阿頼耶識の発見―よくわかる唯識入門 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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レビュー : 14
  • Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344982109

作品紹介・あらすじ

唯識とは、『西遊記』で知られる玄奘三蔵がインドから中国に伝えた仏教思想の根本。それは「人生で起こるどんなことも、心の中の出来事にすぎない」という教えであり、執着や嫉妬、怒り、絶望、失敗はすべて心の深層部の仕業だと説く。この心の最深部を「阿頼耶識」と呼ぶ。心の表層に生じる感情や思考は、阿頼耶識にもれなく蓄積され、それが無意識のうちに表情や体調となって現れ、美醜にも影響する。表層と深層が常にリンクするという心の構造がわかると、シンプルに強く生きられる。ストレスの多い現代人に向けた心の教科書。

感想・レビュー・書評

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  • サンスクリット語とドイツ語と英語とは、
    インド・ヨーロッパ語族に属し、アーリヤ語から変化したものである。

    「名称」にあたる単語の「name」は、
    サンスクリット語の「nam」から派生した。
    「nam」は、「指向する、指し示す」である。
    「南無阿弥陀仏」の南無=namは、
    阿弥陀仏に帰依(自らを向ける)と解することができる。[more]

    さて、本書の「阿頼耶識」は、
    仏教用語である。

    唯識派の思想の中で、
    心を表層から深層まで分けた八つのうち、
    いちばん深いところにある“根本の心”をいう。

    唯識とは、ただ心だけが存在する、
    という思想であり、
    身近でありながらとらえどころのない、
    心について、心の構造と機能について、
    探求するためのよすがである。

    私が見る晴天も夜空も、
    すべてこの視覚でとらえられた、心の中の影像である。
    つまり、見た私も、見られたものも、
    いわば心で出来ているのであり、
    心が心を見ている、ということができよう。

    感覚がとらえるさまざまなものの向こう側に、
    物の基体(=本質、ほんぜつ)というべきものを、
    阿頼耶識が作り出し、阿頼耶識自体がそれを
    常に認識しつづけていると、唯識は説く。

    この思想は、量子力学の成果に共通している。
    私たちと物(存在)の関係を、
    観察者ではなく、その存在と『一つのセット』の中にある、
    関与者である、というものだ。

    養成された認識形式の獲得は、
    カントのいう「先天的な直観形式」すなわち時間・空間の
    生きながらの超越を意味するものであり、
    幅のない“いま”になりきることである。



    【目次】
    1.心の中を探る
     1 心とは何か
      脳科学から心科学へ―――心を変えれば脳も変わる
      脳がすべての心を作りだすのか―――脳科学の研究対象とはなりえない「心」がある
      唯だ「識る」というはたらきがあるのみ―――名詞ではなく動詞で語れ
      「識る」というはたらきの中身の分析―――目の前の「憎い人」は、実は、憎くもなく憎くないこともない存在である
      心の外界には「もの」は存在しないのか―――「唯識無境」について考える
      現実だと思っているいま、ここも、夢の中の世界だ―――「空」が実験で証明された
     2 「自分」に迷う
      一人一宇宙である―――人間とは自分という牢獄に閉じ込められた囚人である
      すべては心の中の影像である―――太陽も心の中にある
      心の中にある、というときの「中」とは、どういう意味の「中」か―――「中」とは三次元の空間的な中ではない
      自分とは一体なにか―――「自分は」「自分の」という思いが常に心の中に吹きだしてくる
      「自分」というのは言葉の響きがあるだけ―――「無我」とは事実である
      思う、故に有り―――「名詞」で語ると、正しく語れない
      「自分」がなければ、なにがあるのか―――自分はないが、身体と心とを構成する要素は存在する
     3 心の深層に沈潜する
      心を観じ深層に沈潜してみよう―――心の奥深くに阿頼耶識が存在する
      ヨーガによる深層心の発見―――深層にはたらく「自我執着心(末那識)」と「根本心(阿頼耶識)」
      眼が見えることは不思議だ!驚異だ!―――美しく見えるバラも、それを見る眼も、美しいと思う私も、すべて「物」である
      「八識」の中の「意識」の用い方によって、自分と世界は変わる―――意識のスポットライトを「なに」に照射するかが問題だ
      死後、地獄に堕ちるのか、極楽に生まれるのか―――言葉どおりには世界は存在しない
      粘っこい言葉、それは有と無である―――有るのでもなく、無いのでもないと考え、非常識に生きてみよう
      私の身体が年とともに衰えるのは、非有非無であるからだ―――量子力学で判明した@非有非無」
      手も存在しない。心が心を見る―――拝金主義の生活に陥ってしまう理由とは
      一本の木は存在するか?自然も心の中の影像である―――自然破壊は、人の心が作った
      いじめは「言葉」が生み出している―――「憎い人」とは思いと言葉の二つによって作りだされたもの
      深層にはたらく末那識―――深層で、常に「自分、自分」と執着しつづけている心
      末那識に付随する四つの煩悩―――我(自分)という思いに汚れた心
      業のすべてが深層に貯えられる―――フロイト・ユングの「無意識」と、「阿頼耶識」の違い
      「山そのもの」はどのようなものか―――自然の向こうにある“自然そのもの”に思いをはせよう
      深層心と身体との関係―――心の健康とは深層心からすっきりと爽快である状態をいう

