蜜蜂と遠雷

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 11186
レビュー : 1458
  • Amazon.co.jp ・本 (507ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344030039

感想・レビュー・書評

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  • ピアノを始めて約半年。
    年をとってもできる趣味を、
    と思ってやってみた。

    弾いてみると面白い。
    当たり前なんだけど、
    盤を押すと音が出る。
    しかも聞き覚えのある音列で。

    蜜蜂と遠雷は、音楽の教科書。
    テクニカルなことを学ぶのではなく、
    楽しさ面白さを学べるもの。

    音楽家というものは、
    生涯を音楽を弾くことに費やした人々である
    普段何の気もなしに触れているものは
    誰かが人生を賭して生み出したものなのだと思うと
    なかなか感慨深いものがあるなぁ。

    人からオススメされた本ですが
    楽しめました。

  • 凡人で耳もよくない私にはクラシック音楽は小難しい印象です。興味あって聴きには行くのですが、音は私の耳をするする通り抜けるばかり。どうしたら熱心な聴取者のように聴けるのかしら…?しかしこんな私にもチャンスが来ました。言葉で聴くのです。言葉で音楽を楽しむ。なんて素晴らしい体験なんでしょう。本を読む事で聴く以上の事ができるんだという驚き。音の洪水にひたりながら、時に息苦しく、時には清々しく、作中の演奏家たちが連れていってくれた素晴らしい時間はあっと言う間に過ぎました。架空でありながら彼らのこれからの音楽を聴いて見たいと強く願いました。せめて何度も読み直して体験し直したい。本当によかったです。

  • まず、自分の中に音楽が確実に届いていた事に驚いた。 それは作中で演奏されたクラシック音楽の楽曲は大半は詳しく知らないにもかかわらず、頭の中で確実にメロディとして鳴り響いていた。 さらに作曲当時の景色までも感じていた自分がいた事に作者の執筆力に驚いてしまった。 ピアノコンクールが題材だけあり楽曲を知らなければ読み進めても理解が半減するのでは?と当初中々手にするのを躊躇していたが、演奏シーンの描写力はもちろん、コンテスタント(出場者)達のサブストーリー、また審査員たちの葛藤の姿など読み応えのある内容だった。

  • note 恵まれない。それでも、僕らは生きていく。『祝祭と予感(蜜蜂と遠雷スピンオフ)』を読んで
    https://note.mu/we_outputers/n/ne054b1345cf1


    飛べる。どこまでも飛べる。
    亜夜は、ピアノを弾きながらいつしか天井を見上げ、さらにそこを突き抜けて高い空に浮かぶ月を見ていた。
    あそこまで。いや、もっと遠くへ。
    今、あたしたちは月まで飛び越えている。
    実際、2人はその時遥か彼方の宙を飛んでいた。
    コンクールも、神様も、何もかも忘れて漆黒の宇宙を。
    「あっ」
    亜夜は、宙に浮かんだまま、遠い一点にいる星を見上げた。
    春と修羅。あたしの。あそこに。p261

    この、呼吸するように自然な、それでいて全くためらいも破綻もない表現力はどうやって身につけたものなのだろう。彼の演奏を聴いていると、ほかのコンテスタントとは根本的に何かが異なるのを感じる。違和感とも言ってもいいくらいの違いだ。皆が譜面を再現し、譜面の中に埋もれているものを弾こうとしているのに、彼の場合は違う。
    むしろ、譜面を消し去ろうとしているかのようなー
    ふと、そんな表現が浮かんだ。
    譜面を消す。それはどういうことだろう。作曲家にとって、音楽家にとって。
    剥き出しの、生まれたままの姿の音楽を舞台の上に出現せしめるー
    一瞬、何かを掴み掛けたような気がした。
    ホフマン先生が、彼に何を望んでいたのか、その正解が心をかすめたように思えたのだ。p286

