- Amazon.co.jp ・本 (184ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344033870
感想・レビュー・書評
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タイトルが気になって手に取った本。
とにかく驚いた。
私は、5歳の幼稚園児なのだから。
小さい身体で頑張って幼稚園へ通う。
母に心配をかけたくない、賢くて優しくて強い子なのだ。
周りのことも自分のこともよくわかっている凄い子なのだ。
頑張れ、という言葉よりも好きなことをやりなさいと言いたくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
たくさんの「私」たちがこの小説を読んで救われたと思う。私以外の「乱暴」で「子どもっぽい」人たちとも、大きくなれば何となく仲良くすることはできるけど、時にはこの5歳児の姿を借りて、自分だけの場所へ、逃げたいし、隠れたい。
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子どもの頃の自意識が、ぐわぁー!っと押し寄せてくるような読書体験だった。大人になってよかったなぁ、不当に扱われることがずいぶん減ったもの。わざと鈍感になることも、逃げ出すことも、技術として身についたし。なつきがなんとも愛おしい。
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住み慣れた町を離れ、一家で祖母の家に越した「私」たち。転入先の幼稚園でのヒリヒリするような日々を、聡明なる5歳児の視点で描いた「私小説」。
私自身が筆者の能町みね子さんと同郷(北海道)で生まれた年も同じという事もあり、読み始めた直後から猛烈にシンパシーを抱いてしまっていたのですが、本書でその慧眼を如何なく発揮する主人公「私」にしてみれば、こういう所こそ「無理やり共通点を見出してこちらのテリトリーに土足で踏み込んでくる不躾な大人」って感じだよな……と後々冷や汗が止まりませんでした。
40歳を目前に控えた今振り返る自分の「幼稚園時代」って、特に大きな事件もなく、ただただのっぺりとした輪郭しか思い出せないのだけど、多分それって川の下流のに転がっている石が丸っこいのと同じなのかも。
三十数年分の月日の流れの中で摩耗しちゃっただけで、元々は幼児なりの、そして幼児ゆえの悲しみや苦しみや葛藤や軋轢や恥辱でデコボコギザギザガビガビだったのではあるまいか。
いや絶対そうだよ。だってあの時だってさ……って突然記憶のタガが外れたようになって、今まで思い出しもしなかったようなあれやこれやが自動再生されてしまい、読みながら身悶えすること頻り。
子どもの頃、何と表現すればよいのかすら解らず漠然と抱いていた感情が、本書によっていきなり最適な言葉を与えられたような、ものすごい読書体験でした。
うちにはあと半年で5歳になる娘がいるんですけど、この子の頭の中にもこんな感じの世界がぎゅうぎゅうに詰まってるのかな、と思うと、不思議すぎて頼もしすぎて愛おしすぎて笑っちゃう。 -
幼少期のトイレの記憶と教室での冷静な自分。私も決して忘れない。
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能町さんすごい。こんなにも幼稚園の時のことを記憶してるなんて!
僕はサクラ組だったような気がする。幼稚園嫌いで、行くのが嫌だったなあ。 -
「私小説です、たぶん」と帯にあり、確かに私小説だとは思うけど、幼稚園時代のみを描いているという点で特殊。
そしてまた、ホントによく覚えていて、それを文章で再現する能力の高さに恐れ入った。ああ、そんなことがあった、と読みながら自分の記憶の蓋が何度も開いた。トイレの床のタイルの目地に溜まった水の汚らしさ、おゆうぎ室の床の冷たさ、折り紙の金・銀のびらびらと音のするワクワク感といった場所や物についてだけでなく、子どもの気持ちの表現ときたら!
読んでいて、この子の賢さは(観察力の鋭さ)女の子の賢さで、これくらいの時期の男の子は賢くてももっと一点集中で、自分の中に向かっているような気がする。なのに男の子として生まれついてしまったことが、この後の人生でどうなるのかもぜひ書いてほしい。 -
当時言語化できていれば楽になったのかますますもやっとしたのか。子ども、ではなく小さい人と表現した渡辺一枝さんを思い出した。
頭の中ではできているのに体ではできない苛立ち、考えていることを他者に伝えるには足りな過ぎる語彙の量。
かかわる仕事をしているので、目の前にいる小さい人の中で
渦巻いているものがあることを忘れないようにと自戒。 -
子供なのに、思考と口調の達観性が、アンバランスな感じを感じさせておもしろい。
ミステリというなかれの整くんが、子供は馬鹿だという大人に対して「思い出してください。自分が子供だった時を。そこまで馬鹿じゃなかったはずですよ」みたいなこと言っていたのをふと思い出した。