熔ける 大王製紙前会長井川意高の懺悔録 (幻冬舎文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344425798

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「あの時やめておけばよかった……」はギャンブルにつきものだ。軍資金を使い切るまでやろう、持ち金が無くなるまでは賭けよう、せめて一度勝つまでは続けよう……と、デッドラインを後退させては金をスり、ATMにおかわりに行く。収支が大マイナスになってから全部取り返すというのは期待値的にはあり得ない(勝って帰れるときのほとんどは先勝ちして逃げるパターン)のだが、「もしかしたら」を信じて余計に負けを広げてしまう。

    本書『溶ける』は、そうしたギャンブルの恐ろしさをありありと綴った一冊だ。主人公は大王製紙の元会長である井川氏。井川氏は2007年ごろからカジノに入れ込むようになり、週末の仕事を終えたら飛行機で海外に直行、そこから不眠不休でギャンブルをし続けるといった生活を送っていた。溶かしたカネの総額はなんと106億8000万円。当然首は回らなくなり、子会社から「投資資金」と偽って自身の口座宛てに金を振り込ませていた。2011年にとうとう流用がバレ、東京地検特捜部に逮捕されて懲役4年の判決を受けた。

    私も多少ギャンブルをするが、さすがに桁が違う。10万円負けですら打ちのめされる一般人からすると、100億円負けたときの感覚なんて想像がつかない。
    これについて、井川氏は「実は普通の負けと大して変わることはない」と述べている。「ギャンブラーにとっては、賭ける金額が大きいか小さいかは関係ない。『井川さんにとって一張り3000万円でバカラをやっているときの気持ち、総額で100億円以上も負けたときの気分はどうですか』とよく訊かれるのだが、答えは『あなたがパチンコをやるときと一緒ですよ』としか言いようがない。」

    確かに、ギャンブルで負けているときは案外冷静なものである。どこか非現実めいているというか、負けている自分を第三者視点で眺めている感覚というか、とにかく「あぁ、ダメだったか」と達観した気持ちになる。絶望の淵に立たされているかのようなダイナミックな感情は起こっていない。
    自分の場合は、ギャンブルが終わった後猛烈な後悔が襲い、「二度とやるものか」という気持ちが湧き上がってくるのだが、恐らく井川氏はこれが無かったのだろう。彼の場合は自分で掛け金を決められたし、元手をどうにかすれば引っ張ってこられた。負けても生活が悪化するわけではないので、「まぁ、次勝てばいいしな」という感覚で責任の所在を先送りしていたのだと思う。

    人は損失を回避する性格だ。5万円を得る喜びと5万円を失う悲しみでは、失う悲しみのほうをより強く感じる。プロスペクト理論における「価値関数」である。しかし、ギャンブルで身を亡ぼす人の特徴は、「勝ったときの喜びは大きく、負けたときの悲しみはあまり痛まない人」である。勝っても負けても感情が激しい人は、実はギャンブルに大ハマりしない。負けの悲しみが薄い人が「また行こう」と思ってしまうのだ。競馬やパチスロであれば、勝ちとそれより少し多い負けを繰り返して、徐々に収支がマイナスに振れていく。大負けをかまし続けてマイナスに直下降することはあまりなく、大抵は途中で嫌になってやめていく。
    井川氏も、150万円を4時間半で22億円にする大勝をおさめながらも、1ゲーム数100万円の負けを繰り返して100億円の損失を作った。
    要は、ギャンブルは試行回数を重ねた時点で負けということなのだ。

    ――マカオで多くのカジノを所有するカジノ王スタンレー・ホーが吐いた名言がある。「客が勝って帰るのは怖くない。客にはいくらでも勝ってほしい。負けた客がカジノに来なくなるのが一番怖いのだ」

    次作『熔ける再び』の感想
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4344039785
    ――――――――――――――――――――――――――――

