厨房の哲学者

  • 幻冬舎 (2023年12月6日発売)
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本 ・本 (232ページ) / ISBN・EAN: 9784344042100

作品紹介・あらすじ

重要なのは、何かを選ぶこと。
選ばなければ、人生は始まらない。
選ばざるを得なかった仕事に黙々と熱狂する。
運命に従え。道は開ける。

「友詞には食神がついている」。料理の道に進むことは、易者(えきしゃ)だった父親が決めたことだった。
中学の卒業式から三日後、東京・赤坂の名店「山王飯店」での修行の日々が始まる。
北海道での悪童時代、絶対的存在の父親、1日に何百枚も洗った中華鍋、グランドメニューへのこだわり、ニューヨークへの出店、コロナ禍の人生最大の決断――。
中国料理一筋、運命を受け止め、もがき苦しみ、日本の中国料理界のトップに君臨するまでの50年の軌跡。

脇屋シェフの人生そのものである中国料理。自然の産物の食材と人間の格闘の歴史でもある中国料理は複雑で分厚く深遠だ。
はたして中国料理とは何なのか? その壮大な問いに答えるために、夜更けの厨房で思案する日々が続く。
やがて「ヌーベルシノワ」の先駆者となり、新たな地平を切り開き続けてきた。
そして料理人人生50年となる今年、これまでの店を次の世代に任せ、さらに新しい中国料理を求めて窯を使った新しい店を銀座にオープンする。

夢は実現させた後に語るものだ。「これが自分の夢だったんだ」と。
先ずは目の前のことに必死になれ、ひたすら考え抜け! 心が奮い立つ圧倒的自伝。

最も大切な時、なぜ脇屋さんのところに行くのか、納得の書。
――栗山英樹(元WBC日本代表監督)


生きるとは、仕事とは、どういうことか。
ページをめくる度に、胸を打ち心が震える一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 中卒で中華鍋洗いから始まる料理人人生。武者小路実篤の「この道」から始まる中華料理のレジェンド。…グランドメニューの数は中華料理のアイデンティティー、存在証明。中華料理店で食べるよろこびは、菜単の頁をめくるごとに鳴る多様な音色だ。あれを食べるか、それともこれを食べるかと、頁の上で目を泳がせ、指先を惑わせるところから宴は始める。さまざまな料理をたっぷり盛りつけた大皿を何皿もテーブルに並べて家族友人知人見知らぬ人と取り分け、分け合い、和気藹々と食べるところに中国料理の醍醐味がある。その豊穣さが、中国料理の核。

  • フレンチの三國さんの本も読んだが、たまたまだろうが、出身は北海道、学歴なし、最初は皿洗いや鍋洗いを、長くやってきたという共通点があります。鍋洗いをして、自分を生かす道を見つけ、半世紀を思い出して、見事に書かれています。

    「三年、とにかく三年我慢しなさい、三年必死に頑張ってそれでも駄目だったら、なんでも好きなことをしてもいいから」あの三年のおかげで、母のあの言葉のおかげで五十年やってこられた。天国の親父とお袋には、感謝の言葉しかない。

  • 父親の職業は易学者 学校から帰ったら遊ぶのが家の決まり 勉強はしなかった
    実家は北海道大学の近く キャンパスが通学路で遊び場、おやつを盗む悪戯の場所

    赤坂 山王飯店
     中二の夏休み家族で東京旅行 父親が丁専務に頼み料理人になることに決められ
     一家で大田区大森へ引っ越し  大森第八中 ラッツ&スターの桑野が同級生
     中華鍋洗いから始める 料理ごとに鍋を変える 毎日何百枚も
     約80人のうち料理を作るのは中国人の20人の親方のみ 見習いはみんな日本人
     同期15人で1年後は2人に

     最初の年末、実家に帰らず、石打丸山スキー場に一人で得意のスキーに
     「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」武者小路実篤の額を見つけ買う 
     親方の賄は親方が作る 中華料理の裏メニュー 高価な食材は使わない 
     食材を知り、手間と暇を惜しまず、食に真摯に 201品のグランドメニュー以上に
     「ウサギの耳と背中の目」迷いが消え背中で聞こえる音が何か分かるようになった
     鍋洗いは3年半 早朝に練習 痕跡を残さないように  仕事は全て目で盗む

