伊藤くんA to E (幻冬舎文庫)

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 1984
感想 : 184
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  • Amazon.co.jp ・本 (314ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344425552

作品紹介・あらすじ

美形でボンボンで博識だが、自意識過剰で幼稚で無神経。人生の決定的な局面から逃げ続ける喰えない男、伊藤誠二郎。彼の周りには恋の話題が尽きない。こんな男のどこがいいのか。尽くす美女は粗末にされ、フリーターはストーカーされ、落ち目の脚本家は逆襲を受け…。傷ついてもなんとか立ち上がる女性たちの姿が共感を呼んだ、連作短編集。

感想・レビュー・書評

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  • 『四人それぞれの視点で一人の男を描くのって斬新だし面白いそうじゃないですか?』

    この小説の主人公はどんな人だろう。小説を読み始めて主人公が登場するまでのドキドキ感は読書の醍醐味のひとつでもあります。作家の皆さんも当然そんなことはよくわかっていらっしゃいます。その時できる最高の演出をもって、その小説を引っ張っていく主人公の登場を描いていきます。主人公が登場するまでの物語、それはオペラの前奏曲のようなものかもしれません。そして、ここに柚木麻子さんの「伊藤くん A to E」という作品があります。そうか、主人公の名前は伊藤君。どんな人だろうと思ってその登場を待つまでの時間。そしてようやくその名前が登場した時に感じる不思議感。『今夜は久しぶりに伊藤君に会う。少しでもいいから進展させたい』という伊藤君のことを思う女性視点で綴られるその物語。そう、この作品は『伊藤誠二郎』という男性に関わった五人の女性が、彼との出会いを通して自分自身を見つめていく、そんな五人の女性が主人公の物語です。

    『どうして人気ないのかしらねー、このコ』と
    もう一年近く『ウインドウに飾られている牛革の鞄』を柔らかな布で拭くのは主人公の島原智美。『社長直々の依頼で作られたなんと二十万円の商品』というその鞄に『当たり前ですよ、島原さん。うちみたいなマイナーな国内ブランドで二十万円を使うなら、プラダ行きますって』と言う後輩の三芳ちゃん。『このコ、私みたいだよね』と小さく呟く智美は『社会人になりたての頃に合コンで出会い、もう五年が経とうとしている』伊藤君のことを思い浮かべます。『代々木の大手予備校の国語教師だが、本当はシナリオライターを目指している』という伊藤君。『二カ月に一度連絡がくればいい方』とあまり会うことのない二人ですが『今夜は久しぶりに伊藤君に会う』というまさに当日。『少しでもいいから進展させたい。逆らえない大きな流れを作って、そこに彼も自分も巻き込んでしまえばいい』と考える智美。『待ち合わせの場所は、渋谷の大型書店の地下一階だった』という書店で『伊藤君の姿を探してフロアをぶらつく』智美は『ヒロインみたいな恋しよう! 』という本を手にします。『恋愛の主役になるには、美貌なんて必要ない。ちょっとしたテクニックで、自分主導の恋愛ができる』という内容を読んでいると『なんだ、お前。なんて本を読んでいるんだよ』と『意地悪そうに、にやにや笑って』伊藤君が立っていました。『今日店に来たどの男性客よりお洒落だ。歌舞伎の女形になったらぴったりであろう色白の瓜実顔』と智美が感じる伊藤君。『矢崎莉桜ねえ。ふーん。まさかお前が矢崎ファンだとはねえ』と本の著者と知り合いであることを匂わす伊藤君はとっとと書店を出ていきます。慌てて後を追う智美。そして『二カ月ぶりのデートなのに』ラーメン屋に連れてこられた智美は『普段ラーメン食べないから、むしろ嬉しい』と作り笑いを浮かべます。『智美にはなんの興味も湧かない話ばかり』する伊藤君。『彼の才能とか能力に惹かれているわけではない。では、一体自分は外見以外で、伊藤君のどこが好きなのだろう』と考えこむ智美に『今日はお前に話したいことがあるんだ』と唐突に話しかける伊藤君。『なあに』と聞く智美に『うん、おれ好きな女ができてさ。それで相談に乗ってもらいたくて』という伊藤君。『どおん、と遠くで音がした気がする』という智美の内面。そんな智美が受けた衝撃と、それでも伊藤君にこだわる智美のそれからが描かれていきます。

