- Amazon.co.jp ・本 (178ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980891
作品紹介・あらすじ
世の中は95%の凡人と5%の支配層で構成されている。が、5%のために世の中はあるわけではない。平凡な人々の日々の営みが社会であり経済なのだ。しかし、その社会には支配層が流す「若さこそ価値がある」「友情は無欲なものだ」といったさまざまな"嘘"が"常識"としてまかり通っている。嘘を見抜けるかどうかで僕たちは自由な凡人にも不自由な凡人にもなる。自由な凡人人生が最も幸福で刺激的だと知る、押井哲学の真髄。
感想・レビュー・書評
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もうひたすら、テーマをもて!!という主張。
生きろ!テーマをもて!そのテーマにむかってだけひたすらやれ!それ以外はどーでもいーんだ!!!という内容。
私は「テーマもないのに人と関われない」派だけど「テーマを決めるのは怖い」で今まで人生やってきて30歳になり、まあはっきりいってしまえば人生から他人から逃げまくってここまで孤独にやってきたら、マジで人生の袋小路に追いやられたみたいな感じに今なってるので、めっちゃ響く。 -
先日読んだ『他力本願』とほぼ同時期に刊行された、“押井流人生論”の書。
『他力本願』は押井ファンでない人が読んでもあまり意味のない本だが、こちらはもう少し一般向け。押井作品に触れたことがない人が読んでも、「へえ、わりといいこと言うじゃん」と思えるだろう。
「若さに価値などない」「無償の友情など存在しない」というふうに、世に浸透して常識となった「幻想」に冷水を浴びせかける箇所が随所にあって、そこが痛快。
とはいえ、世の中を斜めに見るニヒリズムの書というわけではない。「王様は裸だ」と喝破したうえで、「では、裸の王様はどのように身を処すべきか?」を熱く語る書なのである。
世の99%以上の人は凡人であり、あなたも私も凡人でしかない。しかし、凡人には凡人なりの幸福で自由な生き方がある。「若さには無限の可能性がある」といったタテマエを捨て去ったうえで、ほんとうに自由な生き方、無限ならぬ「有限の可能性」を切り開くコツを、押井は説いている。
どちらかといえば若者に向けて発せられたメッセージが多い本で、私のようなオジサンが読むと鼻白んでしまうくだりも多い。
しかし若者が読めば、心に刺さって行動の起爆剤となる言葉がたくさんあると思う。 -
早くオヤジになりたい。
オトナになるのとは楽しいこと。学生のころが人生で一番楽しいのだったら年を取る意味がないということを教えてくれた。面白かった! -
アニメ映画の監督の人らしい。タイトルが本の内容と少しずれている気がした。
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2013年5冊目。
「スカイ・クロラ」などを手がけた押井守監督のエッセー。
タイトルにひかれて購入。
「若者に必要なのは、『自分はまだ何物でもない凡人』だと悟ること」と語る。
そんな著者の言う凡人としての生き方は、次の2つに集約されると思う。
■「美学」と「情熱」を持って闘い続ける
■極端ではなく、中庸の姿勢をとる
「自由」「文明化された本能」「コミュニケーション」など、
多彩なテーマと共に語られている分、
ちょっと1冊の本としてのまとまりには欠けた気がする。 -
押井本を読むとなんかやる気になるというか感化される。
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何気なく見つけて買った本。
著者の作品は実は1つ(スカイ・クロラ)しか観てない。
けど、これを読んでいて、押井さんの作品を観たくなった。
この本のタイトルはちょっと置いておいて(確かに、そのタイトル通りの話も展開されているのだけど)、各章で言及されていることや考え方は刺激的だった。わかりやすくストレートに表現してもらえるのは壮快。
個人的には、最後のあたりが特に好き。
最後の最後には、映画に込めている思いが語られる。
確かに、スカイ・クロラを観たときに、なんとも言えない感覚をずっしり持つことになり、その感覚がなんなのか探し求めるかのように、原作を読んだり(しかも既に5回も・・・)、DVDで再び見たり、他の本でリンクするような内容にぴくんと反応して考えを巡らせたりしていた。
それが、押井さんの、仕事を通して語りかけようとしていた結果だったのだなぁと思った。(ああもうやっとわかったよー)
けど残念ながら、そのことについて、私はまだしっくりくる言葉で表現できない。
「大人になる」と「子供」、「生」と「死」、「負う」と「身軽」、「自由」?、「本音」と「建前」
こんなキーワードがずーっと頭の中を巡っている。もうここ2、3年。きっかけは押井さんの映画なんだよーぅ。
しばらく経ってから、もう一度読みたい本。 -
なんであんなジャーゴンにまみれた衒学的で嫌みな映画を撮る人が、こんな当たり障りのない自己啓発本を書かなきゃいけないんだろうと思った。社会評論でもなんでもない。ただの内容の薄いエッセイじゃないか。
まあ、でもよく考えると押井守の映画も同じようなものなのかもしれない。ひねくれてるようで、そんな当たり前のことをくそ真面目に言う必要があるのか、と思う瞬間がある。書籍という形態をとったために、その部分が露骨に表面にでてしまったのだろう。
一応評価できる点があるとすれば、世俗的な語り口を利用したことだと思う。家族のために仕事に打ち込む(仕事しかやることのない)親父や新しい物事に果敢に挑戦して行く健全な若者を評価し、自分もそのように生きてきたとうそぶきながら、ロリコンやおたくや引きこもりも同じあなのむじなだ、などとこき下ろす。何とも卑屈な面が現れている。
ただ結局は自分次第とかいってしまう底の浅さは何とかならないものか。