平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命

  • 幻冬舎 (2020年12月9日発売)
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本 ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784344037168

作品紹介・あらすじ

アルコール依存症、離婚を経て取り組んだ断酒。そして、手に入れた平熱の生活。
退屈な日常は、いつでも刺激的な場へと変えられるのだ。
等身大の言葉で世界を鮮やかに描く、注目の書き手、登場!!   



目の前の生活を見つめなおす。自分の弱さを無視し、無理に自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるものを感じ取るほうが人生を豊かにできると確信したからだ。
深夜のコンビニで店員に親切にし、朝顔を育てながら磨く想像力。ヤブイヌに魅了されて駆け込む動物園。蓄膿症の手術を受けて食べ物の味がわかるようになり、トルストイとフィッシュマンズに打ちのめされる日々。そこに潜む途方もない楽しさと喜び――。
私たちは、もっと幸せに気づくことができる!

感想・レビュー・書評

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  • 小説かと思って読んだら全然エッセイだった。

    弱い自分を受け入れつつも現実を見つめ直すという視点で進む。あくまで弱い自分を受け止めてこの現実に対する著者なりの視点や言葉があり小説ではなかったか〜と思いつつなんだかんだ楽しく読めた。

  • 100年残る本屋でありたい店主と実感ある言葉を紡ぎたいライターの共通点|平熱のまま、この世界に熱狂したい|竹田信弥/宮崎智之 - 幻冬舎plus
    https://www.gentosha.jp/article/18848/

    平熱のまま、この世界に熱狂したい 「弱さ」を受け入れる日常革命 | 株式会社 幻冬舎
    https://www.gentosha.co.jp/book/b13413.html

  • この世界で幸せのあり方は、幸せを見つけ出すことという点に納得がいきました。
    「弱さ」を受け入れた著者の生活を一緒に覗いてみましょう。

  • 個人的な弱さを受け入れる、あるいは向き合うという「覚悟/決意」を「平熱/日常」の中でしていくこと、その豊かさを情緒豊かに書いたエッセイだった。

    読んでいてここで書かれている「弱くある贅沢」はどこか立川談志師匠が言われていた「業の肯定」のようだなと感じた。とてもやさしい視線と人情味がある。

    強いか弱いかで分けてしまいがちの世界。そして社会がグローバル化していって、「強い」ことが以前よりもさらに正しいことになっていくとどうしても息苦しさが出てきて、「弱い」ことがダメだったり悪だということになってしまう。
    そういう世界では一度負ければ終わりだし、正しさを証明するためには勝ち続けなければならない(尾崎豊の歌詞みたいだ)ので、一度でも勝ったり成功してしまうと、弱さを人前では出せなくなって失敗ができなくなる。プラスSNSによって一度の失敗で人生全てが終わる錯覚を植え付けられてしまう。これは現在の呪いのひとつだと思う。

    エッセイでも取り上げられている遠藤周作の『沈黙』のキチジローはいろんな示唆を与えてくれる存在だ。はっきり言って僕らの先祖はキチジローみたいな人が多かっただろう。戦場で勇しく戦って殺しまくって、殺されている人間ばかりならば後世に血は繋がっていかない。僕が自分の目的や使命もなく無理やり参加させられたら逃げると思う。
    談志師匠は「業の肯定」で、赤穂浪士の四十七士ではなく、その他大勢の逃げたやつや参加しなかったやつが主人公なのが落語だって言われていた気がする。これって「何者」にもなれなかった人たちのことだ。そう、すごい親近感。35歳問題にも通じる。

    「強さ」ってベクトルがわりと進むべき方向がちょっとしかないから実は不自由だと思う。逆に「弱さ」は個々人やコミュニティで全然違うから多様性があって、ある種自由なんじゃないかなって思う。もちろん問題も多様だからぞれぞれの難しさもあるんだけど。

  • 自分の弱さを認められる人って、強い人だと私は思う。でもだいたいそういう人って自分は弱いんですって言うんだ。弱さを認めることって、勇気がいることだと思うんだけどなぁ。
    私は誰かに弱さを見せることがとにかく苦手だから強い人に見られがち。
    でもそんなことない。他人よりほんの少し、強がることが得意なだけ。

