わたしたち消費: カーニヴァル化する社会の巨大ビジネス (幻冬舎新書 す 1-1)
- 幻冬舎 (2007年11月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980617
作品紹介・あらすじ
ラブandベリー、『赤い糸』、初音ミク…これらは異例のヒットを記録するゲームやケータイ小説、ソフトウェアの名前である。一般的知名度は低いが、小学生や女子高生、ネットユーザーなど一部の間で大流行している。なぜこうした局所的なカーニヴァルが近年ミリオンセラーを生み出すのか。「わたし」が欲しいものを追及した「わたしたち」がつながり、盛り上がり、生まれる「わたしたち消費」は、まさにウェブ時代の新ビジネスを拓く現象といえるのだ。
感想・レビュー・書評
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一億総中流の時代の消費から、現代の消費への流れを追いかける。
2007年の本だが、この本で指摘されている「わたしたち消費」の流れはますます強まっていると思う。
注目すべきは、ソーシャルからマス規模にヒットする商品についてではなく、ソーシャルの中で小規模〜中規模に売れる商品が今後増えるかどうか、にあると思う。
一番重要なポイントは
いまどきの生活者は、発信者と受信者の、両方の側面をあわせてもっている人が増えていることがわかります。
という所だろう。Twitterの登場及び普及がこれをさらに加速させていると思う。企業にとってもマス向けにでかい広告をうつよりは、商品の性質に合わせてソーシャルでの口コミを誘発するようなマーケティングを行った方が経費の効率が上がるだろうと思う。
そして、それほど広告を打てないような小さい企業や個人にも「口コミ」によってヒットを生み出す可能性が生まれてきている。
その二重的な変化をどの程度認識し、捕まえる事ができるか。口コミは狙って発生させることは難しいかも知れないが、発生しやい環境を作ることはできるだろう。それを知っているか知らないか、と言うことが今後の差を生み出していくように感じる。
ちなみに第三章まではちょっと読みにくい本である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
チャーリーの三冊目だけど、ちょっと僕の求めているところからずれちゃった感じなので、あんまり集中できませんでした。焦点は消費という人間の行為に充てられていたので、僕の関心の未達な所でした。またふとした時に手に取れれば幸運。
17.4.18 -
8年前の本ではあるけれど、おおむね方向は変わってない。むしろ今の傾向が加速し始めたときにどうであったかを知るために、改めて読んでみてよかった。
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一番読みやすく、一番わかりやすいチャーリーの本。2014年の文化系トークラジオLIFE「フィジカルの逆襲」を、読了後に読むとよい。
『カーニヴァル化する社会』及び『ウェブ社会の思想』を併読するのもよし。
薄っぺらいとか言う人も多いが、平易に書かれている(ですます調です)からそう感じるだけで、実は丁寧でありながら射程の広い本だと思う。 -
実質評価は限りなく3に近い4です。
確かに当たっていることは当たってはいますが
いかんせん、中身がスカスカ。
おそらく肝心のわたしたち消費のところが
仔細に書かれていないのが
原因なのかもしれません。
なんかちょくちょく飛んでいるようなイメージを受けました。
ビジネスの介入点は
ごもっともとは思いました… -
前半はネットにおける流行を中心に、まあまあ地に足の着いた分析が展開されていた感があったが、途中から雑になっていった印象。上から目線な感じがしてしまい、読後感がイマイチだったかも。リアル世界の流行(自転車とかプレモル)には触れないほうが良かったのではないか。取って付けた様な分析ならないほうがいい。それと、『わたしたち消費』のわたしたちとは具体的にどんな層だったのかまで言及してほしい気がした。
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【以下抜粋】
「見えないヒット」の駆動要因であるわたしたち消費と、それが生じる原因をこの章では見てきました。そこでは、コミュニケーションが次のコミュニケーションに接続されるための「ネタ」を提供することで、カーニヴァルの輪が広がり、その盛り上がりの話しに参加させるために、消費が促されていくというサイクルが生じているのです。
マーケティングの対象が、大衆→小衆→分衆と個別化して行きた今、その対象は「わたしたち」という共同性なんです。というのが「わたしたち消費」という言葉の前提。
ただ、こういった言葉の定義やらが全体的に、それをそう言ってしまえばそうだけど、で?という感じがします。
しかし、四章、五章のわたしたち消費のマネジメントというところはなかなか面白く今のコミュニケーション戦略の参考程度にはなります。 -
企業は、コミュニケーションが停滞してきたところで、新しい文脈でそのネタを活用すべき。
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自分の興味にはあってなかった
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「わたしたち」(あるいは世間)というものほどファンタジーな存在もないなと思う。特にファンタジーであるという自覚がないのが悩ましい。Good Old Daysではないけれども、自分の思い描く群像が果たして存在しているものなのか、できるかぎり意識的でありたいと思わされた。