- 本 ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344036406
作品紹介・あらすじ
2016年7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が死亡、職員2人を含む26人が重軽傷を負った「やまゆり園事件」。
犯人は、元職員の植松聖。当時26歳。
植松死刑囚はなぜ「障害者は生きるに値しない」という考えを持つようになったのか?
「生産性」や「有用性」で人の命を値踏みする「優生思想」は、誰の心の内にも潜んでいるのではないか?
命は本当に「平等」なのか?
分断しない社会、真の「共生社会」はどうしたら実現するのか?
植松死刑囚との37回の接見ほか、地元紙記者が迷い、悩みながら懸命に取材を続けた4年間のドキュメント。
〈目次〉
第1章 2016年7月26日
未明の襲撃/伏せられた実名と19人の人柄/拘置所から届いた手記とイラスト
第2章 植松聖という人間
植松死刑囚の生い立ち/アクリル板越しに見た素顔/遺族がぶつけた思い/「被告を死刑とする」
第3章 匿名裁判
記号になった被害者/実名の意味/19人の生きた証し
第4章 優生思想
「生きるに値しない命」という思想/強制不妊とやまゆり園事件/能力主義の陰で/死刑と植松の命
第5章 共に生きる
被害者はいま/ある施設長の告白/揺れるやまゆり園/訪問の家の実践/〝成就〟した反対運動/分けない教育/学校は変われるか/共生の学び舎/呼吸器の子「地域で学びたい」/言葉で意思疎通できなくても/横田弘とやまゆり園事件
終章 「分ける社会」を変える
感想・レビュー・書評
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類書4冊目。事件のことだけではなく、共生社会とはとか、重度の子どものこととか、青い芝の会のこととか、いろんな視点の取材や考察もあって、とてもとてもよかった。
事件以外のところは、くりかえし読んで考え続けたいと思う。
残念なのは表紙。うーん。その選択は残念だと思う。
それで敬遠する人もいるのでは。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
省略
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読書記録83.
やまゆり園事件
戦後最悪の被害者数である事件と言われた神奈川県の知的障害者福祉施設やまゆり園で起きた事件を神奈川新聞社が追った記録
意思疎通のできない重度の障害者は不幸かつ社会に不要な存在であるため、重度障害者を安楽死させれば世界平和につながる」という思想のもと、単独でその犯行に及んだ植松聖死刑囚
彼の考えのきっかけや要素、生育環境や家族関係など植松死刑囚個人の内面には解明が及ばず、責任能力ばかりに重きを置いた裁判は死刑判決と被告本人による控訴取り下げで終わらせてよかったのだろうか?
事件とその罪だけでなくこのような考え方、思想が湧き上がるその背景や責任を裁判の場だけでなく社会的な範囲で考え議論する必要があるのでは?
「社会の役に立つ人になりたい」と人は言い
「役に立つ事が出来ない人には存在意義がない」
「生産性のない人間」などと言ってしまえる人が出てくるこの社会
どちらの言葉にも歪みを感じる
ただそこに
存在してくれる事のありがたさと
授けてくれる愛と幸せ
これも「現実を見ていない」と思われ片付けられてしまうだろうか? -
元ライターです。
膨大な取材量かつ非常にわかりやすい文体。神奈川新聞記者の能力に感動。
植松聖を通して、社会の問題と矛盾を突いた一冊です。
・「生きる価値なし」と命の選別をした植松は、生きるべきではないと死刑をくだす矛盾。
・世間では命の価値は平等と謳いながら、出生前判断で染色体異常が見つかると9割は中絶する矛盾。
・障害がある人にとって必要な支援が受けやすいようにする特別支援学校が、健常者と障害者の分断を促進しているというジレンマ。
「どうして優生思想に傾倒していったのか」を裁判で掘り下げなかったことは、第二の加害者を生む問題に繋がりかねない。
我が心にもいる小さな「植松聖」と向き合わなければ、差別や偏見の呪縛から抜け出せないだろう。 -
各章立てを一人、あるいは数人のチームで取材したもので構成しているためか前半は内容の重複や繰り返しが多く読みにくく感じた。
取材したものをふんだんに盛り込もうとしてこういう構成になったのだろうがもう少し内容を整理した方が良いのではないかと感じた。
後半はこの事件から見える社会の障害者に対する問題について前半よりは内容の深まりを感じた。
終章とまとめは新聞記者らしく前向きに、障害者に対する差別や排除のない社会の実現を目指して取材を続けて行くと言うように締めているが、まとめとしてはそうなるかも思うものの残念ながら実現は難しいと思う。
今のコロナ禍の中で罹患した人たちに対する差別や排除の様相を見てもそれは無理だと考える。
本書にも書かれているが、新出生前診断で障害の可能性のある子どもが生まれる率が高いと診断された妊婦、家族の9割が妊娠中絶を選択するという現実を考えても、今の社会が障害者が社会で「普通に」生きるには困難な現実があると考えている人が大多数であることを示していると思う。
絵に描いた餅という例えがあるが現実はそれ以上に希望が持てない現状だと思う。
この犯人を死刑にしたならば「生きるに値しない命はある」と主張するこの犯人の考えを支持することになる、という視点は死刑制度について考えを深めるきっかけになった。(自分は死刑制度については、そのような考え方で向き合うことではないと思うが)
この事件や障害者が社会で「普通に」生きていくということについて、自分には関係のない遠い話だと考える人たちが大多数だと思う。生きづらさを抱えた人たちに対する関心を持つ人が少なすぎるということがそもそもの大きな問題なのではとも思う。
どうしたらそういう世の中を目指せるかの前に、自分ごととして関心をもってもらうことから考えないとならないのでは。
この本を最も読むべき人たちにとってこの本は、残念ながら最も遠い一冊なのだと思う。 -
ていねいな取材から浮かび上がってくるのは、植松聖という男の「官僚的な」良心とでも呼ぶべきものだ。「良心の欠如」ではない。植松はフラットな歴史認識や基礎教養に基づいて(なにせ優生思想のことだって知らなかったくらいなのだ)あんな凶行を働いたのだろう。ならば、その「フラットすぎる良心」に関してぼくたちはどう対峙するべきなのか。書評から離れてしまうが、俗流のニーチェ哲学やダーウィニズム以外に植松にどんな哲学・文学が届き得たのか。そんなことを考えさせる。命の重みを訴えるだけではなく、もっと根源的な思想が必要とされる
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★★★
今月2冊目
かの有名事件。
喋れない障害者は世の中に必要ないと19人殺害、26人負傷させた植松。その動機背景は。
この本後半はだらだらでいらん -
殺害のときのことなどが詳細に書かれていて怖かった。植松に彼女や友人がちゃんといたことがびっくり!
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インクルーシブ教育といいつつ、地域に知的障害者の施設は作らないでと言う。
植松がネット上では正しいと考える人が、とてもとても多くいることが分かる。
自分はどうか、読んでいてずっと自問自答させられ、答えが出ないような気持ちになった。
一つ不満は、入居者、家族への言及はたくさんあったが
施設従業員への言及は少なかったように思う。介護のブラック労働かつ低賃金を無視して、この問題が進むとは思えない。