    2.心を変革する
     1 新しい“自分”に目覚める(自己究明)
     2 「だいじょうぶ」という世界を目指す(生死解決)
     3 他を先に、自を後にして生きる(他者救済)

  • 筆者の考え方に偏向傾向が見られるため仏教書を始めて手に取る方には勧められない
    ある程度、基礎があれば、偏向に気づき、より思索を深める契機となり得る書

  • 目の前にある物が存在していない、というのは最後までどうにも理解不能だった。

  • ひとつの存在論としては面白いんだけど、「最先端の科学でも証明されました!」の連発には閉口する。あと妙な啓蒙書臭もあり、うさんくささは否めない。

    もうちょっと冷徹に仏教の論理性を語ってほしかったなあという感想。

  • 唯識論の入門書。
    坐禅を実践するかたわらに読むと実感が湧いて良い。
    唯,心があるだけであって,目に見える物事は,それ自体としては存在しておらず,心が認識する幻影に過ぎないのであって,「自分」というものすら存在しない。

  • ナゾの感動の書である。我々は生きなければならず、そして、他者のために生きて当然だと悟った。
    西洋の哲学書は、ハッキリさせる、定義することが基本である。ゆえに全てを語れなかったり、矛盾を生じることもありで、イマイチ信用におけないなと思っていた。
    本書では、分からないものは分からない、自分よりも他者を大事にするのは当然だと解く。自分という思い込みがそもそも幻想なのだから。苦しいなどの負の感覚や感情も自分が生み出している。ならそれを捨てれば良い。何と大胆な考えだろうか。
    瞑想により自分とつながり、自分と向き合うことで、過去の辛い内容のドキュメント映画、未来のホラー映画を観ることが当たり前になっているココロに気付けば、この本の内容もスルリと腑に落ちた。ブッダという人がこの原理を我々に示してくれたことは本当に有難い。
    某ファーストフード店で、こうやってこの文章を書ける幸せも、様々な縁起のなせる技である。その壮大な縁起の全てに感謝したい。

  • 唯識についての初心者向けの本。本文もはじめて唯識に触れるであろう人を意識した平易な語り口で、図解を多用している。私が存在しなければ、世界は存在しない。すべての物は自分の心を離れて存在しないということが唯識についてのポイントであるらしい。
    著者の後半に、なりきり、なりきって生きる。一瞬一瞬にその行為になりきって生きる。対象になりきっていきる。すると、観察される対象ではなく、自分そのものがなりきった対象になるということが書いてある。前半では「自分」の「心」が存在しないと対象は認識できないということと関係は深いとおもうが、対象そのものと自己不可分であるの性質が若干違うように感じるの。だが、生き方の指針として、一瞬一瞬をその行為になりきるというのは深いものがあると感じる。
    たぶん、混乱するのは、前半は純粋に唯識の考え方についての解説なのに、後半になると、いつのまにか生き方論になってしまっているからではないだろうか。

  • (私なりの解釈)

    阿頼耶識は、蔵識とも言われ、人間のこころの一番奥にある、心の倉庫のようなもの。

    そこに良い種をまけば、世界をより良い視点で観ることができる、と説かれている。

    哲学的な議論(悪く言えば屁理屈)が展開される場面が大半を占めるので、哲学にアレルギーがある人には向かないかもしれない。

    また、仏教哲学と近代科学のアナロジーがいくつかあるが、それも好みが分かれるところかもしれない。

  • 平易に記述しているためか論理的に整合性を欠くような部分が散見され、気にかかる。

  • 不平不満の多い人は病気になりやすい、ありがとうと言い続けましょう……など小林正観さんや『ゆほ○か』を連想させる言葉があちこちに。笑

    「ストレスの多い現代人に向けた心の教科書」とカバーにある割には、ストレスフルというか難解な内容に感じたかも。専門用語いぱいでした。

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著者プロフィール

1940年、福岡県生まれ。東京大学農学部水産学科、同文学部印度哲学科卒業、東京大学大学院印度哲学博士課程修了。立教大学名誉教授、鹿島神流師範、唯識塾」塾長。専攻は唯識思想。著書に『唯識思想入門』『唯識の哲学』『仏教思想へのいざない』『唯識とは何か』『十牛図の世界』『わが心の構造』『「唯識」という生き方』『唯識入門講座』『唯識仏教辞典』『阿頼耶識の発見』ほか多数。

「2016年 『唯識の思想』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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