- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344982550
作品紹介・あらすじ
ただ気分を吐き出すための言葉をネットに書き散らし、不確かな言説に右往左往する。そんなものは、コミュニケーションではない。日本人は「現状維持」のために協調性ばかり重んじて、本質的な問題について真剣に「議論」することを避け続けてきた。そのツケがいまの社会のひずみとして表面化しているのだ。
『うる星やつら』『機動警察パトレイバー』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などで世界で高く評価される映画監督、押井守が語る日本人論。
感想・レビュー・書評
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何かを全否定、自分は否定される側、完全開き直り、という展開が何度かあったので、読んでて混乱した。一貫性に乏しい。
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口を開けば出てくる宮さん(宮崎駿氏)の暴言。どれだけ好きなんだよと突っ込みながら読んでいた。本文は微妙な内容も多いが、日本人は論理的思考で物を考えるのが苦手なのは、日本語の文法構造がロジカルでないため、お互いにニュアンスを汲み取って語らないので言論にならないという論法は面白かった。日本語がロジカルでないから論理的思考が苦手なのか、論理的思考が苦手だから曖昧な言語になっていったのか興味深い。
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押井守の作品ってどうもゴダールっぽい。「攻殻機動隊」にしても「パトレーバー」にしても。それは、過去の作品の引用の仕方であったり、やたらと多い独白だったり。
本書の「そもそも映画とは引用することでしか成立しないからだ。」(P90 )で納得。さらに「今の時代に「創る」ということは「選ぶ」ということと同義だと僕は思っている。それ以外にクリエイティビティなんてないとすら思う。」(P91 )との言い切り。なるほどね。
・・・と面白いところもあるんだけど、
全体的には、親父の小言の域を出てないのかなぁ。そんなにたいしたこと言ってない。ごくごくフツーのこと。
「そもそも論」が大切なのはわかるけど、解決しないといけない課題を目の前にしながら、「そもそも論」を言い出す奴ほどイラつくことはないのも事実。
日本人の論理的な言語能力が衰退しはじめたのを昭和初期と言い、さらに言文一致運動へまで遡るのには笑った。
「本になってないものは信用しない」と言い放ち、「人を説得する言葉を並べたいのなら、一冊の本を書いたほうがはるかに有用だ。僕は多弁ではなないが、どんなに語ろうと一冊の本を書くことに勝るものはない。」「本来、文章を書きたいという欲求は極めて特殊な情熱だったはずであり、それは本になって初めて、客観的に存在することができるものだったのだ。」(P82 )
と書く割には、全体的には論理的でなく雑。人を説得させるためには、きちんと事実をのべて説明すべきなのにそれがない。
あと、最近の新書ですごく気になるのが改行の多さ。改行をする、というのが文章の中でどういう意味をもつのかを考えてないのでは??これって「書き言葉」とは別の「『新書』言葉」なのかも。
ネットに書く言葉は、「書き言葉」と違ってロジックを組み立てられない、というのはうなずける。若者が、きちんとした論理的なテキストを書けないのも実感する。ただ、彼らの思考の垂れ流しのような非常に魅力的な文章を、論理的文章へと導いてあげる(というと偉そうだが)のが書き言葉で育った世代の役目なのだろう。
うーん、他にもいろいろ残念なところが多く、押井作品を今まで通り楽しんで観れる気がしないなぁ・・・。 -
■コミュニケーション
1.僕は携帯電話やPCによるインターネットとはコミュニケーションツールなどではなく、世界への窓口を限定することに成功したツールだと思う
2.マニュアルを書くというのはマネジメント能力であり、文化の違う人間などに物事のロジックを正しく伝えるという行為だ。マニュアルは作るためのものの考え方こそが大切だ
3.結局、日本人というのは、なるべく答えを出したくない人種なのかもしれないと思う。
4.情緒に訴える事で論理的な思考を麻痺させ、正しいとか正しくないとか言い合ってコミュニケーションをはかったつもりになり、その判断の積み重ねで、今の日本になってしまった。
