面白いほど詰め込める勉強法 究極の文系脳をつくる (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983175

作品紹介・あらすじ

新しい知識を習得するのは楽しい。身につけた知を縦横無尽に駆使すれば、仕事のアイデアもわき、雑談力もコミュニケーション力もアップする。ただし知の獲得にはコツがある。「リスト化」「記号化」「年表化」の三大技法を使い倒すことだ-。文藝評論家で留学経験があり、歴史やクラシック音楽、演劇にも異様に詳しい著者が、脳の許容量いっぱいに知識を詰め込めるテクニックを披露。"コヤノ式"であなたも博覧強記になれる!

感想・レビュー・書評

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  •  売れるためのタイトルなので、その点でブーイングが色々とされると思う。だが、そんなことはどうでもいいのだ。小谷野敦を少しでも知っていれば、「勉強は、天才でもないんだから、地道に単語を覚えたり教師に叱られたり、事実を明らかにして形にすることを少しずつ積み重ねたり、地味にやってくしかないんだよ」としか言われないとわかるはずだ。

     はっきりとは書いていないと思うのだが、「何を読まないかが重要」というメッセージがこの本の根本にある。この本は、「勉強しないでいいものを指摘する本」だ。
     とにかく現代人は時間がないのだ(たぶん昔もない)。早くても帰宅するのは午後六時から八時。遅ければ会社に泊まり込みか終電。みんな毎日働いている。死ぬ奴もいる。そんな社会で、どうやって読書し、勉強すればいいのか。
     「再読しない」というのは結構ありがたい言葉だった。よく「再読して、何度も読んで味が出る」といわれたりするが、読まないといけないものがたくさんあるというのはその通り。で、「信頼する人に言われたら、本は再チャレンジしてもいいし、挫折した本でも挑戦してみるべき」も、それはそうだろう。中断したら「続きから読む」というのもそうで、結構「あ、小谷野敦が言ってるから、へんに真面目に最初から読み直すんじゃなくてそのまま行こう」と思えて、無駄な時間を削らずにすんだ。
     参考になったのは、作家の作品を読んだ際、いつ書いたものかは、ちゃんと把握しておく。そのために、作品リストを年代順に並べるのは、結構大事なことだと思えた。漫然と読んでも、軽い感想の言い合いと我田引水で終わるのだ。どういう作品の変遷か、これだと捉えられる。
     大学教師のしゃべることはすべて教科書に書いてある。大学で必死にノートを取っている奴が信じられないとあったが、まあそれはそうとしても、下層大学ではノートをとるぐらいしかすることがなく、退屈でしかたがないのだから許して欲しい。
     ところで、この本は、勉強学というより、学問論であると思う。日本の学者は「思想」という言葉に踊らされていて、思想・哲学とかしてるやつは要するに「思索家」・「随想家」とすべし。晦渋な文章を書く人はカリスマとなるというのもそうで、まぁ、松岡正剛もそうだろうと思える。知のシャワーを浴びるとその人に心酔する。民俗学の説の検証がなく、学者学ばかりというのもそうで、例えあったとしても、例えば南方熊楠の外国語能力の検証を松山俊太郎が「綺想礼讃」でしていたが、退屈だし、というかあまりに専門的過ぎて細かすぎてとても読めなかった。

     過去の随想家の「先見の明」をめぐる議論もよかった。江戸の思想で、何か予見していたとか、遙かに西洋より早かったとか、色々発見しているが、結局は「スコラ的江戸」なんじゃないかと。論語や朱子や道教をオリジナルに解釈する。それでどうなんだと問われれば、まあ当時としては凄いし、今でも凄いのではと。では何が凄いかといえば、もの凄く思索していたから凄いと。昔、三浦梅園の玄語を読んだ時、もうついていけないというか、読んでいてふっと「むなしさ」を感じて放り出してしまったことを思い出した。というか、玄語本文よりも、山田慶児の「黒い言葉の空間」のほうが面白い。冒頭で、「絶望的にみえるまで難解」という本音が書いてある。
     まともな学問はおもしろくない。新しい事実ではなく、新しい思索に行き着くことは、ロマンチックなことなのだ。皇族って素敵だから別にあってもええやん、の感覚に近い。なんだか、思索ってあったほうが素敵なような、やってみたいような、いっちょ取り組んですげえと言われたいような感じかもしれない。で、それが趣味でならばいいのだが、それが学問と思われるのはどうなのか。
     実際の研究というのは、芥川龍之介研究の奥野久美子や孔月の結論を読んだ時、例えば孔月の本では、芥川は軍人批判や軍国主義を非難しているものの、ちゃんと抵抗せず、また、中国の後進性に対する侮蔑もあるというもの。奥野久美子の研究も「芥川作品の方法―紫檀の机から」は、結論は、確か芥川は結構ちゃんと歴史書や文献や過去の作品とかに基づいて、そんな好き勝手せずにきっちりリメイクをやってました、というもので、あとがきの育児と論文の苦労や震災での花束のエピソードが一番面白い。まあ要するに、論文を本にしたものを読めば、学問や勉強で得られる本当の結論は超絶地味だし、「当たり前やん」と言えることをきっちり言っているに過ぎないのだ。そして、それが本来の学問なのだ。

