哲学 (幻冬舎よしもと文庫 2-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (269ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344412736

作品紹介・あらすじ

「そろそろ自分の死に際のことを考え始めている」島田紳助。「『もうあいつには勝てんな』と他の芸人にいわせたい」松本人志。互いに"天才"と認め合う二人が、照れも飾りもなく本音だけで綴った深遠なる「人生哲学」。お笑い、日本、恋愛、家族…ここまでさらけ出してしまって、本当にいいのか?二人の異才の全思考、待望の文庫化。

感想・レビュー・書評

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  • 島田紳助さんが18歳のときに作っていた「漫才教科書」。

    そこには、先輩芸人のネタを観て集めたデータ、自分の方向性、その時代、何が売れるかの分析がまとめられていたとのことです。

    私は、島田さんの話芸は即興性の高いものだと思っていましたが、じっくり考える時間を経ての賜物なのだとわかりました。

  • 僕の考えと一致している部分もあり、少し嬉しかった。

  • 『化け物』、『天才』
    お互いがお互いをそう呼ぶ。

    本の中で出てくる松本さんの説明で、お笑い芸人は2種類いる、と。
    それは、大雑把か繊細か。
    浜田さん、さんまさんは大雑把。分かる。
    逆に松本さんや紳助さんは繊細。それも超がつくほど。
    ダウンタウンは超大雑把と超繊細のコンビだから最高なのだ。
    極端に振り切った2人にもかかわらず、幼馴染であるから互いの言わんとしてることが手に取るようにわかる。
    そして努力を重ねることにより、漫才の質をあげ、あげきったら才能が開花して天下をとった。と同時に紳助竜介は解散。
    紳助さんは松本さんを見た時点で悟っていた。

    そんな時代の節目を2人の話で切り取った本だった。
    彼らなりの僕らにはない感性を言葉にしている。何と言うか、彼らの血とかDNAが言葉に流れてる感じがした。
    それはお笑い芸人という、特殊な言葉を扱う彼らであり、最前線をサバイブし続けたからこその言葉と感じられた。

    違う世界だと感じられるも、その片鱗を感じられる本だった。

  • 何度も読み返している。

    天才の2人が互いの仕事のやり方から互いを評価し合う。
    システムを真似する。
    ビジネス本としてもとても優れている。
    誰にでも真似できるロジックが乗っている。

