- Amazon.co.jp ・本 (334ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344420106
作品紹介・あらすじ
「ミズキさんとでないと、だめな躯になっちゃうよ」。弟を愛するあまり、その恋人・千砂と体を重ね続けるミズキ。千砂はその愛撫に溺れ-(「最後の一線」)。女子校のクラスメイト、年下の同僚、叔母の夫、姉の…。欲望に忠実だからこそ人生は苦しい。覚悟を決めてこそ恍惚は訪れる。自らの性や性愛に罪悪感を抱く十二人の不埒でセクシャルな物語。
感想・レビュー・書評
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村山由佳さんは語ります。『もう、この際、いっさいのエクスキューズを抜きにして、とことん傲慢に言い放ってしまおう。肉体を伴わない恋愛なんて、花火の上がらない夏祭りみたいだ!』と。
小説を”読む”ということは、私の場合、こうして長文のレビューを”書く”ことを意味します。ブクログのユーザーとなり、長文レビューを書くようになって一年数ヶ月。平均4,000〜5,000字程度のレビューを書くこと自体には慣れてきました。ただ、レビュー前提の読書は、読書中のメモ量も半端ないですし、読みながらどういった構成のレビューにするかを考えながらの読書となるため、時々、自分は本当にその読書を楽しめているのだろうか?と思うこともあります。しかし、幾度もの書き直しをする中で作品を振り返り、投稿するものを仕上げると、今度は逆にその作品を深く読めた気もして、良い読書だった、と感じて終わることも多いです。しかし、それは作品の内容にもよります。レビューを書かれていらっしゃる皆さんはみんなそうだと思いますが、当然にレビューを書きやすい作品と、書きづらい作品があると思います。そのどちらが良い作品だったかは一概には言えないと思いますが、すっきりまとまったレビューを書き終えると、読後感自体もアップするのは間違いないと思います。
では、そんな読書の対象が”官能小説”だと分かっていたらどうでしょう。“官能に訴える、つまり男女間もしくは同性間での交流と性交を主題とした小説”という”官能小説”。4,000〜5,000字のレビューをまさか伏せ字だらけの文章にするわけにはいきません。また、”さてさて氏って変態だったんだ!”とか、”さてさてさんってイヤラシイ!”なんて皆さんに思われたら一大事です(汗)。
そんなこの作品の読書は読む前から緊張感に苛まれました。でも、そんな私がこの作品を読み始めて気づいたのは、村山さんがおっしゃる通り『肉体を伴わない恋愛なんて、花火の上がらない夏祭りみたいだ!』というある意味での”はじけ感”。”これなら書ける!”と読書も楽しめた、そんな私が挑む、初の”官能小説”のレビューをここにお送りしたいと思います。このレビューを読んで、一人でも多くの方に”本棚に登録”ボタンを押していただければ幸いです…ということで、早速いってみましょう。
『懐かしい匂いのする校舎のあちこちに、古い記憶がこびりついている』、『講堂の舞台に垂れさがった赤いビロードの幕にも、西日に透けるチャペルのステンドグラスにも』と懐かしい光景を見る主人公の美羽。『うっそ、美羽?』、『やだ、何年ぶり?』という会話に『十二年ぶり、と笑って答えながら、さっと奥の会場に目を走らせる』と、『六十人以上集まったんだよ』と言う幹事の圭子。『葉書が届いたのはひと月以上前の土曜日』で、『近所のお蕎麦屋さんから手をつないで戻ってきたところだった』という私と修司。『同窓会?高校の?行ってくればいいじゃない。これまで、出たことないんでしょ』と言う修司。『人並み以上にうまくいっていると思う』二人の関係。『映画配給会社の広報にいる修治』とは、彼が打ち合わせに来た時に知り合って二年。『小さな庭のあるこの家で、一緒に暮らし始めてから一年三ヶ月』という二人。『このごろではもう、めったに喧嘩なんかしなくなった』という二人は、『どんなに短い距離でも』手を繋ぎます。『だって基本でしょ』と言う『修司の左手に自分の右手を預けて歩くのはすぐに好きになった』美羽は『そう、修司は優しい。私も、彼には優しくできる。彼との生活をいとおしく思ってもいる』と感じています。その一方で『なのに ー いったい何が不満なんだか、自分で自分がわからない』という思いを抱く美羽。そんな美羽が『渡された名札をつけて中に入ると、すでに同級生たちでいっぱいの部屋は、昔の父母会のあとと同じ匂いがし』ました。そんな時『入口のほうがざわめ』き、『オカザキだ、とあちこちから声が』します。そんな声を遠くに聞きながら『私は懸命に自分の心臓をなだめていた。動揺が、思っていたより大きくて、そのことになおさら動揺してしまう』という美羽。