    【まとめ】
    1 カジノという罠
    2010年5月以来、私は大王製紙社長として、グループ企業から巨額の資金を借り入れる裏技を常態化させていた。その大半は、すでにマカオのカジノ「ギャラクシー」や「ウィン・マカオ」で失ってしまっている。11年5月の時点で、グループ企業から借り入れたカネの総額は実に50億円を超えていた。
    「バカラで5時間かけて勝負した結果、500万円が1000万円に膨らんだ。ならば10時間かければ、1000万円を2000万円にまで増やせるはずだ」「運とツキさえ回ってくれば、500万円を5億円に増やすことだってできる。現に150万円を4時間半で22億円にしたことだってあるじゃないか。目の前にある20億円を30億円、40億円にまで増やし、今までの借金をすべて取り返すことだってできるはずだ──」

    07年6月に大王製紙の社長に就任して2年が経ったあたりから、カジノへの熱の入れ方は急激にエスカレートしていった。勝ち続けて目の前のチップが増えると、次第に感覚が麻痺してくる。1回のゲームで100万円単位を賭けるのが当たり前になり、さらにはマックスベット(1ゲームあたりの掛け金の上限)を張って、1ゲームに1000万円以上ものチップをつぎこむようになった。
    こうして私は、シンガポールの「マリーナ・ベイ・サンズ」でさらなるエスカレーションに突入していった。最終的に私がカジノで負けた総額は106億8000万円にまで膨らんでしまうことになる。

    私をマカオへといざなったのは、「ギャラクシー」でジャンケット(仲介業者)の資格を有するK氏だ。
    ジャンケットは上客のマネージャー兼コンシェルジュとして立ち振る舞い、軍資金が底をついてしまったときには金貸しの便宜もはかってくれる。どうやらジャンケットはカジノと契約したうえで、客が勝負で動かしたカネの総額から、決まったパーセンテージをもらえるシステムだったようだ。つまり、客がいくら儲けた、あるいは損したといったことは関係ないわけだ。

    ジャンケットが果たす最大の仕事は、客の負けが込んできたときの借金の手配だった。カジノにとっては、いったい何者なのかわからない相手に何百万円、何千万円、ときに億単位のチップ(すなわち現金)を貸し出すのはリスキーすぎる。客の素性を知るジャンケットは、カジノ側と交渉して「この人であれば3000万円までなら出せます」と太鼓判を押す。

    一方カジノ側は、VIPルームに上客を呼びこみ、高待遇をしながらどんどんカネを投入させる。VIPルームとは、たいがいの場合、ホテルの上階にあるセミスイートルームやスイートルームのような場所だとイメージしてもらえばいい。VIP客の場合、入り口も駐車場もほかの客とは別の場所に設置されている。専用スペースにクルマを停め、専用エレベーターで人目につかないように部屋に直行できる。

    マカオやシンガポールのカジノでは、「ローリングバック」というシステムがあるのも興味深かった。カジノの本場ラスベガスでは見られない制度で、勝っても負けても、動かした総額から1%程度をカジノが客にバックしてくれるのだ。スッテンテンになった客から身ぐるみをはぎとるわけではなく、帰りの飛行機代と食事代くらいは残しておいてあげる。そんな武士の情けのようなサービスがあるおかげで、「次回またリベンジしてやろう」という気分になれる。ローリングバックというシステムもまた、VIP客をカジノにつなぎ止めるために一役買っていた。

    マカオで多くのカジノを所有するカジノ王スタンレー・ホーが吐いた名言がある。「客が勝って帰るのは怖くない。客にはいくらでも勝ってほしい。負けた客がカジノに来なくなるのが一番怖いのだ」


    2 金も、地位も、全てを溶かした
    2011年6月、私は大王製紙の会長に就任した。それからほんの数カ月後の9月16日、巨額融資の実態が発覚して会長を辞任することになる。

    2011年8月、私はK氏が所属するジャンケット運営会社から限界まで借金を重ねていた。1億円、さらに1億円……と無理を重ね、そのとき1回で3300万香港ドル(約4億1580万円)もの借金をしてしまったのだ。
    カジノやジャンケット会社に頼んだ借金は、何カ月も返済を猶予してもらうわけにはいかない。絶望している暇などなかった。自分の預金が底をつくと、大王製紙の子会社に連絡を取って「投資のつなぎ資金が必要になったから3億円を送ってほしい」などと指示を出す。あちこちの消費者金融から天文学的な数字の借金をしているような状態で、自転車操業の資金繰りが続いていった。