    あたしたちは、ホフマンが包んだ素敵な包装紙に魅せられて、箱の中にどんなに破壊力の凄まじい爆弾が入っているのか気づけなかったのだ。
    彼の仕掛けた爆弾には、長い長い導火線が付いていた。
    なにしろ、仕込みはホフマンの生前から、いや、彼が風間塵の指導を始めた遥か昔に遡るのだ。いったいいつ彼が導火線に火をつけたのかは分からないが、それは消えることなく根気よくじりじりと着実に導火線を焼き付け、もうじき派手に爆発するところまで迫っていた。
    なんと言うギフト…。p367

    振り返ってみれば、一次予選のときからそうだった。
    あの時の絶望感は、今も体の隅に残っている。もう駄目だ、ここで終わりだ、と思った。自分に音楽などできやしない、とまで思った。
    それなのに、風間塵の演奏を聴いたら、自分も弾きたい、あそこに立ちたいと思った。彼のおかげで舞台に立ち、演奏することができた。
    風間塵ならなんとかしてくれる、彼なら埋められる。そうどこかで直感し、信頼しているのだ。
    彼があたしを引き戻してくれるかもしれないと。真の音楽の世界に踏みこむ理由を作ってくれるかもしれないと。
    そう心の底でずっと願い続けてきたのだ。
    心の底では、ずっときっかけを待っていた。ずっと ー この瞬間を探していた気がする。
    だから、お願い。
    亜夜は風間塵に話しかけていた。
    お願い、あたしを引き戻して。その、とてつもなくつらく、とてつもなく素晴らしい世界に戻る理由をちょうだい。p380-381

    この子の作品のとらえ方は独特だ。
    特に近年顕著な作曲家主義もあって、大方の演奏者は作曲家の意図を理解して、曲の方に自分を引き寄せていく。作曲家が何をイメージしていたか、当時の時代背景や、作曲家自身が何からインスパイアされたものなのかを調べ、作曲家のイメージに近づけていくというアプローチがほとんどである。
    この子は逆だな。曲を自分に引き寄せると言うか…。いや、そうではない。曲を自分の世界の一部にしてしまう。曲を通して、自分の世界を再現している ー どんな曲を弾いても、何か大きなものの一部にしてしまっているような。p389

    オケのあらゆる部分を全部弾くのではなく、なんというのだろう ー 曲のコアなコンセプトとアイデアを抽出して、表現しているという感じなのである。
    サン=サーンスの感じているエキゾチシズム。アフリカの ー そして、人類が根源的に懐かしく感じ、身体の底に沈んでいるものを喚起させられるリズム。
    リズムとは快感だ。
    展開部の、高音部から低音部まで流れ落ちていくように繰り返される音階、高音部のトリル、低音部で刻まれる和音。それらが組み合わされて、人間なら誰しも心地よいと感じるグルーヴ感が醸し出されている。
    これ、譜面はどうなっているんだろう?
    マサルは不思議に思った。
    自分のアレンジだからこそ、ただでさえライブ感にあふれる彼の演奏が一層際立つのは納得できるのだが、あの細かいフレーズ、「ひらめき」としか呼びようのないモチーフは、もとの曲にはないものだ。
    ひょっとして、彼は今この場でも「編曲」し続けているのではないか。p395-396

    三枝子は、自分な全身に冷や汗を掻いているのを自覚していた。
    そんな馬鹿な。
    このグルーヴ感 ー 足元からうねるこの感じは ー
    スイングしてる?
    そんなはずはない。ちゃんとサン=サーンスの曲だ。
    なのに、まるでライブハウスでフォービートの曲を聴いているかのような ー 裏拍アクセントになるところをぎりぎりで踏みとどまっているような ー
    まさか、そんなはずは。
    しかし、三枝子の内側から突き上げてくる感覚は、クラシックピアノのコンクールとは無縁の感情、衝動、快感なのだった。p397