    〈伊藤くんA〉から〈伊藤くんE〉までの五つの短編から構成される連作短編の形式をとるこの作品。それぞれの短編で主人公となる女性が変わっていきます。そんな中でもA と B、C と Dでそれぞれ主人公となる女性の物語は対になる、二つでワンセットのような内容。それらと独立してEの主人公の物語が存在する、そんな構成です。しかし、登場人物は五つの短編とも入り乱れて登場するため、あの短編で、このように見られていた人が、実はこんな人だった、とか、あのインパクトのあるシーンは、違う人の立ち位置からは、こんな深い意味のあるシーンだったんだ、というように複雑に絡み合って物語は展開していきます。まさに連作短編の醍醐味を存分に味わえる、そんな巧みな構成が読者を全く飽きさせません。そしてもう一点、ある意味で読者を飽きさせない工夫がされています。それが書名に君臨する『伊藤くん』のキャラです。最初から最後まで、ある時は主人公の前に堂々と登場して物語を引っ張り、ある時は主人公と友人の会話の中に登場して話題を引っ張り、そしてある時には主人公の友人とホテルに赴いてしまうという感じであらゆる場面に登場しまくります。そんな『伊藤くん』に対して読者が抱くイメージは『クズ』と言い切っていいでしょう。そんな『クズ』が五人の女性の前で繰り広げるあまりの『クズ』っぷりは、読者を相当に苛立たせます。こんなとんでもないダメ男をどうして好きになってしまうのか?『人を好きになると周りが見えなくなり、行動が空回りしてしまう。頑張れば頑張るほど相手に疎まれる』という女性の心理。この感情が内面で渦を巻き、抜け出したくても抜け出せない感情の中に陥ってしまうその時『もはや彼に対する感情が「好き」なのか「憎い」なのか自分自身にはよくわからない』とすっかり錯乱されてしまう女性の内面。こうなると、もう落ちるところまで落ちてしまわないと立ち直ることさえ難しい、人はそんな状況に陥ることがあるのだと思います。小説を離れて現実世界のニュースでも、どうしてそんなダメ男を好きになって、自らの子供を不幸にしてしまったのか?というような記事を目にします。決して小説の中の空想世界の話ではないこの複雑な女性の感情。柚木さんは、この『クズ』っぷりを存分に発揮する伊藤君を影の主人公にして物語を描くことで、その女性の内面に鋭く迫っていきます。

    五人の女性が主人公をそれぞれ務める各短編ですが、各話に伊藤君が登場することで、もう一つクローズアップされることがあります。それは、『伊藤君と自分は似ている』というそれぞれの主人公の気づきです。それは『自分のことで頭がいっぱいで周りが見えないところ』だったり、『知らず知らずのうちに人を傷つけるところ』だったりと、それぞれの主人公は自分でも気づいているけど治せない、そんな自分の負の側面に起因する事ごとが伊藤君に投影されていることに気づきます。人は自分によく似た人物を嫌う傾向があります。それは恐らくその人に自分が持っている嫌な部分が投影されていると感じるからなのだと思います。『これほど彼が苦手なのは、近親憎悪のせいなのだろうか』というその感情が問いかける先にいるのは他の誰でもない自分自身。そして、色んなタイプの主人公たちがそれぞれに感じる『伊藤君と自分は似ている』という感覚の先に、読者も、ふと感じてしまう『伊藤君と自分は似ている』なんてことはないよね?というまさかの衝撃。いや、こんな『クズ』と自分が似ているはずがない、そう全力で否定する気持ちを抱えながらの読書。もしかして、この作品から感じる嫌悪感の理由の一つはそんなところにあるのかもしれない、そんな風にも感じました。この作品について、柚木さんは『彼を反面教師にして、トンネルを抜けていく女性たちの話になっている』と語ります。また、さらに『「なんでこんなにイライラするのかな」と自分に矢印を向けてみると、意外と悩みから脱するきっかけをつかめたり、つらい仕事が楽しくなったりすることもあるのではないでしょうか』と語ります。そう、この作品は日常に何かしらのイライラを抱える私たちへ、そんなイライラとサヨナラする方法を教えてくれる、自分と向き合ってみることの大切さを教えてくれる、そんな作品なのかもしれません。