    自由が丘 楼蘭の後、東京ヒルトン 星が丘
     親方にかわいがられ3番目のポジションに 
     西新宿に新生ヒルトンが生まれキャピトル東急ホテルと改名し新しい料理長に
     味が変わったとクレームで自分で作り直す
     支配人判断で総料理長、料理長を解雇 新たな料理長を探し自身は料理長補佐に

    リーセントパークホテル 楼蘭 立川 1985年~
     常連客の実業家から料理長のお誘い 都心の大きな名店の料理長の夢
     後輩の日本人4人と 王道の中国料理181品  客入らず・・・
     月替わり 一名分のコースメニュー 9~10皿で4~5000円が好評に
     ディナショーに中国料理 フランス料理と逆転 1992年に総料理長に
     
    中国の旅
     中国料理世界大会 団体金賞 個人銀賞
     広州ワンハーバーロードでXO醤や上湯の作り方を学ぶ

    トゥーランドット 麻布 1997年~
     都心に・・石鍋シェフ  代表取締役兼総料理長を用意
     トゥーランドット游仙境 横浜パンパシフィックホテル、赤坂アークヒルズ

    Wakiya 一笑茶楼 赤坂裏路地 2001年~
     家常菜 日常料理  ロバートデニーロ NOBUさん 
    Wakiya Gramercy Park Hotel NY 2007年~
     リーマンショックで撤退

    トゥーランドット臥龍居 2011年~
     早朝の朝粥から夜明けの一杯まで 大震災に多額の借金 

    Ginza脇屋 2023年~
     銀座にビルを建てる・・・ 窯を使う中国料理

  • 誰にでも、どんな仕事にも大変な時はある。
    続けることで道は開ける。
    そして大切な出会いがある。
    この本を2024年の1月1日に読んだことは大きい。

  • 料理人の人生を一気見できました。道を選択する、他の道を捨てるという覚悟こそが、信念や努力を生み出すということがわかりました。越えられない壁をどうにか越えようとする工夫や努力の、行動が結果を生み出したと勉強になりました。

  • とにかく一度食べてみたい

    目の前のことを一つひとつやっていくしかない

    環境変わって「仕事がなんか楽しくない」と感じる日々だったが、いまそうなったからには目の前のことをやって進むしかない!と思えた

  • 中国料理人として知られる脇谷さんの自伝。
    脇谷さんは北海道生まれ、父が易学者でお前は中華の料理人になれといきなり言われる。
    そして東京の一流店での鍋洗いの修行が始まる。
    いわゆる徒弟制で料理のイロハも教えてもらえない。
    そんな環境なので入っては辞めていくひとばかり、そんな中脇谷少年はシェフの腕元をみつて、料理の技を学んでいく。
    そのご名店で次々と修行し、若くしてホテルの中華の料理長に抜擢される。成功した料理人の伝記は不思議にどれもよく似ている。劣悪な労働環境、料理に対する熱意、魅力的な名料理人、料理人や料理に理解がある富豪、そして苦楽をともにする仲間、顔の見えない家族。
     プロの料理人なら他のビジネスなら当然気にする収支、ビジネスプランなどに気にするかと思えば、(確かに気にはかけてはいるのだろうが)、自分の信念にしたがってやっていたら成功したという感じである。これはお客の顔をみて、料理しているからだろう。

  • 2024/07/18 01:21
    何を選ぶかではなく、重要なのは、何かを選ぶこと。
    「この道より我を生かす道なし。この道を歩く」
    うーん…読み終わってもまだ意味がわからない。
    自分は二十年今の仕事をやってきたけれど、これが自分の行くべき道であるのか、まだわからない。

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著者プロフィール

中国料理店オーナーシェフ
1958年北海道札幌市生まれ。'73年15歳で料理の道に入り、赤坂「山王飯店」、「東京ヒルトンホテル」、「キャピトル東急ホテル」などでの修業を経て、'96年、「トゥーランドット游仙境」代表取締役総料理長に就任、'97年、パン パシフィック ホテル横浜(現横浜ベイホテル東急)中国料理総料理長に就任。'01年東京・赤坂に「Wakiya一笑美茶樓(いちえみちゃろう)」をオープンし、現在、東京・横浜で四店舗のオーナーシェフを務める。脇屋氏の料理は、上海料理の伝統を軸に旬の素材をふんだんに取り入れた身体に優しい中国料理。こだわりの器に美しく盛りつけた料理は、日本人らしい繊細さとつややかさが表現されていると国内外から高い評価を得ている。

「2021年 『シェフの休日 おいしいごはんと暮らしのレシピ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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