     どんな頭が良くても、やっぱり価値判断を求めてしまうものなのだ。学問の行き着く先はことごとく自己啓発なのか、どうなのか。考えさせられる。
     学説史をきちんと踏まえないと焼き直しになるとか、私的データベースを作っている人を見習えとか、酒飲みは大成しないとか読んで、いったい勉強は新しい思索を取り込むことではなく、何なのか、学問はそもそも古典とかはあるのか、日本は哲学学はあっても哲学はないとかいうが、いや哲学学で十分だろというそもそもに立ち返るための良い本だと思った。

  •  著者が読者に、新しい知識の身につけ方を伝授する。本書のうち特に大事なのが第四章であろう。膨大な古典作品を読破した著者は、古典作品のうち、読むに値しない本や一部飛ばし読みを推奨する本について具体的に述べており、これから古典作品に挑戦する人にとっては参考となる。著者によると、古典作品に関連する入門書も意外とバカにできないといい、必ずしも先に原典に触れる必要はないと主張する。本書はタイトルにあるように、文系学問に限定されているが、理系学問においても十分通用するところもある。

  • つまらない本は全部読まなくていい、とあったので私もこの本の冒頭1/3と英語学習の部分だけを読んだ。
    タイトル詐欺も甚だしい一冊。

  • 著者の学習歴・方法に関する内容で参考になる点も多い

    ただし、タイトルや裏表紙にある内容と本文の内容に「ズレ」があるように感じました
    タイトルの「勉強法」については現在の流行的に「ハック系勉強法的ビジネス書」のイメージで捉えらたのですが、、、そうじゃなかった
    (そういう意味でタイトルは候補になっていた「博覧強記」のほうがよかったのではと思います)
    また、裏表紙にある「脳の許容量いっぱいに知識を詰め込めるテクニックを披露」とありましたが、特に「テクニック」はなかったような気がします

    【なるほどな点】
    ・大学生というのは、本来真面目に勉強しようと思ったら、授業料以外にも(本代など)カネがかかるものある。そのへん、親や社会が理解していない気が、近ごろしている。(P9)
    ・学問の価値中立性:学問というのは事実を明らかにすることで、そのことのよしあしを言うものではない、ということであり、事実と意見の相違を明らかにすることでもある。(P21)
    ・本を再読しないのは、その時間を別の本にあてたら、もっとたくさん本が読めると思うし、読むべき本はたくさんあるからである。(P28)
    ・一読して面白くなくても、信頼している人がいいと言ったらもう一度読んでみる。(P42)

    ・本は全部読まなくていい、後の方に、重要なことが書いてありそうだったら、飛んでそこまで行って読めばいいのである。(P80-81)
    ・読者としての段数が上がってきて、これは水増し本だなと思ったら、必要なところだけ読めばいい。(P85)
    ・大学の教師が(講義で)しゃべることは、本に書いてあるから、講義ノートは取る必要がない。(P97)
    ・図書館の本というのは、確認のためのもので、見て、これは買ったほうがいいと思ったら買う、または、ある一か所だけを確認する。(P104)
    ・ネット上に何かを書き込むとき、匿名での批判はしてはいけない。(中略)もし、匿名でなければいけないというのならば、それは公表するのをやめるべきである。(P126)
    ・結局、経済学というのは、バカなことを言わない役には立つが、積極的に経済状態を良くする役にはあまり立たない。(P136)
    ・反原発派は、カネより命が大事だというが、経済状態が悪くなれば、国民全体の健康状態が悪化するのである。(P139)
    ・マクロ経済は、政治家が政策を決めるために学ぶもので、ミクロ経済は、経営者とか投資家が学ぶものなので、いずれもそれ以外の人間にはあまり関係ないのである。(P140)
    ・(柄谷、西部、呉といった)「過度の抽象化」にはついていかずとも良い。それは何々の問題であるという風に抽象化して論じたがるのである。(P161)

