を中心にした物語のなか、厳しい現実や懸命な思いよりもむしろ、何気ない優しさや当たり前の思いやりに目頭が熱くなりました。
    有川さんらしいところも随所にあり、一気に読んでしまいました。

    おそらく手紙がきっかけで書かれたんだろうけど、この本の中の人の人生もたくさん見せてもらえて、色んなことを教えてくれました。
    本を読むのは素敵なことですね。

  • 児童養護施設を舞台にした物語。
    考えさせられること、新しく知ることが多かった。
    自分たちの状況を見極め、一歩踏み出そうとする子どもたち。
    それに答えようとする、職員たち。
    胸が熱くなり、何度も涙。
    読後感もさわやか。
    「かわいそう」を安易に使うべきでないのは、同感。

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著者プロフィール

有川浩(ありかわ・ひろ)
高知県生まれ。二〇〇四年『塩の街』で電撃小説大賞大賞を受賞しデビュー。同作と『空の中』『海の底』の「自衛隊三部作」、「図書館戦争」シリーズをはじめ、『阪急電車』『旅猫リポート』『明日の子供たち』『アンマーとぼくら』など著書多数。

「2017年 『ニャンニャンにゃんそろじー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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