    まさかこんな演奏だなんて。
    奏はじっと聴き入る。
    骨太でゆったりとしたーおおらかな、どっしりとしたーこれまでの亜夜のタッチとは違う。これまでの才気走った、先鋭的なものではなく、全てを包み込むようなーそう、まるで大地のような。
    母なる大地。
    そんな言葉が口を突いて出た。
    どこまでも続く地平線。駆けていく子供たち。遠くで手を広げて待っている誰か。生きとし生けるものが歩いていく大地。
    胸の奥に青い草原がさあっと広がっていくような気がした。草の匂いを感じる。吹き渡る風に、夕餉の懐かしい匂い。
    なんとも言えぬ安心感。安堵感。何も心配する必要のない幼い頃に戻ったみたいに。
    ああ、これが亜夜の返礼なのだ。
    そう腑に落ちた。
    亜夜は、あの凄まじい「修羅」に満ちた風間塵のカデンツァを聴いて、それに応えた。自然が繰り返す殺戮や暴力に対して、それらをも受け止め飲み込んでしまう大地を描いている。それでもなおかつ新たな生命を生み出し、育むことのできる大地を。
    また大きくなった。
    そんな感慨が湧いてくる。
    亜夜の音楽は、また一回り成長したのだ。p295

  • 神と共に居る少年。神に愛された少女。音楽を操る青年。会うべくして出会い、音楽から風景を切り出す。良い本でした。

  • めったに小説を読まない私がのめり込んでしまった本。風間塵が痛快。こういうギャップのある人生に憧れる。「え!実は・・・。」みたいな。予定調和が苦手な私としてはこの手のスタイルが大好きだ。

  •  今は亡き天才ピアニスト・ホフマン先生からのギフト(推薦状)は、素敵な包装紙に包まれ、そのプレゼントの箱の中には凄まじい破壊力がある爆弾が入っていた。(一部引用) こういう表現を書くと、この小説はバイオレンスものかと錯覚してしまう。しかし当たらずとも遠からじ、コンクールの審査員の苦悩を表現しているのです。
     その箱の中身は、ホフマン氏の意思を継ぐ無名のコンテスタント、世界最高峰への登竜門芳ヶ江ピアノコンクールにエントリーしている。派手な花火を見ることが出来るのか、そして期待するファンは少しずつ増えている。
     まるで推理小説のレビューを書いているように自分も興奮しながら読了しました。
     勿論コンクールの場に集まるコンテスタントは、粒揃いの天才が多く、或る人は勝つために敢えて難曲を弾き、演奏の戦略を立てたりするのです。それも二次予選終了までは…。
     著者の恩田陸氏の多彩な音や状況の表現は美しく感嘆するばかり。
     本書の主人公は、四人のコンテスタント、それぞれのキャラクターが面白い。
     読みどころについては、「全てです」と申し上げる。宝物を得た気がします。
     まさに圧巻の一冊だった

  • 小説とピアノはどうしてこんなにも親和性が高いんだろう。
    私がはじめて買った文庫本は、教科書に載ってたいちご同盟で、そこでピアノの物語が好きになってしまったのだろうか?

    亜夜の、日毎に成長、覚醒する姿が読んでいてとても心地いい。

  • 読み終わった直後、スリラーなお話でもないのに鳥肌がゾワワっと立った。それから頰が熱かった。

    作中での表現が素晴らしくて感動した。特にピアノ演奏のシーンは本から音色、雰囲気、情景が自然と浮かぶほど感動的だった。

    ぜひ、ピアノが好きな人に読んで欲しい作品です。

  • 世界はこんなにも音楽に溢れている。
    私は音楽には詳しくないけど、音楽聴きたくなった!

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著者プロフィール

恩田陸(おんだ りく)
1964年、青森市生まれ。水戸第一高校を卒業し、早稲田大学進学・卒業。1991年、第3回日本ファンタジーノベル大賞最終候補作となった「六番目の小夜子」でデビュー。2004年刊行『夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞及び第2回本屋大賞、2007年『中庭の出来事』で第20回山本周五郎賞をそれぞれ受賞。2017年『蜜蜂と遠雷』で第156回直木三十五賞、第14回本屋大賞、第5回ブクログ大賞などを受賞した。同作品による直木賞・本屋大賞のW受賞、そして同作家2度目の本屋大賞受賞は史上初。大変大きな話題となり、代表作の一つに挙げられるようになった。同作は2019年4月に文庫化され、同年秋に石川慶監督、松岡茉優・松坂桃李らのキャストで映画化される。

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