- Amazon.co.jp ・本 (408ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344031944
感想・レビュー・書評
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愛だな、の一冊。
まずこの見事に創り出された物語に感嘆の吐息しかない。
ゴッホとテオ、二人の互いを想えば想うほど苦悩する姿にはただ愛しか感じられない。心のすれ違いもまた愛ゆえ。
そしてその二人を支え寄り添う忠正と重吉の存在が、描き方がまた素晴らしい。
彼らのアートへの熱い想いも愛となって随所で感じられるほど。
そしてその溢れる数々の愛に言葉に何度も心を揺さぶられた。
ゴッホがアルルを目指した経緯、折り鶴のシーンは思わずため息。
史実であって欲しい、そう思いたくなるほど数々のシーンは静かに、そしてタイトルは強く心に残る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ちょっとまえに「北斎とジャポニズム展」を見に行ったとき、日本の浮世絵がパリでブームになったことがあるという浅い知識はもっていたが、まさかここまで当時の印象派に影響を与えたとは思っておらずひどく驚いた。
その流れもあり、いいタイミングでこの小説。
ゴッホと浮世絵か、面白そうなテーマだなと手に取ることになった。
結論から言ってしまうと、ちょっと中途半端かな??
主人公が架空の人物加納重吉だとしても印象が弱い。
ジャポニズムブームをけん引したとされる林忠正の生きざまを描くだけでも十分読み応えがあっただろうし、いわんやゴッホもしかり。おまけにゴッホを生涯支えた弟のテオもここでは主要登場人物の一人である。
マハさんが一番描きたかったのは誰だったのか、なんだったのか焦点がぼけてしまっているのが残念。
それを抜きにしたとしても、さすがのマハさんなので最後まで面白く読めた。
ゴッホの有名な絵が小説の至るところにちりばめられていて、その描かれた背景を読むのも楽しかったし、ゴーギャンとの交流も興味深い。
なによりの収穫は浮世絵うんぬんより、弟の存在かな。
この弟なくしてはゴッホは画家として大成しなかったんだと思うと感慨深いものがある。良い弟を持って良かったね、ゴッホにいちゃん(笑)
あと、これは私の問題なんですが、ついマハさんのアート小説を読むとき伝記を読んでる気になってしまうのが悪い癖。
あくまでもフィクションですよって、わかっちゃいるんですけどね・・・。自分の知識が乏しく、マハさんの緻密な下調べと相まって勘違いしそうになっちゃうんですよ。鵜呑みにしてしまわないように気をつけます。-
同感です。
ついつい、フィクションだということを忘れがちになってしまう原田マハ・アート小説。素敵な小説に出遭ってしまうと、ついつい…同感です。
ついつい、フィクションだということを忘れがちになってしまう原田マハ・アート小説。素敵な小説に出遭ってしまうと、ついつい…2018/04/12
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原田マハのアートを題材にした物語を読む時、スマホが手放せない。作中に出てくる絵画を検索するからだ。
今回はゴッホ。生きている頃には認められず死後爆発的に認められたこと、自らの耳を切り取ったこと、そして自ら命を絶ったこと。わずかばかりの知識で読み始めたゴッホとその弟テオ、何より近しい場所にいた2人の日本人の存在に引き込まれていた。
『印象派』と名付けられた理由が現在のプラスな認識とは真逆だったのか。『浮世絵』が絵画の歴史に多大な影響を与えたとは聞いていたが天地がひっくり返るほどの衝撃だったのか。こちらの観る意識がまたひとつ変わった。
相手への尊敬が強すぎるからこそ生まれた信頼と、同じぐらいの比重で狂おしく憎んでしまう。寄り添いながら相手の顔を直視出来ず、彼のひとが逸らした瞬間に横顔を見つめるしかないようなもどかしさが美しく、残酷に感じた。 -
出来事と時間軸が行ったり来たりして、何が書かれているのかと思うと、実はもう回想のなかに連れて行かれている。
場面転換の激しい映画のようだ。
テレビや映画の中のパリの街角を思い出しながら、映像の中に浸る。
