- Amazon.co.jp ・本 (250ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980877
作品紹介・あらすじ
「鬱の気分」が日本を覆っている。「鬱」イコール悪と思われているが、本当にそうだろうか?「鬱」こそ人間の優しさ・内面的豊かさの証であり、治療が必要な「うつ病」とは分けて考えるべきではあるまいか。同じ問題意識を抱いた作家と精神科医が、うつ病の急増、減らない自殺、共同体の崩壊など、日本人が直面する心の問題を徹底的に語りあう。戦後六十年の「躁の時代」を経て、これから迎える一億総ウツ時代に、「鬱」を「明日へのエネルギー」に変える、新しい生き方の提案。
感想・レビュー・書評
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鬱とうつ病について知りたくて読書。
本書では鬱とうつと分けて説明している。五木氏の著書は恥ずかしながら読ませてもらっていないが、仏教の知識、事例が多くなるほどと考えさせてもらった。
鬱は本来は肯定的な言葉として使われてきた。鬱蒼とした樹林、鬱然たる大家、鬱没たる野心など。今ではあまり目にしない言葉も多い。視点が興味深くよい氣づきとなる。
脳内物質の異常で起こるうつ病であれば、しっかりと治療するするべきであるが、多くのは自称うつ、擬態うつ病、そして最近は、新型うつ病なるものも登場している。いずれもうつ病のための治療薬の効果は低い。ストレスやプレッシャーへの認識を見直すなどを通じて自分認知を高めるようなカウンセリングのほうが効果があると思われる。
そもそもうつ病であれば、周囲への攻撃性は低いのが一般的で、匿名の掲示板などへ他人の誹謗中傷、人格否定など書き込むことによって、自分へ目を向けることを避け、その場しのぎの優越感、偽肯定力に浸っているなんて行動は起こりづらい。
しかし、一方で自殺者の多くが何かしらの精神的な問題を抱えていたという推計があるので、自殺者を減らすためにも社会全体として正しい知識を持ち、うつ病と立ち向かっていかなければいけないと思う。
五木氏は、気持ちの躁鬱は人間なら誰でもある自然なことで、異常でも病氣でもないと述べている。自分の感情や状態を客観的に認識することが大切なんだと思う。そのためには自己分析や自己客観視を高めることが不可欠だといえる。
時代を躁の時代と鬱の時代と名付けているのは目を引いた。現在は鬱の時代、食事を楽しめなくなり、美味しい、楽しいではなく、健康第一主義へはまさにその典型という。なるほど、納得できる。
今の中国を見ているとまさに躁の時代なんだと思う。そんな中で鬱の時代の日本人ができることはなんだろう。
日本の将来には悲観論先行なのがやや寂しく感じる。
読書時間:約1時間15分 -
うつは治す必要がある?人間が持つ、本来の悲しい気持をうつと勘違いしていないか?無理に治す必要がないものもある。
日本社会は欝へ向っていないか?高度成長期がそうとするならば。代替医療の流行は、医療格差があることと関係がある。
診断基準としてDSM-Ⅲが出てくる。現象を見て診断することは、診療⇒クックブックになっていないか?治療に関しての様々な薬、使えば何らかの効果はある。診断法同様に変わったものとして、救急のコンビニ受診、自殺者、そして神(宗教)と死刑について。死刑吏とは何であるのか?