    ・英語は、結局地道に単語一つ一つを覚えていかなければならないのだ。(P198)
    ・英語が数学などと違って厄介なところは、だいたいわかってしまう点で、実際にはわかっていないのにわかったつもりで先に進んでしまうのである。(P200)
    ・(英語の勉強は)まず、大意を掴む、いう考え方は取らず、単語一つ一つをゆるがせにせず、文法に則って隅から隅まで読んでいく(P210)
    ・大抵の人は、鈍牛の歩みのように、たくさんの英文を読み、単語を覚えして、長くかからなければ英語は習得できないということである。(P222)

  • 本は、全部読まなくても良い。

  • 面白くない。人の悪口ばかり。
    他人の文章力について酷評する割に、自分の文章力は皆無。

  • 比較文科学者で作家でもある筆者の経験談を交えての新しい知識の習得や検索方法が書いてありました。タイトル通りかというと、筆者の知的生活の系譜や観た作品についての感想もあるのでエッセイという感じの箇所もありました。しかしそのところも読んでいてクスリと笑えて面白かったです。

  • 【1946】
    丸山眞男『超国家主義の論理と心理』
    桑原武夫『第二藝術』
    小林太市郎『大和繪史論』
    石母田正『中世的世界の形成』
    宮崎市定『科學』

    【1947】
    平野謙『島崎藤村』
    田中美知太郎『ロゴスとイデア』

    【1948】
    吉田精一『明治大正文學史』
    石田英一郎『河童駒引考』
    川島武宜『日本社會の家族的構成』
    吉川逸治『中世の美術』
    ルース・ベネディクト『菊と刀』訳

    【1949】
    松田道雄『赤ん坊の科學』
    井上清『日本女性史』
    蠟山政道『日本における近代政治学の発達』
    南博『社会心理學』

    【1950】
    小島祐馬『中国の革命思想』
    玉上琢弥『物語音読論序説』
    和辻哲郎『鎖国 日本の悲劇』
    藤間生大『埋もれた金印』
    服部之総『明治の政治家たち』
    末弘巌太郎『日本勞働組合運動史』
    ハーバート・ノーマン『忘れられた思想家 安藤昌益のこと』訳

    【1951】
    野田宇太郎『日本耽美派の誕生』
    林達夫『共産主義的人間』
    桑原武夫編『ルソー研究』
    堀一郎『民間信仰』
    サミュエル・ハヤカワ『思考と行動における言語』訳

    【1952】
    丸山眞男『日本政治思想史研究』
    和辻哲郎『日本倫理思想史』
    信夫清三郎『大正政治史』
    藤田五郎『封建社會の展開過程』

    【1953】
    高群逸枝『招婿婚の研究』
    柳田國男『不幸なる藝術』
    シモーヌ・ド・ボーヴォワール『第二の性 1』訳

    【1954】
    中村光夫『志賀直哉論』
    本多秋五『「白樺」派の文学』
    波多野勤子『幼児の心理』

    【1955】
    吉田精一『自然主義の研究(上)』
    金関丈夫『木馬と石牛』
    遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』
    伊谷純一郎『高崎山のサル』
    宮沢俊義・国分一太郎・堀文子『わたくしたちの憲法』
    『ユング著作集』訳

    【1956】
    江藤淳『夏目漱石』
    臼井吉見『近代文学論争(上)』
    秋庭太郎『日本新劇史』
    三枝博音『日本の唯物論者』
    小倉金之助『近代日本の数学』

    【1957】
    安倍能成『岩波茂雄傳』
    大野晋『日本語の起源』
    石母田正『平家物語』

    【1958】
    伊藤整『近代日本における「愛」の虚偽』
    平野謙「藝術と實生活」
    中村光夫『二葉亭四迷傳』
    高見順『昭和文學盛衰史』
    ホイジンガ『中世の秋」訳

