貘の耳たぶ (幻冬舎文庫)

  • 幻冬舎 (2020年2月6日発売)
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本 ・本 / ISBN・EAN: 9784344429390

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、新生児の『取り違え』が現実に起こっていることを知っているでしょうか?

    『新生児 取り違え』、これら二つの言葉を検索ワードにボタンを押すと驚くことに幾つもの結果が返ってきます。『ほとんどは外国で起きた事件のニュース』という一方で、現在進行形で裁判が行われている例など、日本でも実際に『取り違え』が起こっていることがわかります。『産院側のミス』によって起こったそれらの悲劇。何年も何十年も経ってからその事実が発覚しても、それは『取り返しがつかない』事態です。

    安心できる材料としては、それらは昭和の時代に起こった事ばかりであり、現在は何かしらの対策が取られていることです。

     『現在はほとんどの産院でもそうした事故を防止するために生後すぐ、分娩室から出る前にネームタグを母子の手足首につけている』

    実際にそのような悲劇が起こったからこそ現場にもその再発を防ぐ手立てがなされてる現状があります。しかし、ミスではなく故意に『取り替え』が起こることはないのでしょうか?そのような事態を想定した対策は取られているのでしょうか?

    さてここに、『母親が犯人だった』というまさかの新生児『取り替え』を描く物語があります。作品冒頭から読者をトイレに立つことさえままならなくさせるこの作品。どんな結末が待っているか全く予想もつかないこの作品。そしてそれは、『耳たぶの感触はおっぱいの先の硬さと同じなんだって』という言葉に希望を感じたとおっしゃる芦沢央さんが綴る慟哭の物語です。
    
    『残念だったね、という声が耳の奥で反響』する中に、『大きな窓に両手をついて』『〈石田繭子ベビー〉並んだベッドの一番左、青いプレートに書かれた自分の名前が他人のもののように見えた』と、『その下で眠る、小さな赤子』を見て『この子が、わたしの子』と思うのは主人公の一人、石田繭子(いしだ まゆこ)。『この子は、残念な子なんだろうか。わたしのせいで、幸せにはなれないんだろうか』と、『残念だったね、という』郁絵の言葉を思い出す繭子は、『見学に訪れた別の助産院で言われた』『女性が本来持っている力だけで産むのが自然なお産』と説明されたことを振り返ります。『何となくそこで産む気にはならなくて分娩予約を入れないまま帰り、それ以来思い出すこともなかった』という繭子は、『内臓が外へ押し出されてしまうような収まりどころのない激痛から逃れられるのなら何でもいいと思った』という先に『早く切ってくれと先生に頼』みます。『もうこれ以上苦しまなくていい。これで、とにかく終わる』と思った繭子でしたが、『今になって、あのとき助産院で聞いた言葉が蘇』ってきました。『普通に産めなくて残念だったね。先生ももう少し頑張らせてくれればよかったのにね』と郁絵に言われた言葉を思い出す繭子は、『出血量が多すぎて輸血までしたという郁絵』が『まだ起き上がることすらできていない』という中、『けれど、彼女は ー 赤ちゃんに最高の出会いをプレゼントてきたんじゃないか』とも思います。そして、『目の前の戸を開け』、『新生児用ベッドを覗き込んだ』繭子は、『バスタオルを開』きます。『七月二十七日十時二十三分生まれ 二六四〇グラム 四十八センチ 男の子』というプレートの数字を見て、『小さい、と思』う繭子は『こんなにも小さな生き物を、わたしが育てることができるんだろうか』という気持ちになります。『呆然と、隣に並んだ郁絵の子どもを見下ろす』と、そこには『二八五〇グラム』という数字が見えます。『たった二一〇グラムの差でも、その分だけ生きる力が強いように見えた』繭子。さまざまな思いが去来する中、『一生、この子の人生に責任を持たなければならない』と思いつめる繭子。そんな中に『腕が、隣のベッドへと伸びた』という先に、『バスタオルに手をかける』と、『ピンク色のネームタグが、外れてい』るのに気づきます。『〈平野郁絵ベビー〉』と書かれた『バンドが、肌着の裾に引っかかってい』ます。『わたしが肌着をめくった拍子に外れてしまった?』と思い『背後を振り返る』も『まだ誰の気配も』しません。『外れたのだから、元に戻せるはずだ』と『考えた瞬間』、『残念な子、という言葉が再び脳裏で響』きます。『この子は、わたしのせいで幸せになれない』と思う中、『気づけば、震える手で、自分の子の足首をつかんでいた』繭子は、『そこに巻かれていたネームタグを指で挟』みます。そして『踵で引っかか』ったタグからやがて抵抗が消えた一方で、『遠くのドアが開く音』に『タグを落と』してしまい、慌てて拾い『自分の子の足を押し込む』繭子。しかし、『泣き声が上が』る中、『わたしは今、何をしようとしていたのだろう』と思う繭子は、『郁絵の子のネームタグも戻』そうとしますが『ネームタグ』が見当たりません。『床に落ちていた』のを見つけ同様に足首に戻した繭子。そんな瞬間、『〈石田繭子ベビー〉』という文字が見え、『どうしてこれが』と『隣のベッド』を見ると『〈平野郁絵ベビー〉』という文字が見えます。『間違えた』と、『血の気が一気に引いていくのがわかった』という繭子。そんなところに『あら、石田さん』と『窓越しに看護師と目が合い、声にならない悲鳴が喉を締め上げる』繭子は、『間に合わない。バレてしまう。わたしが』と焦ります。『石田さん』、『どうしたの?』と声をかけられ『しゃがみ込んだ途端、肩を支えるようにつかまれ』、『石田さん、大丈夫?』と訊かれると『力を抜いて。ほら、そこの壁に寄りかかって。大丈夫、落ち着くまで座っていていいから…』、『ちょっと無理しちゃったかな?…だけど本当はできるだけ動いた方がいいからね』と言われる繭子。『赤ちゃんに会いに来たんでしょう?頑張ったわね』と『滑らかな声が、ぐらぐらと揺れる頭の中で反響する』繭子。そんな繭子が『ネームタグ』を交換してしまった先に待つ運命の物語が描かれていきます。