5.人間が考えるべきことは、自分の人生とどう向き合うのかだ。今生きている人間にとって一番大切なのは、死生観であり、もっと言えば、死とどう向き合うかだけだ。
6.問われるべきは知識ではなく覚悟なのだ -
アニメーション・実写映画監督 押井守(おしいまもる)の論説。
押井守が手がけたものとして「うる星やつら2」「機動警察パトレイバー」「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」「イノセンス」「スカイ・クロラ」「アヴァロン」などが挙げられ、個人的に大好きな映画監督だ。
この本は押井守の根源に焦点を当てた論説で、とくに3.11後の頑張ろう日本運動や原発反対運動やネット礼賛について、かなり根の部分から世間の空気感(情緒)を批判的にとらえたものだ。
その指摘は、ある種の暗澹たる世相に深く根を張るもので、爽快さはまったくない。
読了後も深く落ち込んでしまうような内容だ。
また、全編を通して、"かような日本・日本人"について深く考えさせられる内容となっている。
コミュニケーションとは何か・・・上辺だけの活動とならぬように反省も生まれる。
終末にこう書かれている
『問われるべきは知識ではなく、覚悟なのだ。』と。
読者に鋭い視線を投げ掛けてくれる良書だ。
ミーハー的な感覚で手に取ったのだけども、かなり深く考えさせられた。
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【目次】
第1章 コミュニケーションのできない日本人
第2章 僕は原発推進派である
第3章 曖昧な言葉が生む無責任な世界
第4章 日本はまだ近代国家ではない
第5章 終わりなき日常は終わらない
第6章 自分の頭で考える―本質論の時代
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2012/4/15読了。
現在までに読んだ、震災に言及する本の中で最も核心に近い部分をついていると感じた。その大きな要因は、空間的(日本と世界)、時間的(過去から未来まで)、学問的(政治、技術、経済)に俯瞰して語られていることにある。
時間軸だけで見ても、世間に溢れる震災に関する議論のほとんどは、論点が目先の事象に囚われてしまっている。例えば、原発に関しては、数年先の経済のことも考えられていない。技術面では廃炉から処分まで、数万年単位で語られなければならないのに、である。
自分には将来への長い視点はあっても、過去への視点はなかった。ここで、そもそもなぜ原発ができたか、という論点を獲得できたことは貴重。
震災やそれにまつわる議論・世間の反応の経過を通して、日本人の特性について語られる点も魅力の一つであろう。浮かび上がったいくつかの問題点を鋭く指摘している。
聞こえの良い、何となく喜ばしい気持ちになるような日本人論に飽きた人に、ぜひお薦めしたい1冊である。 -
押井守流のコミュニケーション、言語空間・言論空間を語っている一冊。
東日本大震災の1年後に出版され、
第一声に震災での原発について語るところから始まる。
と言っても、これが重要でもメインでもないので、
この話に感化している人は読解力が無いと言わざるを得ないでしょう。
原発事故は一例として、コミュニケーションに対する意義を説いている。
内容が、2012年のことなので、2020年以降のコロナ禍を経てのネット社会や生活保護に対しての考えが変わっていることを期待したい。
気になったのは、2008年のリーマンショックのことは、
記憶にないのだろうか・・・って、そんなことを言っても仕方ないのかな。 -
日本には必要のないコミュニケーションが溢れている。逆にSNSにより必要なコミュニケーションが失われていくのか。
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原発問題を中心に、コミュニケーションとは何かを問う一冊。著者と似た意見を持っていたとしても、通常は周囲の反感を買わないよう、あえて口にしないことをズバッと書いています。自分なりにタイトルの意味をまとめると、「立場を明確にして物事の本質を問わなければいけない場で、現状維持の空気を読んだコミュニケーションばかりだと、本質から外れてなんの解決にもならない。そんなコミュニケーションは要らない」です。
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なんともまあうるさいオヤジの繰り言。
現場で説得する屁理屈が仕事だとか。
この人の現場では働きたくないなあ。