    【1959】
    河上徹太郎『日本のアウトサイダー』
    中根千枝『未開の顔・文明の顔』
    ドニ・ド・ルージュモン『愛について』訳

    【1960】
    橋川文三『日本浪曼派批判序説』
    唐木順三『無用者の系譜』
    川添登『民と神の住まい』
    大村喜吉『斎藤秀三郎伝』
    土居光知『古代伝説と文学』
    宮本常一『忘れられた日本人』
    遠山啓『数学入門』
    サルトル『存在と無』訳

    【1961】
    河盛好蔵『フランス文壇史』
    丸山眞男『日本の思想』
    柳田泉・勝本清一郎・猪野謙二編『座談会 明治文学史』
    貝塚茂樹『諸子百家』

    【1962】
    谷沢永一『大正期の文藝評論』
    安東次男『澱河歌の周辺』
    泉靖一『インカの祖先たち』
    福武直『世界農村の旅』
    時実利彦『脳の話』
    モーリス・ブランショ『文学空間』訳

    【1963】
    伊藤整『日本文壇史』(1953-)
    中西進『万葉集の比較文学的研究』
    福原麟太郎『チャールズ・ラム傳』
    三田村泰助「宦官』
    土方定一『ブリューゲル』
    添田知道『演歌の明治大正史』

    【1964】
    澁澤龍彦『サド侯爵の生涯』
    林房雄『大東亜戦争肯定論』
    小川鼎三『医学の歴史』
    上野照夫『インドの美術』
    桑原武夫『『宮本武蔵』と日本人』

    【1965】
    野口冨士男『徳田秋聲傳』
    吉本隆明『言語にとって美とはなにか』
    尾崎秀樹『大衆文学論』
    望月信成・佐和隆研・梅原猛『仏像・心とかたち』
    柳田泉『明治初期の文学思想』

    【1966】
    中村幸彦『戯作論』
    富士川英郎『江戸後期の詩人たち』
    後藤亮『正宗白鳥 生涯と文学』
    高橋康也『エクスタシーの系譜』
    本多秋五『物語 戦後文学史』
    木村重信『カラハリ砂漠』
    メルロ・ポンティ『眼と精神』訳
    グスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』訳
    ベンジャミン・スポック『スポック博士の育児書』訳

    【1967】
    梅棹忠夫『文明の生態史観』
    平岡敏夫『北村透谷研究』
    河竹登志夫『比較演劇学』
    川島武宜『日本人の法意識』
    江藤淳『成熟と喪失』
    西郷信綱『古事記の世界』
    江上波夫『騎馬民族国家』
    梅原猛『地獄の思想』
    中根千枝『タテ社会の人間関係』
    鶴見俊輔『限界芸術論』
    島田慶次『朱子学と陽明学』
    内田義彦『日本資本主義の思想像』
    レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』訳

    【1968】
    服部幸雄『歌舞伎成立の研究』
    益田勝実『火山列島の思想』
    塩谷賛『幸田露伴』
    吉本隆明『共同幻想論』
    羽仁五郎『都市の論理』
    高橋健二『グリム兄弟』
    上原和『玉蟲厨子の研究』
    ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』訳
    マーシャル・マクルーハン『グーテンベルグの銀河系』訳

    【1969】
    梅棹忠夫『知的生産の技術』
    小堀桂一郎『若き日の森鴎外』
    中野好夫『スウィフト考』
    上山春平編『照葉樹林文化』
    アウエルバッハ『ミメーシス』訳

    【1970】
    廣末保『悪場所の発想』
    白川静『漢字』
    北小路健『木曽路文献の旅「夜明け前」探究』
    亀井俊介「近代文学におけるホイットマンの運命』
    今尾哲也『変身の思想」
    辻惟雄「奇想の系譜」
    上田正昭『日本神話』
    塩野七生『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』
    高田誠二『単位の進化』
    村上信彦『明治女性史』(69-72)

    【1971】
    水上勉『宇野浩二伝』
    中村真一郎『頼山陽とその時代』
    平川祐弘『和魂洋才の系譜』
    高階秀爾『ルネッサンスの光と闇』
    陳舜臣『実録アヘン戦争』
    土居健郎『「甘え」の構造』
    村上陽一郎『西欧近代科学』
    ジラール『欲望の現象学』訳
    ケネス・クラーク『ザ・ヌード』訳
    エルンスト・ローベルト・クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』訳
    スーザン・ソンタグ『反解釈』訳