    “自ら産んだ子を「取り替え」た、繭子。発覚 に怯えながらも、息子・航太への愛情が深まる。一方、郁絵は「取り替えられた」子と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。それぞれの子が四歳を過ぎた頃、「取り違え」が発覚。元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は…”と内容紹介にうたわれるこの作品。新生児の『取り違え』ではなく、『取り替え』というまさかの前提の先に衝撃的としか言いようのない物語が紡がれていきます。

    文庫本451ページという物量の中に描かれていくこの作品は〈プロローグ〉と〈エピローグ〉の間に挟まれた、たった二つの章だけで構成されています。そして、それら二つの章には女性の名前が章題としてつけられています。

     ・〈第一章 石田繭子〉

     ・〈第二章 平野郁絵〉

    二つの章が物語を形作っていく作品というと私には加納朋子さん「いつかの岸辺に跳ねていく」が思い出されます。〈フラット〉と〈レリーフ〉の二つの章から構成される加納さんの作品はそれぞれの章ごとに視点の主を切り替え、〈フラット〉で見せた世界を〈レリーフ〉で鮮やかに反転させる画期的な構成で魅せてくれます。この芦沢央さんの作品は時系列としては〈第一章〉に時間的に継続した物語を〈第二章〉で見せていくため、物語が反転するわけではありません。どちらかと言うと、〈第一章〉の物語が引き起こした出来事を〈第二章〉で結果論として見せていく物語です。しかし、加納さんの作品も芦沢さんの作品も二人の人物に視点を切り替えることで、見える世界がガラッと変わるという、小説ならではの醍醐味を味わわせてくれる点では同じです。

    では、芦沢さんのこの作品を見ていくに際して物語に登場する二つの家族をご紹介しましょう。

     ● 物語に登場する二つの家族
      ・石田繭子(化粧品会社を退職)、旭(パイロット)
        子供: 航太(こうた)-出生時 2850g
         ※ 葛飾区のマンションに暮らす(最寄駅: 青砥)
          旭の父親は弁護士
     
      ・平野郁絵(保育士)、哲平(会社員)
        子供: 璃空(りく)-出生時 2640g
         ※ 葛飾区の一戸建てに暮らす(最寄駅:京成高砂)

