女はなぜ土俵にあがれないのか (幻冬舎新書 う 1-1)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344980020

作品紹介・あらすじ

相撲は古代の神事から格闘技、そして「国技」へと鮮やかな変貌を遂げながら、一三五〇余年を生き抜いてきた。日本人の豊かな精神性が凝縮されたこの伝統を、「男女共同参画」や「グローバリズム」などという、現代の価値観で踏みにじっていいのだろうか?誰よりも相撲を愛し、相撲研究のために大学院にまで飛び込んだ人気脚本家が、「聖域としての土俵」誕生の歴史に迫り、「土俵の女人禁制」論争に終止符を打つ。

感想・レビュー・書評

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  • 借り物の集まりで、結局本当のところは田辺聖子さんの説の紹介が一番ぴったりしている。
    女人禁制の行事は、女性から見れば、かわいい男の姿だという視点。
    本書は、田辺聖子さんの視点を紹介してもらえたことで、価値があると思う。

    著者も、そこまで割り切ればよかったのにと思う。
    なにが、著者をあいまいなところで留めているのかは分からない。

    相撲に対する愛着なのか、自身のなにかのプライドなのか。
    きっと、本当は愛すべき人なのだろうに。

  • なぜ相撲の土俵が女人禁制であるか、1350年の歴史から紐解く根拠に感服。女性である筆者が女人禁制を支持することに、女性からの攻撃を多数受けてきた女性の戦いが面白い。

  • まず、冒頭の文章の
    まあ白痴(汚い言葉ごめんなさい)な
    女性方がいることに驚きです。
    女性の形をした人間外としか
    思えませんでした。
    どうか他の惑星にお帰り願いたいところです。

    なんというか、
    同じ女性として、恥ずかしい発言が
    多々見られますね。

    うちが女性云々という言葉が
    嫌いなのは一種の傾向もあるのですが
    どこかその平等という考えには
    全て平等にはできないものがあるからです。

    相撲もそうだと思いますよ。
    そこが神聖な場所で、元から女性を許さない。
    だからこそ、立ち入ってはいけないということ。
    そこまでして意固地になって
    あがりたい人の気持ちが分からない。

    それだとしたら、レディースプランとか
    女性専用車両が
    男性側から「差別だ!!」といわれたら
    どう反撃するのやら。
    見ものですな(笑)

    だからこそ、どこかでの妥協は大事ですよ。
    ただし、せめてもですが、
    著者がなっているような審議委員や
    顔パスで通れる人の権利は
    女性にあってもいいと思いますよ。
    土俵がダメならばまわりでもせめて。

    あと、男性のハレの衣装を
    ちゃんとやる!!というのは賛成ですね。
    …てかあの知事、上がってたのかよっ。

  • 相撲は1350年以上の歴史を持つ日本の国技である。国技館の土俵は女人禁制で優勝者へのトロフィー授与さえ男性が行うという。今やあたりまえとなりつつある男女平等という考え方を、相撲を通して改めて考えさせられる。私は相撲についての知識がほとんどなかったが、その歴史から土俵の作り方(これは目からうろこ!!)まで知ることができておもしろい。

  • チェック項目14箇所。実生活の差別、不平等、人権侵害には断固反対するが、芸能、祭事、文化、儀礼等においては、守ってきた形態を今の時代に合わせて変える必要はないと考える。「土俵は俵で決壊された異空間である。結界内においては、結界内のルールがある。それは結界外の一般社会の法律やルールや風潮とは一致しない場合も多々あるが、差別とは別次元の話であろうと私自身は考えている」。相撲が「国技」になったのは1909年のことである、まだ100年もたっていない。「大相撲」は料金を取って客に見せるものであり、近年に生まれた興行である、一方の「相撲」は『日本書紀』などの文献にも出ている通り、起源とされる頃からのものである。武家時代には、信長、秀吉をはじめとして、相撲好きの大名は数多く、強い相撲人たちは高い禄で大名に召しかかえられた。「醜」には「醜い」という意味があり、人間が神に向かいあう上でへりくだりをしめしたとされる。そこには「改まる」という姿勢が感じられる、まだ土俵はないが、四本柱によって結界された区域は「改まってからあがるべき聖域」であることが、醜名のそんざいによっても浮かびあがる、その点からも、「四股名」ではなく、神に対してへりくだった「醜名」が正しいということがわかろう。当初、横綱とは、吉田司家が免許を出した「資格」の名称であり、最高の「地位」ではなかった、最高の「地位」になったのは、1909年のことである、初代から3代までの横綱が実在したか否か明確ではなく、確かに実在した横綱は第4代の谷風梶之助からではないかという説が根強い、谷風は1789年に横綱免許を得ている。いつから土俵に塩をまくようになったのか、これも定かではない、おそらく「清めの塩」はあ己の心身を清めるより、土俵を清める意味あいが大きいのではないか。「土俵は神が宿る場所だという意識はあります、。機械を使わないのは、神がいる場所だからでしょう」。神を土俵に迎える儀式は、18世紀半ば以降に始まったと言われている。相撲界では神送りを、1957年限りに中止していた、その頃は胴上げされるのは勝負審判の親方であったそうだが、昭和32年に胴上げで親方を落としてしまい、以来、やめていた、ところが迎えた神は送らねばならないという声が、協会の中でも大きくなり、2003年5月場所から復活した。なぜ、女性は土俵にあがってはならないのか、それは、「土俵は俵で結界された聖域」だからである、私はそう結論づけた、つまり、過去、女性は障害物として見られて、結界内に入ることができなかった、それが今に伝わっており、土俵は女人禁制なのである。