    【1972】
    西郷信綱『古代人と夢』
    廣松渉『世界の共同主観的左左構造』
    野村尚吾『伝記 谷崎潤一郎』
    前田愛『幕末・維新期の文学』
    山崎正和『鴎外 闘う家長』
    草森紳一『江戸のデザイン』
    梅原猛『隠された十字如』
    ウラジーミル・プロップ『民話の形態学』訳
    ソシュール『一般言語学講義』訳
    エンプソン『曖昧の七つの型』訳
    デリダ『根源の彼方に グラマトロジーについて』訳
    レヴィ=ストロース『構造人類学』訳
    ラカン『エクリ1』訳

    【1973】
    前田愛『近代読者の成立』
    丸谷才一『後鳥羽院』
    速水融『近世農村の人口学的研究』
    川村二郎『銀河と地獄 幻想文学論』
    野口武彦『谷崎純一郎論』
    ドゥルーズ『マゾッホとサド』訳
    ヤコブソン『一般言語学』訳

    【1974】
    中野好夫『蘆花徳冨健次郎』
    渡辺保『女形の運命(六代中村歌右衛門)』
    足立巻一『やちまた(本居春庭)』
    荒正人『漱石研究年表』
    宇沢弘文『自動車の社会的費用』
    阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』
    池田健太郎『プーシキン伝』
    山内得立『ロゴスとレンマ』
    ミハイル・バフチン『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』訳
    フーコー『言葉と物』訳
    バルト『表徴の帝国』訳

    【1975】
    加藤周一『日本文学史序説』
    山口昌男『道化の民俗学』
    中村幸彦『近世文藝思潮攷』
    村松剛『死の日本文學史』
    大橋健三郎・斎藤光・大橋吉之輔編『総説アメリカ文学史』

    【1976】
    渡部昇一『知的生活の方法』
    秋庭太郎『永井荷風傳』
    河野多惠子『谷崎文学と肯定の欲望』
    島田謹二『日本における外国文学』
    河合隼雄『母性社会日本の病理』
    前田愛『成島柳北』
    小松茂美『平家納経の世界』
    加藤九祚『天の蛇 ニコライ・ネフスキーの生涯』
    坂部恵『仮面の解釈学』
    チョムスキー『言語と精神』訳
    レヴィ=ストロース『野生の思考』訳

    【1977】
    蓮實重彦『反=日本語論』
    岸田秀『ものぐさ精神分析』
    曾根博義『伝記 伊藤整』
    フーコー『監獄の誕生』訳

    【1978】
    柄谷行人『マルクス その可能性の中心』
    網野善彦『無縁・公界・楽』
    大岡信『うたげと孤心』
    種村季弘『ザッヘル=マゾッホの世界』
    河盛好蔵『パリの憂愁 ボードレールとその時代』
    渡辺京二『北一輝』
    鶴見和子『南方熊楠』
    渡邊守章『虚構の身体』
    レヴィ=ストロース『親族の基本構造』訳

    【1979】
    篠沢秀夫『篠沢フランス文学講義 1』
    村上泰亮・佐藤誠三郎・公文俊平『文明としてのイエ社会』
    立花隆『アメリカ性革命報告』
    ロラン・バルト『物語の構造分析』訳

    【1980】
    柄谷行人『日本近代文学の起源』
    栗本慎一郎『幻想としての経済』
    高田衛『八犬伝の世界』
    河竹登志男『作者の家 黙阿弥以後の人びと』
    十川信介『島崎藤村』
    朝永振一郎『物理学とは何だろうか』
    ノースロップ=フライ『批評の解剖』訳
    バルト『恋愛のディスクール・断章』訳
    カール・ポパー『推測と反駁』訳

    【1981】
    中野三敏『戯作研究』
    丸山圭三郎『ソシュールの思想』
    高山宏『アリス狩り』
    海老沢敏『ルソーと音楽』
    山田一郎『寺田寅彦覚書』
    富士川英郎『菅茶山』
    木下是雄『理科系の作文技術』
    栗本慎一郎『パンツをはいたサル』