  • 22/22

  • 頂点を極めた人の人生観を語る対談本

    対談テレビ番組「紳助松本」の底本か。

    結婚生活 VS 独身生活
    などなど似て非なる2人が織りなす悩みは、今を生きる人にも通じるものがあるかもしれない。

    オススメの一冊。

  •  洋七さんの漫才を聞いて、僕は漫才師になろうと決めた。
     この人と戦いたいと思ったのだ。けれど、当時の僕は漫才の世界について何も知らなかった。どこへ行けばいいかもわからなかったから、まず洋七さんの師匠が誰なのかを調べた。
     そして洋七さんと同じ師匠に弟子入りをした。
     もちろん、絶対に成功するという保証はどこにもない。
    「大学に行かずに、十八歳で漫才師を志したからには、みんなが大学を卒業する二十二歳で結論を出そう。そこで芽が出ていなければ、そのあと何年やってもおそらく無理だ。すぱっと諦めて、他の職業を探そう」
     そう心に決めていた。
     洋七さんと同じ道を二倍、三倍の速さで走ったら、いつか追いついて勝負できるようになるに違いないと思ったのだ。
     それから一年あまり、僕はいつも洋七さんにくっついていた。私生活もずっと一緒だった。それこそ子分のようについてまわっていた。
     あの人の全てを吸収するためだ。
     だから僕が一人だったときはあの人もわからなかったけれど、竜介とコンビを組んで漫才をやり始めたらすぐに洋七さんに怒られた。
    「ネタをパクるな」と。
     でも他の人にはそれがわからなかった。洋七さんだけは気づいた。
     それは、正確にいうなら、僕がパクっていたのは洋七さんのネタではなかったからだ。僕がパクっていたのは、洋七さんの〝笑いのシステム〟だったのだ。
     そのやり方は、たとえばこうだ。
     まずB&Bの漫才をテープに録って、それを全部紙に書き出す。それから、その漫才がなぜおもしろいのか、他の漫才とどう違うのかということを分析していく。
     そうすると、ひとつのパターンが見えてくる。
     そのパターンに、僕はまったく違うネタを当てはめていったのだ。
     ネタはまったく違うわけだから、誰も僕が洋七さんの真似をしているとは思わない。でも、さすがにあの人だけは、僕がパターンをパクったということに気がついたというわけだ。
     僕らが大阪で売れるようになった頃、洋七さんたちは東京に出た。そして東京で漫才ブームが起こって、B&Bは一躍人気者になった。
     その後を追うようにして、紳助竜介が東京に進出したのだが、そしたら、僕が泊まっていたホテルの部屋に、洋七さんから電話がかかってきた。
    「お前、何しに東京来たんねや。俺はお前に追われて東京に来たのに! 今度は札幌行けっていうんかいっ!」
     半分はシャレだろうが、でも半分はマジだったと思う。
     ただそういうことはいっても、あの人は、僕に出し抜かれるとか、足を引っ張られるっていうような、ショボイ気持ちは持っていなかったはずだ。
     そこにあったのは、スポーツマンのようなフェアなライバル意識だ。
    「やられた!」という熱いものはあったはずだけれど、「あいつはフェアにパクりよった」という気持ち、というっ方が表現として正確だろう。

     十八歳で師匠に入門した僕は、自分で『漫才教科書」というものを作っていた。その『漫才教科書』の裏表紙には一千万円と書いてある。それだけの値打ちはある教科書だという意味なのだが、考えてみれば、その何十倍もの価値あるノートだった。
     洋七さんの漫才を徹底的に分析して書き記したのもそのノート。分析の対象になったのは洋七さんだけではない。すごく失礼な話で、とても人に見せられるものではないのだが、先輩の芸人さんの舞台を細かくチェックして五段階評価していたのだ。
     前の舞台を考えずに、その日の舞台だけを見て、感じたことを書く。漫才の内容を端から書きとめて、さらに、良いと思う部分には青線を引き、悪いところには赤線を引いていく。そういうことをいろんな漫才師についてやっていた。
     ずっと同じ漫才をやっているようでも、三ヶ月も経ってみれば少し変化がある。さらに三ヶ月過ぎたらまた変わる。
     この漫才師がどう成長していっているのか、青いセント赤い線の色の具合で、良くなっているのか、悪くなっているのか、それが見えてくる。つまり十八歳の僕がそのノートをつけていたのは、単純に青い線だけを集めたら、完璧な漫才ができるんじゃないかと考えたからだ。同様に赤い線の部分も役に立つ。そこを見れば、自分が絶対にやってはいけないことがわかるのだ。
     もっとも青い線を集めるといっても、その全部が自分にできるわけではない。どれができて、どれができないか。それを正確に見極めるためには自己分析が必要だ。
     自分は何が優れているのか。何ができるのか。その反対に、どういうことはできなくて、またやっても意味がないか。そういう自己分析を徹底的にやって、それもノートに書いていた。そしてその自己分析と、青線を垂らし合わせていくのだ。
     さらに、売れるためには時代も分析しなければならない。時代というのはいつも動いているものだから、先を読まなければ、時代に合ったものは作れないからだ。
     これからの笑いとはどういうものか。
     どういうツッコミのカタチが今後はウケるだろうか。
     エンタツアチャコの時代の漫才から、現在の漫才までずっと順を追って見ていくと、どんどん漫才が変わってきているのがわかる。
     今ある漫才を繰り返していても勝負には勝てない。その変わっていく延長線上に、僕のやるべき漫才があるはずなのだ。
     そういう分析を、夢中になってやっていた。

