芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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本棚登録 : 196
レビュー : 29
  • Amazon.co.jp ・本 (310ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344981744

作品紹介・あらすじ

『1Q84』にもその名が登場する日本でもっとも有名な新人文学賞・芥川賞が、今や世界的作家となった村上春樹に授賞しなかったのはなぜなのか。一九七九年『風の歌を聴け』、八〇年『一九七三年のピンボール』で候補になったものの、その評価は「外国翻訳小説の読み過ぎ」など散々な有様。群像新人文学賞を春樹に与えた吉行淳之介も、芥川賞では「もう一作読まないと、心細い」と弱腰の姿勢を見せている。いったい選考会で何があったのか。そもそも芥川賞とは何なのか。気鋭の文芸評論家が描き出す日本の文学の内実と未来。

感想・レビュー・書評

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  • 芥川賞、父親、1Q84(あるいは村上春樹)に関心のある人は、きっと興味深く読める本。キャッチーなタイトルに比して、内容の広がりは相当のもの、小説の読み方が、少し増える本です。

  • わたしたちは、
    なぜ小説を読むのか。
    あるいは、なぜ読まないのか。

    小説において描写されるもの(たとえば「犬」)は、
    描写する側(書き手)に、
    「そのものの細部の要素を比喩も含めてどう記述するか」を、
    私たちの思考を構成するところの言葉によって行うよう求める。[more]

    画ではない、言葉による認識の方法は、
    より私たちの思考に近い。

    わかりづらい他者の思考や感覚を、
    わかりづらいなりにいちばん近しい体験として扱うことのできる、
    それを疎んじる人にとってはうざいだけのメディアが、
    つまり小説である。

    「何を語るか」とは別に、
    「私たちの思考との距離がもっとも近い物語メディア」として小説は、
    他の手段にはない体験を与えてくれる。

    <blockquote>その意味では、小説(文学)はたまたまそのときどきに「不振」なのではなくて、あらかじめ、そしていつだって「不振」なのですし(そうでない時期が例外的にあるにせよ)、「不振」でしかありえないことの理由にこそ、小説(文学)の存在意義があるのだ、と言ってもよいでしょう。 p287</blockquote>

    この本は、著者による設計思想に満ちている。
    キャッチーなタイトルの横に小さく添えられた副題が暗示するように、
    「擬態」している。

    あの蓮実重彦の言葉の引用を、
    最後に差し出して終わる。

    小説を読むことは、
    「記号のあらゆる意味を目覚めさせること」だ。



    【目次】
     1.「でかいこと」としての芥川賞
     2.『風の歌を聴け』がアメリカ的であるのはなぜ?
     3.「戦争花嫁」としての戦後ニッポン
     4.芥川賞と「父の喪失」とニッポンの小説
     5.そもそも芥川賞が「でかく」なった理由
     6.夕暮れのマジック
     7.メロスはなんで「走る」のか
     8.「明治」から考える
     9.社会の一部としての「小説」
    10.『坊ちゃん』のヒロインって?
    11.もういちど、芥川賞と「父の喪失」
    12.ニッポンの小説―――おわりに

  • メッタ斬りでも読んだように、芥川賞とか直木賞が、重要作品・人物に対して、往々にして授賞漏れしているのは、多分紛れもない事実。ま、人が人を評価する以上、絶対的な基準はない訳で、各人の立ち位置とかによっても当然違ってくる訳で。タイムリーなところでは、昨日発表になった本屋大賞が、直近の直木賞と一致したってのは珍しい例。プロの書き手目線と読者の目線も、大抵は一致しないし、選出作品に対して不平不満も出るだろうし。で、村上春樹。最近出た新作に対する意見が分かれているように、芥川賞授賞に関しても意見は分かれたんですね。芸術作品の評価が難しいのは当然として、それでもやっぱり、賞の性質を青田買いに求めている以上、授賞を逃したのは痛恨だと思ってしまいますが。

  • 今や興味の中心は、韓国又は北朝鮮、或いは在外 korean の文学者が、いつノーベル文学賞を受賞するかだと断言しよう。2刷9月。8

  • 日本の近代文学に通底する視点を脱構築した村上春樹は、いわば「親殺し」で殺される親の側からしたら受け入れられるはずがないね。しかし子の立場の現代作家たちは徐々に力を増して乗り越えていく。