    【1982】
    臼田昭『ピープス氏の秘められた日記』
    柳父章『翻訳語成立事情』
    上野千鶴子『セクシィ・ギャルの大研究』
    金田一春彦『十五夜お月さん 本居長世人と作品』
    前田愛『都市空間のなかの文学』
    中村哲郎『西洋人の歌舞伎発見』
    藤森照信『明治の東京計画』
    大橋健三郎『フォークナー研究』
    勝俣鎮夫『一揆』
    村上陽一郎『科学史の逆遠近法』
    ケネス・バーク『動機の文法』訳
    フランク・カーモード『ロマン派のイメージ』訳
    ヴォルフガング・イーザー『行為としての読書』訳
    スーザン・ソンタグ『隠喩としての病』訳

    【1983】
    浅田彰『構造と力』
    西部邁『大衆への反逆』
    磯田光一『鹿鳴館の系譜』
    新庄嘉章『天国と地獄の結婚 ジッドとマドレーヌ』
    井筒俊彦『意識と本質』

    【1984】
    五味文彦『院政期社会の研究』
    中沢新一『チベットのモーツァルト』
    芳賀徹『絵画の領分』
    神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』
    村上泰亮『新中間大衆の時代』
    網野善彦『日本中世の非農業民と天皇』
    山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』
    波木井皓三『新派の芸』
    浅田彰『逃走論』
    ドナルド・キーン『百代の過客』訳
    吉本隆明『マス・イメージ論』
    江藤淳『自由と禁忌』
    ジュリア・クリステヴァ『恐怖の権力』訳
    イヴァン・イリイチ『ジェンダー』訳

    【1985】
    中村真一郎『色好みの構造』
    小西甚一『日本文藝史1』
    相馬正一『評伝 太宰治』
    守屋毅『近世藝能興行史の研究』
    菅野昭正『ステファヌ・マラルメ』
    岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』
    大笹吉雄『日本現代演劇史 明治・大正篇』
    若桑みどり『薔薇のイコノロジー』
    佐伯彰一『自伝の世紀』
    船山隆『ストラヴィンスキー』
    加藤典洋『アメリカの影』
    黒澤亜里子『女の首 逆光の「智恵子抄」』
    小森陽一「『こゝろ』を生成する『心臓』」
    ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』訳
    ソール・クリプキ『名指しと必然性』訳
    テリー・イーグルトン『文学とは何か』訳

    【1986】
    井上章一『つくられた桂離宮神話』
    網野善彦『異形の王権』
    猪瀬直樹『ミカドの肖像』
    田中優子『江戸の想像力』
    山内昌之『スルタンガリエフの夢』
    上野千鶴子『女という快楽』
    エドワード・サイード『オリエンタリズム』訳
    リオタール『ポストモダンの条件』訳
    ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』訳
    マリオ・プラーツ『肉体と死と悪魔 ロマンティック・アゴニー』訳
    フーコー『性の歴史1』訳

    【1987】
    徳田武『日本近世小説と中国小説』
    井波律子『中国的レトリックの伝統』
    川崎寿彦『森のイングランド』
    中村洪介『西洋の音、日本の耳』
    望月洋子『ヘボンの生涯と日本語』
    ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』訳
    テリー・イーグルトン『クラリッサの凌辱』訳
    グレゴリー・ベイトソン『精神の生態学』訳
    エマニュエル・レヴィナス『タルムード四講話』訳

    【1988】
    山口瑞鳳『チベット』
    笠谷和比古『主君「押込」の構造』
    山田慶児『黒い言葉の空間』
    蓮見重彦『凡庸な芸術家の肖像』
    網野・上野・宮田登『日本王権論』
    ギルバート&グーバー『屋根裏の狂女』訳

    【1989】
    内山美樹子『浄瑠璃史の十八世紀』
    尾崎秀樹『大衆文学の歴史』
    西村三郎『リンネとその使徒たち』
    森洋子『ブリューゲルの「子供の遊戯」』
    大澤真幸『行為の代数学』
    福田和也『奇妙な廃墟』
    江藤淳『閉ざされた言語空間』
    ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン1』訳

    【1990】
    本田和子『女学生の系譜』
    水落潔『上方歌舞伎』
    今谷明『室町の王権』
    倉塚平『ユートピアと性』
    宮下志朗『本の都市リヨン』
    青木保『「日本文化論」の変容』
    ヘルマン・オームス『徳川イデオロギー』訳

