パレード (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (309ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344405158

感想・レビュー・書評

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  • もう何作目かの吉田さん作品。

    巻末の解説は「こわい」と表現していた1つ、この話のラストは、
    まともに見える人が意外とそうじゃないという点では、ある意味読めた。

    それより、お互いを詮索しない住人たちが、調和とは異なる不思議なバランスで
    一つ屋根の下で同居している「おもしろさ」のほうが印象に残った作品。

    「毎日何千台と車が通っているのに、ぶつからないのって不思議」
    というのと似ているなと。

  • 映画を観てから、どうしても読みたくなって購入した。
    結論としては良かった。5人のより詳細で繊細な感情が伝わってきた。

    先に映画を観ていたせいか、脳内に出てくるイメージはどうしても俳優たちになっていたけれど、その描写が想像に容易かった。

    たんたんと描かれてる話の中にたくさんの「こわい」が散りばめられていて、読後感は決して爽やかではない。
    けれど、何か惹かれる。中毒性がある。
    映画も結局2回見返してしまったけれど、小説の方も何回か読んでしまいそう。

  • 5人(1人は物語の途中で入ってくる)の男女が一緒に住んでいるシェアハウスの生活が淡々と描かれた小説。物語の中で何回も強調されるのは、シェアハウスでの生活が、住人たち一人一人の暗い部分や悲壮な部分をその生活においては表に出さないようにしていることで成り立っているのだ、ということをそこに住んでいる一人ひとりが自覚しているということ。それは同時に、そこに住むほかの人がある種「演技」しているということを、指摘しないことで成り立っているということでもある。「直輝」が周辺での連続傷害事件の犯人だということを、「直輝」以外の住人が皆知っていてなお、なにもなかったかのように生活していたことが最後に明らかになる。それは、「演技」を暴かないことでその生活が成り立っているということの表現だと思う。
     そして、面白いのはそのような「うわべだけの付き合い」が、必ずしも否定的に描かれないこと。事実、途中でその家に住み始めたサトルは、そこでの生活を楽しいと感じている。僕としては、太宰治の『人間失格』の冒頭で、主人公が「わざ、わざ」と言われるシーンを思い出した。演技していることが暴かれてしまうことの気持ちの悪さ。演技をしていることが暴かれないことが約束されている世界、それは確かに心地いいかもしれないと思う。

  • うわぁ、怖い…。
    本を閉じてからが、凄く怖い。
    サトルを加えた、このまま5人の今までと同じ生活が続いていくのも怖い。
    それとも、全員いなくなってしまう(色んな意味で)のも怖い。

    解説の川上弘美さんと同じく、何度も読み返して怖さを確認したくなる。
    不思議な感覚。

    物語は、都内のマンションで共同生活をする男女4人の日常。
    そこに、ひょんな事から加わる男娼のサトル。

    登場人物は全員が、一般的な現代の若者。表向きは善人だし、最低の常識も持ち合わせている為、特にトラブルもなく暮らしてきた。その日常が楽しそうで、時々起こる小さな出来事は退屈な毎日のスパイスにさえ見える。

    そう。私もこの5人が大好きだ。
    怖い小説なのに、この5人の中に混ざりたいと思ってしまうのは何故なんだろう。

  • 読みやすい。描写、表現が好き。でも、ところどころ引っかかるとこがあり、あれは何だったの?あの続きは?っていうモヤモヤが残る。一方で、最後の方の、"握ったまま傘のボタンを、親指で何度も押していた"というような、何かあとに引くような描写もじわりときた。

  • ルームシェアをしている5人の男女。
    彼らは、生活の場とそれ以外の場所で違う顔を使い分けている。
    ある人は、親友が亡くなった悲しみを部屋では見せない。
    ある人は、心の中にある負の感情をしまいこむ。
    途中からシェアに参加する少年は、他の4人が思い描く理想像を演じるために嘘をつく。
    そうして彼らのルームシェアは成立する。
    シェアする部屋では、楽しいことしか見せない。
    楽しく皆が並んで行列をするパレードのように。
    もし、怒りや悲しみ、負の感情を抱くのなら、そのパレードから出れば良い。

    また、物語の中で発生する暴行事件。
    登場人物のうちの一人・未来がその事件の犯人は、シェアに途中から参加した少年・サトルかと疑う。
    「私が知っているサトルは、皆が知っているサトルとは違う気がする。」
    それをシェア仲間の兄貴分・直輝に相談すると、こう言う。
    「皆が知っているサトルなんて存在しない。」

    この場面で、ハッとする。
    もしかしたら、自分や自分の周囲の人も、その場や人に合わせてキャラクターを使い分けているのだろうと。
    そのキャラクターの中には、明るく楽しいキャラクターも居れば、負の感情を持つ悪人も居るかもしれない。
    この社会の中では、自分の中にある複数のキャラクターを使いわけ生きている。
    それが上手くいななくなった人は、社会から離脱する。

    そう思うと、こわくなる。
    本当の自分とは何なのか。
    周りの人たちは、自分の何を知り見ているのか。
    また、自分が日々接している人たちは?

    読み終わった後、何だかもやっとした不安が残る。
    少し後味の悪い作品。

  • なるほど。川上弘美さんの解説を読んで、もう一回読み返すか?とも思ったが、またにしよう。共同生活をしている登場人物みな愛すべき人たちだが、何かしらそれなりに重いものを抱えている。確かにもう一回最初から読めば、ああなるほど、と思えるに違いない。が、今の読後感も複雑ではあるが悪くない。人物描写が素晴らしいです。

  • 気持ち悪かった。
    でもまた読みたい

  • 最後やばかった。

  • 読み出したときは、ルームシェアをしているイマドキの若者の日常を描いた作品かと思っていて「悪人」を書いた作者とは同一人物とは思えないなぁ、と呑気に考えていたのですけど

    やっぱり吉田修一さんは“普通”の人間の切なさや恐ろしさを描くのが素晴らしく上手なのだと、読み終えて感じました。

    年齢も、職業もバラバラな5人が同居していく上で必要な「適度な距離感」も、こう描かれると恐ろしくなります。
    何故って、それは全てエゴに基づいていることが第5章で分かるから。
    しかもそれ(エゴに基づく適度な距離感)は、状況の差こそあれど現実社会でも起きていておかしくないことだから。

    全員魅力的な人物なのですが、彼らの他の環境での「顔」が知りたいような、知りたくないような、そんな複雑な気持ちになる作品です。

    読み終えて、私はどうなんだっけ、と省みてみました。

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著者プロフィール

1968年長崎県生まれ。法政大学経営学部卒業。1997年『最後の息子』で「文學界新人賞」を受賞し、デビュー。2002年『パーク・ライフ』で「芥川賞」を受賞。07年『悪人』で「毎日出版文化賞」、10年『横道世之介』で「柴田錬三郎」、19年『国宝』で「芸術選奨文部科学大臣賞」「中央公論文芸賞」を受賞する。その他著書に、『パレード』『悪人』『さよなら渓谷』『路』『怒り』『森は知っている』『太陽は動かない』『湖の女たち』等がある。

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