- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344429611
作品紹介・あらすじ
富士山を望む町で暮らす介護士の日奈と海斗
はかつての恋人同士。ある時から、ショッピ
ングモールだけが息抜きの日奈のもとに、東
京の男性デザイナーが定期的に通い始める。
町の外へ思いが募る日奈。一方、海斗は職場
の後輩と関係を深めながら、両親の生活を支
えるため町に縛りつけられる。自分の弱さ、
人生の苦さ、すべてが愛しくなる傑作小説。
感想・レビュー・書評
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『もしかしたら私はこの人のことが好きなんじゃないかと、そのとき初めて思った』
あなたは、そんな瞬間を感じたことがあるでしょうか?
恋愛感情の訪れはさまざまです。”一目惚れ”という言葉があるように、初めて出会ったその瞬間に一気に恋に落ちてしまう、そんな感情の訪れもあります。そんな想いがもし成就したとしたら、それはまさしく運命の出会いなのだと思います。
しかし、恋愛の全てが”一目惚れ”というわけではないでしょう。『一度目に会ったときはそうでもなかった』はずの相手にも関わらず、『二度目に会ったとき』にピンとくるものを感じた、運命の瞬間が到来し、恋に落ちてしまう、そんなこともあるでしょう。そして、そんな瞬間ほど、それは他愛のないタイミングに見ることも多いのだと思います。恋愛感情というものもとても不思議なものだと思います。
さて、ここに、『居酒屋の銭湯風の玄関』で『薄汚れたすのこに座り込み、靴ひもを結ぶ』彼の『背中を見て、抱きつきたい、という気持ちが突然わき上がってきた』という女性が主人公となる物語があります。『どこに行っても富士山が見える町で生まれ育』った女性はそんな男性を特別な想いの中に見ていきます。この作品は、そんな女性が『介護』の現場に生きる姿を見る物語。そんな女性が二人の男性と関わりを持つ様を見る物語。そしてそれは、そんな女性が重ねた『手のひらの重さと温かさを感じ』る瞬間を見る物語です。
『もしかしたら私はこの人のことが好きなんじゃないかと、そのとき初めて思った』と『目の前にいる宮澤』のことを見るのは主人公の園田日奈(そのだ ひな)。『私の動きと、ふいに突き上げる宮澤さんの腰の動きが合致したときに、思いもよらないくらい奥深くに到達する。その瞬間に、私のなかから温かな水があふれ出た』という日奈は、『海斗(かいと)としているとき、こんなふうになったことはなかった…宮澤さんとセックスするようになって、それは起こるようになった』と感じる中に宮澤と初めて出会った『今年の一月のこと』を思い出します。『東京にある編集プロダクションの人』という宮澤は日奈が卒業した『介護福祉専門学校の入学案内パンフレットを作ってい』ました。『卒業生を紹介するページ』へ出るよう校長から泣きつかれた日奈は、渋々引き受けることに…。『ディレクションをする宮澤です』と紹介され、『ライターの女性』からさまざまな質問を受ける日奈は、『おじいちゃんと二人暮らしで、将来、おじいちゃんを介護してあげられる』という理由から『介護士』になった、しかしそんな祖父も昨年亡くなったという今の暮らしを説明します。そして、話の流れから『彼氏いないんです』と答えます。『去年の今頃は、確かに彼氏と呼べる人がいた』と『専門学校の同級生だった海斗と、恋愛の輪郭をなぞるような恋をしていた』ことも思い出します。祖父が亡くなって『そばにいた海斗に頼った』日奈は、一方で『本当に好きじゃない人といっしょにいてももっと寂しいことに気がつ』き別れを切り出してしまいます。しかし、その後も『月に一、二回』『手作り弁当持参で』やってくる海斗。場面は変わり、取材から二か月経った頃、『原稿と写真の最終チェック』に校長先生に呼び出された日奈は、終了後、校長と、宮澤の三人で飲みに出かけます。『千鳥足』で『タクシーに飛び込むように乗って』しまった校長を見送ると、宮澤は、日奈を送っていくと申し出ます。『妖怪ハウスと呼ばれ』る『築三十五年の廃墟のような』自宅へと送り届けてくれた宮澤は、あたりを見渡し『庭の草を刈ってあげようか』、『っていうか、刈らせてもらえないかな』と申し出ました。それに、『はい、お願いします』と答えた日奈は、『すんなりと再会の約束をさせてしまった宮澤さんと、それを受け入れてしまった自分の大胆さに驚』き『耳が熱』くなります。そして、『介護士』としての日常の中に、宮澤の訪問を受け入れていく日奈、そしてそのことに気づく海斗のそれからが描かれていきます…という最初の短編〈そのなかにある、みずうみ〉。物語の全体概要を提示しながら、主要登場人物である日奈、海斗、そして宮澤の人となりを垣間見せる好編でした。