  • 女も土俵に上がらせろ、という男女平等論者への反駁で、その根拠を「結界」なる思想に求め、聖なる土俵を取り巻く幾重もの結界の証跡を示すのに多くの頁を割いている。一方で、女性の不浄性についての議論はやや歯切れが悪いような気もする。土俵を聖なる土の塊と見られる人と、だだの競技舞台と見る人の両方がいるかぎり、この問題は解決しないのかもしれないが、著者は「最後の最後の手段」という妥協案をも提示している。基本的には相撲の問題を扱ってはいるが、行き過ぎた男女平等論に対する女性自身からのアンチテーゼとも読める本である。

  • [ 内容 ]
    相撲は古代の神事から格闘技、そして「国技」へと鮮やかな変貌を遂げながら、一三五〇余年を生き抜いてきた。
    日本人の豊かな精神性が凝縮されたこの伝統を、「男女共同参画」や「グローバリズム」などという、現代の価値観で踏みにじっていいのだろうか?
    誰よりも相撲を愛し、相撲研究のために大学院にまで飛び込んだ人気脚本家が、「聖域としての土俵」誕生の歴史に迫り、「土俵の女人禁制」論争に終止符を打つ。

    [ 目次 ]
    第1章 土俵にあがりたがる女たち
    第2章 土俵は「異界」である
    第3章 相撲の始まりは神の力比べ―土俵成立前史
    第4章 土俵という聖域の成立
    第5章 土俵を築く
    第6章 「神迎え」と「神送り」
    第7章 女は穢れた存在か?
    第8章 角界が抱える矛盾
    終章 伝統を守るということ

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

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    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 「相撲は文化かスポーツか、という問題を、日本相撲協会が土俵に女性が上がることを拒絶している点から浮き彫りにする。2000年に女性初の横綱審議委員に就任した著者が、宗教的儀式としての相撲の歴史を追究し、文化論争を抜きにした男女共同参画に疑問を呈する。」
    私も読んでみて、なぜ土俵に女の人が上がれないのかという疑問がわかったが、納得がいくはずもない。日本相撲教会が土俵に女性が上がることを拒絶しているなんて・・・

  • 最初にことわっておくと、「女はなぜ土俵にあがれないのかっ!!」と怒っている本ではありません。横綱審議委員でもある著者は、それが相撲界のしきたりなら別に女が土俵にあがれなくてもいいじゃん、ってスタンスの人です。とはいえ、「私はあがりたいのよ」って人が現れたとき(過去に何度かありました)の相撲協会の態度にいまいちすっきりしない思いを抱いていたのも事実。ならば、なぜ、いつから土俵が女人禁制となったのか調べてみよう、ということで自ら大学に入学し研究した結果が本書です。相撲の成り立ちとか土俵の作り方とか知らなかったことを知れた点ではよかったけど、「なぜ土俵にあがれないのか」は結局よくわかりませんでした。

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著者プロフィール

1948年秋田市生まれの東京育ち。武蔵野美術大学卒業。1988年脚本家としてデビュー。テレビドラマの脚本に「ひらり」(1993年第1回橋田壽賀子賞)、「毛利元就」(1997年NHK大河ドラマ)、「塀の中の中学校」(2011年第51回モンテカルロテレビ祭テレビフィルム部門最優秀作品賞およびモナコ赤十字賞)、「小さな神たちの祭り」(2021年アジアテレビジョンアワード最優秀作品賞)など多数。1995年には日本作詩大賞(唄:小林旭/腕に虹だけ)に入賞するなど幅広く活躍し、著書に映画化された小説『終わった人』や『すぐ死ぬんだから』『老害の人』、エッセイ『別れてよかった』など多数がある。元横綱審議委員で、2003年に大相撲研究のため東北大学大学院入学、2006年修了。その後も研究を続けている。2019年、旭日双光章受章。

「2023年 『今度生まれたら』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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