なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか 仏教と植物の切っても切れない66の関係 (幻冬舎新書)

著者 :
  • 幻冬舎
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レビュー : 11
  • Amazon.co.jp ・本 (230ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344983731

作品紹介・あらすじ

不浄である泥の中から茎を伸ばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とするあり方、極楽浄土に最もふさわしい花とされる。このように仏教ではさまざまな教義が植物に喩えて説かれ、寺や墓のまわりも仏教が尊ぶ植物で溢れている。球根が土砂崩れを防ぐ特性から墓地を守る花として重宝されたマンジュシャゲ、疫病を避ける物質を持つため鬼門に植えられるナンテン、神聖な花の象徴であり寿命が長いために墓に供えられるキク。人気植物学者が、仏教が理想とした植物の生きる知恵を楽しく解説。植物と仏教の新たな魅力がわかる一冊。

感想・レビュー・書評

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  • 非常に面白い本で、次々とページをめくる手が止まらなかった。
    植物そのものについての知識は既知の事柄がほとんどだったが、宗教、それも仏教と結び付けて考えたことはなかったので、その点がとても新鮮だった。

    仏教と言えば菩提樹と沙羅双樹が真っ先に浮かぶ。
    菩提樹には出会えたのに、沙羅双樹にはいまだに出会えてない。
    夏椿を代用としているお宅もたまにあるが、やはり元の沙羅双樹とはまるで違うらしい。
    いや、そもそも挿絵でさえも沙羅双樹を観たことがないのだ。
    こうなったら自分で庭に植えてしまおうかと考えてもみるが、苗さえ入手できない状態がもう10年以上続いている。
    だが、この本を読んでみると、そんなことは些末なことに思えてきた。
    カタバミのような路傍の草花でさえも、その特性を生かして仏壇を磨くのに用いるという古のひとの知恵に、もう恐れ入ってしまったからだ。
    もちろんそれだけではない。
    盆花で有名なミソハギやレンゲやクローバーの賢さ、そうだったのか!の連続で、もう愛おしいことこの上ない。
    タイトルになっているハスの花の話は、一番最初に登場する。
    泥の中から茎をのばし、清浄な花を咲かせるハスは、仏教が理想とするあり方だという。
    これのみでなく、仏教では様々な教義が植物にたとえて説かれているというのだ。
    平易な文章ながら大変奥が深く、生かされている恵みにあらためて気づくきっかけにもなった。

    たくさんのトリビアにあふれ、どの花のページにもモノクロのスケッチが挿入されている。
    3章までは仏教と縁の深い植物の由来と解説。仏教における植物の活用法など。
    4章になると話が植物全体に広がり、植物の生き方が仏教にどのような影響を与えてきたかを語っている。この章が大変心にしみる。
    命というものの不思議さ。すべてのことには意味があるということ。自分というものの小ささ。
    もっともっとこのお話を聞いていたい。読んでいたい。
    そう強く思い出した頃に読み終えた。
    植物学者であるという著者の作品を、この先も追っていきたい。

  • 稲垣栄洋著「なぜ仏像はハスの花の上に座っているのか-仏教と植物の切っても切れない66の関係-」を読む。
    植物たちは緩やかに連関しながら、それぞれが環境に対して自己最適化をすることで種として生存してきました。その生態の豊かさは驚くべきもので、植物学の深遠さはまったく底がしれません。やっぱりこの世に「雑草」はありません。
    p.173
    「弘法大師の言葉に「医王の目には途に触れてみな薬なり」とあります。優れた医者は道ばたの雑草も薬草に見えるというのです。
    アメリカの思想家エマーソンは、雑草を「未だその価値を見出されていない植物」と評しました。
    こんな小さな雑草にさまざまな価値を見出した昔の人の観察眼には本当に驚かされます」
    世界にはいろいろな国があって、いろいろな人がおり、それぞれが様々な価値観と問題を抱えながら生きているのだと思いますが、折り合いのつかない問題をまるっと飲み込んで全体最適のバランスをとる能力(もしくは、そうしたいと願う本能)にかけては日本人はいい線いってると思います。
    でも植物の場合も、生態系として豊かさを守りながら、それを持続可能なものにしていくためには、まずは個別に変化の方向を決める思想と自己最適化の努力が必要です。
    単層の護送船団方式では全滅の危険があり、やはり生態系の中における個別の多様さを認めて伸ばしていく必要がある。そこに学ぶべきところは多いと思いました。
    あと、なんだか菜食主義って結局は偽善っぽいなぁと思っていたので、下の記述はスッと腑に落ちました。
    p.188
    「日本では菜食主義者は多くありません。日本人の多くは肉を食べなくても、植物を食べていれば殺生しているのと同じことではないかと考えます。そのため、道徳的見地型肉食禁止にこだわる菜食主義者が、どこか偽善者に思えてしまうのです。
    童話作家、詩人で熱心な法華経信者であった宮沢賢治に『ビジテリアン大祭』という本があります。「ビジテリアン」とは、今でいうベジタリアンのことです。
    この童話はある村に世界各国の菜食主義者の代表者が集まった際に、そこで批判者紛れ込んで祭りが大論争となってしまう話ですが、批判者が次のようなことを言います。
    「命を奪うのがかわいそうだというなら、植物を食べるのもやめて餓死するといい」
    植物に対する日本人の考え方は独特のものです。
    そのため、「植物は食べても殺生にはならない」というインド仏教や中国仏教の考え方は、日本人には理解しにくいものでした。
    しかし、植物を食べなければ生きていくことはできません。そこで、日本で広く受け入れられたのが、「草木国土悉皆成仏」という思想でした。これは、「草や木はもちろん、土や水にさえも私たちと同じように、仏性があり、成仏する存在である」というものです。そして食部は食べられることによって成仏すると考えました。
    宮沢賢治には次の言葉もあります。
    「一人成仏すれば三千大千世界 山川草木虫魚禽獣みなともに成仏だ」
    一人が成仏すれば、その人が食べたものも全て成仏するという意味です。人は自らが高みを極めることによって、自らが食べたものの仏性も高まると考え、よりよく生きようとしたのです。
    植物でさえも成仏するというこの考え方は、修行して初めて成仏できるという伝統的な仏教の考え方からは逸脱したものでした。しかし、古くから植物の中にも命を感じてきた日本人にとっては、腑に落ちる考え方だったのです」