「じっと手を見る」という書名が、“はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る”という石川啄木さん「一握の砂」の一節を思い起こさせもするこの作品。七つの短編が連作短編を構成する短編集となっています。石川さんの歌集がどんなに働いても楽にならない生活を謳っていることに想起させられるように、この作品では『介護』の厳しい現場が『介護士』をする三人の登場人物の目を通して描かれていきます。まずは、そんな表現を取り上げたいと思います。
まずは、介護の現場を『宮澤さんが思っているよりはるかに重労働なんですよ』と説明する校長先生の言葉です。
・『日奈のいる特別養護老人ホームなんかは本当のところ、姥捨山みたいなもんです。そんな人たちのおむつを替えたり、口のなかをきれいにしたり、吐いたものを片付けたり。ある程度は体力と気力で何とかなります。だけどね、そんなことを毎日毎日していると、食欲が湧かなくなる日もあるんですよ』。
・『介護士は就職率が高いが離職率も高い。給料も安い。若い子は次から次へとやめていく』。
これは一般的な『介護』の現場のイメージとも言えます。物語では、この前提説明を裏付けていくように『介護』のリアルな現場の風景が描かれていきます。
・『火曜日は週に二回の入浴の日だった。先輩の緑川さんと二人で、二十人の利用者さんの入浴をサポートする。終わる頃には汗みどろになる』。
・『今日は中介(なかかい)担当の日だった…中介担当の日は、浴室に入る前に、ポカリスエットを必ず飲む…以前、浴室のなかで脱水症状を起こし、そのまま倒れて、タイルの床に後頭部をぶつけたことがあるからだ』。
・『今年の春も四人の新人が入ってきて、すでに二人やめた。そりゃそうだ。若いやつらにとって楽しい仕事じゃない。毎日、毎日、皺だらけの老人に囲まれていれば気も滅入る』。
そんな厳しい現場の中で仕事を続けていくには、
『介護の仕事は、どこかで感情のスイッチを切らなければ続かない』。
そんなリアルな現場の感覚が伝わってきます。さらに、
・『強い責任感を持って介護士になった人ほど、すぐに燃え尽きて、現場から消えていった』。
・『仕事に対する熱は、すぐに現場に吸い取られ、その人自身をも壊していく。現場の問題は、何も解決されないままで』。
読めば読むほどに高齢化社会がどんどん進んでいくこの国の未来が不安になってもきます。『介護』の現場の”お仕事小説”の側面も見せるこの作品。日奈、海斗、そして畑中という三人の介護士それぞれの『介護』の捉え方、『介護』への向き合い方を描くことでよりさまざまな視点から見えてもくる『介護』の現場。予想はしましたが、物語の展開とは別に『介護』が描かれる限り、そこに光はなかなか見えないものだと改めて思うと共に、そんな場を支えてくださる『介護士』の「じっと手を見る」姿を書名に思い起こせさせもします。
また、物語では、背景となる町の風景描写が印象的に描かれてもいきます。それが『富士山』です。七つの短編それぞれに『富士山』が登場します。
『目の前に大きな富士山が見える。ここに来る人はみんなそう言う』。
この国の象徴の一つとも言える『富士山』をマイナス感情で見る人は普通にはいないと思います。しかし、
『富士山なんて、たまに見るからありがたみが生まれるのだ。どこに行っても富士山が見える町で生まれ育つと、あまりに当たり前すぎて感動がない』。
そんな風に身近すぎるが故の感情がそこにあることがわかります。それは、当たり前の風景だけにとどまらない効果を物語に生み出してもいきます。”物語の舞台は、富士山が’誇るべき世界遺産’としてではなく、外の世界へ出ようとする者を阻む壁、または外の世界に出た人間を引き戻す巨大な磁石のように感じられる町だ”と語る〈解説〉の朝井リョウさん。この朝井さんの感覚が読者が感じるところを見事に表現してくださいます。『富士山』が描写される場面というのは、本だけでなく、さまざまな媒体が想定されますが、この作品のような使い方をした物語は珍しいのではないでしょうか。『富士山』の登場によって、そこにどんな景色が見えるのか、そこに暮らす人々に『富士山』がどう見えるのか、これからお読みになられる方は『富士山』が描写される場面の登場人物の心持ちも是非意識いただければと思います。
そんな七つの短編からなるこの作品では短編ごとに視点の主が交代していきます。
・〈そのなかにある、みずうみ〉: 日奈視点
・〈森のゼラチン〉: 海斗視点
・〈水曜の夜のサバラン〉: 畑中視点