    この物語は2012年7月27日を起点として動き出します。この日、同じ産院において石田家と平野家にそれぞれ男の子が誕生しますが、繭子が『帝王切開』を自らの意思で選択したのに対して、郁絵は『五十二時間も』かけ『出血量が多すぎて輸血までした』という中に自然分娩するという対象的な経緯の違いを見せます。ここに物語が生まれる余地が生まれます。『手術を終え、ストレッチャーで廊下を移動していた』繭子に郁絵はこんなひとことをつぶやきます。

     『普通に産めなくて残念だったね。先生ももう少し頑張らせてくれればよかったのにね』

    『陣痛が始まって四十五時間が経過していた』という郁絵にはことさら『帝王切開』を見下す意図はなかったものと思われますが、そんな言葉は繭子の心を蝕んでいきます。『女性が本来持っている力だけで産むのが自然なお産ですよ』と『見学に訪れた別の助産院で言われた言葉』が脳裏に蘇る繭子はこんな思いに囚われます。

     『この子は、残念な子なんだろうか。わたしのせいで、幸せにはなれないんだろうか』。

    そんな思いに満たされていく繭子は、他の大人が誰もいない新生児室へと立ち入り、自らが産んだ子どもを見下ろします。『〈石田繭子ベビー〉』と『〈平野郁絵ベビー〉』と『ネームタグ』が足首に付けられていますが、郁絵の子どもの『ネームタグ』が外れていることに気づく繭子は二人の体重差も気になる中、自らの子どもにつけられた『ネームタグ』を外してしまいます。そんなところに誰かが来る気配に気づいた繭子は慌てて『ネームタグ』を戻すも結果として逆に付けてしまいます。

     『間違えた。血の気が一気に引いていくのがわかった』。

    ここまでが〈プロローグ〉で提示される内容です。まだ本編には一切入っていませんが、この作品の大前提がここに出来上がってしまうことがわかります。一方で、自らの子から『ネームタグ』を取り外す行為に出た繭子ですが、つけ間違いをして焦る様子が描かれているのも事実です。そういう意味では、最後まで強い意思を持った上で『取り替え』たわけではなく、結果論的な事故とも言えます。しかし、その先の幾つもの段でそれを訂正できる場面はあり、それをせずにその先を生きていくことを選んだことを考えると、やはり自らの意思で『取り替え』たと言わざるを得ないと思います。なかなか衝撃的な物語の幕開けです。

    そんな物語は、本編へと移り、まずは『取り替え』た張本人である石田繭子視点で航太と名付けた、本来は郁絵の子どもを育児する繭子の物語が描かれていきます。そして、そこに描かれるのは、育児に多々思い悩む繭子の姿です。

     繭子: 『ねえ、こうちゃん。ママと一緒に公園に行こうか』
     航太: 『やだ』
      (ほとんど反射のように航太が答えた)
     繭子: 『どうして?行こうよ。滑り台楽しいよ』
     航太: 『やだ』
     繭子: 『じゃあお買い物にする?』
     航太: 『やだ』
      (にべもない返事に、ため息が漏れそうになる)
     繭子: 『じゃあどうしたいの』
     航太: 『やだ』
      (航太は首を思いきり横に振った。やーだー!顔を赤くして、自分の声に急き立てられるようにして泣き始める)

    『一歳半を過ぎた頃からイヤイヤ期らしきものが始まった航太は、二歳を過ぎた今、ほとんど毎日こうして泣いている』と、航太の育児に悩みを深めていく繭子の姿が描かれていきます。こういった場合、周囲に相談する人がいれば違うのかもしれませんが、夫の旭はパイロットとして不在がちであり、頼みの綱であるべき実母はある一件で精神を病み教師を退職したという中に頼れる人なく一人で悩みを深めていきます。そんな中にこんな思いが顔を持ち上げます。

     ・『あの子は、どんな子になっているんだろう』。

     ・『血の繫がったあの子の言うことなら、理解してあげられたんじゃないか』。

    この作品の〈第一章〉は繭子視点で展開する物語です。『帝王切開』を見下すような発言が起点ということも含め、読者は間違いなく視点の主である繭子に感情移入していくはずです。例え、『取り替え』というありえない行為をした人物であるとしてでもです。