医療を取り巻く取り止めのない話から、人々の感覚的なもの、物事の受け取り方などの、取り留めのない話が続く。宗教的思想で〆るしかない。
respect びあしん慶次郎 さん -
対談集。社会的にポジティブな影響のありそうな性格の人こそ、うつになりやすい背景もあるから、その力は確かに強いものだろうと思える。総躁の時代を経て総鬱の時代に流れていて、少し鬱、くらいがちょうど良いっていうのも納得できる。本題からは離れるけど、かつて栄華を誇ったポルトガルの現在の凋落具合が、将来の日本を示唆してる、ってのはちょっと興味深かったす。言い得て妙って感じ。
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放談といった体裁。
ネタとしては面白い話しが多いが、全体としては何をお二人が目指しているのか輪郭が曖昧。
それでも、五木さんの「鬱」の問題は、メンタルの面だけではなく、マインドやソウルの面からも見ていく必要があるという指摘は腑に落ちた。
べてるの家などで言われる「降りていく生き方」に親近性がある内容でした。 -
たぶん再読の気がする。内容はほとんど忘れていた。
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対談本なので軽く読めた。でも重要なキーワードはかなりちりばめられていたと感じる。
病気としての「鬱」と人間として当然の、むしろ必要不可欠な「鬱」についてどう捉え、認めていくか、が大筋の流れだった。
そして現代社会に多くあるジレンマも指摘しており、読後に唸ってしまった。
どちらも博識で特に五木氏は仏教も詳しいので新たな知己を得られて満足感は高い。 -
数多くの作品を世に送り出し、現代日本を代表する作家とメディアで活躍する女性精神科医という異色の対談。
テーマも「鬱の力」ということで、なかなか興味をそそられます。
対談の主題は、バブルの「躁」時代を過ごした後、現代はその反動で「鬱の時代」というべき時代になっている。
しかし、それは、決してすべてを病気として扱うべきものなわけではなく、その背景や要因を理解して、分類し、良性のものならば、「鬱」のそもそも秘めたるパワーを引き出すような生き方を、世の中全体としてしていくべきだという論旨が展開されます。
なるほど、「鬱蒼(うっそう)とした」というコトバがあるように、そもそもエネルギーを秘めたものなんですよね。
だから「鬱」を一概に悪と決めつけてはいけないというのは、一理あるような気がします。
「鬱」の見極めとは、心因性のものと、脳に起因するものがあり、脳に起因するものはうつ病として治療すべきものだが、心因性のものは、病ではなく、「気遣い」とか「心配り」とか、むしろ良質の心理作用の結果としてのストレスが発現したものであるという定義を披露します。
これもかなり納得感があります。
たぶんこの定義によって、現代に治療を受けている、多くの自称「うつ病患者」は、治療対象ではなくなるはず。
ワタシの精神不安定も、仮に鬱だてしでも、明らかにうつ病ではなく、この心因性鬱。健康的な鬱だと認識できます。それだけでも私のストレスがかなり軽減され、新しいエネルギーにつながる気がします。
右上がりの成長を当たり前にしてきた私たち。
経済成長が踊り場を迎え、イケイケな将来をイメージしにくいいま、大きくパラダイムシフトを果たして、こうした内的なエネルギーの活かし方をみんなが理解して、実行していければ、いままでとは全く違う新しい時代が開けるかも、です。
そんな気付きをもらった一冊でした。 -
時代は鬱へ。これからの下り坂の日本を、鬱の力でしっかりと下を向いて歩こうと。で、成熟した国を形成しようという2人の主張は前向きであるとさえ感じる。登山は上りより下りが難しい。国民の意識も、国の政策も躁のままでは、もう時代に合わず継続不可能な事に気がつくべきなんだが、物心ついた時から鬱の時代の20代以下は問題ないと思う。問題になりそうなのは、躁の時代に生きた中年以上のマインドチェンジか?
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これが書かれたのは2008年。かれこれ、三年がたっている。色々な問題に観点を起きながら鬱を語るこの本は、突き詰めていったら、今読むべき本だったのだという気がしてくる。将来、日本の展開期と位置づけられるであろうこの時期に読むべき本だと思う。
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豊かな視点からの「鬱」「統合失調症」などについての考察を、対談という形で示した本。斬新で画期的な、読んで力が湧いてくる本でした。
著者プロフィール
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最近では、うつ でも攻撃性がある、という症状があるようですよ。
>時代を...
最近では、うつ でも攻撃性がある、という症状があるようですよ。
>時代を躁の時代と鬱の時代
「第四の消費」(三浦展)も、同じような事を言っているのかもしれない。と思いました。
コメント有り難うございます。
>最近では、うつ でも攻撃性がある、という症状があるようですよ。
それは、本来定義されているうつ...
コメント有り難うございます。
>最近では、うつ でも攻撃性がある、という症状があるようですよ。
それは、本来定義されているうつ病ではないですね。新型うつか病、擬態うつ病と呼ばれるものに近いか、はたまた、パーソナリティ障害の類かと思われます。
三浦展さんの本も読ませてもらっています。今後、手にする機会もあると思います。