    同年11月22日、会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕される。そして、13年6月26日、最終的に最高裁判所で上告が棄却され、懲役4年とした一審、二審判決が確定した。

    私が初めてカジノに出かけたのは、1996~97年のころだ。ゴールデンウィークを使って、オーストラリア東海岸のリゾート地・ゴールドコーストに家族旅行に出かけた。
    初カジノに赴くにあたり、私は帯封がついたままの100万円を軍資金にすることにした。今思えばかわいいものだが、なにしろ初めてのカジノだけに、かなり慎重に勝負した。

    カジノにはさまざまなゲームがあるが、私が一番はまったのは丁半バクチである「バカラ」だ。バカラでいくら頭脳プレイを展開しようとしても、頭を使う余地はどこにもない。勝つか負けるかは運次第だ。運に賭けるしかないからこそ、頭脳プレイのゲームとは違った醍醐味がある。今の私の立場でこんなことを言うのは自分でもいかにも馬鹿だと思うのだが、偶然性と勘頼みのバカラは実にエキサイティングなギャンブルだった。
    ツイているときは信じられないくらい勝つ一方、運に見放されれば呆れるくらい負ける。だからこそおもしろいし、さまざまな形態の丁半バクチが世界中で流行しているのだと思う。ご多分に洩れず、私も丁半バクチのなんとも言えないスリリングさとおもしろさに、どんどん没入していった。

    ある程度勝ったときには、テーブルを変えてインターバルを置く。調子が悪いと感じたときにも、やはりテーブルを変える。負けが込み始めたと感じたときには場所を変え、勝ちが重なってきたときには欲張らずに勝ち逃げして座を移す。1回の掛け金をやたらと大きくすることなく、小さな勝負を細かく繰り返す。いくら流れが良かったとしても、調子に乗ってバンバン賭け始めると必ず最後は負けてしまう。昔から「見切り千両」というように、勝っていたにしても負けていたにしても、スパッと途中で見切る潔さがある人が、目に見えない「運」を奪い合うギャンブルの世界で最終的に生き残るものだ。カジノに通い始めた初期のころは、私も「見切り千両」をしっかり心がけていた。
    2泊3日の初カジノでは、種銭の100万円は失ってしまってもいいと思っていた。その種銭はどうなったのか。なんと私は見事に大勝ちし、オーストラリアから日本へ帰国するときには100万円が2000万円まで膨らんでいたのだ。
    この大きすぎたビギナーズ・ラックが、私をカジノのおそるべき底なし沼へ引きずりこんでいくことになる。

    その後K氏の案内で、03年ころから時々マカオに遊びにいくようになった。初めてマカオに行ったときには、種銭の300万円は全部スッてしまった。当時はカジノでカネを借りてまで勝負するという発想がなかったため、300万円のマイナスでおとなしく帰国している。
    2回目のマカオも種銭と追加投資の500万円をスり、後がなくなった。そのとき私は思い切った勝負に出た。「えい、最後に100万円を全賭けしてしまえ!」
    なんとそこから一気に600万円以上を取り返し、500万円の借金をその場で返しただけでなく、元の種銭100万円まで取り返すことができた。こういうミラクルがあるから、人間はカジノにやみつきになってしまうのだろう。
    こうして、マカオでの勝負の仕方が徐々にエスカレートしていった。

    カジノに行き始めた当初、せいぜい私は100万円単位の勝負しかしなかった。ジャンケットのK氏がコンシェルジュのようについてくれるようになってから、カジノでの勝負はどんどんエスカレートしていった。K氏の口ききによってカジノの運営会社に数千万円、数億円という借金を重ね、負けはどんどん拡大していった。
    2011年4月以降、私はほとんど毎週のようにマカオへ出かけてバカラをやり続けることになる。金曜日の夕方に仕事を終えると、その足で羽田空港へ向かう。金曜日の深夜にはマカオ入りし、ほとんど眠らずに勝負をし続ける。
    種銭が無くなったときは、ジャンケットのK氏に頼み、アメックスのカードを使ってできるだけ多額の現金をつくれる店を探してもらった。K氏は2時間ほどかけて店を探し出し、2000万円の買い物をしたことにして種銭をつくったこともある。