日本美術がヨーロッパでもてはやされた時期、浮世絵をはじめとして、多くの日本の美術品を売りさばいた画商・林忠正(はやしただまさ)サイドは、彼の片腕を務める加納重吉(かのうじゅうきち)、フィンセント・ファン・ゴッホ側は、彼の実弟であり画商の、テオドール・ファン・ゴッホ(通称テオ)の視点で描かれる。
孤高の人の“視点”はいつも描かれることはない。
彼らが何を見ているのか、我々は下から見上げ、測るだけだ。
歴史に名を残す芸術家は、えてして生活力がなく、ダメ人間である。
凡人には見えないものが見え、感じられてしまう感性で、日常を過ごしていくことができないからだ。
そして、彼らが作品を残す陰で、力になり、悪く言えば犠牲になってきた者がいる。
フィンセントとテオの兄弟。
世間的にはテオが光の世界に生き、兄のフィンセントはテオに影を落とす存在だろう。
だが、芸術の世界から見れば、いまや伝説の画家となったファン・ゴッホの作品の陰で、その誕生を、愛情と疎ましさの狭間でもみくちゃになりながら支えた陰の存在がテオなのだ。
あれやこれやの展覧会を、なぜあの時見に行かなかったのかと悔やむ。 -
私の中での原田マハさんの最高傑作は今でも最初に読んだ『楽園のカンヴァス』なんだけれど、この作品はそれに近いくらいに面白かったんじゃないかと思う。
生前には1枚しか絵が売れなかったゴッホが、それでも生涯画家であり続けられたのは、画商であった弟テオの全面的な支え(主に経済面での)があったからだということ、ゴッホの自死の後、程なくしてテオも心を病んで亡くなったということは知っていて、テオは(実の兄とは言え)どうしてそこまでゴッホに思い入れ、支え続けることができたのかとどこか不思議に思っていました。
この作品はフィクションですが、テオが兄ゴッホ(フィンセント)を慕い、その才能を認めつつも、一方で経済的に完全に寄りかかってくる上にそのお金もほとんど酒代にしてしまう自堕落な部分に苛立ったり逃げたくなったりする様が描かれていて、ああ、身内ってそんな感じだよね、と。
苛々して突き放して、それでも心配でたまらなかったり、兄の自傷行為にどうしようもなく動揺したり、自分を責めたり、テオの苦悩する姿がとてもリアルで、長年の「なんでそこまで⁇」という素朴な疑問がなんとなく解消された気がしました。
ヨーロッパに浮世絵の一大ブームを起こした立役者の1人である林忠政とその後輩である(架空の人物)加納重吉という2人の日本人が、ゴッホ兄弟と深く関わって物語は進んでいくのですが、先に『ニュクスの角灯』を読んでいたので、起立工商会社からのジャポニズムの流れなど、なるほどなるほど〜と繋がるものがあってわかりやすく、楽しかったです。
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誰も知らない、ゴッホの真実。 天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正。 二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。 1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。
「幻冬舎作品紹介」より
偉大な芸術家、の前に一人の人の兄、一人の苦悩する人という描き方に、この本を読んでよかったなと思う.
精神を患ってなお、描き続けざるをえないほどの魂の叫びは見るものを魅了するものだのだなと思う.翻って、我が身はどうだろうか.それほどまでに魂を傾ける何かを自分の中に見つけられているだろうかと自問する. -
またまた原田マハさんのゴッホ愛を感じる本でした。短期間でものすごい数の絵を残したゴッホ。どんな思いでこれらの絵を描いたんだろう?と想像することは絵を観るものの楽しみの一つでもあるなぁと原田さんの小説を読むといつも思う。また次にゴッホの絵を観るのが楽しみになった。
2020.2.16 -
ゴッホと聞いて思い出すのは、自分の耳を切ったということ、自殺をしたということ、変人…それくらいしか知らなかった。そのため、弟がいて、その弟と共に生きていたと言うのはこの本で知ることになった。フィンセント・ファン・ゴッホのテオドロス・ファン・ゴッホの悲痛、壮絶な人生。感性が豊かすぎると普通の感性の人間には想像もできない苦痛があり、それにたゆたえども沈まずに生きていくために必要な精神力と忍耐力が必要なんだろうかと考えさせらせた作品。この作品は、重吉を通してテオを中心に進んでいくが、フィンセント自身の考えから進んでいく作品も読んでみたい。