オカザキを見ると、『誰かを探しているようなその視線が、ぴたりと私のところで止ま』り、『脊髄反射みたいに笑顔を返してしまったのは、私のほうが先だった』という美羽。『オカザキも、笑った』のを見て過去を振り返る美羽は『休み時間のチャペル ー それもいちばん前の祭壇の陰なら、生徒も来なければ、先生の目も届かない』というその光景を思い出します。『私たち二人の秘密の場所』というチャペル。『秘密というものは、分け合う人数が少なければ少ないほど甘く熟し、ひそやかに発酵していく。私たちはその蜜を、二人だけで貪るようにすすり合った』というその時。『悪いことをしているとは思わなかった』という美羽。『私たちにとってそれは、ただ、恋、だったのだ』というその行為。『私の下唇を、オカザキが前歯で軽く咬んで引っぱる。一瞬で、私の尾てい骨はとろとろに溶けた』というその瞬間。そして同窓会も終わり二人になったその場。『ねえ美羽、このあと時間ある?もうちょっと話がしたいんだけど』と声をかけてきたオカザキ。そして…という最初の短編〈あと少しの忍耐〉。『思春期にありがちな恋愛のまねごととも思えなかった』という秘密の過去を共有する二人の再会がなんとも複雑な余韻を残す好編でした。
十二の短編から構成されるこの作品。作品間の繋がりは全くありませんが、そこに描かれるのは性と性愛の物語です。『十二の短編の中に生きる十二人の女たちは皆、程度の差こそあれ、自らの性や性愛に対して罪悪感を抱いている』と語る村上さんは、それが『私だけの悩みかと思っていたら、そんなことはなかった』と、この作品が雑誌「GINGER」掲載中に読者からたくさんの感想や相談のメールが届いたと続けられます。
そんな十二の短編に描かれるシチュエーションは非常に広範です。『昼間の上下関係が、夜になると逆転する、そのいびつさが倒錯的でたまらなかった』と『会社で過ごすすべての時間が、淫靡でストイックなプレイ』と感じる女性が主人公の〈それでも前へ進め〉。『Mに対してはSの組み合わせこそがうまくいくと思われがちだけど、M同士というのも一見どうにもならないようでいてじつは得がたいカップリングなのだ』と『両手首を鎖につな』がれる女性が主人公の〈あなたのための秘密〉。そして、『ベッドの上でそれをする時は、いつも三人だ。千砂ちゃんと、わたしと、弟の勇希』、でも『勇希本人はその場にはいない』と、思わず”?”となる複雑な想いを抱く女性が主人公の〈最後の一線〉など、あまりにバラエティーに富んでいて、いやらしいというよりは、なんとも上手くできた短編集を読んでいる感を終始強く感じました。
そんな中で変化球だったのが〈言葉はいらない〉という短編。『ああ…どうかしている。人として、これは絶対にしてはいけないことのはずだ。何があっても踏み越えてはいけない一線のはずだ』と感じる主人公の悶えるような葛藤が描かれるその内容は、まさかの種明かしに、えっ?となること間違いなしの見事な描写。種が分かった手品ほどつまらないものはありません。残念ながら、レビューでその種明かしを書かれている方もいらっしゃいますので、この作品を読む前にあまりレビューは見ないことをおすすめします。
十二の短編が収められたこの作品。”官能小説”と紹介されていることも多いようです。『最も敏感なところに中指の腹をあて、焦らすようにゆるゆると撫であげてやると、彼女はひゅっと息を吸いこんだ』というような表現が頻出するその内容を考えれば、まあそうなんだろうと思います。しかし、それ以上に「天使の卵」の村山さんらしく、美しい情景描写、美しくその光景を例えていく描写は何よりもの魅力だと思います。私の場合、読書を恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」からスタートしたこともあって楽器のこんな例えには特に魅かれました。『千砂ちゃんの弱いところなら、もうぜんぶ知っている』という表現だけなら如何にも”官能小説”という感じですが、『熟練のヴァイオリニストが一本の弦からえも言われぬ旋律を導き出すように、わたしは容易に彼女を歌わせることができる』と続けるその表現は、思わず美しい!と感じ入ってしまいます。そもそも私は、一年少し前まで本というもの自体ほとんど読んだことがなかったこともあって、他の”官能小説”と呼ばれるものとの比較ができませんが、正直なところ、この作品は”官能小説というだけで白い目で見る”というものではない、と思いました。それはもしかすると、最後に置かれた村上さんご自身による〈あとがき〉の影響もあるかもしれません。上記に少し引用したように、性や性愛について『私だけの悩みかと思っていたら、そんなことはなかった』とおっしゃる村上さんは、こんな疑問を呈されます。『いったいどうしてなのだろう。