    『四人(実際には五人)それぞれの視点で一人の男を描くのって斬新だし面白いそうじゃないですか?』という発想で描かれたこの作品。人はいつも”自分の物語”の中では主人公であり続けます。では、そんな自分に関わる人たちの視点から自分を見たとしたら自分はどのように見えるのか、そのそれぞれの人たちの物語の中で自分はどのように描かれているのだろうか、そんな視点で描かれたのがこの作品。そして、影の主人公である伊藤君は、それぞれの短編の主人公たちを映す鏡でもありました。そんな伊藤君との関わりを経て前を向いていく主人公たちに明日を感じることのできたこの作品。五人の主人公たちに幸あれと、エールを送りたくなる、そんな作品でした。

  • 「カラフル」森絵都作→「伊藤くん A to E」

    愛されて、憎まれて。
    きちんと言語化できる程の伊藤くんの腹の括りっぷりは、自分にはない信念の強さを感じました。見習えないほどの。

    伊藤くんに同性の友人がいないことは容易に想像できるけど、ここまで振り切れてたら、声をかけてしまうかも。食いつかれたら、逃げるけど。そんなゲスい野次馬根性が、モンスターにエネルギーを与えているのかも!

    皆さんの感想を読んで、色んな考え方に触れることができて、2度楽しめる作品でした。

    カラフルより、ある意味カラフル!

  • 脚本家を目指すフリーター・伊藤くんをめぐる5人の女性を描いた連作短編集。
    伊藤くんに恋した女性の物語かと思えば、意外とそうでもなかった。伊藤くんはモテる男なのかと思えば、バカにされていたりもする。あぁ、なるほど。伊藤くんを描く物語ではなく、5人の女性の自立の物語だったのか。
    でも、それだけでは終わらない。伊藤くんに振り回されてる女性に振り回されてる男性も描かれていてなかなか面白い。特に最後の「伊藤くんE」は恋愛ではなく、自分を見つめること、他人の評価を期待することについてかなり深い問いかけをしている。こういうところが柚木さんのうまいところ。

  • それぞれの登場人物の気持ちが分かるような、分からないような、、、
    ドラマも観てみたいです。

  • この本を伊藤くん腹立つで片付ける人とは分かち合えない
    そう思うくらい私は柚木さんらしい深みのある本だなと思いました。

    この本は内容こそどうもドラマのようなテンポで進んでいくありきたりのように思えるけれど、深みのある小説だと考えます。
    男に翻弄される女はやっぱみっともない
    って客観視します。
    でもスカッとした気持ちで読み終えられたのは5人の女の子の根のたくましさだ。
    恋に溺れ感情に流されそうになるも、理性的な判断ができる女性たち。かっこいい。
    柚木麻子さんの書く小説の女性はそんな女性ばかりだから好き。こうあるべきだなといい意味で影響を受けます。
    男に溺れていく女を書くバッドな物語にするのでなく、男性より強くある女性を描く柚木さん、素晴らしい!
    実際こうできる女性はどれほどなのか…。
    今の「メンヘラ文化」納得できない私はこういう本が好きです。メンヘラが唱えられるようになった現在、それを肯定する風潮が私は気に食わないのでこういう本に好感を持ちます。
    解説にあった「男性神話」と「女性神話」のお話はとても興味深かったです。そして柚木さんの本は「女性神話」であるということ。この二分化があることと、私の好きなタイプはこれかとの気づきがあり、とても興味を持ちました。

    これからもこういう本を柚木さんには期待するばかりです。

    「ご都合主義ドラマ」に対する考えが共感できた。私はハッピー!友情最高!みたいなドラマがウケるこの世の中がしっくりこなかった。皮肉もあるのかもしれない。けれど、脚本家による反感を買わないための守り姿勢がそれを生み出して、実際策略通りに世に受けているのだと分かった。
    この部分は攻めることを恐れるなという柚木さんの社会やエンタメ、放送業界などに対する訴えのように感じた。では柚木さんが攻めの作家かというとそうではないと思う。けれどそうは感じているんだろうなと感じた。

    あと、莉桜の人間らしさにとても共感。
    自分のことを「性格の悪い」と述べているけど人間らしいだけだと思う。「青臭い理想論や誰かの受け売りに違いない映画や本の知識、ぼんやりしたプロット、見通しの甘い夢を聞いているたびに、歪んだ興奮に満ちてくる」この感情を何度も味わっているか。それが自分の好きなところでもあり、嫌いなところでもある。客観視して物事を冷静に見れる自分である反面、保守的で嘲笑してばかりいる自分に嫌気が差す。けれどその両面性を感じている限りこれは自分に根強くあり続けるだろう。

