- Amazon.co.jp ・本 (519ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344035690
感想・レビュー・書評
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千利休の見方が変わる一冊。
実際のところは勿論誰にも分からない。イメージ通り、時の権力者に擦り寄り思うがままに操り、裏で権力と財力を恣にした俗人だったかも知れない。
だがこの作品での利休は、茶の湯で『この世に静謐をもたらそうとした』、そのことに生涯とその生命をかけた人物として描かれている。
茶の湯が武人たちの『荒ぶる心を鎮める』という考え方が興味深かった。
信長はそれまで土地であった恩賞を茶の湯の名器であったり、茶の湯を開く資格を与えることであったりに変えた。
そして秀吉は利休と共に更に飛躍して茶の湯を天皇・公家から庶民まで世の中隅々にまで行き渡らせた。
そして利休は秀吉の心を戦から茶の湯へと繋ぎ止めるため、様々な趣向を次々と生み出していった。
信長や秀吉は『己以外のものに野心や欲心を抱かせまいとし』て茶の湯を利用したが、己自身は『欲心』を鎮められなかった。特に秀吉は敢えて止めなかった。
秀吉と利休の関係にヒビが入った一つのきっかけとして黄金の茶室があると勝手に思っていた。利休が追求する侘びの世界とは真逆にある黄金の茶室は、私からみればあまりに露悪的でしかないのだが、そこに利休は秀吉の真の狙いを知る。
勿論これもまた作家さんなりの解釈であって実際のところは分からない。でももしそうだとしたらこれまた秀吉の見方も変わって面白い。
一介の茶人に収まらない、戦を止めるためならどんな交渉も裏工作もやっている利休は、私から見ればやりすぎにしか思えない。だが武人には出来ない、利休にしか出来ない戦いだったのだろう。
これもまたこれまでの見方を覆すところで、利休の掌でうまいこと転がされていたように思っていた秀吉が、この作品では利休と常に闘っている。
止まらない己の欲と、止めようとする利休との闘いの連続は緊迫するばかりで、これではいつ破綻が来ても仕方ないと思う。
だから津田宗及も今井宗久も秀吉から『降りた』。だが利休は降りない。
山上宗二のように徹底的に楯突いて果てることもしない。
利休は秀吉と『共に断崖から身を投げる』道を選んだのだ。
茶の湯を利用した信長も秀吉もその権勢はあっという間に過ぎ去った。そして同じく茶の湯を政治の道具として使った徳川家康を始めとする江戸の時代もとっくに終わり、近代、現代に至った。
だが千利休を祖とする千家はいまだ繁栄している。何と皮肉なことか。まさに利休が死の直前に感じた予感の通りだ。
近頃は文化人や芸能人が政治の世界に近づくことは悪とされ、逆に政治と距離を置き権力に物申すことこそ格好いいとされる風潮がある。勿論それが一概に間違いだとは思わない。
だが千利休のこの半生を読んで、彼が茶人としてだけでよりは何倍も濃い人生を送り、自分のためだけではない大きなもののためにその人生を捧げた傑出した人物だったと思う。
実際のところはわからないが、ただ一つ言えること、彼はその生命と引き換えに茶の湯を守ったのだ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
以前読んだ有名な利休の某歴史小説が、なんかちょっと違うなぁ…と感じており(のっけから毒を吐いて失礼します)、他のを読んでみたかったのだ(本当は井上靖氏の「本覚坊遣文」が読みたいのだけれど…)さらに感じ悪くてすみません
秀吉と利休は光と影だった
だが光と影が互いの領域を侵そうとすれば、待っているのは破綻だけ…
茶の湯によって天下を統べようとまず企んだのは織田信長
土地には限りがある
茶の湯を流行らせ道具の値打ちを高める
皆の固定観念を変える
そして茶によって武士たちの荒ぶる心を鎮める…
それを引き継ぐ秀吉
力によってこの世に静謐をもたらそうとする秀吉
その力をうまく操り封じ込めようとする利休
利休もまた命をかけて静謐をもたらそうとする