     僕らはネタを作って、それで笑いをとっているわけではない。
     我々は料理人みたいなものなのだ。
     たとえば、普通のおじさんが喋ったことを、一般の人はおもしろいと感じない。
     でも、我々は、その人が言ったことをおもしろいと感じるのだ、勝手に。なぜおもしろいと感じるのかというと、その話を自分の中で変化させているからだ。
     漁船から港に陸揚げされる大量の魚を見て、「美味そうだ……」という人もあまりいないだろう。そのただの魚を、誰も想像もできなかったような料理に完成させるのが僕らの技術であり、感性なのだ。
     普通の人から見たらなんでもないような素材から、笑いを生み出す。材料はどこにでも転がっていて、それは永遠になくならないわけだから、材料が作れる限りは続けられるはずなのだ。
     僕らが話をするのを聞いて、どうしてそんなおもしろい経験ばかりしているのだろうと、一般の人は思うかもしれない。
     けれど、それは違う。
     僕らだって、普通の人と同じように、平凡な普通の毎日を生きている。その日常の中から、素材を見つけだし、料理しているだけなのだ。

     芸人というものは、繊細な芸人と図太い芸人の二種類に大きく分けられる。
     そして、その中でもずば抜けて図太い奴か、ずば抜けて繊細な奴が売れる。
     僕らでいえば、浜田はものすごく図太くて、僕はものすごく繊細だ。これだけ両極端なコンビもいないというくらいの、繊細+図太いだ。
     それが僕らが売れた秘密かもしれない。
     浜田のような図太い人間は、目上の人と絡んときに爆発的なおもしろさを発揮する。だから、セオリーをいえば、紳助さんと絡むんだったら、浜田との方がおもしろくなるはずなのだ。
     単に目上ということじゃなしに、紳助さんという人も、ものすごく繊細な芸人だから、図太いのと繊細なのとの混じり合いはおもしろい。だから、いいコンビになる。

     長女が高校生だったとき、こういうことがあった。
    Mr.Childrenが大好きだった彼女が、CDを買ってくれというのだ。
     いくらだと聞いたら、三千円だという。僕はこう答えた。
    「俺なあ、お前がよそのお姉ちゃんやったらなんぼでも買うてあげるんやけどな。CDなんか一日十枚でも二十枚でも、服でもなんぼでも買うたるわ。そのおねえちゃんがそれで僕のことをいい人やと思ってくれさえすれば、あとはどうなってもかまへんから。でも、お前は愛する娘やから、買うわけにはいかんのや。お前に俺がものを買うてやるやろ。お前は喜ぶわなあ。その喜んだ顔見て、親はすごく嬉しいのや。でもそれは、自分の金でCDを買うというお前の喜びを、親が奪ってるのや。だから親は買うたったら、あかんねや。その喜びはお前の喜びにしなあかんねから。自分で買いや、がんばれや」
     娘はわかったといって、その翌日から何かを始めたらしい。学校から帰ってくると、毎日のように、腹減った、腹減ったといっていた。
     一ヶ月後、娘はそのCDをかかえて僕のところにやってきていった。
    「おっとう、見てくれ、三千円のCD買うた。毎日昼食代を百円ずつ節約して買うたんや。めっちゃ嬉しいわ。おとうのいったことわかったわ。なんか、自分で買うたっていう気がすんねん」
     僕だって娘に、「ほかのおねえちゃんにはなんぼでも買うたるんやけどな」なんて話をするのは、とても抵抗がある。でも、その話が今は必要だと思うから、頑張って話をしているのだ。
     おかげでウチの子供たちは、精神的にしっかり自立している。