    そしてとうとう、すべてが明るみになってしまう。11年9月7日、大王製紙の連結子会社7社から資金を借り入れ続けていた事実が、社内メールの告発によって発覚してしまったのだ。就任からわずか数カ月後の9月16日、私は大王製紙会長を引責辞任した。

    合計106億8000万円。巨額の資金は、「LVSインターナショナルジャパン」というカジノ会社に直接送金した8億5000万円を除き、すべて私個人名義の預金口座に振り込まれ続けた。
    なぜ106億8000万円もの資金を、子会社から次々と無担保で借り続けることができたのか。子会社からカネを借りるにあたっては、私から子会社の役員に直接電話連絡を取っている。資金調達の理由について、多くを説明することはなかった。「個人的に運用している事業がある。至急×億円の貸付を頼む」。そう説明すると、「わかりました」と言ってすぐに資金を調達してくれた。貸付に協力した役員は、東京地検特捜部の取り調べに対して、「井川家が怖かった」という旨の供述をしている。
    「過半の株式をもっている会社から、一時的にカネを融通したって問題はなかろう」。こんなことを口にすれば、多くの読者から批判の声を受けることは承知しているが、そんな軽い気持ちがあったことは事実だ。


    3 ギャンブル依存者の行動
    マカオやシンガポールのカジノへ通っていた当時、コーヒーしか口にしない状態で36時間連続で勝負するのは当たり前だった。今あらためて思うのだが、なぜ私は、ここまでギャンブルにのめりこんでしまったのだろう。
    カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときの悔しさと、次の瞬間に湧き立ってくる「次は勝ってやる」という闘争心がまた妙な快楽を生む。だから、勝っても負けてもやめられないのだ。地獄の釜の蓋が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦げるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。
    脳内に特別な快感物質があふれ返っているせいだろう、バカラに興じていると食欲は消え失せ、丸1日半何も食事を口にしなくても腹が減らない。「何か食べたほうがいいですよ」とジャンケットが心配し、軽食を準備してくれるほどだ。カネがなくなるか。時間切れでフライトの時間が訪れるか。カネか時間が切れるまで、勝負はいつまでも続く。もし私に仕事がなく、資金が無尽蔵にあるならば、何日だろうが何週間だろうがマカオやシンガポールのカジノで勝負し続けたはずだ。

    資金の上限を定め、これ以上は勝負してはいけないというリミッターを設けておく限り、さほど大負けすることはない。資金と時間のリミッターをはずして狂乱の勝負に打って出るから、ギャンブラーは負けが込んでしまう。連敗が続いたときにはしばらくルックしよう(待とう)」といったルールをきちっと遵守すればいいのに、負けが込んだときほど次々とカネを投入してしまう。熱くなってはまずいとわかっていながら、自分でつくったはずのルールを無視して暴走してしまう。
    「バクチをやる人間は、結局のところ皆バクチに向いていない」のだろう。皮肉なことに、「バクチをやらない人間ほどバクチに向いている」のである。

    バクチで破滅する人間など、ごく一部だ。強いて言うならば、会社のプレッシャーやストレスから逃げるために私が酒を利用していたことはたしかだと思う。一方、ギャンブルは違う。仕事のせいでギャンブルにハマったわけではなく、私は単純にギャンブルが好きだったのだ。
    ギャンブラーにとっては、賭ける金額が大きいか小さいかは関係ない。「井川さんにとって一張り3000万円でバカラをやっているときの気持ち、総額で100億円以上も負けたときの気分はどうですか」とよく訊かれるのだが、答えは「あなたがパチンコをやるときと一緒ですよ」としか言いようがない。「自分は破滅するかもしれない」という瀬戸際でやっているからこそ、ギャンブルにはたまらない快感がある。月収20万円の若者が、パチンコにハマって借金してしまう。「この次負ければサラ金を返せなくなって、逃げなければいけない。あるいは首をくくらなければいけない」。こういう瀬戸際で勝ったときの快感はたまらない。

    身動きがとれないカネの沼に引きずりこみ、遂には己が身を滅ぼしたギャンブル依存症。なぜ私の中に狂気が生まれたのか。社会と隔絶された塀の中で、その正体を見極めたいと思っている。

  • 一瞬でお金が何倍にも何十倍にもなる快感。はまってしまうのもわかる気がする。そして一瞬で大金を失ってしまう衝撃!それもある意味快感なのだろうか?

