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本 ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784344037168
作品紹介・あらすじ
アルコール依存症、離婚を経て取り組んだ断酒。そして、手に入れた平熱の生活。
退屈な日常は、いつでも刺激的な場へと変えられるのだ。
等身大の言葉で世界を鮮やかに描く、注目の書き手、登場!!
目の前の生活を見つめなおす。自分の弱さを無視し、無理に自分以外の「何者か」になろうとするよりも、すでにあるものを感じ取るほうが人生を豊かにできると確信したからだ。
深夜のコンビニで店員に親切にし、朝顔を育てながら磨く想像力。ヤブイヌに魅了されて駆け込む動物園。蓄膿症の手術を受けて食べ物の味がわかるようになり、トルストイとフィッシュマンズに打ちのめされる日々。そこに潜む途方もない楽しさと喜び――。
私たちは、もっと幸せに気づくことができる!
感想・レビュー・書評
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小説かと思って読んだら全然エッセイだった。
弱い自分を受け入れつつも現実を見つめ直すという視点で進む。あくまで弱い自分を受け止めてこの現実に対する著者なりの視点や言葉があり小説ではなかったか〜と思いつつなんだかんだ楽しく読めた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
この世界で幸せのあり方は、幸せを見つけ出すことという点に納得がいきました。
「弱さ」を受け入れた著者の生活を一緒に覗いてみましょう。 -
個人的な弱さを受け入れる、あるいは向き合うという「覚悟/決意」を「平熱/日常」の中でしていくこと、その豊かさを情緒豊かに書いたエッセイだった。
読んでいてここで書かれている「弱くある贅沢」はどこか立川談志師匠が言われていた「業の肯定」のようだなと感じた。とてもやさしい視線と人情味がある。
強いか弱いかで分けてしまいがちの世界。そして社会がグローバル化していって、「強い」ことが以前よりもさらに正しいことになっていくとどうしても息苦しさが出てきて、「弱い」ことがダメだったり悪だということになってしまう。
そういう世界では一度負ければ終わりだし、正しさを証明するためには勝ち続けなければならない(尾崎豊の歌詞みたいだ)ので、一度でも勝ったり成功してしまうと、弱さを人前では出せなくなって失敗ができなくなる。プラスSNSによって一度の失敗で人生全てが終わる錯覚を植え付けられてしまう。これは現在の呪いのひとつだと思う。
エッセイでも取り上げられている遠藤周作の『沈黙』のキチジローはいろんな示唆を与えてくれる存在だ。はっきり言って僕らの先祖はキチジローみたいな人が多かっただろう。戦場で勇しく戦って殺しまくって、殺されている人間ばかりならば後世に血は繋がっていかない。僕が自分の目的や使命もなく無理やり参加させられたら逃げると思う。
談志師匠は「業の肯定」で、赤穂浪士の四十七士ではなく、その他大勢の逃げたやつや参加しなかったやつが主人公なのが落語だって言われていた気がする。これって「何者」にもなれなかった人たちのことだ。そう、すごい親近感。35歳問題にも通じる。
「強さ」ってベクトルがわりと進むべき方向がちょっとしかないから実は不自由だと思う。逆に「弱さ」は個々人やコミュニティで全然違うから多様性があって、ある種自由なんじゃないかなって思う。もちろん問題も多様だからぞれぞれの難しさもあるんだけど。 -
自分の弱さを認められる人って、強い人だと私は思う。でもだいたいそういう人って自分は弱いんですって言うんだ。弱さを認めることって、勇気がいることだと思うんだけどなぁ。
私は誰かに弱さを見せることがとにかく苦手だから強い人に見られがち。
でもそんなことない。他人よりほんの少し、強がることが得意なだけ。 -
軽く読めるエッセイです。赤いカーディガンの話は考えさせられた。自分の子供の頃ならセーフだったかなあ。
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こんなにも魅力的な書き手だったとは...!
著者の眼差しがやさしく、弱く、次の一章が読みたくてたまらない中毒性のある文章。何か特徴があるわけではなくとても上手くて読みやすい。自分にぴったりハマっているのか...。本読むのっていいねって読んでる間ずっと思えてた本。さくらももこ(初期)以来の衝撃。
好きな書き手としてばっちり覚えました。前のめりで過去作をもう1冊注文したので楽しみ。文庫版が項目増えてるらしいので文庫も読まなければ。
全体として「弱さ」論で全部大好きだが印象的なものをひとつ。
著者はアルコール依存から禁酒し、現在禁酒を続けられているが、禁酒という狂気(※町田康『しらふで生きる』が本歌) ができているのは意志が強いというわけではなく、むしろ「弱さ」に助けられているという捉え方がとても好きだった。
-----酒に手が伸びそうになったとき、ぼくを寸前で止めてくれるのは、むしろ「弱さ」のほうである。再び敗北するのを恐れる臆病な「弱さ」が、酒をコントロールできるという思い込みから、ぼくを少しだけ引き離してくれる。------
他に、恋するアサガオの話、オナラ紳士の話、オレの造語ドヤの話、細マッチョになりたきゃ歴史から調べろ話、35歳問題の話、など印象づよいから明日も来週も大好き。こんなふうに◯◯の話、って言えるくらい印象づくのも久しぶりかもしれない。そういう主題を浮きぼらせてしまう力、やっぱり自分のなかではさくらももこ的な作家だ。
名前は雑誌でよくみていたので、過去にwebマガジンの「週刊 宮崎智之」に登録していたようだったがまともに届いた覚えがなかったので忘れていた。
メールを検索してみると、2024年に1度か2度、号外のお知らせのようなものがあり、ほとんど機能していないようだった。ラジオをはじめられたようなので、今月中には聴いてみたいし、これから新刊を楽しみに待つ人になります。 -
2024/11/03
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「何者か」にならんとする意識について。『ついつい頭の中の実態のない「ふやけたもの」に搦めとられて思考が空転してしまい、自分の元来の性質すら掴み取れない人がほとんどではないか。』自分の「性質」を掴み取る。「性格」ではなく「性質」に向き合う。
セラピーの「do」。ケアの「be」。線的な時間と円環的な時間。
オナラをして「失敬」と言えるかどうか。
著者プロフィール
宮崎智之の作品