どうしてこの時代においてすら、女性の側から性愛を欲することはタブー視されてしまうのだろう』というその命題。その答えとして書かれたのであろうと思われるのが最後の短編〈誰も知らない私〉。そこでは、『男性にはいわゆる性感マッサージの店がいくらもあるのに、女性向けにはほとんどない』という点に焦点を当てた物語が描かれていきます。確かにこの短編でも『大きなてのひらを私のそこにあてがうと、いつのまにかしとどに溢れ出た蜜と一緒くたに合わせてぐいぐいかき混ぜた』といったような表現が登場しますが、その結末に感じる感情は清々しさを感じる位にさっぱりとしたものです。そして、その後に〈あとがき〉が続く構成のこの作品を読み終わった素直な感想は、なんだかとっても面白かった!と、”官能”という言葉からは縁遠い晴れやかな面持ちでもありました。そう、”官能小説”というような紹介に惑わされて敬遠するのはあまりにもったいない、とても上手く出来た短編集、それが私の結論になりました。
『ほかの誰にも許さない特別なことを、特別な相手にだけ許す。その行為を通して、相手そのものを許す。セックスには、そういう効用や意味がある』という”官能”な世界が描かれたこの作品。『自らの性や性愛に罪悪感を抱く十二人の不埒でセクシャルな物語』と紹介されるこの作品は、確かに『不埒でセクシャル』と言える内容に満ち溢れています。しかし、そんな作品に描かれる彼女たちは自らの内面に溢れる様々な思いを素直にさらけ出す場として、性を、性愛を求め続けていたのだとも思いました。
『どうしてこの時代においてすら、女性の側から性愛を欲することはタブー視されてしまうのだろう』とおっしゃる村上さん。男性の私が抱いたままに書いたこのレビューを、この作品を読まれた女性の皆さんはどう感じられるでしょうか?この国では語られることの少ない性と性愛について、ある意味での問題提起をしていただいた、そんな風にも感じた作品でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
女性の性をテーマにした12編からなる短編集。
ヒールをカツカツいわせるキャリアウーマンがいるか思えば、ちょっと頭の足りない苦労知らずの女の子がいて、倒錯した愛に溺れる女性カメラマンも‥‥。
性をテーマに12編も?、飽きそう‥と思っていたけれど、変化にとんでいたので予想よりは楽しめた。
それにしても性に自立が絡められるのは女性だけな気がする。いいのか、悪いのか。 -
村山由佳が、こうゆう短編集を書くなんて。
かなり取材をしたんだろう、想像・妄想だけでは描けない。
犬にはビックリしたけれど…。
女性目線のソフト官能小説。 -
ある種のファンタジーのように捉えたので、倫理観とか現実味とか抜きで普通にエッチでいいなって思えた
男性的なエロじゃなくて女性向けの作品だからか、文章がエロいんだけど下品ではなかったのがよかった
どういうところがエッチだなって感じるのかを捉えるためにもう一度読み返してみたいと思った。 -
「女性と性」をテーマに描かれており、官能的表現もさる事ながら、女性たちの心理描写にも惹かれました。友人の勧めで読んだのですが、いい意味で期待を裏切られました。 -
女性目線の官能短編集。読み終わって印象深いのはラブシーンじゃなく、彼氏を取った後輩の女の子のコートに鼻水をつけるところ。。笑った。
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同名の曲、Daryl Hall & John Oatesが歌っていたように思います。
男女の仲にセクシャルな要素は避けて通れない。でも男の側はその部分に対する考えはぞんざいで乱暴。
作者自身の後書きで、「この短編の中で女性たちはみな自らの性に罪悪感を覚えている。…中略 …私だけかと思っていたらいっぱいメールや手紙をいただいた」「肉体を伴わない恋愛なんて花火の上がらない夏祭りのようなものだ!」
編集者(女性です)は、
「いつか何かのはずみで村山由佳さんとエッチしちゃうかもなぁ」と解説の冒頭に書いています。
いわゆるエロ本ではないですがその辺のエッセンスが詰まった本です。12本の短編を集めたものになっているのでさらに凝縮感があるんでしょう。 -
村山由佳にしては珍しい、短編集。
12本、12人の大人の女性の物語。なかなかアダルトです。
『ダブル・ファンタジー』以降の作品では、一番好きかもしれない。
“まだまだ村山由佳を読んでみよう”と思わせてくれる。
そして、文庫派の私には、未読の新刊予定はまだまだあるのです。
小説すばるで連載中の『天使の柩』を含めてね。 -
はっ!!となって思わず、友達にも勧めました。
電車で読んでたら隣のお姉さんに覗かれて、こちらもススメました。
知らない人も気になるアダルトエデュケーション。