    これは映画化されているみたいだけど、この本質は映画じゃ伝えられないと思う。私も小説でなく映画で観ていたら「伊藤くん腹立つ」の一言だったかと思う。映画に限界があるのか、映画は小説にある深みを持たせられない気がしてやっぱり私は映画より小説派。

     

  • もうちょいコメディよりかと思ってたら…なんだかずっと重くて嫌な面突き付けられて気持ちが沈みがちな本だった笑

    A・Bぐらいまでは明るく読み終えられたかな。

    そして唯一圧倒的な良い人、クズケン。え、え、絶対クズケンと付き合いたいんだが。イチャイチャパート最高だったのにな。

  • 再読。
    イケメンで実家がお金持ち、だけどプライドが高く何者にもなれない男、伊藤くんと関わる5人の女性の短編物語で構成される作品。
    どの物語をとっても最低の人物としか思えない伊藤くんに振り回されながらも、それぞれの物語の主人公たちが自分自身と向き合い前に進む姿は読んでいて応援したくなる。

  • どの章も主人公はボロボロになった後、再起して終わるので、読後感は良かった。最終章で、伊藤くんが狂人なりの正論を述べるところ(結局はいつもの強がりだったと判明する)で、読者をグラっと揺るがせに来るが、これに負けるわけにはいかない、てのが人間の生きる道ですよね。最後、脚本家によって人間のクズ的なものの象徴にまで祀り上げられる伊藤くん、滑稽でヒサンだな~。
    あと同性愛とか、肉体関係とかがないまぜになった、友情に関する描写が特に新鮮で何度か涙ぐんだ。

  • 最初は顔はいい伊藤くんに対して「伊藤くんさぁ…」と思いながら読んでいましたが、読み進めていくと、荒々しさはないけれど、駆け巡るような展開にページを捲る手が止まらず一気読みしました。

    「伊藤くんに振り回された女性の話」かと思っていたら、出てくる女性たちがどの人も濃くて、しかもそれぞれが伊藤くんに対して良い印象を抱いてはいないのに、どこか見放すことが出来ず、むしろどこか自分と重なる部分を見つけたりして。きっと読んでる側も、ハッとさせられる瞬間があり、出てくる人の誰かに「分かる」という感情を抱くんじゃないかなと思いました。

    人間性の描写が上手く、身体の内側のそれも底側を描いているのに、どろりとした中に爽快感というか、清涼感がきちんとあり、読了後に読んでよかった、と感じることが出来ました。

  • 容姿と家柄に恵まれるも幼稚で無神経な男、伊藤くんとそれに振り回される女の人たちの話

    女性特有の心理描写(もちろん皆に当てはまるわけではない)が十分すぎるくらい描かれているので男性が読むとどう感じるのか気になる

    私は他人に振り回されることが多分人より苦手なので(小中学生の時に懲りた)登場人物たちには全く共感できなかった。振り回されそうになったら無意識にシャットアウトしてしまうなあ。
    恋愛でも振り回されることに耐えられる人と耐えられない人がはっきり別れるのは不思議(女子は前者が多い印象)

    解説で反感や嫌悪は自分にとって触れられたくない、隠しておきたいものの在処を知らしめてくれるとあったが、必ずしもそうとは言えないよな〜
    それらの感情は、自分の弱い部分を見透かされた時に自己防衛で沸き起こることもあれば、自分が大切に築き上げてきた信念(私の場合は"人を傷つけない""自の機嫌は自分で取る"など)と相反する状況で沸き起こることもあると思う
    嫌悪を覚えたからと言ってそれをどうするわけでもなくシャットアウトしてしまうのだけど。。良くないなあ

    ✏圧倒的な経験不足と想像力の欠如があなたを傲慢にしている

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著者プロフィール

1981年生まれ。大学を卒業したあと、お菓子をつくる会社で働きながら、小説を書きはじめる。2008年に「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を書きつづける。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞と、高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞。ほかの小説に、「ランチのアッコちゃん」シリーズ(双葉文庫)、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』(どちらも新潮文庫)、『らんたん』(小学館)など。エッセイに『とりあえずお湯わかせ』(NHK出版)など。本書がはじめての児童小説。

「2023年 『マリはすてきじゃない魔女』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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