ビリギャルで有名になった坪田氏の著書。子供教育のために読んでみたが、自分にも十分に応用できる内容で非常に参考になった。
才能とは能力を伸ばした結果であり、能力ののばし方を著者独自の裏打ちされた経験から導き出した方法を分かりやすく解説している。
「才能」と「能力」、「やる気」と「動機づけ(認知、情動、欲求)」、「How型思考」、「守破離」、「指導」と「フィードバック」など、言葉の意味から違いを明確にし、何をすべきかということを示してくれる良書である。
・「才能=能力」ではありません。「能力」というのは、コツコツと努力を続けられれば、誰でも身につけることができます。この「能力」が高まっていくと、人よりも飛び出したり、尖ったりする部分が出てきて、やがてそこが「才能」として認められるようになるのです。
・結果が出たら「元がいい」「地アタマかいい」と言われ、結果が出なければ「もともと才能がない」と言われるのです。受験までに驚くほど偏差値が上がっていたとしても、です。人は結果しか見てくれない、結果からしか判断しない、ということなのです。
・「動機付け」というのが、いわゆる「やる気」のこと。「動機」のない子なんて、一人もいません。親御さんはわが子に対して「やる気を持ってほしい」と言いますが、その子は「遊びたい」という強い動機付けがあって、「勉強したい」という動機付けがないだけです。であれば、「いかに動機付けするか」が重要になってくるかわかりますね。親御さんが子どもに対して願うやる気も、上司が部下に対して願うやる気も、やり方次第できちんと引き出せるはずなのです。
・動機付けは、「認知」「情動」「欲求」の3つの行動から成り立ちます。
人間というのは「これなら自分にできそう」で、しかも「これはきっと人生の役に立つに違いない」と思えたら、行動に移すものなのです。これが「認知」です。スタート地点で「自分が(子どもが/部下が)、何をどう認知しているか」を冷静に正確に観察することが大切なのです。そして、「(子どもや部下が)面白いと思える視座」を与えられれば、動機付けなんていくらでもコントロール可能なのです。
「情動」というのは、バーンと感情が燃え上がってテンション上がるわ、となる状態です。テンションが上がらないと、何事も続かないものです。
「欲求」は、「本当に自分がそれをやりたいと思うかどうか」です。
・「なぜでなかったのか、それは自分に才能がなかったから」「なぜできたのか、あの人は才能があったから」そう考えて自分に限界を作ってしまうのが「Why型」の特徴。能力を伸ばして才能を手に入れたいのなら、「How型」で物事を考えるようにしてください。
・人というのは、肯定されると頑張る生き物です。「褒めてもらうと頑張れる」「褒めて育つ子」なんて言い方をよくしますよね。
・多くの学校や塾では、進路指導のときに、今の偏差値で受かるところ、もしくはちよっとだけ上の偏差値の学校を受験するように指導します。それは「現役で合格してくれた方が、学校や塾として都合がいいから。つまり、来年のわが校、わが塾への志望者が増えるから」です。そこには残念なことに、今よりもその子の能力を伸ばし、才能として開花させようといった考えはありません。
・多くの人が、何かというと「すでに差がついちやっていることは、今からやったとしてもすでに遅い」と言うのです。人が文句を言うのぼなぜでしょうか。僕は、「人が後悔する生き物で、ひたすら後悔しているからだ」と思うのです。「後悔」しないためには、この後悔の連鎖をどこかで断ち切るしかありません。それには「今すぐ」→「後悔をしないための選択肢を選び」→「やる」こと。「やらなかった」という後悔を、なくしていくしかありません。
・子どもでも、70代の人でも、始めようと思えぱいつだって始められます。「すごくやりたい」と思えることがあるのなら、まずはやってみれぱいい。やってみて興味がなかったら、やめればいい。やらない理由を探している時間はもったいない。
・塾というのは、別に行かなくてもいいところです。自分が行きたいと思って行くところなのですから、やめるのも本人の自由です。しかし、そもそも何のために「塾に行こう」と思ったのでしょうか?「学力を伸ばしたい」「志望校に合格したい」といった目的があったからでしょう。そうやって通い始めた塾を、「やめたい」と思っている。その理由は、実はとてもシンプルです。塾に通っていてもなかなかその目的に近づいている気がしない。つまり「自分が成長している」ということが実感できない。だから、やめたくなるのです。ということはつまり、自分が成長していることが実感できていれぱ、必ず続けられるはずなのです。