    【1991】
    井上章一『美人論』
    服藤早苗『平安朝の母と子』
    高島俊男『水滸伝と日木人』
    鳥越文蔵『元禄歌舞伎攷』
    山本博文『江戸お留守居役の日記』
    ウェイン・ブース『フィクションの修辞学』訳

    【1992】
    平岡敏夫『「坊つちやん」の世界』
    田中貴子『<悪女>論』
    藤田洋『演劇年表』
    上野千鶴子 富岡多恵子 小倉千加子『男流文学論』
    カントーロヴィチ『王の二つの身体』訳
    フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』訳
    グリーン・ブラット『ルネサンスの自己成型』訳

    【1993】
    富岡多恵子『中勘助の恋』
    木下直之『美術という見世物』
    河竹登志夫『黙阿弥』
    濱田啓介『近世小説・営為と様式に関する私見』
    吉澤夏子『フェミニズムの困難』
    中村隆英『昭和史』
    多田富雄『免疫の意味論』
    絓秀実『文芸時評というモード』

    【1994】
    井上章一『法隆寺への精神史』
    千葉俊二『谷崎潤一郎 狐とマゾヒズム』
    三浦雅士『身体の零度』
    斎藤美奈子『妊娠小説』
    宮台真司『制服少女たちの選択』
    松浦寿輝『エッフェル塔試論』

    【1995】
    米倉迪夫『源頼朝像』
    大石慎三郎・佐藤常雄『貧農史観を見直す』
    中井久夫『家族の深淵』
    阿部良雄『シャルル・ボードレール 現代性の成立』
    兵藤裕己 『太平記「よみ」の可能性』
    吉田守男『京都に原爆を投下せよ ウォーナー伝説の真実』
    田中英道『日本美術全史』

    【1996】
    中島義道『うるさい日本の私』
    永沢光雄『AV女優』

    【1997】
    藤目ゆき『性の歴史学』
    中島秀人『ロバート・フック ニュートンに消された男』

    【1998】
    四方田大彦『映画史への招待』
    井上章一『南蛮幻想 安土城ヘ/ユリシーズ』
    平野井余子『天皇と接吻』
    門玲子『江戸女流文学の発見』
    東浩紀『存在論的、郵便的』
    小熊英二『<日本人>の境界』
    ハンチントン『文明の衝突』訳

    【1999】
    赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』
    西尾幹二『国民の歴史』
    小谷野敦『もてない男』
    西村三郎『文明の中の博物学』
    渡部直己『不敬文学論序説』
    日野龍夫『服部南郭伝攷』

    【2000】
    白石隆『海の帝国』
    長島弘明『秋成研究』
    猪瀬直樹『ピカレスク 太宰治伝』
    佐伯順子『恋愛の起源』
    ソーカル&プリクモン『「知」の欺瞞』訳

    【2001】
    河合祥一郎『ハムレットは太っていた!』
    萩原延壽『違い崖サトウ日記抄』
    岡田暁生『オペラの運命』
    東浩紀『動物化するポストモダン』
    池内紀『ゲーテさんこんばんは』

    【2002】
    酒井邦嘉『言語の脳科学』
    長部日出雄『桜桃とキリスト もう一つの太宰治伝』
    羽入辰郎『マックス・ヴェーバーの犯罪』
    加藤徹『京劇』
    池内恵『現代アラブの社会思想』

    【2003】
    古田博司『東アジア・イデオロギーを超えて』
    磯田道史『武士の家計簿』
    杉野要吉『ある批評家の肖像 平野謙の<戦中・戦後>』
    山本義隆『磁力と重力の発見」
    酒井順子『負け犬の遠吠え』

    【2004】
    宮澤淳一『グレン・グールド論』
    赤川学『子どもが減って何が悪いか!』
    黒岩比佐子『「食道楽」の人 村井弦斎』
    中込重明『落語の種あかし』
    川島真『中国近代外交の形成』
    宮下規久朗『カラヴァッジョ』
    ハロルド・ブルーム『影響の不安』訳

    【2005】
    筒井清忠『西条八十』
    斎藤希史『漢文脈の近代』
    小川剛生『二条良基研究』
    坪内祐三『「別れる理由」が気になって」
    水谷尚子『「反日」解剖』

