最後の家族 (幻冬舎文庫)

  • 幻冬舎 (2003年4月10日発売)
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本 ・本 (358ページ) / ISBN・EAN: 9784344403574

感想・レビュー・書評

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  • 村上さんの作品を読んだのはこれで2冊目ですが、独特の緊張感があると感じました。その緊張感が私には合わない…

  • 家族を守るため、業績不振の会社にしがみつく父親。
    朝は自分の淹れたコーヒーを家族にふるまい、晩は家族そろって食事をとる、ことを家族に強要する。

    息子はそんな父に反発し、暴力を振るう。
    本当は世間に出ていくのが怖い引きこもりなのに。

    そんな二人の間で母親は、父を立て、長男の気持を推し量ることに疲れ果てている。
    娘は家族を嫌いなわけではないが、顔色を窺いながら暮らす生活は嫌だと思う。

    一つ屋根に住んでいながら、家族の気持はばらばらだ。
    そもそも父親である秀吉の家族のイメージが、笑えるくらい独りよがりだ。
    しかし秀吉は家族のため、リストラの不安におびえながら、そんな素振りを家族には一切見せない(つもりでいる。実際は、家族は秀吉の気分に相当振り回される)。
    家族を守るのは自分しかいないのだから。

    「○○のためだから××をする」という言葉は「○○のせいで××をしなければならない」と同じ意味になってしまうことはよくある。
    「○○のために」は、本当に○○のためになっているのか。

    息子・秀樹は、ひょんなことからある人を救うために少しずつ生活を変えていく。
    夜型の生活を朝型に変え、コンビニや本屋に出かけることができるようになり、ある人を救えるだろう人たちへ電話をかける。
    自分の意見を述べる。相手の言うことを聞く。必要な行動を起こす。
    彼の世界は広がってきた。ある人を救うために。
    そんな時に言われたひとこと。

    「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、誰か親しい人を結果的に救うんです」

    家族のために生きることが、母である昭子の存在意義だったのかもしれない。
    夫の世話をし、子どもたちの面倒を見る。
    しかし夫は最近いつも不機嫌で、思春期を迎えた子どもたちの考えていることなど、もはやわからない。

    昭子はひきこもりの息子のことを相談するために、精神科医やカウンセラーに通っていた。
    そこで知り合った大工の延江と親しくなる。
    とはいっても、たまにランチを一緒に食べるくらいなのだが。
    それでも、自分の仕事に迷いがなく、ひいては自分自身に揺らぎのない延江と話すのは、秋絵にとっていい気晴らしになったことは間違いない。
    ただ、28歳の大工が、家族との関係に疲れ切った41歳の人妻の、どこに惹かれたのかが不明。
    さらにこれがプラトニックな恋愛であることにも、驚く。

    娘の知美は、友だちの紹介で29歳の宝石デザイナーと付き合っている。
    といっても、こちらもまたプラトニックなのである。
    彼氏である近藤は、勉強のためにイタリアへ行くことにしたが、知美も一緒にどうか、という。
    結婚をするわけではない。
    ただ、一緒に暮らして、互いにイタリアで何かを学ぶ生活をしないか?と。
    これもまた不可解。
    「うん、行く」と簡単に言える話じゃないよね、普通。
    お金のこと、親を説得すること、高校生にはハードルが高すぎる。

    でも、彼ら家族は、共に暮らすことをやめた。やめることを選んだ。自分達で。
    けれどその選択は、彼らに家族というものを考えさせ、互いを思いやり、そのためにそれぞれが自立することになった。

    昭子は離婚しないまま実家に戻り、延江と交際を続けつつ、夫との絆を今まで以上に感じるのだけど、だったら延江の存在は特に必要なかったような気もする。
    この辺りがちょっと出来過ぎかなあ、と思った部分。

    家族がバラバラになったことは残念、という感想が結構多いようだけど、別居することがバラバラになったことなのだろうか。
    一緒に暮らさなくなったけれども、同居していた頃よりはるかに家族の心は繋がっているんじゃないかなあ。

    もたれ合うのではなく、依存するのではなく、ひとりで立ち、家族が必要なときは支えられるだけの力を持つ。
    家族は割り当てられた役割を演じる場所なのではなく、自分自身であるための基本であるべきだ。
    そのための一つのケースを、村上龍が書いたのだと思う。

  • 家族から主婦が自立する話だと、
    どこかの文芸欄に紹介があったので、
    手に取ってみたところ、
    閉じこもりの長男の話から始まりました。

    引きこもりの主人公がふとしたことから「人の役に立ちたい」という思いを抱いて、
    ある支援者から、
    「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、だれか親しい人を結果的に救うんです」
    と助言をもらう。

    家族って、そもそも親に依存しなくては生きていけない
    「子ども」が存在して初めて「家族」という形態になる。
    家族で問題を抱えきれなくなると、家族という形がいびつになる。それは、きっと、家族の各々が自分と向き合い解決していかなくてはならなくなるからですね。