・もしあなたが、「すべてを他責にしている」「環境が原因でうまくいかないと思っている」という状況でいるとしたら、その思考から抜け出さない限り、才能の磨きようがありません。「誰かのせい」にしてしまっているせいで、実は、自分で自分を否定しています。
でも、誰だって挫折します。そういうときは、どうしたらいいのでしょうか?そういうときは、「自分はどんなことをしていると楽しいのか」「何が好きなのか」「どんなことを叶えたいのか」を考えることです。「何かのせいにする」「誰かのせいにする」のでなく、しっかりと自分を見つめてください。
・相手や市場のニーズを察することのできる人が、ビジネスでも成功する。これが実際はどういうことかというと、相手の次の動きを想像できるくらい、観察・洞察・想像することです。そして、そこまでして、相手の思考や行動を見抜けるようになる人のことを、いわゆる「才能がある」と言うべきなのではないかな、と僕は思います。
才能がある人というのは「結果」を出せる人です。結果はどういう人が出せるのか。洞察力がある人に他なりません。
洞察力とは、物事を深く鋭く観察し、その本質や奥底にあるものを見抜くことであり、観察しただけでは見えないものを直感的に見抜いて判断する能力のことです。
・「本来は誰もが持っている能力」を、どのように伸ばせば「才能がある」と言われるべきもの=他の人にはないような突出した能力」になっていくのでしょうか?そのために大事なキーワードは「守破離」です。まずは「師となる人」の教えを守って、徹底的に真似をしてください。このときにその人の言うことは聞かないでください。僕がいつも言うのは、「頭のいい人の行動を完コピしろ」ということです。完コピにあたって、大切なポイントがあります。完コピをするときは、その人の「考え方」だとか、「言っていること」ではなく、「行動」を完コピすること、です。
・どれたけ優秀な子であっても、努力の継続ができないと、成績は伸びません。その「継続の途中」で邪魔をされてしまうことが、たびたびあります。「継続」をしっかりと支えてくれる人がいるケースと比べると、この差はすごく大きい。邪魔するのも、支えるのも、一番影響力があるのは家族です。子どもが夢を語って努力を始めようとしたときに、親が「そんなの無理だ」「できるわけがない」と否定せず、信念を持って守る。愛情を与える。そして子どもの言葉を信じて、温かく見守る。子どもの才能を開花させるには、これに尽きます。
・親御さんって、必ず子どもに「宿題やりなさい」と言いますよね。でもそれって、「勉強するため」ではなく、宿題を忘れると先生に叱られるからやりなさい、ということなんだと思うのです。実際、どんな宿題が出ているかもわかっていないで「宿題やりなさい」と言っている親御さんがほとんどですよね?なぜこの宿題をやらないといけないかがわかっていないのに「宿題やりなさい」そして「休まずに学校へ行きなさい」と言う。これは、親御さんの「思考停止の極み」ではないでしょうか。「わかった上で選ぶ」のと、「思考停止して、何もわかっていないのに自動的に選ぶ(実は選ばされている)」のでは、根本的に違います。
・親や教師、上司などが「こうしたらうまくいく」と言ってることを聞いても、うまくいくわけありません。なぜか?それは「その人固有の成功体験」だからです。自分に合うやり方を探してみるしかないのです。そして、それは必ずあります。
・もし、才能の「壁」にぶつかったらどうするか?もう「本当の基礎の基礎」からやり直すことです。これしかありません。これまでにやってきたことを、もう一回、基礎に戻ってやるのです。壁にぶつかってしまった人は、先に進むのをいったん休止して基礎の基礎まで戻った方が、その後の成果は格段に違います。
・今の自分が「できると思っていること」より、少しレべルの高いことをする際に、「能力がないからできない」というのは言い訳でしかありません。そんなことを言っていたら、一生なにもできません。
・英単語や漢字を覚えるとき、その英単語や漢字を単独で覚えようとせず、例文にして覚えなさいとよく言われると思います。「長い文章で覚えるより、単語を繰り返し書く方が覚たやすいんじゃないか?」と思う人もいるようなのですが、それは単なる思い込みです。人間というのは、新しいものや、奇妙なもの、珍奇なものに対して抵抗を感じる性質があるらしく、見たことも聞いたこともない新しい英単語や漢字はすぐに覚えられないそうです。
一方で、自分が知っていること、一度でも見たことがあるものに対しては、親近感を抱くそうです。さらに何度も接触しているものについては、それが自分と親しいものだと感じるようになる。これは心理学では「単純接触効果」と言って、何度も目にしていたり、接触する回数が多ければ多いほど、その効果は高まります。