    しかし、そんな物語は折り返しとなる2016年9月30日、平野郁絵視点の〈第二章〉に切り替わった途端、見えていた景色が別物に変化します。これが二つの章から構成される作品の何よりもの醍醐味です。物語は、内容紹介にある通り、”元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子”と対象的な姿を見せます。というより、郁絵視点の〈第二章〉で描かれる繭子の影の薄さに驚く他ない物語が展開していきます。何を考えているのか全くわからない繭子を見る読者は、〈第一章〉で感情移入してきた繭子だからこその違和感に間違いなく戸惑います。その一方で、〈第一章〉で垣間見えた姿とは異なり、極めて人間味あふれる郁絵の姿を見る物語の中に一気に感情移入先が移り替わっていくのを感じざるをえません。

     ・『璃空を手放したりなんて、そんなことできるわけがない』。

     ・『血の繫がりがどうであろうと、私の子どもは璃空でしかない。まずは夫妻に会うだけ会って、義務を果たした後は交換に反対し続ければいい』。

    物語は、子どもの『取り違え』がわかった先に、どう決着をつけるべきかをそれぞれの夫妻に突きつけていきます。あまりに非情な現実を突きつける物語の中で視点の主である郁絵の心は大きく揺れ動いていきます。その動きの激しさ、深さは読者の心を間違いなく射抜きます。途中で、読書を中断することを一切許さない恐ろしいほどの密度の濃さで物語は展開していきます。そこには、郁絵の心情のみならず、何の罪もない二人の子どもたちが見せるあまりに切ない思いが垣間見えてもきます。そして、そんな物語が至る結末、そこには、こんな思いのままに本を置かなければならないのか…と、もどかしい思いがいつまでも尾を引く物語の姿がありました。

     『自分がしたことが信じられなかった。わたしと夫の血を継いだ子を、妊娠がわかってからの八カ月間、ずっとお腹の中で育ててきたはずの子を、自分が手放そうとしたのだということ。そして、わたしは、それをごまかすために一番やってはならないことをした』。

    そんな結果論の先に、まさかの新生児『取り替え』という事態が起こってしまった二つの家族の姿を描くこの作品。そこには、対象的な母親に育てられた二人の子どもたちの気持ちに感じ入りもする物語が描かれていました。育児の大変さを改めて思うこの作品。そんな物語の中に親と子の繋がりを改めて考えさせてもくれるこの作品。

    読後、二人の子どもたちの未来にいつまでも思いを馳せてしまう、なんとも言い表せない思いが渦巻くその結末含め、小説を読むことでこんなにも感情が揺さぶられてしまうものなのか!と驚いてもしまう、これぞ傑作だと思いました。

  • 2017年 第6回 新井賞受賞
    自ら産んだ子を 同日に生まれた他の子と取り替えた母親
    ちょっとしたトラブルによる衝動的な行動だった
    妊娠中の不安、出産時の苦痛、育児への憂慮
    その一瞬の出来心に背景はある
    告白する機会を失ったまま、子供達は4歳となる
    自分の子ではないと知っている母親と
    自分の子供と信じている母親
    二人の母親の育児と生活の違いは、考えさせられる 母親に期限があるとすれば子供を預けて仕事をする事ができるのか?日常生活をもっと大切に過ごすのか?
    この小説の読みどころは、DNA鑑定により本当の両親が確定した後、二人の子供達と育ての親との分断の場となるのだけれど
    取り替えの犯人となる母親は、育てる間の苦悩も大きかったとは思うが 告白だけでは、罪のない子供達の痛々しい辛抱への償いは、終わらない

    • 1Q84O1さん
      私もそう思うかもです
      育ての親かな
      私もそう思うかもです
      育ての親かな
      2024/06/14
    • しずくさん
      私も断然育ての親派ですよ
      私も断然育ての親派ですよ
      2024/06/16
    • おびのりさん
      そうよね、育ての親よね
      なんか将棋の話で 子供取り替えあったね!
      感動したけど タイトル忘れちゃった笑
      そうよね、育ての親よね
      なんか将棋の話で 子供取り替えあったね!
      感動したけど タイトル忘れちゃった笑
      2024/06/16
  • 自ら産んだ子を「取り替え」た繭子。
    発覚に怯えながらも、息子・航太への愛情が深まる一方、郁絵は「取り替えられた」子と知らず、息子・璃空を愛情深く育ててきた。
    それぞれの子が四歳を過ぎた頃、「取り違え」が発覚する。
    元に戻すことを拒む郁絵、沈黙を続ける繭子、そして一心に「母」を慕う幼子たち。切なすぎる「事件」の、慟哭の結末は・・・。