・〈暗れ惑う虹彩〉: 日奈視点
・〈柘榴のメルクマーク〉: 宮澤視点
・〈じっと手を見る〉: 海斗視点
・〈よるべのみず〉: 日奈視点
一般的に連作短編と言えば各編で視点を変えるもの、二人の間で視点を変えるもの、同一人物で通すものに分けられると思いますが、この作品は上記した通り極めて変則的です。しかし、最初と真ん中、そして結末に日奈が登場することからも、この作品を通しての主人公はやはり日奈なのだと思います。『幼稚園に入る直前、私の両親は私を置いてこの世からいなくなった』という幼き日の出来事。その後、『おじいちゃんは、それ以上の愛情を注いでくれたし、何不自由なく私を育ててくれた』というそれからの人生を生きてきた日奈は、『だから、恩返しをしたくて、介護士の道を選んだ』という今を生きています。そんな日奈の前に現れたのが二人の男性、同級生の海斗と、編集プロダクションに務める宮澤です。祖父が死に、ぽっかりと空いた穴を埋めてくれた海斗に対して、『視線の温度の低さが妙に心地よかった』という宮澤との出会いという全く対象的な二人の男たち。そんな二人にも視点が移ることで、二人の違いがさらに鮮明に読者の前に明らかになってもいきます。第三の存在とも言える畑中視点が入ることで物語は絶妙なアクセントも得て、海斗という人物の生き様に対する説得力を増してもくれます。そして、二人の間で気持ちがさまざまに揺れていく主人公・日奈の物語は、閉塞感のある暮らしの中にそれでも日々を生きていく他ない一人の人間の逞しさと脆さを合わせて見せながら描かれていきます。そんな日奈が最後に見る景色、そこにはこの物語の描写を経たからこそ見える景色があったのだと思います。
『宮澤さんが来るようになって、季節が過ぎるのが加速していくような気がした』。
『富士山』を当たり前の景色として見る閉塞感のある町に『介護士』としての日々を送る主人公の日奈。この作品では、そんな日奈の前に現れた宮澤という男性の存在が日奈の日常を変化させていく様が描かれていました。『介護士』の”お仕事小説”の側面も見せるこの作品。『富士山』がマイナス感情の象徴としても描かれる不思議感を感じるこの作品。
第159回直木賞の候補となった作品らしく、しっとりとした恋愛物語の中に、人が生きていくことの悩み苦しみを鮮やかに描き出した作品だと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
富士山の麓の町で生まれ育った、海斗と日奈と、彼らとすれ違った人達の、連作短編7編。窪さん得意の生きづらさを主体としている。恋や家族が寂しさを埋めてくれるとは限らない。
じっと手を見る時は、苦しい時が多いでしょうか。
地方の町の閉塞感。彼らの息抜きは、ショッピングモール。
各章では、家族の事故死、自殺未遂、倒産、育児放棄、登校拒否、発達障害、そして家族介護と生きづらさのショッピングモール。生きどころを探す迷子の大人達。
介護士という過酷な職業を、海斗と日奈は、コツコツとこなしていく。それは、彼らの生きる糧。介護士の過酷さや低賃金を窪さんは、否定的ではなく、社会的にもっと認めさせたくて書いているんだと思う。(思いたいかな)
優しい人や条件の整った人を好きになれたら良いのだけどねえ。寄り道したけど、たぶん、これで良かったと思えそうな、二人の湖。
富士山の見える町に長い間住んでいた事がありますが、本当に富士山が、方位磁石的になりますね。そして、日常生活では、全く気にならなくなる。そのくせ、毎年、初冠雪の日は、思わず写真撮ってしまう。
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人の手をみるのが好きなわたしに、友達が薦めてくれた本です笑 この本で窪さんの本にはまりました!人の手をみるのが好きなわたしに、友達が薦めてくれた本です笑 この本で窪さんの本にはまりました!2023/02/13
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こんばんは。窪さん、良いですよね。私も、少しずつですが、読んでいます。
なんですけど、だんだん、それぞれのストーリーが、曖昧になってきちゃっ...こんばんは。窪さん、良いですよね。私も、少しずつですが、読んでいます。
なんですけど、だんだん、それぞれのストーリーが、曖昧になってきちゃって。ブグログでレビューを残せるのは、ありがたいですよね。2023/02/13
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窪美澄さん、3冊目。
他に2冊も積本中。今回も面白かったー!