  • ⚫︎感想
    ドラマのような展開で知らない世界を垣間見れて興味深かった。
    頭のキレる井川氏が、ギャンブルにはまるのはなぜなのか。ある一定の人々に対しては、争いがたい魔力がそこにあるのだろう。バカラの仕組みやハラハラ感はジェットコースターのよう。一方で仕事はとても真面目過ぎるほどにこなしている。井川氏の仕事のやり方や部下への接し方、言い方に一貫性、筋が通っているところが素晴らしいと思った。仕事において「5w1h」ではなく「5w 2h」は必ず心掛けたい。

    ⚫︎本概要より転載
    大王製紙社長の長男として、幼少時代は1200坪の屋敷で過ごし、東大法学部に現役合格。27歳で赤字子会社を立て直し、42歳で本社社長就任。順調な経営、華麗なる交遊……すべてを手にしていたはずの男はなぜ〝カネの沼〟にハマり込んだのか? 創業家三代目転落の記。そして、刑期を終えたいま、何を思うのか――。

  • 【熔ける】井川意高 大王製紙元会長

    1.購読目的
    2011年上場企業大王製紙元会長が会社法違反で逮捕されました。
    この書籍はその元会長が逮捕前に執筆しているノンフィクションです。
    この事件からすでに10年が経過しました。直近「ふたたび熔ける」が出版されています。

    元会長は、会社から106億円を個人的理由で借り入れし、流用していました。
    ・どのような経緯で106億円?(事件の発端)
    ・どのような牽制で防止できなかった?(監査の視点)
    これを知るために購読です。

    2.書籍を通じて初めて知ることができたこと。
    ・有価証券報告書。106億円の賃借は記載あり。
    ・監査法人による元会長へのヒアリング実施もあり。
    ・7社から2年間で106億円。

    上記の事件のあらまし以外に、元会長井川氏の「経営への考え方」も知ることができました。
    ユニ・チャーム、P&Gの競合がいるなかでどのように利益をねん出していくか?
    『課題そして対策は具体的であれ。抽象論では進まない。』
     例;要注意。気をつけます。まじめにやります。しっかりやります。努力します。
    次回は結果を出します。意識します。

    3.学び。拡大解釈。
    会社資金の用途は、キャッシュフロー計算上、営業、財務そして投資の3種に区分できます。
    これは財務上の一般論です。
    本質は、この3区分の資金がA;売上増加またはコスト削減につながったのか? B;ただ消費されたのか? であると認識できました。

  • 筆者の井川意高氏は、大王製紙の創業家の三代目にあたる。東大法学部を卒業した後、大王製紙に入社し、一種の帝王教育を受けたのち、大王製紙の社長となる。経営者としては、有能な人であったようであり、大王製紙在任中には、いくつかの立派な業績をあげている。
    井川氏が有名になったのはしかし、大王製紙の経営者としてではなく、特別背任罪で逮捕・有罪判決を受け、懲役刑を受けたからである。井川氏は、ギャンブル依存症であり、マカオやシンガポールのカジノでブラックジャックやバカラにのめり込み、何と106億円の借金をこしらえてしまったのだ。借金返済等、資金をまわすため、井川氏は大王製紙の関係会社から借金を重ねる。最終的には、借金は全て返済したが、関連会社からの借金そのものが特別背任罪にあたり、約4年間の実刑判決を受けることになってしまう。本書は、井川氏の経験談を書籍の形にまとめたものである。
    ギャンブルのために、100億円を超える借金をしてしまうのは、まともではないが、ギャンブル依存であること以外の井川氏は、ごくごく真っ当な経営者であることが、本書を読めばよく分かる。しかし話は逆かもしれない。ギャンブル依存症である経営者は、いかに本業で立派な業績をあげていたとしても、「真っ当な経営者」とは呼べない、そう考えるのが普通の考え方なのだろう。しかし、そういうことは全てわかったうえで、ギャンブルにのめり込んでしまうところに、依存症の怖さがあるのだろう。

  • 第212回(2024年2月) 依存症に陥る人たちはなぜ魅力的なのか|GINAと共に
    http://www.npo-gina.org/blog/2024/02/21220242-1521750.html