    子の取り違えといえば、「そして父になる」が記憶に新しいところだが、この物語は取り違いを起こした人物が、当の母親だというところが大きく違った。
    「そして父になる」も苦しくて、苦しくて、登場人物全てが苦しみぬくのだが、取り違いに差があるものの、この物語も終始苦しい、悲しい感情が自分に乗り移ってきてしまった。


    物語の序盤では、普通分娩を望んでいた繭子が、急遽帝王切開になり、自分を責めるところから物語は幕が開く。

    私にも子供が二人要るが、どちらも普通分娩で生まれた為、帝王切開の人がここまで心を痛めるものなのか!?
    その辺は全く理解が出来なかった。
    繭子の母親も、心を病んでおり、そんなこともあってか、どんどん自分を追い込んでしまう。

    序盤の育児の場面は、懐かしいなぁ~という気持ちで読んでいた。

    育児は全てが初めてのことだから、何が正解なのかもわからず、右往左往してしまう。
    自分にもそんな頃があったなぁ~と・・・。
    自分は良い母ではない、何でちゃんと出来ないんだろう?なんて、他人と比較して自分を責めたこともたくさんあったなぁ。

    子供が赤ちゃんで居るのなんて、ほんの短い時間でしかないのに、あの時間は永遠に続くと思っていたなぁ。
    幸せと不安が交互に押し寄せてきたり、寝不足で死んでしまうんじゃないかと思ったり、自分の育児は間違っているんじゃないかと自分を責めたり。

    そんな自分の過去を思い出しながら、繭子と郁絵の愛情深い子育てに、嵌り込んでしまった。

    辛く切なく苦しい話だったけど、心掴まれて、ググっと最後まで一気読みしてしまった。

  • ⭐️2.6

    冒頭から繭子の子供への否定的な言葉の数々。
    なぜ子供を産もうとしたの?
    お腹の中に10ヶ月も居て
    少しも母性が芽生えなかったの?
    全然理解できなかった…。
    でも、こんな母親も居るのかもしれないと読み進めた。繭子はいつか取り替えが発覚するかもしれないと怯えながら他人の子供を育てる。そして4歳の時に発覚し…。
    終始イライラしながら読みました。笑
    私も母ですが人生を壊された子供たちが
    気の毒でしょうがなかった。

  • 読後、感情をどこに持って行くべきか分からなくて、しばらくボーッとなりました。正解は何だったのか。この結末しかなかったのか。少しだけ考えてみましたが、結局何も思い浮かばず。でも、この結末が正しかったのかもよく分からなくて。

    同時期に同じ産婦人科で出産した、繭子と郁絵。新生児室に自分の赤ちゃんの様子を見に来た繭子は、子育てへの不安から赤ちゃんにつけられたネームタグを、郁絵の赤ちゃんのタグとすり替えてしまう。

    我に返った繭子はネームタグを戻そうとするが、そこで折しもタイミングが悪く看護師が入ってきたことで、タグを戻すタイミングを失ってしまい……

    前半はかなりしんどい読書でした。帝王切開で出産した自分への侮蔑の念。自身の母との関係性の負い目から、自分がちゃんと育児が出来るのか、という不安の念。そうした術後の不安定な精神状態の描写の細かさたるや……

    一方で郁絵は保育士のため、子育ての知識は豊富。彼女も難産だったものの、最終的には自然分娩で出産したらしく、それと比べて自分は、と卑下してしまい、郁絵に育てられた方が、この子は幸せなんじゃないか、と繭子は思いつめ……

    と、衝動的に赤ちゃんのタグを入れ替えてしまった気持ちは、理解できなくもない。その複雑な心情を描ききるのは、さすが芦沢さんだと思うのですが、その後の展開がいまいちすっきりしなかった。

    何度も「言い出さなければ」と思う繭子ですが、タグを入れ替えたことを夫や周りの人にどう思われるかを気にし、ズルズルと時間だけが過ぎていく。

    確かに言い出しにくいのは分かるのだけれど、そのまま時間が過ぎていって後戻り出来なくなるリスクがあまりにも大きく感じられて、一向に言い出せない繭子にどうも感情移入しきれませんでした。

