- Amazon.co.jp ・本 (285ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344418257
作品紹介・あらすじ
「東京は人間がいちばんあったけぇ場所じゃねえか?」。隅田川の河川敷で暮らす硯木正一はしみじみ思う。ホームレスと呼ばれるものの、家はある。しかも、三食、酒、タバコありの優雅な生活。バッテリーを使えばテレビも楽しめる。東京にはほしいものがなんでも落ちている-。実在の人物をモデルに描く、自らの知恵と体を使って生きる男の物語。
感想・レビュー・書評
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なんとも前向きな物語、でした。
主人公は路上生活者、いわゆるホームレスです。
始まりは1990年代後半、舞台は題名にもある隅田川の沿岸、
“テレカ”などの単語にどこか懐かしさを感じながら、、
生きていくこととは「全てを捨てる」ところから、
こういうブレなさ、前向きさもあるのだなと、、うーん「強い」。
狩猟民族との観点はなるほどと、妙に納得です。
日本の原風景は農耕ですから、新鮮さを感じたのかもですが。
ただ、その狩猟する「獲物」も周囲とのつながりがあってこそで、
その周囲を「自然」に限定されないのが、時代を映しているようでもあり。
“自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。”
ちょうど同時期に読んでいた『奇跡のリンゴ』での、
このフレーズが浮びました、まったくベクトルは逆なんですけどね。。
小説といいつつも、主人公達の息づかいまで感じるとれるような内容で、
これは実際に作者の方が、地に足のついた取材をされていたからなのかな、と。
「生きていく」ということをつきつめると、、なんて考えてしまいました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
隅田川のホームレスのお話
ホームレスになっても逞しく生きていく主人公、そしてその仲間達のお話です。 -
下町ロケット的な話かな?
と思って手にした本作でしたが、
全然違った!(笑)
まさかの隅田川沿いに住むホームレスの話。
お金を稼がなくても生きていく術を発明と例え、
そのあまりの充実した暮らしぶりがすごい。
主人公のすーさんには
実在のモデルがいて、筆者自ら取材しているだけあって、話の細部が生々しく、リアルさが伝わる。 -
隅田川の河川敷で暮らす実在の人物をモデルに描かれた小説。知恵を使って生きる路上生活者の力強さに圧倒される。また、自分の全く知らない東京が見えてくるというてんでも面白い。
ただし、このように前向きに生きる路上生活者ばかりではないということは、当然忘れてはならないし、一部の人が路上生活を強いられる社会になぜなったのかという点については、別に考える必要がある。 -
坂口恭平氏による、彼の本に出てくるホームレスの鈴木さんを主人公にした小説。
ホームレスというと落ちるところまで落ちたという感じがするが、それでも、その人の工夫、感じ方次第で、ここまで豊かな生活を送れるというのは、前に読んだ坂口氏の本に続き、やはり驚き。
一見、主人公のスーさんの知恵や工夫の素晴らしさ、コミュニケーション能力の高さが目に付き、この人どこに行っても優秀じゃん、という気持ちになってしまう。
しかし、終盤でクロちゃんという、鈴木さんとは真逆の一見「無能」とも見える人物が、なんと台東区の色々な家でご飯を食べさせてもらっているなど、台東区を自分「家」のように使ってしまっているという驚きの事実が明かされる。
それも一つの才能のありかただ、と言ってしまえばそれまでなのだが、我々個人個人が、それぞれのやりかた、考え方で、世界を変える余地がまだ残されているのでは?と思った。
解説にもあったが、世界のルールを変えるために戦うというのは、相当な強い人間であっても、とても骨が折れる。
そうではなく、スーさんやクロちゃんのように、自分独自の視点で世界を再発見することが、これからの時代には特に重要なのではないかと感じた。 -
隅田川で暮らすホームレス男性の話。ホームレスと言っても只者ではなく、人と違うことする、人と違う発想をしようとする姿勢の重要性はどの世界にでも通用するのだと感じました。
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全財産の入った財布を盗まれそのまま路上生活者になった人の話。どうやら実話に基づくものらしい。この主人公のスーさん、悲観することもなく捨てられたものを再利用する楽しみを見出し、ブルーシートの家には電気も通るし、カラオケボックスまである始末。こんな生き方もあるんだなぁと人間のたくましさを感じさせてくれる。就職できずに自殺してしまう人もいれば路上生活を楽しむ人もいる…。ほんと人間って様々だなぁと思う。
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ホームレスとして暮らす主人公・硯木と隅田川沿いのホームレス仲間たち。「ホームレス」と言ってしまうとイメージが良くないけれど、お金ではなく知恵と工夫で生き抜いていく姿に、生き物としての本来の暮らし方を考えさせられた。
暮らしを楽しみ、ふわりと、しかし前向きでしなやかな生きていく――読んでいて楽しく、爽快な気持ちに。
p250
人間は、アイデアを使い、工夫し、方法を発明することで自分にとって必要な最小限の空間を発見することが出来る。さらに壁に囲まれた空間だけを家を感じるのではなく、脳味噌を使うことで、壁を通り抜けて広大な世界を自分の空間と体感出来る。
硯木は無意識にこの極小と無限大の感覚を同時に持ち合わせていた。彼にとって、自分が路上生活者であるということは、今はもう消え去っていた。
彼は自分のことを、住所も、コンクリート基礎でしっかり固められた家も持っていないが、地球という地面で生活する『ただの人間』であると考えていた。
硯木にとって、それはとても自由な気持ちになれた。 -
今から20年以上前、舞台は1990年代後半の東京、主役の路上生活者が読み手を終始わくわくさせてくれる物語であった。著者は東京の路上生活者を取材した「TOKYO 0円ハウス 0円生活」という本を書いており、その取材ネタを元に小説に落とし込んでいるので準ノンフィクション的な小説である。
僕自身、出世しないタイプというか、宝探しや小さなリサイクルや小屋建てや青空宴会が大好きであって読んでてずっとわくわくだった。またこれは小説の要素だと思うけどクロやモチヅキさんのようなひたすらに利他的な仲間がすごくいいなあと思った。
テレカ、モーニング娘。、時代を感じる一方、あの頃は今より絶対息苦しくない緩い時間で生きてたなあと。インターネットは膨大な知識とコンテンツを人に還元した代わりに、過剰な生産貨幣社会も生み出し、時間と心にゆとりが無くなったきたのは間違いないと思う。
あと寝れなくする目的で設置してるベンチ中央の手すりとか花壇、いつもながら見るたびに酷いよなあって思います。