  • 軽く読めるエッセイです。赤いカーディガンの話は考えさせられた。自分の子供の頃ならセーフだったかなあ。

  • こんなにも魅力的な書き手だったとは...!
    著者の眼差しがやさしく、弱く、次の一章が読みたくてたまらない中毒性のある文章。何か特徴があるわけではなくとても上手くて読みやすい。自分にぴったりハマっているのか...。本読むのっていいねって読んでる間ずっと思えてた本。さくらももこ(初期)以来の衝撃。
    好きな書き手としてばっちり覚えました。前のめりで過去作をもう1冊注文したので楽しみ。文庫版が項目増えてるらしいので文庫も読まなければ。

    全体として「弱さ」論で全部大好きだが印象的なものをひとつ。
    著者はアルコール依存から禁酒し、現在禁酒を続けられているが、禁酒という狂気(※町田康『しらふで生きる』が本歌) ができているのは意志が強いというわけではなく、むしろ「弱さ」に助けられているという捉え方がとても好きだった。
    -----酒に手が伸びそうになったとき、ぼくを寸前で止めてくれるのは、むしろ「弱さ」のほうである。再び敗北するのを恐れる臆病な「弱さ」が、酒をコントロールできるという思い込みから、ぼくを少しだけ引き離してくれる。------

    他に、恋するアサガオの話、オナラ紳士の話、オレの造語ドヤの話、細マッチョになりたきゃ歴史から調べろ話、35歳問題の話、など印象づよいから明日も来週も大好き。こんなふうに◯◯の話、って言えるくらい印象づくのも久しぶりかもしれない。そういう主題を浮きぼらせてしまう力、やっぱり自分のなかではさくらももこ的な作家だ。

    名前は雑誌でよくみていたので、過去にwebマガジンの「週刊 宮崎智之」に登録していたようだったがまともに届いた覚えがなかったので忘れていた。
    メールを検索してみると、2024年に1度か2度、号外のお知らせのようなものがあり、ほとんど機能していないようだった。ラジオをはじめられたようなので、今月中には聴いてみたいし、これから新刊を楽しみに待つ人になります。

  • 2024/11/03

  • 「何者か」にならんとする意識について。『ついつい頭の中の実態のない「ふやけたもの」に搦めとられて思考が空転してしまい、自分の元来の性質すら掴み取れない人がほとんどではないか。』自分の「性質」を掴み取る。「性格」ではなく「性質」に向き合う。

    セラピーの「do」。ケアの「be」。線的な時間と円環的な時間。

    オナラをして「失敬」と言えるかどうか。

  • 穏やかに読む。

    **凪の生き方。**

    「凪」という考え方。

    できるだけ詰め込んで、コスパとタイパを上げるように迫る社会的風潮の中で、空白を恐れない余裕を確保するためにも、ひとつ、ためになる考え方です。

    __無風状態のなかで世界を見つめ直すことにより、すでにそこにあったものの豊かさに気がつく。凪は、なにかが溢れ出し、なにかが変わる前兆でもある。

    変化の激しい世の中で、凪の状態に身を置くこと。それは退屈な人生を意味したり、日常に埋没して思考停止したりすることではないのだ。日常にくまなく目を凝らし、解像度を高める。そして切り替わった瞬間の風を全身で、肌で感じとる。そういう生き方である。

    **欲しいのは、自由、ではない。**

    福田恆存という、昭和の時代に活躍した保守系論客の方の言葉がところどころ引用されています。この、自由を問う文章は、とても共感しました。

    __また、ひとはよく自由について語る。そこでもひとびとはまちがっている。私たちが真に求めているものは自由ではない。私たちが欲するのは、事が起るべくして起っているということだ。そして、そのなかに登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしているという実感だ。なにをしてもよく、なんでもできる状態など、私たちは欲してはいない。ある役を演じなければならず、その役を投げれば、他に支障が生じ、時間が停滞するーーほしいのは、そういう実感だ。ー 「人間・この劇的なるもの」