    大王製紙元会長・井川意高さん、カジノで106億円失い獄中へ エリート御曹司の転落劇が異例のロングセラー - スポーツ報知(2023年12月11日)
    https://hochi.news/articles/20231210-OHT1T51261.html?page=1

    熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録|COLORFUL
    https://colorful.futabanet.jp/list/books/612144ac77656169e0d10400

    『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』井川意高 | 幻冬舎
    https://www.gentosha.co.jp/book/detail/9784344425798/

  • youtubeやxのポストで井川さんを知り拝読。
    幼少期の父親との関係、大王製紙に入社してから、カジノにはまり、逮捕される一連について。
    第4章の家庭紙部門の赤字を黒字にするまでの手腕や考え方・抽象を許さず具体を問う姿勢などは仕事をする上でも参考になった。

  • この本の著者井川意高という人は、つくづく真面目な人だと思う。人間の持つどうしょうもない矛盾というか性(サガ)を持つ自分が翻弄されながら、なんとかなると思っていて、カジノで106億円の損失を出し、会社の特別背任罪で、4年の実刑を食らい、そして今は娑婆で生活している。
    カジノは人生を狂わせ、ギャンブル依存症になるという典型の人として認知されている。106億円は、全て、自分が社長している会社から工面し、そして全て返済するほどの資産を持っていたのだ。返すことができたというのは自己完結はしている。また、大王製紙のいろんな事業では、井川意高は、赤字部門を立て直して、黒字にする優れたビジネスマンでもある。(本を読んだ範囲内の判断であるが)
    シンガポール マリーナベイサンズ のカジノのVIPルームで、井川意高の目の前にカジノのチップ20億円分がある。タネ金は、500万円から始まって、48時間で20億円になったのだ。さらに倍にしようとしている。それは、今までの借金を返済するための賭けである。運と偶然性のみが支配しているバカラの勝負に、全生命を賭けて挑んでいるのだ。しかし、淡雪のごとく20億円は溶けてしまった。井川意高の中では、20億円というお金は、記号や数字にしか見えず、そして借金を取り戻すことしか見えない戦いだった。なんだろう、このヒリヒリ感。500万円から20億円になった時点で、とりあえず、手を打てばよかったのだ。波に乗っている高揚感が、次を目指す。勝ち逃げしてまた次を狙えないという貪欲さ。井川意高には、リミッターやブレーキがない。だから尋常でない金額の106億円で負け、借金となる。ここまで、愚かでどうしようもない自分と付き合って生きて行くのは、楽しいだろうね。

  • 一週間前に単行本で読んだら、文庫特別書き下ろしがあるというので、それと解説を読みました。

    ちょうど昨日今日と中田敦彦さんがYouTubeで
    井川さんについて語っていました。
    他の人の説明や感想を聞くと
    新たな発見がありますね。

    「やりきらなきゃいけない」と強迫観念があるんですね。
    私もだと思いました。
    この本を読み中田さんの話を聞いて
    そのことが確認できて良かったです。

    あ、そうだ。
    文庫特別書き下ろしに、106億8000万円が108億6000万円になっているところがありました。

  •  この本は面白い。やはりこれだけカジノにのめり込めるのは、実力のある人にしかできないこと。

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著者プロフィール

1964年、京都府生まれ。東京大学法学部卒業後、1987年に大王製紙に入社。2007年6月、大王製紙代表取締役社長に就任、2011年6~9月に同会長を務める。社長・会長を務めていた2010年から2011年にかけて、シンガポールやマカオにおけるカジノでの使用目的で子会社から総額約106億8000万円を借り入れていた事実が発覚、2011年11月、会社法違反(特別背任)の容疑で東京地検特捜部に逮捕される。懲役4年の実刑判決が確定し、2013年10月から2016年12月まで3年2カ月間服役した。著書に累計15万部のベストセラーとなった『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』(双葉社、のちに幻冬舎文庫)のほか、『熔ける 再び そして会社も失った』『東大から刑務所へ』(幻冬舎)がある。

「2023年 『熔ける日本の会社』 で使われていた紹介文から引用しています。」

井川意高の作品

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