  • 仏教誌に連載された植物のお話し。そこそこと植物のことも仏教のことも学べる。

  • 本書は、仏教と植物、またそれにまつわる人々の暮らしについてとても分かりやすく解説してあり、専門知識が無くとも楽しく読めます。
    何故マンジュシャゲは暮らしに身近な場所に生えているのか、何故蓮は清浄な花とされるのか、等改めて問われると答えに詰まってしまう事柄の回答がここにあります。

    仏教や植物、日本文化に興味のある方なら楽しんで読めると思います!

  • 仏教には植物に関する例え話が多い。仏教では植物にも仏生があると考える。しかし、キリスト教やイスラム教では、人間と人間以外の生物を大きく区別している。植物は人間に利用されるものと考える。一方、日本人にとっては全ての生物が仏生を持った存在だ。
    植物は動かない。種が落ちたところで生きて行く。そこで精一杯生きている。環境が悪くても文句を言わない。環境は簡単に変えられない。変えられるのは植物自身の生き方だけだ。植物は環境に合わせて自分を変えて生きている。
    うん!確かに!植物の生き方は仏教の教えによく似合う。

  • 稲垣氏は仏教の言葉も次々と出てきて、とても博学だな、と感じました。専門の植物学に比べると掘り下げ方が今ひとつですが、エッセイとして楽しく読ませて頂きました。

    ・ハスは約1億年前、白亜紀に地球に出現。恐竜が闊歩していた時代。化石として発見されている。花びらが多いという古代植物の特徴が見られ、おしべとめしべがやたら多くごちゃごちゃしている。
    ・哺乳動物は辛いトウガラシを食べられない。鳥はカプサイシンを感じる受容体がないため、食べられ、遠くにタネを運ぶ。
    ・もともとは仏教で肉食が禁じられていたにもかかわらず、現在、中国や韓国の料理に肉を使うのは、蒙古支配の影響。
    ・仏教伝来以降、日本で肉食が解禁されたのは、明治時代。
    ・「雑草」という概念は、明治時代以降に持ち込まれた。
    ・キリスト教では、悪い草は「雑草」、よい草は「ハーブ」。
    ・「雑草」が褒め言葉に使われたり、「雑草」と呼ばれて喜ぶのは、日本人くらいのもの。

  • 仏像

  • 「ナーム」という仏教誌に、7年近く連載してきた植物にまつわるエッセイを母体とする本。
    だから仏教がらみの話題なのね。

    第一章「仏教と縁の深い植物の謎」から第三章「心に染みる仏教と植物の話」のあたりは、他の稲垣さんのエッセイと同じテイスト。
    具体的な植物を取り上げ、その生態などを解説していく。
    マンジュシャゲなど、他の本で取り上げたものもある。

    第四章「仏教が理想とする植物の生き方」は、これまでとは少し趣が違う気がする。
    仏教や日本人の生命観などにかなり踏み込んでいく。
    植物が、むしろ命が短くなる方向で進化してきたという指摘が面白かった。
    仏教では意識のない植物は食べても殺生に当たらないと説くが、日本人には植物にも命を見出すので受け入れがたかったというのは、どうなんだろうか?
    仏教の考え方については参考文献などあげてほしかった。

  • 仕事柄、表題にひかれて読んでみました。まぁ著者の本は読んだことあるんですけどね。
    ちょっと仏教系の本も読んだこともあり、面白かったです。でもちょっと仏教に関連付けしすぎを感じました。そこを取ったら著者のほかの本と変わりなくなってしまいますけどね。
    それもどうもこれ、仏教系の雑誌に連載していたものとらしく合点行きました。
    っという訳で著者の他の本とは第4章以外は特段代わり映えしない感じがしますね。ただし4章はもうちょっと仏教傾向が強く、これはこれで・・・・
    でも浅い感じも・・・・でもそこが良いのかも。
    興味があるかたはお手にしてみては。気になるところだけ立ち読みでもいいかもね(笑)

  • 植物のトリビア本としても、様々な蘊蓄が開陳され、面白さは半端ない。
    しかしこの本のすごいところは、それらの植物や昆虫と、仏教ひいては人間の思想や心とかかわりの問題、最終的には地球や宇宙の存在まで到達するその哲学的思考であろう。
    西洋思想やキリスト教との差異にも触れ、仏性の深淵に誘い、人間の存在を穏やかに感じさせてくれる良書。

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著者プロフィール

稲垣 栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省、静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。著書に、『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』『身近な雑草のゆかいな生き方』『身近な野菜のなるほど観察記』『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』(いずれも草思社)、『身近な野の草 日本のこころ』(筑摩書房)、『弱者の戦略』(新潮社)、『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』(東洋経済新報社)、『世界史を大きく動かした植物』(PHP研究所)など。

「2019年 『生き物の死にざま』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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