武士と商人
全く違う立場の二人の正面からぶつかり合う緊張感
お互いの腹の探り合いと、時に刃を袂から覗かせるような心理戦のせめぎ合い…
ふぅ、ドキドキしますねぇ〜
後半の秀吉のご乱心ぶりももちろんいただけないのだが、立派に秀吉に楯突いた辛辣で有名な茶人山上宗二のセリフが爽快だ
「そなたの渇きや飢えは死ぬまで続く……
…この世のあらゆるものを手に入れても、そなたの欲は収まらない」
貧しい田舎育ちの秀吉
飢えは恐ろしいことを知っているはずなのに…
ですね
また武士と商人の徹底的な違いがある
それは秀吉の元へは利害関係、力関係による組織…そういった集合体に過ぎないが、利休の周りは違う
尊敬心と仲間意識だ
切腹に関しても興味深い解釈での物語の進行がある
武士は死に際の美しさで後世の評判が定まる
切腹は美学の到達点
武士は切腹という自裁の方法は独占したいはずだ
つまり武士以外が行えば武家の棟梁である秀吉は不快になるはずだ
そう考えた利休は切腹を選択する
という設定なのだ
真相はわからないがこれは注目
このように武士と商人の立場の違いからこの時代が読み解け、このアングルの見せ方は最後まで読み手を惹きつける
家督を背負い生き残りをかける武士たちの知恵と策略も人間ドラマでとても面白いのだが、そこに茶人が政に絡んでくるのだから、そりゃ興味深いに決まっている
利休の歴史小説が多くあるのもこのような特異な立場に注目してされるからだろう
ここでの利休は自分が持つイメージとかなり違ってかなりの善人(笑)
異常なまでの美への固執あまり描かれず、垢の強さは控えめ、愛情に溢れており、「静謐」という強い使命を持って命をかけて秀吉と闘う
なかなか読み応えもあるが、会話形式も結構多いため、500頁という圧は感じずに楽しめた
巻末には茶道具等一覧もある
お茶の世界って実に興味深い
奥深そうで、覗き込んでも全く底は見えない感じ
なかなか気になる世界だ
気にはなるけど何から手をつけたら良いのかよくわからないのも事実
まぁマイペースに少しずつ知識を増やしていきたい -
この本を読むと千利休と秀吉の関係が思っていたのと違うことに気がついた。
もちろん、歴史解釈の一説として受け止めれば良いのだろうが、圧倒的なリアリティがありこれが本当の姿かもしれないと思うくらいだった。
また、「侘寂」も今まで思っていたのと全く異なるのが新鮮だった。秀吉の黄金の茶室も見方が変わること間違いなし。
一読の価値のある一冊。 -
千利休が豊臣秀吉によって切腹させられるまでのプロセスを、独自の歴史解釈で描いた長編である。
利休をたんなる芸術家・文化人としてではなく、茶の湯によって世を静謐(=平和)ならしめんとした一種の「フィクサー」として描いている。
天下を取ってからもその野心に限りがなく、大陸出兵へと暴走しようとする秀吉は、利休にとって主君であると同時に、彼の目的を阻む最大の敵となる。
つまりこれは、武によってではなく、心理戦によって秀吉の野望を挫こうとした利休の「戦い」を描く小説なのである。
帯の背には「裏『太閤記』!」なる惹句が躍る。
『太閤記』はいうまでもなく秀吉の伝記だが、本作はその裏ヴァージョンだというのである。
これは言い得て妙で、秀吉はもう一人の主人公と言える。
本作の秀吉は、怜悧にして残忍な独裁者であり、権力欲や所有欲などを極限まで肥大化させたような、醜怪なる俗物である。
だが、決して単純な悪役としては描かれていない。それどころか、利休が追い求めた「侘(わび)」の境地を、彼の高弟たち以上に深く会得し、風雅の本質を解した人物として描かれているのだ。
そのように複雑な陰影を具えた人物として秀吉を描いたことで、利休との静かなる戦いがいっそう見応えあるものとなった。
そして、主人公の利休については、その心の奥に分け入るような心理描写が積み重ねられていく。本作に構築された利休の人物像は、秀吉以上に複雑で重層的、かつ魅力的である。
《利休には「異常なまでの美意識」という聖の部分と、「世の静謐を実現するためには権力者の懐にも飛び込む」という俗の部分があった。この水と油のような二種類の茶が混淆され、利休という人間が形成されていた。》436ページ