人の脳は、接触回数を増やしさえすれば、記憶に定着しやすくなり、仲間だと思いやすくなるのです。
・お互いの「期待」があって、それに応えることを続けていくと、自然と「信頼閏係」が生まれますが、その期待がそもそもズレていると、信頼関係というのは生じないし、これが途中からズレると「裏切られた」となるわけです。ちなみに、この「期待」は、それまでにかけたコストが高ければ高いほど高まります。そして、その高まった期待を毎回上回ることば、現実的にはよっぽどお互いがケアをしないと難しいので、「信頼関係が深ければ深いほど」裏切られたと感じることが増えるようになります。
・チームのパフォーマンスを上げるためには、「全体にとって最適なこと」を選択する能力が求められます。それには「信頼関係」が必須であり、その信頼関係を継続しなけれぱなりません。そのためには、「自分にとっては短期的に得かもしれないという選択肢は捨てて、全体最適のために、お互いのことを考え、協調すること」を考えるぺきなのです。
・人間は、フイードパックを受けると、より良くなろうとする生き物だ、ということです。逆に、誰も何もフィードバックをしてくれないと、本人は気づかないから、何もしないし動きません。
このときに一番いいフイードバックのやり方は、プラスの意図もなく、マイナスの意図もなく、ただ事実のみを言うのです。
・現代の日本人は、客観的な言葉の中にも、相手からの期待を感じ取ってしまっています。そして、「自分はその期待通りに動かないといけないんだ」と思ってしまうような思考回路になっている。
・上司が部下の才能を伸ばすためには、「中立的なフィードバックを、ただひたすらすること」です。「中立的」とは、フィードパックにあたって、自分の価値観を挟まないことです。自分の価値観を入れずにフィードバックを続けると、部下がもともと持っている「自分が正しいと信じている価値観」の通りの姿になっていきます。すなわち、部下自身が抱いている理想の姿です。
・成長の一番の近道はフィードバックされた側が自分で気づくことせです。自分で気づけば、自発的に問題を見つける力がついていきます。客観的なフィードバックをずっと受け続けていると、先生がいない状態、上司がいない状態でも、常に「鏡」を見ている状態になれます。これがいわば「メタ認知」と呼ばれるものです。メタ認知の能力が身につくと、能力が四方八方へ伸びていきます。そしてこの能力が尖っていくと「才能」になるのです。「自分がどのような認知をしているかを認知する」ということがメタ認知です。
・自分で自分を動かすためには、何でも自分で自分の実況中継をしてください。実況中継によって自分をメタ認知することで「私は今これを気にしているんだな」ということに気付けるようになるのです。
・誰かを実況中継することは、「中立的なフイードバック」にもなります。
・実は私たちの脳は、自分が言っていることの「主語」について、あまり認識していないのです。「お前は、ほんとにパカだな」こういう言葉というのは、言われるといやな気持ちになる言葉ですが、言っている側もいやな気持ちになるものです。これは脳の認識のせいです。「お前は」と」いう主語があるにもかかわらず、それを脳が認識せずに「パカだ」という述語だけを認識してしまうのが原因なのです。これはつまり、「バカだな」という言葉を、相手に対してだけでなく、自分で自分に対しても言っているのと同じこと。
相手を非難するマイナスの言葉やネガティブな言葉は、相手に対して大きなストレスをかけるものですが、これは同時に、自分のストレスにもなっていたのです。
フィードバックをしている時も同じです。怒りやマイナスの感情ばかりを相手にぶつけていると、自分も疲弊してしまうことになります。そんなわけですから、人に対しては基本的にポジティブな言葉だけをロにした方がいい。そうすると、自分も相手もストレスを感じなくなる。他人を傷つけないようにすると、自分のことも傷つけなくなるものです。
・間違いを指摘して正しく導くことが「指導」ですが、別の見方をすれぱ、これは自分のやり方や存在を否定されていることと同じです。指導されるというのは、これまでの自分の行動を阻害されたということになる。相手と自分の間には、もともと大きなズレがあります。だからこそ、指導されると必ず悪感情が芽生えることになるわけです。
逆に、指導する側は「自分はいいことをしている、感謝しなさい」と思っている場合がほとんどです。しかし、教えられている方はイラッとしているわけですから、そんな状態で感謝をするなんて、よほど変わっていないと無理でしょう。指導する側は「指導してやっている」と、絶対に思わないようにしなければなりません。