富士山の見える町と東京
過去に恋人同士の男女
別れた後にそれぞれの相手
生きていく上で切り離せない親族関係
など、人間模様を、章ごとにそれぞれの登場人物の視点で語られていく物語構成。
人は必ずいつか死ぬ、けれど自分でその時期は決められなくて、誰にもわからない。
こんな事、若い頃1ミリも考えたことなんてなかったけど、最近ふと自分の未来を考えたり…
自分の気持ちを大切に、今を楽しく生きよう!と思わせてくれる本。
みんなそれぞれ外面からは見えない何かを抱えてるのは当たり前というのも感じられた。
最後の終わり方も良い感じ。
窪美澄さん、最近初めて読んだんですが、文章の読みやすさが私に合ってるのか、久しぶりに同じ作者まとめ買いしてしまいました!
飽きない文章で、猛烈に集中してしまう感じ。
解説が朝井リョウさんで、これまたピッタリな解説ですね(*'▽'*) -
山本文緒著の絶対泣かないを読んで
もうちょっと頑張ってみよう!
ってなった後に読んだので
あ〜生きるってしんどいな〜という気持ちに
一気に落っこちた感覚。
リアルでじっとりとした感じ。
性の描写も多少あるので好みは分かれそう。 -
読後感はとにかく切なすぎるぅ……
という感覚。
すべてが愛おしくなる傑作小説とあるが、そこまでの愛おしさよりも、どうしても切なさの方が勝ってしまうように感じられた。
人間の弱い部分や自分勝手な感情が絶妙な表現で描かれているからかな。
感傷に浸りたい時に読むといいかも… -
読んでいて苦しくなった。きっと誰もがそうかもしれない。うまくいかない現実に、もがき苦しむ。そして、少しずつ気持ちが慣れ、落ち着いてくると、諦めることを覚える。
家族関係や、恋愛歴から生きづらさを抱えた登場人物。
たまの休みは、ドライブかショッピングモールへ行くことが息抜きの田舎町の介護施設で働く海斗と日奈。そこへ撮影とインタビューのため東京から宮崎がやってくる。ああ、この男が日奈に波乱をまき起こす・・。自分勝手な宮崎なんて男は嫌だ。そんな男に振り回される日奈。もどかしくて仕方ない。宮崎とは対照的な海斗がいたいたしい。
連作短編で登場人物それぞれの視点で描かれているのもよかった。読んだ後、ちょっと空しかった。 -
なんか生きるって大変なんだというドヨンとした気分になる、これまで正視してこないようにしていた現実を目の前に突きつけられました。
小説にはこういう役割もあるんだなと改めて発見しました。
ま、今後とももがくしかないんだろうな…(嗚呼)。 -
じっと手を見る。石川啄木かぁ。
昨日の朝日新聞に、啄木は清貧な印象を持たれることも多いが、高尚な文学者などではなく、女好きで借金魔のダメ人間を意図的に振る舞って自己演出した「芸人」なのだ、ってあったけど、そうなのか…?
富士山を望む町で介護士として働く日奈と海斗。
老人の世話をしショッピングモールだけが息抜きの生活の中、東京に住むデザイナーに惹かれていく日奈。
日奈に思いを寄せ気にかけながら、職場の同僚・真弓と関係を深め、家族を支えるためにこの町に縛りつけられる海斗。
登場人物の境遇や屈託はまさにこの作者の世界。
二人の、そこから抜け出したいのか抜け出そうとしているのかそれすらも曖昧なにまま進む日常と自己破滅的な恋心が描かれる前半の展開に嵌る。
ただ、次に挟まる、日奈が惹かれるデザイナーが語る話は、彼もまた欠損を抱えている人間であることは分かったものの、何だか言い訳めいていて、ここから何だか熱量が下がる。
捨てたつもりの元夫に実は捨てられていた真弓や発達障がいと思しきその息子・裕紀、引き籠りの俊太郎や愛美璃も含め、登場人物は誰もが孤独で、人との距離をどう作って、どう保って、どう詰めていけば良いか分からない人ばかり。
その寄る辺なさの書き振りに響くものはあるけれど、何だか前半とは違う話になったようで…。
前半★★★★で、後半★★★という感じ。 -
よかった。
この作品をよかったと言うことは、なかなか外には出しにくい自分の内なる本質を自認することになりそうで、怖い部分もあるけど、よかったのだがらしょうがない。
永遠じゃないから、いとおしいというのはとてもよくわかる。
解説で朝井リョウさんが言っていた別作品も読もうと思った。 -
地元で働き生活する閉塞感がとってもリアル。生まれてきた環境によって生活の感覚も否応なく左右され、生き方のベースになってしまうのもやっぱり逃れられない事実だと思わせられる。