    それでいて、自分のしたことへの後悔や、いつかばれるんじゃないかという不安、といった心理描写は迫真に迫っているから、余計に読んでいてしんどい……。
    「もう言っちゃってよ」と何度も思ったし、逆に「なんで言い出さないんだ」と最初の3分の1くらいはイライラし通しだった気がします。

    結局言い出せないまま二組の母子は退院。繭子は郁絵の子を自分の子として、子育てを続けていくことに。

    不安な感情のまま繭子は子育てをしていき、子供の「イヤイヤ期」が始まったときはかなり不安定な精神状態に。でも一方で、ある瞬間にふっと気が楽になったり、そして子供への愛情が湧いてきたりと、このあたりからようやくテンポ良く読めるようになってきました。

    不安な感情の描写もさることながら、子供に対しポジティブな感情を抱いていくまでの描写も上手いので、そのあたりも良かった。そして四年の月日が経ち、出産した産婦人科から、一本の電話がかかってきて……

    ここで繭子の章が終わり郁絵の章へ。出産から四年。郁絵の浮気を疑った夫は、子供のDNA鑑定をすることに。その結果明らかになったのは、父母共に子供とは血縁関係にないという検査結果。

    産婦人科や弁護士から子供を元に戻す「交換」を提案され、反射的に拒絶する郁絵。一方で子供達の今後のことを考えると、交換の選択肢も一理あるようで……。そして二組の親子がたどり着いた結末は……。


    子供への愛と、交換という現実の選択に揺れる父母。その痛みや苦しみ、惑いに罪悪感。そういった感情が読者側にも痛いほど伝わってきます。
    なぜ気づけなかったのか。もっと子供と一緒に過ごしていれば。

    そうした感情が余すところなく書かれ、そして二人の子供達の描写も痛々しくて、こちらも読んでいて辛くなってくるほど……

    そしてたどり着く繭子夫妻の決断と、郁絵夫妻の決断。そして子供達の行く末。
    この状況下でこうなったのは致し方ない、もしかすると、まだましとまで言えるのかもしれない。

    それでも読んでいる自分も、そして郁絵たちもやりきれない想いを抱え、この選択肢しかなかったのか、と考えてしまいます。答えのない問いが頭の中で踊り続け、名状しがたい読後感が、自分の中でしばらく渦巻き続けました。

    展開も読後感も爽快感とはほど遠く、だれも幸せになりようがない物語。そして先に書いたように、前半がとにかくイライラして、最後まで読めるか不安でもありました。

    それでも読ませてしまう文章の流暢さと、嫌でも引き込んでしまう心理描写。そして読後に、感情がこれ以上ないくらい揺さぶられたのも事実なので☆5にしました。でも気軽に人に勧められない小説でもあります。

    以前別の芦沢さんの作品の感想で、芦沢央さんは湊かなえさんや辻村深月さんに匹敵する女流ミステリ作家になるかも、といったことを書いた記憶があります。そのたぐいまれなる筆力を、今回も見せつけられたような気がします。

  • 普通分娩か帝王切開か。有痛か、無痛(和痛)分娩か。
    そんなもので子供に対する愛情が変わるわけがない。
    けれどもそれに対して良いとか悪いとか周りが言うことで産後の母親は自信をなくしてしまうのだ。
    小さく産んだこと、病気を持ったこと、早く産んだこと。
    悪いことなんかしていないのに、母親は自分を責める。
    周りは赤ちゃんのことで頭がいっぱいで、心も体もボロボロになった母親のことは二の次三の次。
    それでも母親はこの弱い生き物を育てなければならない。
    でも、私に、そんなことできるんだろうか?

    自ら子供を取り替えた繭子には同情する。
    自分の子供が幸せになって欲しくて、そして少しだけ郁絵への暗い気持ちがあったのだろう。
    それが取り返しのつかないことになると分かっていたのに。
    子供の心に消えない傷をつけたことは間違いない。
    糾弾されても仕方がない。
    そもそもどうして誰も繭子に寄り添わなかったんだろう?
    本当は繭子の夫の母は気にしてくれていたのだけれど、繭子にはそれを受け入れられないくらい弱っていた。
    愛とは、どうしてこんなに難しいのだろう。

    いつだって育児は手探りだ。
    愛情と思っていたことが違うのではないか、あの時どうしてしてしまったのか、できなかったのか。
    本書はそんな悩む親の心の中をさらに掻き乱す。
    しかし、そのことで自分の心が整理されるような気もするのだ。

