世界は「使われなかった人生」であふれてる (幻冬舎文庫 さ 18-2)
- 幻冬舎 (2007年4月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344409422
感想・レビュー・書評
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映画が好きな人に、貸したくなる本だった。
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私は大勢で集まって大騒ぎをするのも決して嫌いではないが
一人きりでいるのも大好きだ。
が、
大勢でいると、しんどく感じる時もあるし、一人でいると寂しいな…と感じる時もある。
一体どうなんだろう?
この我儘な自分の心を満足させてくれそうな記事がここにあった。
>一人でいることは必ずしも寂しい事だけでは無く
楽しみや喜びにも繋がるものだ。
『単独』は『孤独』と同じ事では無い。
しかし
「ひとりきり」でいる事が「楽しみ」を生み出す為には
その状態を側面から補ってくれるものが必要となる。
それは、
離れて住んでいるとしても、どこかで繋がっている家族の存在であり、
会おうと思えば、いつでも会える友人の存在であり
いざと言う時、助けてもらえる隣人の存在であろう。
このうちのひとつかふたつの存在さえあれば、
「ひとりきり」が「楽しみ」につながる可能性は充分にあるのだ。
本書は映画評であるが
いい映画を観た後はしばらく席を立ちたくない。
あの余韻に浸っている時に心の底のほうから湧いてくる言葉のように心地よく読みやすい本だった。
いつかGETしなくては。 -
沢木耕太郎さんによる映画評
どれを読んでも、その映画を見てみたくなる
「私が書いているのは「映画評」などという大層なものではなく、単なる映画の感想文といった代物にすぎない。」と沢木さんは書いているが、その感想文が沢木さんが捉えた映画の世界を我々に映し出し、不思議なことに引き込まれてしまう。 -
沢木耕太郎が「暮しの手帖」に連載していた映画評。
子供を映画館に連れていく以外に映画を観ない自分が、「この映画観てみたい」と思ってしまうような鋭い評分。
著者の映画評は監督/俳優に詳しく焦点を宛てる。また、その演技だけでなくどんな人生がその背後にあるのかも書く。そこは世界各地を旅した沢木耕太郎だけあって、遠く離れた現地の情景がありありと浮かび上がってくる。
その瞬間不思議と、映画で映されているのは、自分とは無関係の世界ではなく、もしかしたら自分にも相関する/していた人生なんじゃないかとふと思う。 -
沢木耕太郎の書くものは、優等生的な「バランスの良さ」「卒のなさ」そして「フェアネス」を感じる。だから私情をむき出しにした書き物ではなく、むしろそのようにしてあられもなく露呈されてしまいがちな「私」を抑えてジャーナリスティックに対象と向き合い、言葉にしようとする姿勢が魅力的である。だが、その姿勢故の問題も生まれる。再読になるのだけれど、やはり映画に対して感動してしまう「私」をほどよく抑えたところから成り立つエッセイであると感じられた。シネフィルの書くものではないが故の斬新な見解が随所に見られ、なかなか面白い
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映画を通してみる人生。映画を見ることは、何か、自分が行かなかった人生を擬似体験することに似ている。どの作品評も映像が蘇るくらいに描かれていて、見てみたいと思ってしまう。
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沢木耕太郎さんの映画評集。同じく映画評の「シネマと書店とスタジアム」がおもしろかったので、こちらも。「暮しの手帖」に連載されていたとのこと。
映画の筋の紹介がとてもよい。その映画を見たくなる。連載中に読むのではなく、ずーっとあとに文庫で読んでいるのが、かえってよいのかもしれない。 -
タイトルに惹かれて。内容は、『暮らしの手帖』に掲載された映画評。映画を観てこれだけ何か人生に響くメッセージを読み解けるのって、実はすごいと思う。「使われなかった人生/ありえたかもしれない人生」「老いについて」「他者のことを理解することは可能か、そもそも自分自身をどのくらいわかっているか?」沢木さんの文章にはいつも自分を重ねやすいので、没入するように読んでしまいました。
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読んだは読んだけど、内容は忘れちゃった(>_<)