    **人の痛みは決して分からないけれど。**

    身体をもって感じる、痛み、は、それぞれの人間の中でのみ生じる。勝手に共感することもできるけれど、それはまたその人の中で感じていることであり、決して同じ痛みを感じられる人はいない。それをわきまえたうえで、どのような姿勢で生きられるか…。共感しました。

    __生きている限り、無意識に誰かを傷つけてしまうことがある。誰かの痛みをそのまま感じることもできないし、完全に寄り添うこともできない。だからこそ思うのが、相手のことを簡単に「わかった」と思ってはいけない、ということだ。相手のことは理解できないし、 自分のことも伝わらない。それでも想像しようとすることをやめたいとは、ぼくは思わない。

    たとえ、想像することをやめない胆力を持ち続けることしかできなかったとしても、そういら姿勢を崩さないでいることしかできなかったとしても、その態度を「伝える」ことはできるかもしれない。最近では、そんなふうに思っている。

    **身近な実感。**

    自分の実感が及ばない世界について論じられない、と著者は言っています。私も、実感を持てない物事を考えることは得意ではなく、だからこそ、身近な体験を大事に、自分の存在を起点に、世界とかかわっていきたいと思います。

    __一足飛びに世界を掴もうとするのではなく、身近なことへの執着を積み重ね、想像することをやめないことによって、身近ではない世界や多様な他者への実感を掴むことができるのではないか。…もしぼくが見ている世界が、ぼくにとってどこか白々しいものであるとするならば、それはそこにぼくがいないからだ。 具体的な感覚を持って、そこにぼくが存在しないからだ。

    **社会の言葉と個人の言葉。**

    本音と建て前、みたいな、社会に出るとそういうことをサラッとできる人もいますが私はときにつっかかってしまいます。人間として、対話したい、したらいい、と思う時がある。社会の言葉を使う時、私たちは個をいったん捨てて、責任を組織に回している、ということなのかな。はっきり分けられていない場合もあるけれど、私たちはどうバランスをとっていくべきなのか…。

    __ぼくの中にコロナ以後、ずっと同じ矛盾が存在し、いまだに接合することができずにいる。しかしあのとき、女性が個人の言葉を発してくれたおかげで、ほくがどれだけ救われたことか。


    ぼくと女性の人生は「社会」の中で一瞬だけ交差したに過ぎない。普段はそれぞれの人生を歩んでいる、ただの偶然的な関係性である。にもかかわらず、おそらく年配であろうあの女性は、ぼくの質問に対して、子どもが孫を出産する時のような気持ちで応えてくれた。「個人」を複雑な「社会」に晒し、言葉を発してくれた。女性のたった一言で、ぼくはあの時、確かに救われたのだった。

    **言葉にする。言葉を探す。**

    著者は、日常で見たものや現象を概念化し、独自の言語をつくり出す癖があるといいます。言語化能力にたけている人は素晴らしいと思いますが、言葉にすることも、大人になったらみんなできる、というわけではなく、手段として、よりよい活用方法を模索していく、永遠の過程なのだろうと思いました。

    __違和感を言語化しなければ、いつのまにかそれが是とされ、自分も周囲の人間も何となく受け入れてしまう。

    __情報が溢れるこの時代に違和感を覚えるなら、言葉を荒らげるでも、ロをつぐむのでもなく、新しい言葉を探していく態度が必要だと、ぼくは思っている。「今」を表現する適切な言葉がないならば、周りにじっと目を凝らして、言葉を獲得していくことからやり直してみよう。

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著者プロフィール

宮崎智之
文芸評論家、エッセイスト。1982年、東京都出身。著書に『平熱のまま、この世界に熱狂したい 増補新版』(ちくま文庫)、『モヤモヤの日々』(晶文社)など。共著に『つながる読書 10代に推したいこの一冊』(ちくまプリマー新書)、日本文学の文庫解説を多数手掛ける。『文學界』にて「新人小説月評」を担当(2024年1月〜12月)。犬が好き。

「2025年 『文豪と犬と猫 偏愛で読み解く日本文学』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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