    あなたと共に。
    小さな手足をばたつかせる我が子を抱きながら自分の心を見つめた。

    • mendakoさん
      けよしさん

      小さいけれど、日々大きくなっております。 腰が痛い・・・
      けよしさん

      小さいけれど、日々大きくなっております。 腰が痛い・・・
      2024/10/21
    • けよしさん
      mendakoさん

      それはしんどいですね。
      そのての腰痛は経験がないのですが、さすった経験ならあります。
      夫さんにさすってもらってください...
      mendakoさん

      それはしんどいですね。
      そのての腰痛は経験がないのですが、さすった経験ならあります。
      夫さんにさすってもらってください(^^)
      あと、電車で妊婦さん見かけたら、mendakoさんだと思って、すぐに席変わりますから!がんばってくださ〜い\(^o^)/
      2024/10/21
    • けよしさん
      mendakoさん

      それはしんどいですね。
      そのての腰痛は経験がないのですが、さすった経験ならあります。
      夫さんにさすってもらってください...
      mendakoさん

      それはしんどいですね。
      そのての腰痛は経験がないのですが、さすった経験ならあります。
      夫さんにさすってもらってください(^^)
      あと、電車で妊婦さん見かけたら、mendakoさんだと思って、すぐに席変わりますから!がんばってくださ〜い\(^o^)/
      2024/10/21
  • この本を読んで1番感じたことは「人にはどんな背景があるかわからないんだから、余計なことは言わない方がいい」ってことかなあ。

    帝王切開だったことを「残念だったね」って、私だったら「は? 何が残念なわけ? うるせえなコノヤロウ」と思うだけだけど、とことん気にしちゃう人はいるだろうから。

    それにしても産まれたてとはいっても、一度見た、しかも写真撮っておいた赤ちゃんがかわってることに気づかないかね?郁絵の旦那よ。
    とはいえ、入れかわってしまった子をいまさら交換なんて、想像を絶する辛さだろうし、なにより子供たちがかわいそうでならなかった。

  • 出てくる人たちの叫びが重かった…
    読んでいて苦しくなって150ページくらいで一旦ストップ。でも、続きが気になって一気に読んだ。
    妊娠・出産は明るいイメージがあるけど、命懸けだし、命がかかってるし、大人にとっても生まれてくる赤ちゃんにとっても人生を左右するもの。
    だからこそ言葉には気をつけたいと思いました。

  • 繭子に自然分娩以外を否定的に伝えてしまった助産院は非常に罪な事を言ってしまったと思う。その一方で郁絵の義母が言った、帝王切開での出産は赤ん坊へのリスクを母親が引き受けてあげるのだといった肯定的な言葉を繭子が聞いていたらどうだったのか。
    繭子と郁絵はそれぞれに悩みを抱えながら子育てに邁進しており、頭が下がる思いで読んだ。ハッピーエンドになることはないと分かっていてもどこかに皆が幸せと感じる落とし所はないかと読み終わった今でも思わずにはいられない。
    繭子も郁絵も素敵な母親であったと思う。

  • 『ねえ、ママに、つたえて』『ぼく、だいじょうぶじゃないよ』 物語を開いた瞬間から心をどこに持っていたらいいのかわからなくなった。震えて読んだ。産まれたばかりの我が子を見て恐怖を感じた繭子の思いが痛い程わかってしまったから、もう震えて読むしかなかった。繭子の章。郁絵の章。じわりじわりと物語が取り返しのつかない渦へと飲み込まれていった。

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著者プロフィール

1984年東京都生まれ。千葉大学文学部卒業。出版社勤務を経て、2012年『罪の余白』で、第3回「野性時代フロンティア文学賞」を受賞し、デビュー。16年刊行の『許されようとは思いません』が、「吉川英治文学新人賞」候補作に選出。18年『火のないところに煙は』で、「静岡書店大賞」を受賞、第16回「本屋大賞」にノミネートされる。20年刊行の『汚れた手をそこで拭かない』が、第164回「直木賞」、第42回「吉川英治文学新人賞」候補に選出された。その他著書に、『悪いものが、来ませんように』『今だけのあの子』『いつかの人質』『貘の耳たぶ』『僕の神さま』等がある。

芦沢央の作品

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