また、林忠正のクールない生き方を裏付ける時代を開拓する努力や走りきる忍耐の遍歴に関心を持った。 -
1880~1890年代のパリを舞台に、ゴッホと弟テオ、日本美術商の林忠正、加納重吉の4人が織りなす物語です。
史実をもとにしたフィクションとのことですが、全然歴史に明るくないことと、原田マハさんの巧みな文章により、史実とノンフィクションの境目がまったくわかりませんでした。
読んでいる間は4人の、特にゴッホと弟テオの人生物語という、“舞台演劇”をみているような気持ちでした。
テオの、兄ゴッホへの献身は、読んでいて胸が痛くなりましたが、浮世絵などの日本美術がゴッホらに影響を与えていたことを知り、驚きました。
そしてタイトルの「たゆたえども沈まず」の意味を知り、もがきながら、そんな生き方をつかもうとしたゴッホの一生を物語から感じることができました。
登場する絵画もみたくてこらえきれず、出てくるたびにネット検索して眺めていました。
ゴッホ展と浮世絵展に今すぐ行きたくなる、そんな1冊です。 -
楽園のカンヴァスが面白かったので読んでみた。こっちも面白かった。日本美術と印象派がゴッホに与えた影響に驚く。最後は苦しかった。兄弟のお互いを思いやる気持ち、苦悩が。忠正と重吉そしてヨーがこれからゴッホのためにどう動いていくのかを想像しながら余韻に浸った。
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同じ美術小説として、どうしても「楽園のカンヴァス」や「暗幕のゲルニカ」と比べてしまう。
これらは紛れもない傑作なのに、「たゆたえども沈まず」はどうしても霞んで見えてしまった。
どうして霞んで見えたのだろう。
おそらく、フィンセント・ゴッホの苦悩が理解できなかったからだ。そして、弟であるテオの苦悩もまた。
生きづらさを持った人であることは伝わってきた。
芸術家だから、と言ってしまえば簡単だけど、近い目線で理解することができなかった。
きっと自分の優しくない性格が災いしてしまった。
一方で、林と重吉の関係性は良かった。
師弟関係のようであり、ビジネス上の仲間でもあり、異国で奮闘する同志でもある。しかも19世紀のフランスで、だ!
林のビジネスマンっぷりには痺れた。
19世紀パリの日本美術ブームについて。
日本美術、及び日本人が礼賛されるので、読んでいるとナショナリズムが高まる気持ちだったw
タイトルの「たゆたえども沈まず」はパリの強かさを表しているらしい。
けれども物語は達観のように終わっていく。日本人にしろフランス人にしろ、新しいものに難色を示すことはあるけど、結局は受け入れていくよね。皆が良いと言ってるものには迎合しちゃうよね。的な幕引きなので、物語の終わり方とタイトルがマッチしてない感があった。
というわけで、美術小説としてそれなりに楽しめたのだけれど、傑作と呼ぶには物足りなかった。
実在の芸術家がベースになっているので、創作に制限がかかってしまう、ということなのかな。 -
原田さんのアートもの。今回はフィンセント・ファン・ゴッホです。表紙の「星月夜」も素敵ですね。
19世紀末のパリ。浮世絵などの日本美術を売買してビジネスをしている林忠正と彼を手伝う加納重吉。そして老舗画廊で働くテオドルス(テオ)と兄のフィンセント。この4人を中心に、物語は展開します。
原田さんのアートものを読むと、その生き生きとした描写に、フィクションだという事を忘れてしまいそうになります。
それだけに、フィンセントとテオのお互いへの愛が過ぎるが故の苦しみがひしひしと伝わってきて、辛かったですね。
今はこれほどまでに評価されているフィンセント(ゴッホ)の絵ですが、せめて彼が生きている時に自分の価値を実感して欲しかったなぁ・・と思わざるを得ません。
重吉は(恐らく)架空の人物ですが、彼とテオの友情には癒されました。そして、『ジヴェルニーの食卓』にも登場した、愛され親父のタンギーさんも本当にいい人で、ほっこりします。
ゴッホ兄弟の結末は悲しいものでしたが、繊細で日本をこよなく愛してくれた彼らの物語を読んだ後に、改めて冒頭に書いた「星月夜」の表紙を眺めると、一層味わい深く思います。 -