     NSC時代のダウンタウンをよく知る吉本興業のある人物は、こういう指摘をしている。
    「松本のあの『間』は、子供の頃に親父さんに連れられて、もらったチケットか何かで漫才を見に行ったりとか、テレビの漫才をか新喜劇とかを見てる中で、自然に身についたものであって、紳助竜介を意識したとかなんとかでは、僕はないと思うなあ。だって、紳助竜介の漫才って、前へ、前へ、出ていく漫才でしょ。駆け足の、早足のテンポでやってるわけや。
     それに対して、松本のはその正反対の、引き、引きの漫才や。一八〇度か一九〇度くらい違っているもの。コピーじゃないでしょう。それは何か、松本がちょっとセンチになって思い出にしたいか、何かを錯覚してるか、そのどっちかやないかなあ。松本がコピーしたって? あいつがそんなわけないですよ」
     紳助も、松本たちが自分たち紳助竜介の漫才をコピーしたとは思えない、という発言をしている。
     つまり本人たちはコピーしたつもりでも、そのコピーが下手すぎて、誰もダウンタウンが紳助竜介の影響を受けているとは思えなかったということだろうか。
     それは、おそらく違う。
     そうではなくて、松本の世代にとってはすでに、あの速いテンポの漫才は耳に新しいものではなくなっていたのだ。喋りの速さも、声の質やイントネーションと同じような、漫才師の個性のひとつとしてしか認識していなかったのだろう。
     いくらコピーしたといっても声色まで真似るわけではない。同じ意味で、松本は紳助竜介の喋りのテンポもコピーする必要性は感じなかった。
     紳助がテンポにこだわるのは、それが時代を象徴するものだったからだろう。
     そして松本がテンポに無頓着だったのは、テンポの時代がすでに過ぎ去ろうとしていることを肌で感じていたからなのだろう。
     喋りの間とか、ツッコミの入れ方とか、話の飛躍のさせ方とか、松本たちがコピーしたのは、より深いところで漫才を支えている基本原理のようなものだった。
     そしてまた、予定調和的な笑いではなく、若い感性を鋭く刺激する、人が誰もしないような発想で笑わせるという、思想そのものだった。
     紳助たちは、その若い感性に到達するために、速いテンポという武器で、漫才というものに対して不感症になっていた若者の心の壁を打ち砕く必要があった。
     紳助たちがその壁を打ち壊していたからこそ、松本はテンポという武器に無頓着でいられたのだ。松本はより純粋に、笑いの核弾頭の性能を上げることに没頭することができたというわけだ。

  • 島田紳助は当時絶頂期にあった、彼の率いていたコンビ紳助竜介を、ダウンタウンの出現により解散させることを決意した。

    日本のお笑いシーンを牽引してきた島田紳助、松本人志によるエッセイ。

    島田紳助は、B&Bの島田洋七に憧れ、島田一門に弟子入りし、紳助竜介でB&Bを超えていった。松本人志は紳助竜介に憧れたものの、NSCの一期生として浜田と入学し、その後、紳助竜介を引退に追いやり日本一の座を手に入れた。

    島田紳助は、気になった芸人の漫才を全て書き出し研究し、さらに目にするコンビの漫才の評価、良い部分、悪い部分を書き出し、研究に勤しんだ。

    一方の松本人志は、デビュー時こそ紳助竜介のコピー漫才を試みたものの、結果的に才能によりのし上がっていく。

    お笑いの一歴史を作った、いわば織田信長と豊臣秀吉の対談のようなこの一作はとても興味深い。

  • お笑いって、こんなに奥が深いんだなと思いました。ただ、話がうまいとか、時代の流れにのったのではなく、流れを見極め、しかも、対象者を育てていくってのは凄すぎます。自分以外を変えていくなんてのは、努力だけではどうにもならないことなのに、それを成し遂げているってのも、天才だと言われる所以なんでしょうね。

    何をどうしたら、自分の思いを伝えられて、自分の思いを叶えることができるのか、常に考え、実行し、修正し、目標をもって生きるのは大変だけど、それが成功への唯一の鍵なんでしょうね。楽して、成功はない。天才も努力しているんだなぁ。

  • 自分の考えを言語化するのがうますぎる。
    ユーモアを交えながらも、二人の真剣な考え方を知ることができ、尊敬を覚えた。かっこよすぎる。

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