遅いインターネット(NewsPicks Book)

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 437
レビュー : 25
  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344035768

感想・レビュー・書評

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  • 私も書き手として、他者×日常としての物語提供から自分×日常への転換をどうすれば読み手に届けられるのか考えているところある。そのために塾開いたり、非日常の現場個別の勉強会が日常になるよう働きかけ(押しかけ)たりしている。まだ、筋道を見つけられていない。

  • SEO汚染が拡がり、タイムラインはミームと炎上にまみれ、SNSは自己承認欲求の充足装置を通り越しビジネスツールに成り下がっている。
    その現状をある種の敗北と位置づけながら、旧来の媒体に退行するのではなく「考える」余白をとるための「遅いインターネット」という戦略を取る。それが本書の骨子だと理解した。

    自己幻想、対幻想、共同幻想の境界が溶け合っているという指摘、
    若い世代では「読む→書く」ではなくまず「書く」が来ているのだという指摘には驚きつつも、納得感があった。

    考える力を取り戻すための「遅いインターネット」という考え方自体には共感する。
    しかし、この考え方を、宇野常寛さんが届けたいという射程にまで広げるにはどういうアプローチがよいのだろうか。
    よくある「勉強会は、本当にそれを勉強してほしい人はこない」問題。意識が高く自己研鑽に(時間的にも金銭的にも)投資する/できる層は「遅いインターネット」という装置がなくとも自己幻想の過剰な肥大とは自覚的に向き合えるのではないか。
    目の前のタイムラインに流れた情報をとりあえずRTする、マスクを買うために朝からドラッグストアに行列をつくる。そういった層に届けるにはどうしたらよいのか。
    NewsPicksの書籍として本書のような硬質な内容が出版されたのは、もしかしたらそういう端緒につながるのかもしれない。

  • サブカル批評があったからこその社会批評が爆誕。面白過ぎた!という前提の上で、考えたい問いは以下。

    Q1.運動としての「遅いインターネット」は、880円もする高級タオルを買えないsomeにも届き得るのか?
    もちろん、880円の高級タオルが買えない、若くて、カルチャー批評が好きな学生さんは、「遅いインターネット」を享受すると思う。でもきっと、こういう回答じゃいけない。なぜなら、それは別に、プラネット自体が既に達成できる領域だと思うので。本書で展開された、「糸井の批判の上にたつ、もっとsomeに届く運動」という論理見解の結論としては、乏しいと言わざるを得ないからだ。宇野さんの運動論は、もっとスケールの大きな話であるに違いない。だからこそ、この問いを、自分で考えるとともに、いつか宇野さんにも直接伺ってみたい。
    ※既にウェブマガジン「遅いインターネット」は拝読していて、とても楽しく読んでいる。でもだからこそ、ゲンロンなどのコミュニティのコンテンツが大好物な、もともと批評楽しいと感じる私だからこそ、これがどれほどの射程距離かは気になる。

    ヒントは、本書でも扱っている「語り口」か?だとしたら、やはり、フォーマットから考えるという方法もあるのかも。
    「その最大の特徴は形式ではなくあくまでその内容にある」とP191に記載があるが、これはある種、「語り口」が大事だとする主張との矛盾も孕んでいるのかも。
    someに届きやすいフォーマットの開発、も注意深く探り得るのか?とはいえ、その沼にはまると、肝心かなめの内容が置き去りにされがちになることは何となく想像できる。うーむ。やはり即答はできなそうだ。考えよう。考え続けよう。

    Q2.(これはQ1.の言い換え的な側面も多分に含む問いになるけれど)ランニングやタイムライン等の生活シーン引用から、自らはanywhere側にいることを表明したことになる(と思われる)宇野さん。と同時、本書の人称は「僕たち」となっている。someとanyとは全く別の見方をしている、とその深い断絶を訴えながら、なぜ、「僕たち」という語り口を採用したのか?それはもしかして、まさに「それじゃsomeには届かない」と批評してみせた「施しを与えるという筋書き」になってはいないか?なっていないとして(おそらく相当な覚悟で「僕たち」とチョイスされているはずなので)、なぜなっていないのか?その真意を、ご教示いただきたい。
    自分だったらどう書くだろう?

  • 昨今のインターネット、特にFacebookやTwitterに代表されるSNSを取り巻く状況や空気感にモヤっとした何かを感じている人に向けて処方箋となり得る一冊。インターネットが世の中を変え世界を一つに繋げると信じられていた黎明期の期待は脆くも崩れ去り、結果として分断と過激さを加速させただけではないかという主張に同意。そんな状況に対して新たなムーブメントを仕掛け、インターネットへの向き合い方を見直していこうと呼びかける決意と心意気に共感できた。芽はまだ小さいが、いずれこの活動が評価される日が来ることを祈る。

  • 読了

  • 熱量が凄い
    冒頭の新国立競技場を戦艦ヤマトに例えて揶揄してたのには感慨深い

  • かつて栄光を予感させた新しいテクノロジーやイデオロギー(インターネット、ソーシャルメディア、民主主義など)からはもはや希望が失せ果て、そこに蔓延る衆愚に対する苛立ちや怒りを隠そうともしない。しかしそれを猛烈なエネルギーへと変え、迸る情熱を紙とペンに宿し、書くという行為にぶつける。サブカルチャー論をはじめ、著者の作品はそれなりに読んできたつもりだけど、これまでで最も熱量が込められていたように思う。

    トランプやブレグジットをはじめとした昨今のポピュリズムへの回帰を、グローバリズムとの境界を持つ者・持たざる者の分断によって説明。
    また吉田氏や糸井氏といった20世期的批評を補助線として引きながら、インターネットとソーシャルメディアがもたらした個と社会との接地面の変化を鮮やかに析出し、その問題解決を「遅いインターネット」に求む。
    その帰結をメディアに求めたことは意外ではあったが、重要なことはこれを安易に批判することではなく、スローに考え、自分なりの問いを立てて答え直すという営みを、1人の自己として果たすことだろう。それが、この本を読んだ人間としての最低限の責務だと思う。

  • 社会に自立して生きるためには、主体的な意見と行動によってコトへ対峙することで、自分のモノガタリを感じることが必要。そのためには、自分を取り巻く環境(政治経済、社会)に対して傍観ではなく意識的に体験する態度と行動(ex. 読んで考えて書く、自分のために感じて、問いを立てる)をスローに≒情報に対する進入角度と速度と距離を自分に適した形式で行うこと。

  • 評論家の宇野常寛さんの新刊。平成の30年は「失敗したプロジェクト」、令和の時代になり日本の未来を取り戻すには「遅いインターネット(スロージャーナリズム的なネットでの質の高い情報発信)」が必要だと著者は語る、特に「書く」という行為についてじっくり考えさせられた。ディズニーのマーベル、NianticのポケモンGOを例に、「モノからコトへの時代の移行」を語っていたり、目の付け所が違うというか独特の視点で語られていて非常に面白い。人によってとらえ方がいろいろありそうな作品なので、読後感が分かれる一冊かなと思う。

  • 宇野さんの世界の見方に脱帽。

    吉本隆明、糸井重里をもってきた、3幻想によるインターネット世界の理解。
    そして、その隙間を埋める遅いインターネット。
    自分自身の活動にも応用出来そうな考えに溢れていた。

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著者プロフィール

批評家。雑誌『PLANETS』主宰。著書に『ゼロ年 代の想像力』(ハヤカワ文庫)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本 文化の論点』(ちくま新書)ほか。

「2014年 『静かなる革命へのブループリント』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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