林忠正 x 加納重吉とテオ x フィンセントの2つの繋がりが二重らせんのように絡まり物語は進む
フィンセントの不安定さ、それに伴うテオの苦悩がだんだん濃くなっていくのは辛いものがあった
「舟になって、嵐が過ぎるのを待てばいい。たゆたえども、決して沈まずに」
一生懸命に生きる人に届いてほしい
2020.8.16 -
ゴッホに大きな影響を与えたのが日本であり浮世絵であったとは全く知らなかった…
100年以上前に、異国のパリで奮闘した日本人がいた事にも感銘を受けた。
そして、フィンセントとテオの並々ならぬ兄弟愛。
全て今まで全く興味が無かった世界にも関わらず、分厚い本を最後まで読ませてしまう筆力が何よりすごい。
ゴッホと印象派と浮世絵、見に行きたい。 -
19世期終わりのパリ。
浮世絵をヨーロッパに売り込み、大きな商売をしようとする林と、助手の重吉。
伝統的な絵画を扱う一流の画商として生きながら、無名の画家である兄・ヴィンセントを精神的に経済的に支えようとするテオ。
真実の美の力というものがあるのかわからないけれど、その力に対峙する4人の立つ位置、見つめるものは、驚くほど違う。
大好きな原田マハさんのアートもので、ゴッホ兄弟の数奇な運命に、さらに日本人のピュアな青年との友愛と、その時代のアートの先端が集まった花の都・パリ。
面白くないわけがない。
…などと感想を書きかけたままにしてしまって、例によってふわふわな感想ばかりだけれど、作中セーヌ川畔の描写で、『パリは光の角度が違う』というような記述があり、へえ!と驚いた。
人やモノが集まり活気がある首都だから輝いて見える、ということだけではなかったんだ。
はぁぁ、こういう事があるから、現地に行ってみないとわからない事って、本当にあるんだなぁ。
さらに脱線するけれど、南の国ではものすごく綺麗に見えたルビーが、日本で見ると全然たいしたことない色だったりする。本当に違う。
それは、紫外線が違うからだという。
であれば、ゴッホが描こうとした色や光は、パリで見ないと?ゴーギャンの絵はタヒチに行かなきゃ?なんて事を、パスポートもとうの昔に切れたきりの身で、ちょっと妄想を楽しみました。 -
架空の人物である加納重吉を登場させる事で、読者があたかもゴッホ兄弟と自分が本当に友人になったような感覚を味わう事ができる。テオの真っ直ぐな人柄と兄を思う強い気持ちが切ない。
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やっぱり、原田マハの美術史を扱った作品は美しい。
今では世界でも知らない人がいないゴッホの知られざる真実。弟・テオの援助を受けながらも、全体に流れるゴッホの孤独がとても切ない。
現世に残されてる作品からは、全く想像出来ないゴッホの生涯。現在、東京都美術館ではゴッホ展を開催中。足を運びたくなってしまった。 -
原田マハさんお得意の絵画の話なのだが、ゴッホとその周辺の話で面白い。
パリに行った日本人が浮世絵や日本画などを広め、それが洋画へ影響を与えて新しい構図の洋画が生まれた話を面白く描いている。
印象派と言われる画家が伝統的な洋画の世界から認められていない時期からはじまり、少しずつ認められるが高値では取引されないころの話。
ゴッホの作品数は信じられないくらい多いと聞いたことはあるが、この本を読んで納得がいった。
それにしても、芸術家という職業はその支える人たち含めて大変だということが理解できた。
文章も読みやすく引き込まれる内容でした。 -
パリは、たゆたえども沈まず。
静かな力強さに満ちたタイトルに惹かれ、手にした作品。事前知識も何もなく読み始めたが、ゴッホやその周囲の人々の悩みや想いが丁寧に描かれていて、一気に読んでしまった。
当時認められ好まれていた芸術、新しい表現を打ち出した印象派、浮世絵に代表されるジャポニズム。移りゆく時代の流れをつかみ、作品を扱う2人の画商の立場で描かれる。
ゴッホの作品の素晴らしさを理解しながらも、新しい芸術として認められることの難しさ。どうしたら作品も画家も認められるのか。ドキドキしながら読み進めていった。
たゆたえども沈まず、ゴッホの憧れた生き方でもあるこの言葉は、作品を貫いている。ゴッホ自身は難しかったかもしれないが、ゴッホの作品は「たゆたえども沈まず」なのではないかと思った。