利休が茶を立てる場面の一つひとつに、ストーリー上の重要な意味が担わされている。その繊細な描き分けに感服した。
私に茶道の知識と経験があったなら、それらの場面をもっと深く味わえたことだろう。
500ページ超の雄編を一気読みさせる傑作。 -
「茶の湯によって天下を統べようと」した(秀吉を現世の支配者とすれば心の支配者たらんとした)利休、茶の湯の力によって為政者を傀儡子のように操ろうとした利休、「茶の湯によって武士たちの荒ぶる心を鎮め、この世から戦乱をなく」そうとした利休、堺の商人として「民が生き生きと働き、商人たちが自由に行き来できる世を」希求した利休の姿を(しつこく)描いた長編歴史小説。
「天下人の茶」の姉妹篇。両作品の基本コンセプトは同じで、本作は内容をたっぶり膨らませたものとなっている(そのためか、展開がダレてしまっている印象がある)が、違うところも多かった。
「天下人の茶」では、本能寺の変(及び山崎の合戦)も利休が陰で光秀や秀吉を謀って仕掛けたとしているが、本作では、本能寺の変はあくまで突破事象であり、変後、堺の会合衆が秀吉を信長の後継者に選び支援したとしている(物語もここから始まる)。また、「天下人の茶」では、愛弟子の山上宗二を利休が自ら処刑したのに対し、本作では、宗二は利休不在時に鼻と耳を削がれ磔にされている。まあ、何れも本作の設定の方が現実的だな。
何れは為政者から疎まれ、排除されてしまうことを覚悟しながらも、この世から戦乱をなくすため、命を賭して政治工作を続けた利休の姿、確かに立派だが、もっと人間臭い面が欲しかった。また、利休の政治的な役割をここまで大きくしてしまうと、さすがにリアリティ下がるなあ。茶の湯で天下を統べるのだ,といった大それた政治的野心を前面に出すよりも、図らずも政治に対してかなりの影響力を持ってしまった、といった流れの方がしっくりくるけどなあ。好みの問題かもしれないが…。 -
茶聖、千利休が世の静謐を求めるため、秀吉と時に強調しつつも、徐々に疎んじられついに死を賜るまでを描いている。最初に茶の湯の影響力がどこまで腑に落ちるかで、話の納得感が違ってくるわけで、私の場合はなかなか素直に読めない点があった。しかし、場面場面の展開や新たな解釈は納得できる面もあり、500頁を超えていても、きっちり読み進めることができたのは、安定の伊東節ゆえでしょう。
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千利休と秀吉の関わりの半生。
密な関係から死を命じられるまでの移り変わりが身に迫って面白い。
茶の湯を政道と絡ませ、世の静謐を願った利休が最期まで秀吉に臨んでいった姿勢にあっぱれを感じる。
戦国の時代に茶の湯の果たした役割など興味深く読んだ。
その後から現代まで脈々と続く茶の湯に利休の思いを聞いてみたい。 -
千利休が豊臣秀吉のフィクサーだった場合の物語。
古田織部や細川三斎など利休七哲が何人か出てきて、武将としての駆け引きや、茶道を極めたいという思いとの苦悩もあり、面白かった。
千利休が、農民など町の人々が戦いで困窮するのを防ぎ、「世の静謐のため」に裏で政治を動かす、という話。
どこまでが史実に基づいているのかは分からないが、「世の静謐のため」という言葉が何度も繰り返され、そもそも利休がなぜ「世の静謐のため」に自らの命を捧げようとしていたのかが、よく分からなかった。
茶道の話は少なかったので、それ目的だと物足りないかも。 -
伊東潤さんが、これで直木賞を取る!と思っていました。何で?
日本の戦国時代、お茶葉をひく石臼が火薬製造に使われた、とか、恩賞を土地から茶道具にした、とか、現実的に茶が使われていた認識でした。
愛、平和の為のお茶だったとは!
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読みごたえあり、かなり時間がかかったが面白かった。
隠居を選ばず、世の静謐といえ大義のために生きる。一つの生き方とそのための立ち回り方を感じた。
後半からのりきとのやり取りグッと来る。