    気が付けた家族は救われるんだね。
    重い題材なのに軽快に読み進められたのはなぜかな。
    一歩踏み出すって、小説みたいに簡単にはいかないけど。読了感は、いいな。

  • 誰かを救うことでは自分は救われない。自分が救われるのは、他者が自分に拠らず自立することで、共依存から解放されることだったり。家族は依存から始まるが、やがて各自が自立していく暫定的なもの。最後は緩やかな信頼関係で担保されていれば、一見バラバラだって良い。

  • (以下、一応ネタバレは注意していますが重要なセリフを引用してしまいました。読みたい方はスルーお願いします)

    村上龍が素晴らしいのは、「サバイバル」をテーマに、弱者の敗退を当然視しているように見せながら、実はそれぞれの「適者生存戦略」、つまり誰にでも居場所はあるし、必要なのはそれを見つける技術だ、ということを訴えている点だと思う。「生きづらい日本」みたいな言葉で慰撫しつつ、具体的な解決策を問われると「互いを認め合う社会」といった抽象的なことしか言えない凡百の論者とは一線を画している。

    本作でも、引きこもり、DV、不倫、リストラと様々な家族群像を描いているが、そこに「悪いのは社会」というメッセージは感じられない。むしろ、登場人物たちの他者への依存、甘えを厳しく告発してさえいる。だが同時に、やり方さえわかれば前に進めるんだ、ということも伝えようとしている(勉強が苦手ならどうやって手に職をつけるか。適切なカウンセリングがどれほど心の負担を軽くするか。そこにたどり着くための役所の窓口はどういう仕組みになっているか)。

    引きこもりの主人公がふとしたことから「人の役に立ちたい」という思いを抱く。彼に示唆を与える弁護士の言葉が印象的。「親しい人の自立は、その近くにいる人を救うんです。一人で生きていけるようになること。それだけが、だれか親しい人を結果的に救うんです」(文庫版P.303)。この言葉が、「助け合わなければならない」という呪縛に囚われた家族の幸福な解体を示唆する。

    必ずしも美しい救いではないが、あたたかい。

  • 弁護士田崎が言った、大切なのは1人で生きられることなんだよというセリフが心に残った。

    あと、地道な作業の中でこれは自分には向いてない辞めたいって思った時、自分がやめたいんじゃなくて、誰かが辞めさせようとしていると考えたらいいよっていう言葉も心に沁みた。

  • ひきこもりの長男を抱えて、崩壊の一途をたどるばかりのとある家族の物語。
    社会派サスペンスのような要素が強く、ぐいぐい読み進めてしまいました。
    この内山家は、ひきこもり長男の秀樹はもちろん、父親も母親も、そんな家族にうんざりしている女子高生の知美も、全員が全員に寄りかかり切っている印象があった。
    私が育ってきた家庭も問題だらけでほぼ似たようなものだったので、誰に感情移入したかと言えば知美かな。
    一刻も早く脱出したくてしかたがなかった。
    そんな気持ちばかりが先行してしまう多感な女子高生を、導いてくれるような立場にあたる近藤にも好感がもてます。
    宝石デザイナーへの夢、道、現実。近藤の言葉は静かに私のなかにも沁み渡りました。

    家族はどうあるべきなんだろう。家族ってなんなんだろう。残酷で暗くてそんなことばかりぐるぐる考えさせられる話でしたが、あの形の結末はベスト。むしろあれ以外に無いベストな結末だった。
    家族って到達点ではないんだ。必ず全員個人としての人生があるし、子供はそこからがすべてのスタート。
    内山家のドライな後日譚はいくらかさみしいかもしれないけれど、家族の先にあるのがてんでバラバラの希望と未来でもそんなの全然かまわないんだと思えました。
    家族はただ家族なんだから。

  • ひきこもりの娘がいるため
    内容が身にしみた
    私はもうほとほと疲れた

  • 「あるべき家族」の姿を守ろうとした父親。
    その箱の中に収容された家族。

    それぞれが幸せならば、家族の形など取るに足らないものではないか、それが愛情ではないか。

    弟が好きだと言っていた理由がわかった。

  • 良い小説だった。今読んでも充分に新しい家族小説。

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著者プロフィール

一九五二年、長崎県佐世保市生まれ。 武蔵野美術大学中退。大学在学中の七六年に「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞、芥川賞を受賞。八一年に『コインロッカー・ベイビーズ』で野間文芸新人賞、九八年に『イン ザ・ミソスープ』で読売文学賞、二〇〇〇年に『共生虫』で谷崎潤一郎賞、〇五年に『半島を出よ』で野間文芸賞、毎日出版文化賞を受賞。経済トーク番組「カンブリア宮殿」(テレビ東京)のインタビュアーもつとめる。

「2020年 『すべての男は消耗品である。 最終巻』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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