  • 村上龍
    村上春樹
    山田詠美

    作者ごとのアメリカ文化の受け入れ方の違い、その作品の日本(選考委員)側の受け入れ方の変遷が面白かった。

  • 買ってからしばらく放置していたけど、札幌で半分くらい読んで、そこから一気に読み終える。

    基本的に春樹について書かれているところ(芥川賞での実際の選評も、大江健三郎の春樹への評価の推移とかも)は面白かった。芥川賞の選考風景とか、賞をとりまく時代変化とかも。文中の加藤典洋の『アメリカの影』からの引用文とかも、久しぶりにこういった「批評」めいたことに触れたら、新鮮だった。

    坊ちゃんとメロスについては、ふ〜ん程度。

    P67 …日本文学の枠組みにアメリカを充填することにおいて村上春樹は、「アメリカに依存し模倣する日本と日本人」を、自分自身の姿と作品とで再現したことになる……という、何重にも模倣を重ねてしかしそのことで同時代の(ポップな)アメリカ的であるような、きわめて複雑で倒錯めいた試みが完成することになります。それはほとんど、〝アメリカン・ポップアートとしての日本〟を発見することであり、それを引き受けた日本人として、アメリカを「擬態」することでした。それは結局、無意識のうちにアメリカ的な日本、に対する批評的な作業をすることでもありました。

    P97 だから、とりあえずはこう言っておきましょう。芥川賞が村上春樹に与えられなかったのは、一義的には、村上春樹の携えるアメリカとの距離感が彼らにとって受け入れがたかったからであるけれど、つまるところそれは、彼らとアメリカ=父との関係の問題であり、村上春樹と「父」との距離の問題なのだ、と。
    もしも村上春樹が「父」を描くことができていたら、「父」になる姿を描けていたら、とっくにその賞は彼のものになっていたはずです。逆に言えば、それができなかった/しなかったところに、村上春樹の倫理があった、と言ってもいいでしょう。

  • タイトルになっている「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったのか」という問いのほか、「夏目漱石の『坊っちゃん』のヒロインは誰か」「多くの人が、太宰治の『走れメロス』に感動した記憶を持っているのはどうしてなのか」という問いを追いかけ、日本における「文学」のあり方を論じています。

    芥川賞の候補になった村上春樹の『風の歌を聴け』と『一九七三年のピンボール』は、「アメリカ的なもの」をキッチュかつフェイクな形で描いていると著者は指摘します。そして、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』のようにアメリカへの「屈辱」をモティーフにするのでもなく、また田中康夫の『なんとなく、クリスタル』のようにアメリカへの「依存」をぎりぎりの批評性とともに表明したのでもなく、「アメリカの影」にある私たちの「根っこ」をあけすけに描き出したことが、春樹に芥川賞が授賞されなかった理由だという見方が語られます。

    一方『坊っちゃん』については、老年の下女である清が、坊っちゃんのヒロインだという主張が展開されています。漱石は、文明の幕開けである明治の時代を生きた「近代小説」の「根っこ」に、それまで彼ら自身が属していた「江戸」の終焉という出来事があったということを、清を愛惜する『坊っちゃん』という物語の中で示していたのだと、著者は考えます。

    太宰治の『走れメロス』は、私たちのノスタルジーを喚起する「夕陽」という仕掛けが効果的に用いられています。そして著者は、「夕陽」を通じてノスタルジアに浸るという私たちの感情が、近代の中で作られてきたということを抉り出しています。

    こうして著者は、3つの問いを通じて、近代以降の日本文学の「根っこ」を掘り出すという作業をおこなっています。ただ、そうしたテーマ設定は興味深いと思いましたが、一冊の本として読むとき、すこしまとまりに欠ける印象を抱いてしまったのも事実です。

  • 基本的には日本の既成(当時の)文壇批判、つまり「近代文学批判」であり、作者は自覚しているかどうかしらないが、凡庸月並みな内容。春樹こそが「現代文学」の創造主であり、「近代文学」的芥川賞が取れないのは当たり前なのだが。それにしても、語り口が落研的でおおよそスベッテいる。

  • 世界に多くのファンを持つ村上春樹に芥川賞が授けられなかったのは、選考委員の何人かが当時の作品に「アメリカ」を感じたからだと云う。新作が発売早々ミリオンセラーになっているが、感性に乏しい自分にとっては書棚が遠い。

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