    【2006】
    長谷川郁夫『美酒と革囊 第一書房・長谷川巳之吉』
    前野みち子『恋愛結婚の成立』

    【2007】
    若島正『ロリータ/ロリータ/ロリータ』
    吉岡栄一『文芸時評 現状と本当は恐いその歴史』
    最相葉月『星新一』
    渡辺利雄『講義 アメリカ文学史』

    【2008】
    栗原裕一郎『<盗作>の文学史』
    岡田温司『フロイトのイタリア』

    【2009】
    持田叙子『荷風へ/ようこそ』
    矢内賢二『空飛ぶ五代目菊五郎』
    紅野謙介『投機としての文学』
    小熊英二『1968』
    本郷和人『天皇はなぜ生き残ったか』

    【2010】
    山城むつみ『ドストエフスキー』
    渡辺裕『歌う国民』
    野崎歓「異邦の香り/ネルヴァル「東方紀行」論』
    福田千鶴『江の生涯』
    輪島裕介『創られた「日本の心」神話』

    【2011】
    竹内洋『革新幻想の戦後史』
    木下聡『中世武家官位の研究』
    桜井英治『贈与の歴史学』

    【2012】
    岩橋邦枝『評伝 野上彌生子』
    六車由実『驚きの介護民俗学』
    玉蟲敏子『俵屋宗達』
    劉岸偉『周作人伝』
    亀山郁夫『謎とき「悪霊」』
    杉田英明『アラビアン・ナイトと日本人』

  •  渡部昇一のミリオンセラー『知的生活の方法』(1976年刊)を意識して書かれた、小谷野敦流『知的生活の方法』ともいうべき本である。

     “『知的生活の方法』を呉智英は馬鹿にしていたが、それほど悪い本ではないと思う”という意味のことを小谷野は以前の著作(『バカのための読書術』)でも書いていたが、私も同感。じつは私も、少年時代に『知的生活の方法』にけっこう影響を受けた。

     本書は、Amazonのカスタマーレビューでおおむね酷評されている。批判の主旨は、「タイトルと中身に乖離がありすぎる。著者の自分語りが多すぎる」というもの。

     小谷野敦が出す新書は、歴史の本であれ読書術の本であれ、随所に自分語りがある。誰かが言っていたが、「私小説ならぬ“私新書”」なのであって、それはこの人の芸風だから、目くじら立てても仕方ない。愛読者はそこまで「込み」で彼の著書を楽しんでいるのだ。

     ただ、本書はほかの新書に比べても、自分語りの混入率が高い。
     たとえば、全五章のうち第一章は「私の知的生活の系譜」で、章題のとおり、小谷野自身の少年時代からの読書遍歴、知的遍歴が綴られている。ほとんど自伝に近い内容で、およそ読者の勉強法の参考になるようなものではない。

     読書遍歴だけならまだしも、「竹下景子さんと『犬笛』の思い出」という項では、ファンだったという竹下景子がヒロインの映画『犬笛』について、6ページも費やして延々と紹介している。いくらなんでも脱線しすぎ。

     第五章「バカのための英語術」も同様で、内容の九割方は“自分はじつは英語が苦手で、これまでこんなにも英語の勉強に苦労してきた”という話。読者の参考になる勉強術は、残りの一割くらいしか書かれていない。

     ただ、あとの三章は悪くない。
     第二章「知を体系化するデータベース作成法」と第三章「ネット時代だからこその検索法」は、国会図書館の上手な利用法などの細かなテクが参考になる。
     第四章「古典をどこまでどう読むか」は、本書でも何度も言及されている呉智英の名著『読書家の新技術』の、小谷野敦版という趣がある。

  • この本の良さは、良書を紹介してくれていることだ。この本に書かれた本は読みたくなる本が多い。

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著者プロフィール

小谷野 敦(こやの・あつし):1962年茨城県生まれ。東京大学文学部大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士。大阪大学助教授、東大非常勤講師などを経て、作家、文筆家。著書に『もてない男』『宗教に関心がなければいけないのか』『大相撲40年史』(ちくま新書)、『聖母のいない国』(河出文庫、サントリー学芸賞受賞)、『現代文学論争』(筑摩選書)、『谷崎潤一郎伝』『里見弴伝』『久米正雄伝』『川端康成伝』(以上、中央公論新社)ほか多数。小説に『悲望』(幻冬舎文庫)、『母子寮前』(文藝春秋)など。

「2023年 『直木賞をとれなかった名作たち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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